第7話 視線の先に

 姦姦蛇螺ヘビ女を退治してから、一週間が経過した。

 私は部屋に散乱した本を掻き集めては、何度も何度も読み返す。屋敷の奥にある資料室を行ったり来たりしては、あれでもないこれでもないと、頭を痛める。成仏に関する、それらしい本を調べても結果は同じ。脳内を『収穫ゼロ』の言葉が通り過ぎる。



「は〜ぁ、どうやったら成仏するんだかぁ〜」



 祓い屋仲間に“体力お化け”と揶揄やゆされる私もとうとう疲れ、木枠のついた窓にもたれて広い里を見下ろした。小高い丘の上は、里全体がよく見える。昔暮らしていた地元もこんな感じだった、と生前の記憶が思い出された。


 大通りには人だかりが出来ていた。その中心にいるのは、やはり詩音だ。いろんな人に囲まれて、褒められて、彼女は幸せそうに笑っている。



 この一週間で彼女は里の人気者になった。

 悪霊を祓ったあの日から皆の注目の的となり、望月も教えればすぐに出来る彼女を重宝していた。

 詩音は人当たりも良く、誰にでも優しく出来る女の子だ。だから、詩音が歩くだけで周りはちやほやと甘やかす。詩音はその人だかりの中で天使のように振る舞うのだ。


 その一方で私は、こうして独り部屋に閉じこもって、詩音が成仏出来そうな方法探しをしている。

 私が外に出ても、誰も関心を向けやしない。声もかけられないし、詩音のように囲まれることなんて縁遠い。

 私も詩音も同じ現代人であるのに、どうしてこんなにも違うのか。



(──まぁ、私は里を半壊させたし)



 違って当たり前だ。

 害のない詩音と、前科持ちの私。

 どちらを大切にしたいかなんて、目に見えている。けれど、私だって悪さをした以上に里に貢献している。

 ── 一度くらい、感謝されても許されるのでは?




 誰かが部屋の戸を誰ノックした。戸が開く様子はなく、「おーい」とだけ声が聞こえる。

 私が戸を開けると、そこにいたのは望月で、分厚い本をいくつも抱えていた。戸口の傍に座り、分厚い本を丁寧に床に積み重ねる。その量に私は吐き気がした。

 私の手伝いをしに来たのだろうか? 否、望月のやる気に満ちた顔は、祓い屋の修行を考えているときにだけする表情だ。


「詩音に新しい術を教えたい。お前ならどれを先に教えた方がいいと思う? まあ、どれを教えてもすぐに覚えるからな。即戦力として役立つぞ」


 案の定、望月は詩音の修行の相談をしに来た。私は手前に並べられた本を流し見た。どれも、私がまだ習っていない術の本だった。私はさっさと背中を向ける。


「どうでもいい。······あと、術とかあんまり教えない方がいいぞ。どうせあの子、四十九日で居なくなるんだし」


 私は背を向けたまま、自分の作業に取り掛かった。だが、暗唱出来るほど覚えた内容だ。読み返したって意味などない。だから、私は忙しいフリをする。

 望月は不満そうに戸にもたれると、子供を優しく宥めるように、私を説得する。


「······居てもいいのではないか? 里の皆にあんなに受け入れられている。人手不足の解消にもなる。不満になることはひとつもない」


 もちろん、人手不足は痛感している。この祓い屋は、たった四人で成り立っているのだから。私も出来ることなら「そうだね」と言いたい。だが酒呑童子の言葉が、脳裏をよぎってしまうのだ。




『里には置いとくな』




「ダメだ、必ず成仏してもらう」


 ──正直な話をすると、酒呑童子の一言が無くても私はここに置いておきたくない。

 これは自分のわがままだ。自覚はある。でも、どうしても詩音が好きになれない。この感情の名前なんて、私には分からない。


 私の態度が気に入らなかったのか、望月は口をへの字にして腕を組んだ。胡座をかき、私にちゃんと向き合った。「奏」と望月は真剣な声で呼びかける。だから私も、望月に体を向けた。


「そんなに嫌がることはないだろう。きっと最初だけだ。お前もすぐに慣れるだろう」

「望月だから正直に話すとさ、詩音のことあんま好きじゃないし、これからも好きになれない。それに酒呑童子が言ったんだ。『里に置くな』って」

「あいつか。妖怪の言うことをいちいち信じるな。どうせ嘘に決まっている」

「酒呑童子は嘘つかない。まぁ、ちょっと。笑えない冗談とかは言うけどな。······私、もう一回詩音を山に連れてってみる。鬼の棲う山だからダメだったのかもしんないだろ。霊山なら、私の本領も発揮できるはず」

「むっ、そこまで意地になるな。別に良いだろうが。祓い屋仲間が一人増えるだけだ」

「酒呑童子が珍しく私に忠告したんだ。あいつの言葉はよく当たる。注意しないと」



「いい加減にしろ! 鬼の戯言たわごとに固執するな!」

「お前こそ! 詩音ばかり修行させて、私をおろそかにしてるくせに!」





「嫉妬しているならそう言えばいい!」

「嫉妬じゃない!」





 ──嫉妬ではない。ならば、胸を渦巻く感情はなんと言えばいいだろう。

 いつもの口喧嘩さえ嫌になる。望月とは対等な立場にあるはずなのに、どうしても差を感じる。私は何故か必死になっていた。



「受け入れろ! 祓い屋の関係が崩れるわけではない!」

「受け入れる云々うんぬんの話じゃねぇの! ねぇ、どうして私の話を信じてくれないの!?」



 望月はひどく怒っていた。だからきっと、上手く言葉を選べなかったのだ。立ち上がり、私を見下ろし、聞きたくなかった言葉を私に浴びせた。



 ······望月にだけは、言われたくなかった言葉を。






「詩音が来てからよく思う。お前が弟子じゃなければ良かった!」






 私は乾いた空気を吸った。

 吸った感じはしなかった。

 胸の奥が熱く、押し潰されるように痛い。崩れていく心が溶け出し、目から溢れる。残った一粒の種が、黒い炎を吐き出して止まない。それは全身を燃やしていく──





「私だって────!!」





 ***


 よく覚えていなかった。あの時言った言葉も、あの後とった行動も。



 私は何も覚えていなかった。



 気づいた時には門をくぐった里の外にいた。跡形もなく吹き飛んだ私の部屋を飛び出して、私は振り返りもせずに、遠く彼方を目指していた。


 私はがむしゃらに足を動かした。めちゃくちゃに動かした。喧嘩して逃げるような軽快さはない。とにかくその場から離れたくて、その場にいたくなくて、私は足を必死に動かしていた。


(どこでもいい。ここでなければ、どこだって──!)


 私は涙を零しながら、息が出来なくなるまで走り続けた。このまま消えてしまえるなら、どんなに良いだろうと、張り裂けそうな痛みと悲しみに、おぼれながら。






 いつの間にか夜になった。月も雲に隠れる冷たい夜道を、私はふらふらと歩いていた。

 帰りたくない。けれど、現世に帰る場所もない。私が安心出来る場所なんて、一体どこにあるのだろう。泣き疲れた目を擦り、パーカーのポケットに手を突っ込む。手が温かいと、何となく安心できた。


 行く宛もなく、疲れ果てながらも歩き続けた私が行き着いたのは、生前に通い慣れた公園だった。

 誰にも気づかれない、不思議な公園がお気に入りだった。よくここに来てはブランコの右端を陣取って、たわいもなく愚痴を呟き、聴こえるうたを口ずさんでいた。

 ──死んだ後で、ここには結界が貼られていて、生者でも気づきにくい公園だったことを知ったのだが。


 今日も私は、誰も訪れない公園のブランコの右端を陣取って、空に耳を澄ませた。しかし、何の音も聞こえない。いつもなら聴こえる風の音も、土の音も······夜の音すらも。


 無音。本当に無音。




「あぁもう! なんにもない!」


 止めてくれ。音も消えないでくれ! そう願っても、誰も聞いてくれはしない。

 どんなに耳を澄ませても、聴こえない音に段々と腹が立つ。いつだって聞こえていたのに。自然の柔らかな音が、私の唯一の救いなのに───




「これ以上、誰も私を拒絶しないで!!」




 私の叫びは空回りする。立ち上がった時に、ブランコが激しく揺れた。

 怒りを含んだ叫びはどこに行くでもなく、ただ地面をって消える。それでも少しだけ、溜めた毒を吐き出せてスッキリした。


「······ああもう、嫌になる」


 髪をかきあげブランコに荒々しく座った。ブランコがカシャンと音を立てた。望月も詩音にべったりだし、里の人も詩音と仲良くしている。詩音の食事も、私より少しだけ豪華だ。

 望月と話をしても、二言目には詩音の名前が出てくる。私と詩音を比べるような事まで言ってきた。


 ······私の事が嫌いなのか? もう必要ないのではないか? そうだよな。気難しい私より、愛想がいい詩音の方が、よっぽど里の役に──


「──止めよう。疲れてるんだ。だって一週間も本読み続けて喧嘩けんかして、気が立ってるんだ。落ち着け、朝日野奏。望月も反省してるって」


 私はそう自分に言い聞かせて深呼吸をする。深くゆっくり息を吐くと、遠くから声が聞こえた。



「朝日野さーん! どこにいるのー? ねぇ朝日野さーん!」



 詩音の声だ。わざわざ私を追いかけてきたのか。私は「何で望月じゃないんだ」と、内心ガッカリしながら詩音の様子を見守る。

 詩音は公園の前に来てキョロキョロと見回すが、私に気づかないまま通り過ぎていく。


「朝日野さーん!!」


 詩音の声が公園から見える範囲の外へ行く。私はぼうっと詩音の声を聞いていた。


 ──ああ、そうだった。気づかないんだった。


 面倒くさい。そう思いながら、私は公園を出て詩音の後ろに立った。偶然振り返った詩音は、突然現れた私に声を出して驚いたが、すぐ私の手の平を握った。


「朝日野さん一緒に帰ろ? 望月さん、すごく心配してたよ」

「いや、いい。一人で帰ってくれ」



「ダメだよ。二人で帰んないと。望月さんオロオロしてて『妖怪に捕まったんじゃ······』って言ってたし。私ね、朝日野さんが居てくれた方が仲間がいるようで安心するの。──不安なんだ。あの里にいると、ひとりぼっちな気がしちゃって」



 詩音は寂しそうな言葉を呟いて私の手を引いた。無下に振りほどくことも出来ずに、私は大人しく飛び出していった里に帰る。


 詩音の不安はよく分かる。私も似たようなことを考えていた時期があった。でも、詩音が不安になることはないだろう。あんなにも、みんなに愛されているのに。

 詩音の背中はとても大きい存在に見えた。彼女が輝いて見えた。彼女の強さを見る度に、私は自分が影のように思えてくる。



 ──私は本当に、必要ないのでは?



 打ち消したはずなのに、そればかりが脳内を巡り続けて、私の心をむしばんでいく。

 それでも胸から離れない感情があった。詩音に向く、怒りのような感情だ。それが何かは、やはり分からなかった。名前の無い感情に、私は首を傾げる。


 前を向くと、詩音の揺れる髪が花のような甘い香りをいていた。それを見ると、それを嗅ぐと、あまりにもいびつな熱が込み上げてくる。今すぐにでも、殺してやりたいような。


 ──私はぶら下げた拳を強く握った。隠れていた月は、詩音が来た途端に、輝きを放つ。

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