第2話 祓い屋の仕事

 三人で仲良く話をしながら丘の上の屋敷に戻ると、屋敷の前では望月が庭木の手入れをしていた。黙っていれば整った顔立ちをしているのに、どうして私といると怒りっぱなしなのだろうか。



「ただいま夜来!」



 生馬が元気に手を振って望月に挨拶する。望月はこちらを向いて口を開いたが、私と目が合った瞬間に不機嫌になる。そしてそっぽ向いて「おかえり」と無愛想に返した。

 その態度がまた腹立たしい。


 千代は私と望月の態度に呆れた溜息をこぼした。こめかみをポリポリとかくと、煙管をしまい、腕を組む。


「まぁた冷戦してんのかい? 飽きない奴らだねェ。で、今度の原因はなにさ」


 冷戦に入るといつも千代に諭される。望月は彼女を無視するがら千代は庭木手入れ中の望月を強く睨んだ。圧力のある視線を感じて望月は手を止めた。

 私も千代に睨まれる。彼女のひと睨みはものすごく怖い。



「別に大した理由じゃない」

「別に大した理由じゃない」



 誤魔化したいがために出た言い訳が、望月とかぶった。私は「少しずらせよ」と望月を睨んだが、望月も同じことを考えていたようで私を睨んでいた。ますます苛立つ。


「大した理由じゃないってんなら、喧嘩なんかすんじゃないよォ。何がきっかけなんだい? 言わなきゃ頭を地面にめり込ませるよ」


 千代の威圧感に負けて望月は頭を掻いた。不貞腐れるその姿は幼子のようだ。望月を目線を逸らしたまま、口を開く。


「······仕事の話だ」


 ***


 現世──廃墟。

 花一つ生えないような、殺伐とした場所に取り残された建物。倒壊した瓦礫と折れた鉄骨はコケと枯れかけのツタに侵食され、哀愁漂うその姿には同情してしまう。

 四人で訪れたこの廃墟で、千代が地面に手をつけた。


「ふぅん、壊れたのはアタシらがとっくに死んだ後のいくさだろうねェ。前はなんの屋敷だったんだろ」

「長屋じゃない? ほら、今の長屋って縦にも繋がってるんでしょ?」

「縦にも······? あ、アパートのことか。でもこれ、工場っぽくない?」

「······工場?」


 そんな階数もなく、ただ大きいだけの廃墟。風化も激しく、原型を留めていないため真相は不明だ。

 唯一咲いていた花を愛でる生馬が、うんと大きく伸びをする。腰をトントンと叩いて笑った。


「はぁーイタタ。んでもって、なんでここに居るんだっけ?」


 忘れかけていた本題に、望月の目が変わった。腕を組んで私を睨む。



「何人成仏させたかで喧嘩した」



 このくだらない理由に、千代も流石に呆れ顔を隠さず、煙管を取り出した。生馬も「本当にちっちゃいな」と苦笑した。

 他人にとっては小さい問題も、喧嘩している当人たちには重大な問題だ。それこそ世界戦争にも匹敵する。私も望月も譲る気はない。


「俺は八人、奏は七人だったのにこいつが八人だと譲らない」

「望月の後ろにいた奴を入れてないんだもん。私に助けられた分際で偉そうに」

「後ろにいた奴はわざと放置したんだ。助けてくれなんて頼んでないだろう。それを含めてもお前は七人しか祓ってないじゃないか!」

「へぇ〜、驚いてたくせに強がってんなよ。『助けてくれてありがとうございます』くらい言えよな。私は八人片付けた!」

「いーやっ! 七人だ! 俺はちゃんと数えてた!」

「自分で祓った霊の数くらい覚えてんだよ!」


「はいはいはーい! 喧嘩はそれまで! それ以上はあねさんに怒られるか──」


 生馬が私たちの間に腕を入れた。やや強引に喧嘩を仲裁すると空を睨んだ。耳に入る不協和音が私の警戒心を刺激する。今まで聴こえなかったのが不思議なくらい大きな音だ。私は空を見上げてあんぐりと口を開ける。生馬の声が低くなった。





「──悪霊の餌になるかだよ」





 空には黒く染まった霊が飛んでいた。私たちを見つけるなり奇声を発して急降下してくる。私たちを喰らう心つもりだろう。

 全員が両手を合わせ、声を張り上げた。



「この度はお悔やみ申し上げます!」



 先陣を切った望月がありったけの札を空へ放つ。悪霊にピタッと張り付くと、炎の花を咲かせて包み込んだ。彼は勝ち誇ったような顔で私を見るが、私だって負ける気はない。

 木の葉を拾って目を閉じる。聴こえてくる音に集中した。風は荒れ、木の葉がザワザワと威嚇する。風が私の耳元で囁いた。



『──今だよ』



「風よ 暴徒の如く吹き荒れろ

 木の葉よ 剣の如く舞え

 風と葉の祝詞の二重奏

 空にせよ 魂に捧げよ

 雨の如く降り注げ」


 空に木の葉を差し出すと風が舞い上がり、木々から葉をもぎ取って悪霊を斬りつけた。木の葉の演舞の中で、悪霊は球体に閉じ込められて地に落ちる。

 雨のように零れる魂に生馬が拍手を送った。

 私は勝ち誇った笑みで望月を見据えた。


「見たか望月! これが私の『風葉ふうは雨露あまつゆ演舞えんぶ』だ!」

「自然に頼りきった術の何が凄いんだか······」

「あぁ!? 素直に認めろよ!」




「喧嘩すんじゃないよォ。まだいるんだからさ」




 千代が睨む先にも悪霊がいる。

 タダでさえ悪霊の姿は黒いというのに、大勢集まれば余計に黒い。私はふと、昔見たものを思い出した。あれは、小学生の頃の遠足だった。行った先の水族館で見た──


「イワシの大群······」

「ん? 奏、なんか言ったかい?」

「いや、うん······別に」


 千代は煙管をふかして式神を出した。煙を式神に吹きつけて空に飛ばすと、煙の中から赤い蝶の群れが優雅に飛んでいった。



「千の蝶 我に魂を貢げ」



 短い呪詛が紡がれた。

 蝶は大きく羽を広げて鱗粉を散らす。キラキラと光る蝶の羽が宝石のようで、私は思わず見入ってしまう。空を舞う姿も、悪霊を取り囲む様子も、全てが幻想のように美しくて息を呑んだ。


 気づいたときには全て終わっていて、辺りには黒い球体が転がっているだけ。

 ほうけている私と望月に、千代が煙と一緒に吐き捨てた。


「アタシの勝ちだねぇ」


 私の脳内で『敗北』の文字が点滅する。


 ***


「どうだっていいじゃないのさ! どっちが勝ちなんてカンケーないだろォ? そもそも仕事に勝ち負けなんてないじゃないかアホタレ共!」


 ──ごもっともです。


 屋敷の広間、私は望月と正座で千代に説教を喰らっていた。かれこれ一時間は聞いているが、あまり内容は頭に入ってこない。



 何度も聞いた話だからだ。



「大体さァ! 何であんたらそんなに仲悪いんだい! もっと仲良くすればいいだろォ!? 師弟のクセにケンカばっかり! 里の皆にも迷惑かかってんの自覚しなァ! 特に夜来だ夜来ィ! あんたがしっかり面倒見ないから、奏がこんなんなるんじゃないか!」

「奏自身の態度もあるだろう! 何で俺だけが責められねばならん! 第一、俺はちゃんと奏に修行を積ませ、人としての道徳心を学ばせている! それなのに奏でときたら──」


 また始まった。望月の私への愚痴が。

 これが出ると口論にしかならなくなる。うるさいだけの同僚の出来上がり。嫌いな師匠の完成だ。


 ──それもしゃくなので、私は爆弾を投下してみることにした。


「そんなに文句言うなら弟子にしなきゃ良かったろ! 私に修行だ!? 道徳心だ!? 私をほっといて詩音にかまけたお前が、偉そうに言ってんじゃねぇよ!」


 望月の顔がさぁっと青くなる。それに対し、千代の顔がみるみるうちに赤くなる。

 私の胸ぐらを掴み、望月は「馬鹿者!」と言い放つ。が、その手は千代の手刀で叩き落とされ、逆に望月が胸ぐらを掴まれた。


「夜来、詩音って誰だい?」

「お、お前達が別件の仕事に行っている間に来た幽霊ひとだ。奏と同じ現代人で······」

「その子にかまけてたって、どういう事だい? そんなどこの馬の骨とも知らない奴の相手して、可愛い可愛い奏のこと、放置してたってのかい!?」

「確かに構ってはやらなかったが······」


 望月はゴニョゴニョと言葉を濁す。千代は苛立ちを落ち着かせようと煙管を咥えた。

 望月が救いを求めるように私を見てきたが、私は許すつもりがない。


「ほ〜ぉ、私の心を打ち砕いた挙句、再起不能の状態に陥れてまで、詩音を大事にしてたくせになぁ」

「奏! 師匠に向かって······」


 少し話を盛ったのは、私の反省点だろう。

 目の前でくり出される千代の激怒の鉄拳は、望月の脳天を的確に撃ち抜き、畳にめり込ませる。

 形が歪んでしまった畳を前に、千代は軍人のように煙を吐き出した。


「見知らぬ女のケツ追っかけて何言ってんだい! アンタが奏を怒ってんじゃないよォ、このおたんちんがぁ! 夜来、ちょっと来なァ!」

「まっ、待てっ! 話せば分かる! 話せば分かるから!」

「黙って来な! 大の男が見苦しいったらないよ!」


 千代に耳を引っ張られながら望月は外に連れ出された。廊下から望月の悲痛な叫びが聞こえたが、すぐに静かになった。

 ちょうど生馬が広間に現れ、哀れんだ瞳で廊下の奥を見つめる。おそらく、見てはいけない何かを見てしまったのだろう。

 深いため息をついて、四人分のお茶を乗せた盆を持って広間に入ってきた。


「あーあ、今日はもう道場使えないや。僕使おうと思ってたのに。奏ちゃんが大事なのは分かるけど、毎回毎回、道場でケンカしないで欲しいなぁ」


 私にお茶を差し出して生馬がため息をこぼした。

 お茶を受け取って、私は道場のある方角を見つめた。

 色々と言いたいことはあったが、その全てをお茶で飲み込んだ。ほんのりと渋い茶葉の香りが漂い、身体の中が温まっていく。私は心の中で「勝った」と拳を握る。


 天気の良い昼下がりに、千代の怒号と望月の叫び声がよく聞こえた。

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