第24話 時空カフェ その2

 そもそも、神のたぐいにある三人が、か弱い人間の繊細な感情を汲み取り、理解を示してくれるのかは怪しい。


 カウンターの中で鼻歌混じりに、何かを作っていたヴァニタスが手を休め、朗らかな顔を上げた。


「あなたは、今、岐路に立っている。そうですよね?」


「ええ、まあ」


「選ぶポイントは、あなたが彼をどう思っているか、ですよ」


「何が正解なのか、私には本当に分からないのです」


「なるほど」


 そう言って、ヴァニスタは再び、手を動かしながら、陽気に言葉を継いだ。


「確かに、正しい選択の存在なんて、確かめようがありませんよね。でもね、自分の気持ちに素直になったほうが、後悔は少ないと思いますよ」


 カウンターに頬杖をついて百合子を眺めていたパッシオが、眠そうな目をして口を開いた。


「ねえ、知り合ってどのくらい?」


「半年くらい?」


 そして今度は、メトゥサが鼻で笑った。


「笑止。半年も経って、まだやっていないとはね」


 柔らかそうなメトゥサのほっぺに、パッシオの白くて細い指先が、槍のようにのめりこんだ。


「いっってええ!」


 メトゥサは顔をムスっとさせ、指で突かれた頬をさすりながら黙り込んだ。


 静かになったのを見計らい、パッシオは、こぼれるような笑みを、百合子に向けた。


「愛と恋。二つは似ているようで違うもの。あなた、その違いを分かっているかしら?」


 百合子はパッシオから視線を外すと、眉を寄せて首をかしげた。


「思いの……深さ、とか?」


 メトゥサは大きな口を開け、ケタケタと馬鹿笑いした。


「えー、そこからー?」


 百合子が睨みつけるより早く、パッシオが失礼なメトゥサの頭を思いっきり叩いた。


「いってぇなあ! 頭は止めろよ!」


 乱れた髪を手ぐしで直しながら、メトゥサが頬をふくらませた。


「ふん、童貞のくせに偉そうなことを言うからよ」


「童貞は関係ないだろ!」


 話が頓挫してばかりである。


 見かねたヴァニスタが、カウンターから二人を指差し、優しくたしなめた。


「はいはい、君たち。ここに、何しに来たのか忘れていないよね?」


 ヴァニスタの聖人のように清らかな微笑みに、三人だけに通じる強制力があるのか、メトゥサは舌打ちし、パッシオは美しい顔を歪めた。


「さてと、質問を変えよう」


 発言を勝手に撤回され、パッシオは不機嫌を露わにする。ヴァニスタはお構いなしに、百合子に優しく、静かに尋ねた。


「これまで、誰かを好きになったことは? 一人くらい、いるでしょ?」


 ヴァニスタの質問に、百合子は驚きの顔を上げ、答えるべきか苦悶した。その間、誰も口を挟んでこない。


 待たれている空気に耐えられず、ポツリポツリと話し始めた。


「若い頃に一人だけ、好きになった方がいました。振り向いては、頂けませんでした……」


 カウンターに身を乗り出したパッシオの目が、爛々と輝き始めた。


「やだ、その話すごく興味ある! ね、やっぱり悲しかった? 辛かった? 死にたくなった?」


 悪気はないのだろうが、パッシオの聞き方には、百合子は少し嫌気をさしていた。


「そりゃ、そうですよ……」


「ねえ、何が悲しかったの? 話してよ」


「私は……愛される価値のない女なんだ……って思い知らされたような気がして」


「やだぁ、可哀想ぉ。愛されたかったのね」


 眉を八の字にして、口をすぼめていても美しいパッシオの顔は、余計に腹が立つ。


「いけませんか?」


 カウンターの中で手を動かし続けるヴァニスタが、微笑を浮かべて言った。


「いいえ。愛されたい。そう思うことは自然なことですよ」


 パッシオがヴァニスタに続いて、心地よい歌でも聞かせるように、軽やかに言葉を繋げていく。


「そう、自然なことよ。恋しちゃうと、彼に求めてしまうのよね。私を見て欲しい、好きになって欲しい、側にいて欲しい、って。恋する乙女なら誰しも願ってしまう、正直で真っ当な気持ちだもの。分かるわぁ」


 パッシオは頬杖をついて、うっとりしながら目を閉じた。


「恋い焦がれている女性というのは、本当に可愛らしいものです」


 そう言って、ヴァニスタが微笑んだ。


 パッシオはカッと目を見開き、ヴァニスタを睨み返すと、カウンターを二度ばかり強く叩いた。百合子はビックと肩を揺らし、横目でパッシオを見た。


「黙ってて! あんたが言うと胡散臭いのよ!」


「えぇ、ひどいなぁ」


 パッシオは苦笑するヴァニスタに舌打ちしたかと思うと、今度は一面の曇りない笑顔を百合子に向けた。


「で、彼は他の女を選んじゃったのね?」


 刺のあるパッシオの質問に、百合子は眉を寄せ、首を小さく縦に振った。


「そう。さぞや悔しかったでしょうね」


「私なりに……愛していたんです」


「ええ? 愛していたのではなく、恋していた、の間違いじゃない?」


 素っ気ないパッシオの声音と相まって、怒りにも似た感情が湧いてきた。


 パッシオは小首をかしげ、肩で息をしている百合子に小さな口を開いた。


「あのね、見返りを求めないのが愛なの。だからって、あんたが彼に求めた気持ちを、私は否定したりしないわよ?」


「ごめんなさい……おしゃっていることが、よく分かりません」


「彼の幸せが、あんたの幸せ。そう感じたなら、それは愛よ」


 自分が介在することを許されなかった二人のために幸せを祈ることなど、百合子には考えられないこと。考えられなかったから苦しんだのだ。

 

「分かるわよ。難しいのよね。求める恋から、与える愛に変えるのは」


 パッシオは百合子をチラリと見て、独り言でも呟くように言った。


「愛には技術が必要だって、どっかの誰かが言ってたっけ」

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