2. 爆弾魔


 翌日の昼過ぎ、連日の猛暑にぐったりとした様子で、杏子が事務所に入って来た。


「はぁーあ。いったい、いつまで暑いのかしらね」


 節約のため二十八℃に設定された空調は、少しでも動こうものなら、汗がにじんでくる。


「夏バテなんて、いかにも杏子さんらしいですよね。食欲ないからって、ごはん食べないからですよ。昼のチャーハンも残してたじゃないですか」


「だって、食べられないんだもん」


 居候になってから、食事作りと事務所の掃除は大介がやっているのだが、杏子の食事量は日に日に減っている。

 ぐったりとソファーに座り込んだ杏子の前に、大介がアイスコーヒーを出したとき、カランとドアベルが鳴り、男がひとり入って来た。


「おーっ、涼しい! まったく天国だ!」


 黒いTシャツに、はき古したジーンズ姿の長身のヒゲ男を見るなり、杏子は不機嫌そうに眉をひそめた。


「梶原さん、また来たの?」

「今日もヒマそうですね、カジさん」


 大介も呆れたように男を見る。


「ひでぇな。どーせおまえらもヒマなんだろ?」


 へらへらと笑いながら、梶原はいつものように杏子の向かいに腰かける。


「おい大介、おれにもアイスコーヒー!」


「えー、どうしてお客でもないカジさんに、コーヒー入れなきゃならないんですか? 喫茶店に行く金ないなら、家でじっとしてればいいじゃないですか!」


 丸いお盆を抱えたまま、大介が猛然と抗議をするが、梶原はすこしも動じずニヤニヤ笑いを浮かべる。


「いいじゃねぇか、ケチケチすんなよ。おれんち暑いしさ、喫茶店はどこも禁煙で肩身が狭いんだよ」


 梶原はそう言いながら、タバコを一本くわえる。


「それにさ、おれは椎名の力にめちゃめちゃ興味あんのよ。一週間も売上に協力したんだから、もういいだろ?」


 目を細めて、梶原は杏子に視線を送る。


 この梶原雄大かじわらゆうだいという男は、とても変わった客だ。

 一週間、毎日のようにさがし物の依頼をしにやって来たのだ。

 目的はどうやら杏子の能力を調べるためだったようだが、それからもヒマな日はちょくちょく顔を出す、かなり迷惑な存在だ。


「わかったわ。コーヒー一杯百円で手を打つわ」


 杏子は、空の灰皿をスッと梶原の前に差し出し、百円を入れるよう目でうながした。


「うへぇ、金とんのかよ」

「嫌なら来ないでよ。フリーライターって案外ビンボーなのね」

「なぁに、大スクープを手にするまでの我慢さ」


 梶原は小銭入れから百円を取り出し、空の灰皿の上に乗せる。


「スクープって、まさか芸能人の不倫報道とかじゃないでしょうね?」


「ちがうちがう。おれはこれでも、新聞記者時代は海外を飛び回ってたんだぜ。落ちぶれても、ジャーナリストの魂は捨ててないさ」


「ふーん。ジャーナリストの魂ねぇ」


 杏子は首をかしげながら、梶原につられるように自分もタバコをくわえた。


「カジさんは、どうして新聞記者を辞めたんですか? やっぱり上司とケンカですか?」


 アイスコーヒーを出しながら、大介は聞いてみた。すると、梶原はジロリと大介をにらみつける。


「何でもいいだろ。おまえこそ、居候なんかしてないで、バイトでも探してこいよ」

「へーい」


 風向きが悪くなった大介は、ソファーのそばから逃げ出し、反対側の壁ぎわにある事務机に座り込んだ。


 テレビをつけると、午後のワイドショーの時間らしく、賑やかなパネルの前で、司会者が事件の説明をしている。


「あれぇ、例の爆弾魔、また予告出したみたいっすよ」

「またかよ、まったくふざけた野郎だぜ」


 梶原は思いきり眉間にしわを寄せたまま、アイスコーヒーを飲む。


「この前、知り合いの刑事に聞いたんだが、捜査は上手くいってないらしい。どうしても後手に回ってしまうんだとさ」


「へぇ、梶原さん、刑事の知り合いがいるんだ」


「ああ。新人の頃に、警視庁の張り番やってた時の知り合いだ。そいつもこのヤマを担当してるんだが、一度目の空きビルも、二度目の区役所の植込みも、三度目の病院の駐車場も、全部、爆発するまで見つけられなかっただろ? 幸い、夜中の誰もいない時間に爆発したからいいようなものの、警察もかなりピリピリしているようだ」


「そうなんだぁ」


 杏子は、壁にかけられたテレビに視線をうつした。

 テレビのアナウンサーが、ちょうど新たな予告内容を読み上げているところだった。


『警視庁あてに届いた予告状は〈水辺に気をつけろ〉だそうです!』


「うわぁ、最悪! 毎日暑いってゆーのに、小さい子は水浴びも出来ないじゃない!」

「そうですよね、三日間は水辺に近寄れませんね」


 大介が声をかけても、杏子はよっぽど憤慨しているのか、テレビ画面を見つめたまま口をとがらせている。

 そんな杏子の様子を、梶原もじっとうかがっている。


「なぁ椎名さぁ、おまえの力で爆弾をさがせないのか?」

「ええっ? やだ、何言ってんのよ、ムリに決まってるじゃない」


 杏子は梶原に振り返り、笑い出した。


「犯人がわかってるなら、さがせるかも知れないけど、手がかりが何もないんじゃ無理よ」


「そうですよ。カジさんだってさがし物の依頼に来た時、ちゃんとさがし物の写真を持って来てたじゃないですか」


 大介も呆れた顔をするが、梶原は気にも留めない。


「それなら、見つかった爆弾のカケラがあれば、犯人の居場所は探せるんじゃねぇか? ほら、落とし物の持ち主をさがすのと同じだろ?」


「ええっ、カケラ? まあ、それなら出来なくはないかも知れないけど、やった事ないからわからないわね」


「そうか、うん、なるほどな」


 納得したのかしないのか、梶原はしきりにうなずいている。

 大介は嫌な予感がした。梶原はまた、杏子の力を試そうとしているのではないだろうか。


☆     ☆


 梶原が何やらウキウキと帰って行ったあと、しばらくして美緒がやって来た。大きなトートバッグには、ジーンズとカジュアルなストライプのシャツが入っていた。


「これが、倒れていた日に着てた服です」

「ありがと、美緒ちゃん」


 杏子はテーブルの上に並べられた衣類を手に取ると、目を閉じた。

 今度こそ上手くいって欲しい。美緒と同じくらいの熱意で大介が見守っていると、杏子はふいに目を開いた。


「美緒ちゃん、ファミレスみたいなとこでバイトしてた?」


「はい。母から、ファミレスでバイトしてた事は聞きました。記憶を失くして、バイトはやめてしまいましたけど、倒れた日もバイトへ行ってたみたいです」


「うん。そこで一緒に働いてた男の子が、どうやら関係してるみたい。はっきりとした事はわからないけど、美緒ちゃん、男の子の後を追いかけて行ったみたいなの」


「あたしが、その人を追いかけたんですか?」

 美緒は驚きを隠せない。


「そうなのよ。あくまでも、断片的な記憶のカケラみたいなものだから、美緒ちゃんがどんな理由でその人を追いかけたのかは、わからないわ」


 杏子は小さくため息をつく。


「あたしの力では、これが限界だわ。これから先は、実際に動いて調べるしかないわね」


「それは、バイト先に行って話を聞いたりするってことですか? あのっ、そこまでしなくてもいいです!」


 美緒はあわてて首を振る。


「バイト先の人にも迷惑だし、その、お金もないし、もういいんです!」


 バッグの中から財布を取り出し、美緒はテーブルの上に五千円札を置いた。



 五千円は〈さがし屋〉の相場だ。ただし、それは失くし物の場所を特定するだけの報酬で、ペットを探したり捕まえたりすると別料金が発生するシステムだ。

 美緒はこの別料金を心配しているのだろう。


「美緒ちゃん、これは貰えないわ」


 杏子は、五千円札を美緒の方へ押し戻した。


「今回のあたしの仕事は、中途半端だからね。美緒ちゃんの依頼がない以上、あたしが首をつっこむ権利はないけど、ひとつだけ約束して。決してひとりで調べたりしないって。あの男の子が、美緒ちゃんの記憶喪失に関係しているのかも知れないから、絶対にひとりで近づいちゃダメだよ!」


「……はい」


 美緒は蚊の鳴くような声で返事をすると、そのまま逃げるように帰って行った。



 美緒が事務所から出ていくなり、杏子はソファー転がった。


「あーん、もういやっ!」


 髪の毛をかきむしる杏子の様子からは、美緒の力になれなかった事を相当気にしているように見える。


「仕方ないですよ。人の記憶をさがすなんて、簡単に出来なくて当然です。落とし物をさがすのとは、訳が違うんですからね」


 大介はなぐさめるつもりで言ったのに、杏子の嘆きは止まらない。


「そりゃあそうだけどさ、あんな可愛い子が記憶を失くすほどの目にあったのよ! その原因になったかもしれない男がいるのに、このままじゃ美緒ちゃんが可哀そうじゃない!」


「まさか杏子さん、その男に会いに行くつもりじゃないですよね?」


「だって、気になるじゃない。大介くんは、何とも思わないの?」


「いえ、もちろん気になります。でも、危険なやつだと困りますから、ぼくも一緒に行きますよ」


 大介にとって、風向きが良くなってきた。

 これでしばらくは、杏子は大介を追い出すことなど忘れてくれるだろう。


 そんなずる賢い考えを抱きながら、大介が飲み物を片づけ始めたとき、電話が鳴った。


「おっ、大介か。椎名に今すぐ桜田門まで来るように言ってくれ。警視庁のちょうど向かい側だからわかるだろ。門の前で待ってるから、すぐに来てくれよ。じゃ」


 梶原からの電話は、一方的に用件だけ言って切れた。

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