第7話 童謡と詩

童謡的な詩を描こうと言うことで、ふと気付いたのだけれど童謡と唱歌て違うのだろうか。どちらも古い、明治期辺りの歌を思い浮かべる。例えば童謡の代表作は『赤とんぼ』、これは説明はいらない曲だと思う。次は唱歌で『荒城の月』、春高楼の花の宴、という歌い出しの曲だ。先に唱歌の授業が学校であったが唱歌の歌詞は、子ども向けではなかったので子ども向けに童謡が生まれたのだという。童謡、字のままにわらべが謡う歌だと考えればいいだろう。勿論、これ以前にもわらべ歌や子守唄、数え唄なんかもあったが明確に童謡と呼ばれたのは明治初期に西條八十が作詞した『かなりや』が最初らしい。以下、歌詞を記述する。


◇◆◇◆◇


歌を忘れたカナリヤは 

うしろの山に捨てましょうか

いえいえ、それはかわいそう


歌を忘れたカナリヤは 

背戸の小藪に埋けましょうか

いえいえ、それはなりませぬ


歌を忘れたカナリヤは 

柳の鞭でぶちましょうか

いえいえ、それはかわいそう

歌を忘れたカナリヤは 象牙の船に銀のかい

月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す


◇◆◇◆◇


しかし、後ろの山に捨てるやら柳の鞭で打つだとか凡そ子ども向けの歌だとは思えない言葉の数々である。この辺りは本当は怖い童謡、とかで検索すれば童謡の裏話も知ることが出来るでしょう。これはまた別で取り上げますね。


童謡には優しい日本語や情緒を子どもに伝える意味があるのだと思います。また子どもが楽しく歌う、と考えればクリスマスソングや大きな古時計なんかも童謡の範疇だと僕は考えます。そういうことを混みで童謡とは子どもに親しまれる歌詞やリズムがあり、優しい日本語で情緒を感じられる作りになるわけだ。言葉遊びや数え唄の要素も考えられるだろう。大人から見ると日本的な失われつつある原風景が根付いている必要もあるのかもしれない。これはやり甲斐ありますね。ちなみに『赤とんぼ』の作詞家の三木露風の故郷では新しい童謡コンクールが開催されている。公募を頭に詩作に励みたい。新しい童謡の境地は失われた原風景かそれとも全く違う地平なのか。興味は尽きない。

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