第12話 師弟の呼吸

「邪魔をしないで──!!」



 詩音の叫びに反応するように、詩音を囲む爆発札が彼女を守るように放たれた。一斉に飛んできた札は、辺りの物に触れただけで、大規模な爆発を引き起こす。

 空から降り注ぐ爆撃の嵐は、亜種諸共、里の建物や住民さえも砕き、吹き飛ばしていく。


 それを避けながら、私は反撃の隙をじっとうかがった。だが、詩音の手持ちの札は、一向に減る気配がない。手持ちの護符を盾に進んだところで、仲間の数も祓い屋としての実力も、彼女の方が上だ。

 私にはまともな技術がない。それなのに、どうやって行けばいいのやら。祓い屋としてはポンコツの私に、良い策は思いつかない。



「ぐはっ······!?」



 近くで爆発が起きた。私は転がって落下物や炎から逃れる。しかし、詩音の放つ札に気を取られた隙を突かれ、私は亜種に腹を思いっきり噛まれた。手に触れる毛皮の感触や、亜種の図体の大きさ、高い鳴き声から大体予想がついた。



窮鼠きゅうそだっ······!」



 腹に侵入してくる歯に、腕力だけで抵抗を試みるが、顎と腕では力の差があり過ぎる。血こそ出ないが、全身を駆け巡る痛みが、私から抵抗力を根こそぎ奪っていく。

 苛立ちと、膨大な怒り。私はその二つだけで窮鼠に足掻いたが、とうとう力尽きて、腕を投げ出した。




「邪魔よ。ネズミちゃん」




 なまめかしい声がして、蜘蛛の糸が窮鼠の体に巻きついた。その後を追って蜘蛛の長い脚が、奴の胴体をしっかり掴む。のそりと女郎蜘蛛の顔が窮鼠の後頭部から覗いた。赤く、綺麗な唇がほんのりと笑みを乗せる。



「返しなさいな。奏は私のおもちゃなの」



 そう言うと、窮鼠の体に蜘蛛の脚を深く突き刺した。容赦のない仕打ちに、窮鼠がうるさい悲鳴をあげる。その悲鳴に鼓膜を震わせながら、私は窮鼠を突き飛ばし、地面に転がり落ちた。

 痛みで動けない私の前で、女郎蜘蛛は人目もはばからずに、大きく口を開けて窮鼠を貪ると、二〜三粒の種を吐き出した。


「まっず。もっと美味しいもの作んなさいよね。おブスちゃん」


 詩音を睨んで女郎蜘蛛はつばを吐いた。慈しむように私の頭を撫でると、女郎蜘蛛は何も起きなかった、と言わんばかりに里の大通りへと歩き始めた。

 私は壁に掴まりながら起き上がり、彼女の背中に言葉を投げる。


「ありがとう」

「お礼なんて要らないわ。あと百年も相手してくれるんでしょ。手助けなんて前金だわ」


 裂けるような笑みを浮かべ、女郎蜘蛛は優雅に屋根に飛び乗った。彼女は酒呑童子と合流すると、民家を潰しながら里を練り歩く、一番大きな大百足おおむかでに狙いを定めた。


 酒呑童子が先陣を切り、大百足の頭に拳をめり込ませる。彼の手は皮を突き破り、血を撒き散らして脳を引きずり出す。

 女郎蜘蛛は細い糸を大百足の体に巻き付ける。その糸をくんっ、と引っ張ると大百足の体は豆腐のように柔らかく細切れになる。

 二人はそれを、美味しそうに貪った。私はそれの様子に吐き気がした。


 あの二人は、どんなに美しくても、やはり妖怪なのだと思える振る舞いだった。妖怪を恐れる人達の気持ちも、今なら分かる。

 人を襲う様を見てしまえば、立てなくなるほど震え上がってしまうのだろう。

 だが私は、彼女たちを恐ろしいとは思えない。


 段々と圧倒され、劣勢になった詩音は、ぶるぶると震え出した。私を睨むように見下ろすと、恨みのこもった言葉をぶつけるようにこぼす。



「どうして私の計画を邪魔するの? どうしてわたしの悲願を無駄にしようとするの? 朝日野さんなら、分かってくれると思ってたのに······!」



 詩音が頭を押さえて空高く登っていく。ギリギリと食いしばっていた口からは、おぞましい言葉が紡がれる。


「邪神の杖音 悪魔の囁き

 時の果てに忘れられし者よ

 地の底に封じられし者よ

 汝の全てを我に与えよ

 我が身を喰らい全てを破滅に導け」


 詩音は呪詛を唱え、黒い煙に身を包む。

 高笑いを響かせて彼女は煙の中に消えていった。それを取り巻くように、亜種の天狗が詩音を守り始めた。札を投げても、近づこうとしても、天狗たちは襲ってくる。


 これで容易に動くことさえ出来なくなった。

 窮鼠に噛まれた腹の痛みに耐えられず、私はその場に倒れた。土の匂いを嗅ぎながら、私は必死に考えた。詩音の唱えた呪詛の意味。祓い屋が修める術の中でも『禁忌』の技だ。彼女がやろうとしていることはただ一つ。




 ──詩音は自ら亜種になろうとしているのだ。




 彼女が『悪霊』の過程を飛ばして、亜種になろうとするのは、亜種にはほとんど残らない『知性』が残るからだ。それは祓い屋の知識では、基本中の基本であり、絶対に教えられることのない機密情報だ。


 私は腹が立った。詩音が亜種になろうとしていることでは無い。それは今はどうだっていい。


 教えた望月に腹が立っていた。


 その亜種化に関する知識は、正式に祓い屋の一員になった者にのみ伝えられる情報であって、単に預かりとなっているだけの死人に教えることではない。

 その情報を悪用して亜種化した亡者は何人もいると、昔の文献に何度も載っていた。


 それも、望月は『覚えがいい』、『すぐに里の一員になるから』という下らない理由で教えたのだ。何のための秘密なのか、何のための注意事項なのか。

 本当に腹が立つ。私はさらに歯ぎしりをした。



(望月め、余計な知識を与えやがって······)



 ふつふつと湧き上がる怒りを抑えると同時に、私は勝利を確信した。大雑把おおざっぱではあるが、作戦が練りあがったのだ。だが、流石に一人で彼女を止めることは出来ない。少なくとも、一人は手伝いが要る。


 私が考え込んでいると、強い力がパーカーのフードを乱暴に掴み、強引に私を立たせた。



「いつまで寝てる気だ。死ぬかも、なんて思っているなら杞憂きゆうだぞ。すでに死人だ」



 低い声が私の頭に降り注ぐ。望月が苛立った顔で私を見下ろしていた。私の服に着いた土を乱暴に払う彼の手が、どさくさに紛れて背中を叩いた。鼓舞するような励ますようなその行動に、私は少し安心した。

 望月が首を回して詩音を見つめた。望月はとても不満げな表情で肩を揉んでいる。


 私を横目で見下ろすと、望月は「ふん」と鼻を鳴らした。私は思わず口角を上げた。


「ああ、気づかなかった俺が馬鹿だった。こんな悪霊、里の脅威でしかないじゃないか」

「ふんっ、今更気づいたかよジジイ」

「ああ、忠告を聞いておくべきだった。お前の勝ちだ」

「おっ、珍しい〜。負けを認めるんだ」

「ああ、今回だけな」


 望月はため息をつくと、膝の屈伸を始める。私は背伸びをして空を睨んだ。


 気は合わない。

 性格も正反対。


 けれど、不思議なことに『この師匠にして、この弟子あり』が良く似合うのだ。


「道を作るか?」

「亜種が邪魔だ。よくもまぁ、天狗なんて連れてきたもんだ」

「あれは作ったが正しいな。想像するやり方を教えたのか」

「まとわりつかれんのがウザくて。やり方見せちゃった」

「人のことが言えんな。修行不足め」

「お前がおこたった結果だろ」




「なら修行再開だ。初級、『悪霊を滅せよ』!」

「ばーか! 朝飯前だっつーの!」




 何も言わずに通じ合える。

 同じことを考えて動ける。

 それを江戸と現代なんて、数百年という膨大な時間の壁を挟んだ二人が出来るというのは、とても面白い。


 錫杖がシャンッとなったのを合図に、まず私が走り出した。 近くにいた天狗が私を見つけると、杖を横一閃に振り、辺り一帯丸ごと薙ぎ払う。

 その渾身こんしんの一撃を地面に伏せて避け、私は天狗の顎に拳をねじ込んだ。空に放り投げるように拳を振り上げて、物理的に奴を倒す。


 天狗の体が宙を漂っている一瞬のうちに、奴の腹を踏み台にして、私は屋根へ一気に飛び移る。私は今気絶させた天狗に爆札を落し、滅するついでに空の天狗の仲間たちの注目を集めた。お互いにじぃっと睨み合う。


 耳障りなだけの鳴き声を発し、襲いかかってくる天狗共はこの後に起きることを知らない。私は彼らを思い切り嘲笑あざわらった。



「今だよ! 師匠ォ!」



「全てをいざなえ時の川

 めぐめぐれよ輪廻の輪

 あるべき所へ還し給え この者らに魂の救済を」



 望月が放った無数の札が、私の体スレスレの距離を通り抜けていく。そのうちの一枚が、刀を振りかぶった天狗の顔ど真ん中に張り付いた。




 バァァンッ!




 大砲のような音を立て、目の鼻の先で天狗が球体を残して消え去った。私はうっとりとした笑みを浮かべ、それを眺めた。

 最初の爆発が次の爆発を呼び、連鎖を引き起こして空は炎の色に染まっていく。いつの間にか、空は真っ赤な炎に包まれていた。炎の音は、不気味なくらい綺麗な紅から、とても美しい音を奏でる赤に変わった。

 私が鼻歌を歌っていると、地面では望月が祈るように手を合わせていた。



「燃ゆる火の美しきこと 散りゆく桜の儚きこと

 すべては泡沫の夢、触れることさえ出来ぬ時の中

 悪しきを罰して正しきに導く紅蓮の呪詛よ

 命の果てに咲かせ給へ」



 札を握った望月が数珠繋ぎに呪詛を唱えた。爆札の追撃が、空に残った天狗たちに襲いかかる。望月が合わせていた手で印を結び、「滅!」と叫ぶと同時に空に大きな花が咲いた。


「見たか、奏! これが『紅蓮花葬術』だ! 中級程度の技だから覚えろ!」

「顔あっついし、耳痛い······え、なんか言った?」

「ちゃんと聞けぇ!」


 聞いてはいた。聞いてはいたが、爆発であまり耳に届いていない。ついでに言うと、爆発が存外近いものだから、顔がヒリヒリして痛む。


 邪魔者はいなくなった。あとは、詩音だけだ。

 私は詩音の姿を目を凝らして見ようとするが、煙が邪魔で全く見えない。そもそも霧に包まれたこの里で、上空なんてまともに見えたことがない。

 どちらにせよ、詩音の様子を窺うことは出来ないのだけは同じだ。

 屋敷の中を駆け回り、屋根によじ登ってきた望月が、息を切らしながら額の汗を拭う。私は空を見上げたまま声をかける。



「無理すんな年寄り」

「まだ三十だ馬鹿者」



 私の労いを受け止めると、望月は詩音をじっと見つめて深いため息をこぼした。後悔と憤りの入り交じったため息だった。


「近づく方法はあるのか?」

「あるっちゃあ、ある。ないっちゃあ、ない」


 ポケットに入った式神を握った。祓い屋に入った時に、望月から貰った大切な式神。けれど、私がこれをまともに使えたことなんてほとんどない。今までで、たったの一度だけだ。だがこれが今回の、詩音の亜種化を解く鍵なのだ。私は式神に縋るように祈った。望月は鼻を鳴らした。


「悲鳴あげるなよ」


 何も言わずに私の腕を掴んで回り始める望月。彼の突然の行動に私の頭はついていかない。文句を言う間もくれず、振り回される体は、遠心力に耐えきれず宙に浮いた。




「ふんっっっ!!」




 片足で全体重を支え、望月のたくましい腕が私を空に放り投げた。皮膚に当たる風が鉄のように固く、ラップのように張り付いてくる。口が開かないのに、悲鳴なんて出るものか。私は目の前に近づく詩音よりも望月に怒りが湧き上がった。

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