3. 岸田刑事
「…ちゃん……杏子ちゃん?」
懐かしい声で、杏子の追憶は中断された。
喫茶店のテーブルの傍らに、岸田が立っている。
いくぶん目尻に皺が見えるものの、若々しい笑顔は当時と変わらない。
「何を考えてたの?」
岸田は杏子の向かい側に腰掛けると、彼女の瞳を覗き込んだ。
「十年前の事件を、思い出してたの」
「そうか、もう十年になるのか。早いもんだね」
彼はそう言って笑った。
心の奥が、不思議な感情の波に揺れ動くのを杏子は感じていた。
「このあいだは時間がなかっただろ? あの後すごく残念だったんだ。ほら、さがし屋の仕事をしてるって聞いたから、いろいろ話を聞きたくてさぁ」
彼はとても嬉しそうだった。
杏子の力を前向きに利用することを、彼は昔から何度も杏子に提案してきたのだ。その思いは、十年たった今も変わらないのだろう。
「あたしね、ずっと岸田さんに聞きたかった事があるんだ」
それは、杏子があの日からずっと、不思議に思っていたことだった。
「岸田さんはどうして、あんなに、すんなりあたしの力を信じられたの? 今までそんな人はいなかったわ。それに、あたしの力を利用しようともしなかった……」
「ああ、そんなこと?」
岸田は笑ったが、それに続く言葉はすぐには出てこなかった。
「ぼくには、ずっと昔に、杏子ちゃんと同じ力を持った友達がいたんだ」
杏子は驚いて目を見開いたが、岸田は少しうつむいたまま言葉を続けた。
「あいつとぼくは幼なじみで、一番の親友だった。杏子ちゃんと美紀ちゃんみたいにね。そしてぼくは、美紀ちゃんの立場だったんだ。高校まで同じ学校で、いつも一緒に行動してた。別々の大学に入っても、連絡だけは取っていたんだ」
岸田の言葉はどこか寂しそうで、過去形なのが気になった。
「あいつが大学のサークルで雪山に登った時、雪崩が発生した。あいつは運よく無事だったけど、遭難者の捜索に同行して、そのまま帰ってこなかった。たぶん、あいつは、あの力で、遭難者の居場所を特定したんだろう。吹雪で捜索が中断されそうになって、レスキュー隊の人を説得することもできず、あいつは思い余って一人で捜索に向かったんだ」
「そんな……」
「若かったんだよなぁ」
岸田はそう言って、ほんの少し悲しそうに笑った。
杏子は言葉を返すことができなかった。
「もし、あいつが生きていたら、あの日、ひき逃げ事件で杏子ちゃんに出会ったのは、あいつだったはずなんだ。あいつは、自分の力をいつか人のために有効に使うんだって、警察官を目指していたからね。ぼくはただ……あいつの意志を継ぎたくて刑事になっただけなんだ。だから、あいつが君と出会っていたら、きっとあいつは君の事を心配したと思うんだ。同じ力を持つ者としてね。そう思ったら、ぼくも放っておけなかった。もっとも、ぼくでは役不足だったけどね」
いろんな思いを胸に抱いていても、彼の笑顔は爽やかだった。
杏子の長年の胸のつかえも、すっきりと溶けていくような気持ちだった。
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