第11話 詩音の本性

 里にいる間、夜中に詩音の姿を見たことが一度もなかった。私は詩音が来てから、毎晩のように廊下を忍び歩く足音を聞いていた。探しに行ってもいない彼女に、違和感も不信感も抱かない望月はアホだと、常々思っていた。


 皆もそうだ。どうして誰も、詩音が悪いことをしていると思わなかったのか。詩音が何かを企んでいるなんて、誰も疑いもしなかった。




 それくらい詩音は、あまりにも『いい子』すぎたのだ。







 私は風を切って森を駆けた。木の葉を揺らして大地を跳ねる。樹木の精霊は腕だけを出して、里の方向を指し示す。怯えているような素振りで道の先をうかがう彼らに、私はついに声を荒らげた。



「さっさと近道を教えて欲しいなぁ!!」


 

 幽霊、といってもすり抜け技や浮遊技は、霊体に大きな負担がかかる。死んだ直後に遊んでやり過ぎて吐いたから知っている。私はそのことを思い出して、吐き気をもよおした。


 遠くへの移動は、自分の足で歩いていくことくらいだ。自転車も馬車も、人力車もない。もしその行き先に神社があれば、神社を通れるが神社がなければ、里にもどこにも、移動さえ満足に出来ない。

 死んでも得なんて何も無いものだ。



「教えてやろうか! 簡単な帰り方!」



 後ろを走る望月が、私のパーカーのフードを掴んで引き止めた。


 望月は六角形になるように紙縄を投げて木に結ぶと、六角形の中心に札を置いた。あの呪文を唱えて、青白い光が蜘蛛のように地面を伸びていく。光に包まれながら、私は驚きの声を上げた。


「こんなん出来んのか!?」

「覚えろ! 簡単な帰り方だ!」

「頭でイメージして帰るやり方やってた!」

「そんなやり方でよく帰って来れてたな!」

霊力ちからの差だよ!」


 ***


 白い霧を纏う里は、今日に限って赤く、狂気的な世界に変わる。数多の亜種妖怪が徘徊はいかいする様子は反吐へどが出そうだ。

 皆が悲鳴を上げて逃げ惑う中、祓い屋の屋敷の屋根に、静かに座っている女がいた。


「あら、朝日野さんと望月さん。来るの、案外早かったね。そんなに遠くなかったのかな」


「やめろ詩音! なんでこんな······」

「『なんで』? 『なんで』って、分かるでしょう。分かってくれるでしょう? ねぇ、朝日野さん」


 同類の勘か、もしくはテレパシーか。どっちであったとしても、私にはすぐ理解出来た。望月だけが分からない。




「家族に復讐するためだよ」




 空を映す濁った瞳。冷たい口からいなす言葉。優しくしてくれた人への恩も情けもなく、亜種を放って追い回す。

 その姿に偽りなんてどこにもない。全身から溢れる恨みは痛いほど伝わってくる。

 詩音はぽつりと語り出した。


「私は、私は親の自慢の娘なの。思いやりがあって優しくて、誰とでも仲良くなれるいい子なの。勉強も運動も出来る完璧な子。それなのに······それなのに、どうして私は──」


 頭を掻き毟る詩音の頭から血が滴った。服もじわじわと赤い染みが浮き上がる。


 きっと死ぬより前の、綺麗な姿を保てなくなっているのだ。詩音の死んだ直後の姿は、頭に痛々しい傷を負っていた。痣だらけの体に、私はまた、言葉に出来ない感情に背後を取られる。

 望月が私に視線を送った。



「死因は?」



 目だけでそう聞かれる。私は詩音をじっと見つめ、過去を探った。私に人の死因を調べる術はない。だが、私には何となく分かるのだ。それにやり方や必要な媒介ばいかいもない。

 きっと、私の中に備わっている共感能力がいびつに変化しているか、鬼になりかけた時に身についた記憶漁りの能力だろう。

 詩音の頬を伝う涙が、私にこっそり教えてくれる。



 ──リビングにいた。私の知らない所だ。きっと詩音の家だろう。

 とても綺麗な家だ。白を基調とした、清潔感のある広い家だ。幸せを築いてきたのがひと目でわかる。


 その近くには泣きじゃくる詩音と、詩音を見下ろす両親の姿があった。

 父親が激怒する姿が見えた。背中からでも、その憤りは全身で感じ取れた。



『ごめんなさい! ごめんなさい!』



 詩音は必死に謝っていた。

 どうして謝っているのだろうか。私が手を伸ばした直後、父親は金属バットを振り上げた。




 ガツン!




 ──父親は詩音の頭に一撃入れた。


 母親の姿は詩音を守ることさえしなかった。むしろ、毛虫でも見るような目で詩音を見下ろしていた。父親は怒りが収まらないのか、詩音の遺体を何度も何度も殴りつけた。母親も一緒になって詩音を蹴り続ける。


 私には分からなかった。リビングには満面の笑みの家族写真が、カウンターの上を占めているのだ。愛していた跡がある。愛された証拠がある。だというのに──



(どうして、そんなに嫌悪感を露わにするんだ?)



「詩音、お前······」

 現実に戻り、私が口を開きかけた。詩音の大きな瞳は涙を溜めて、小さな口は消えるような声を出して言った。




「殺されたんだよ、私」




 望月が頭を抱えた。祈るように手を結ぶ。詩音は涙目で私の元へと降りてきた。


「誘拐されたんだ。怖くて怖くてたまらなかった。知らないおじさんがずうっと、私を狭くて暗い部屋に閉じ込めてたの。どうしようもなかった。どうして良いかも分からなかった。それが二週間も続いたの。だから、私はおじさんを灰皿で殴って逃げてきた。ようやく会えたお父さんとお母さんはね、警察を呼んでくれたけど、おじさんが死んでるって聞いてから、態度が変わっちゃった。『人殺しの娘なんて要らない』って言ったの」



 ──残酷な話だ。怖い思いをしたのは詩音なのに。


 事故だとしても、過剰防衛だとしても、守ってやれば良かったのに。

 エゴでしかないこの思考回路がよくその年まで生かし、娘の命を奪ったものだ。その境遇には、流石に私も同情した。

 それでも私は、胸中で暴れる不明の感情をぐっと抑え、詩音の話に耳を傾ける。


「朝日野さん、あなたも一緒に行こうよ。だってあなたも家族を恨んでるんでしょ? 私にも見えるもん。どんなに頑張ったって報われない努力、見てさえもらえない虚しさ。辛かったわね。まだ家族は生きてるんでしょ? 私と一緒に復讐しよう。その手で家族を殺してやろうよ」


 情報を遮断するように目を閉じ、耳も強制的に塞いで、私は自分の世界に浸った。抗うこともせずに、深い深い意識の底に落ちていく。


 ***


 百点満点のテストは足元に散乱し、賞状や受賞作品で飾った壁がズタボロに裂かれていた。


 どんな表情をしていようとも、どんな成功を納めようとも、家族には私なんて眼中に無い。


 努力する度に惨めになる人生だった。褒められる兄妹がずっと、ずっと羨ましかった。


 首を絞められた感触も、最期の言葉もちゃんと体に残っている。今でも忘れられない。······忘れられるはずがない。



『お前なんて、産まれなきゃ良かったのに』



 ***


「朝日野さん、私の手を取って」


 詩音は優しい笑顔で、私に手を差し伸べた。

 差し出された手に私は腕を伸ばした。望月が止めに入るが、私は望月を突き飛ばした。

 勝ち誇った笑みで詩音は笑う。望月は辛そうに歯を食いしばった。私はずっと黙っていた。


「朝日野さんなら、きっと分かってくれると思ってた。だって私たちは。私と朝日野さんは──」





「同じでしょ?」






「──バカ言ってんじゃねぇよ。若造が」






 私は手首に巻いた酒呑童子のお守りを、詩音の前に突き出した。

 ほんのちょっと念を込めただけで、ブレスレットは遠くまで弾け飛び、近くの亜種を爆散させる。小さな球体になった魂が、雨のようにバラバラと地面に降り注ぐ。

 鬼の加護の強さに、私は言葉を失った。こんなに強いなんて、思ってもいなかった。


(だって、酒呑童子怠け者だし)


 一粒の石英が詩音の額を貫いた。血を流し、呻く詩音は私を睨んだ。


「仲間でしょ! 私たちは! どうしてこんなことするのよ! 愛されなかった者同士、仲良くするのが筋じゃない!」


 私はようやくこの感情を理解出来た。

 そもそも感情とは違うかもしれない。ずっと胸に巣食っていたそれは、認識された喜びからか、敵対心となって私に武器をくれた。

 この際だ。言ってしまおう。私の嫌いな人間に、思う存分浴びせかけてやろう。




「仲間なものか! 私はお前が『憎い』んだ!」




 そうだ。そうだった。これは憎しみだ──

 であるから余計に憎いのだ。死因こそ違えど、死んだ理由が似ていることが。

 愛されていたのに、親に殺されてしまった詩音が、とてつもなく憎いのだ。


 愛されなかった自分を、殺した私とは違うから。


 詩音は私に矛先を向けた。詩音の歪んだ心が透けて見えた。詩音は被った猫を捨てて舌打ちをする。


「退魔術もまともに使えないような人に、手を差し伸べるんじゃなかった。妖怪と仲良くなれるなら、都合よく使えると思ったのに······」

「そうだ。その件について教えといてやる。私が祓い屋の術をまともに使えないのは、自然との相性が良すぎるせいだ。妖怪も自然現象から生まれたりするし、自然にはたくさんの力が宿るからな。それらと仲がいいから、人工的な技が苦手なんだ。それでも一応、私にも得意なものはある。その例として──」



 強く地面を踏みつけた。足元から小さな揺れが里の隅々まで広がり、そして消えた。

 詩音は鼻で笑ったが、望月は錫杖を構えて辺りを警戒する。それが経験の差であり、実力の差である証明となった。




「──賛美歌を挙げようか」




 放った揺れは強くなって私の元へと返ってきた。

 地震のように揺れる大地に無地の札を二枚、そっと落とした。私は耳を澄ませ、の音を拾うと、声高らかに歌い上げた。


 一枚は地面に着くなり火柱をあげて鬼が現れ、もう一枚は地面に着く前に水飛沫をあげて、蜘蛛が現れる。

 私に呼び出された酒呑童子と女郎蜘蛛は、里を見渡して嬉しそうに息をついた。


「お〜うおうおう、こりゃまた酷いもんじゃのう」

「あちこちにいっぱいいるわねぇ。私お腹すいてるのよ」

「わしもじゃ。のう奏、どれなら良いかの?」



亜種デミはみんな喰っていい。私の獲物は、詩音だけ──」



 言い切らないうちに、二人はそれぞれ亜種妖怪に狙いを定めて飛び出した。

 全く、本物の妖怪の血の気の多いこと。一体、誰の知り合いなんだか。

 私は髪を束ね直し、血の気の引いた詩音を見据えた。




 ──やっぱりこれだよな。




 両手を合わせ、むかえる狩り本番に胸を高鳴らせる。私は詩音を睨み、私はニヤリと口角を上げた。

 楽しくて楽しくて仕方がない。

 腹立たしくて腹立たしくて、腸が煮えくり返りそうだ。

 死にゆく者へ、私たちがかけられる最大の言葉。

 私たちが逝くことの出来ない世界に導かれる、彼らへの羨望せんぼう

 そしてシンプルな皮肉。


 ──この日一番の大声が出た。





「この度はお悔やみ申し上げます!」

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