3. バイト先の男の子


 大介が桜田門に近いお堀の近くにバイクを止めていると、杏子の姿を見つけたのか、梶原がやって来た。彼の後ろには、スーツ姿の男がひとり立っている。


「遅かったな椎名。ちょっとこっちに来てくれ」


 梶原は杏子の腕をつかむと、桜田門につながる橋の上の、ちょうど真ん中まで連れて行った。


「こいつは安田っていう刑事だ。ほら、例の爆弾事件の捜査をしてるやつだ」

「ええっ、ちょっと梶原さん、まさかさっきの話マジだったの?」


 杏子は驚いて、梶原とその後ろに立つ安田を見つめた。

 確かに爆弾魔の話はしたけれど、梶原がまさか本当に、爆弾の破片から爆弾魔を捜そうとするなんて思いもしなかったのだ。


「あたり前だろ、おれはいつでも本気だ。ほらヤス、早く出せよ」

「ああ……本当にすぐ返せよ。持ち出すだけでも大変だったんだからな」


 安田は、梶原に無理やり証拠品を持って来させられたようだ。

 スーツの内ポケットから取り出した、ビニール袋に入った小さな破片を、しぶしぶ梶原に渡す。


「よし椎名、おまえなら、これで爆弾魔の居場所がわかるはずだ。心配するな、代金はおれ払う」


 一方的にまくし立てられ、目の前に突きつけられた爆弾の破片を見つめ、杏子はため息をつく。


「本当に、梶原さんが払ってくれるのね。なら、やりましょう」


 杏子は、爆弾の破片が入ったビニール袋を受け取ると、そのまま目を閉じた。そして、しばらくして目を開けた杏子は、怖い顔をして梶原を見つめた。


「犯人は若い男よ。大学生かも知れない。多摩川の近くに住んでるわ」


 杏子の言葉を聞いた安田は、驚いたように杏子と梶原を交互に見つめている。


「梶原さん、いつものノートパソコン持ってる? 『ぐるぐるマップ』を出してよ」


 きびきびと梶原に指示を出す杏子の顔が、わずかに青ざめているのを大介は見逃さなかった。


「杏子さん、大丈夫ですか?」


 大介が声をかけると、杏子は唇を結んだまま、一瞬泣きそうな顔で大介を見上げた。


「美緒ちゃんの、バイト先の男に似てるの」

「えっ!」


 大介は息をのんだ。

 たぶん杏子は、万が一、美緒がひとりで男をさがしに行ったら大変だと、心配しているのだろう。


「椎名『ぐるぐるマップ』を出したぞ。どこが見たい?」

「川の近くの、そう、この辺の景色を見せて」


 杏子は自分が見た景色を、実際の景色と照らし合わせようとしている。


「おいヤス、爆弾魔の三件目の病院って、この近くじゃねぇか?」

「ああ、近いな」


 安田も地図をのぞき込む。


「あった。このファミレスからそう遠くない所に、犯人の家があるわ。今すぐ行ける?」


 杏子は梶原ではなく、安田を見つめた。いま必要なのは、一刻も早く犯人を捕まえることだ。

 安田はあっけにとられたように杏子を見つめていたが、ようやく我に返るとうなずいた。


「よし、ガセネタでも無いよりゃましだ。すぐに車を出して来る。待ってろ!」


 安田はそう言うと、転びそうになりながら警視庁に戻って行った。


 ☆     ☆


 その頃、美緒はアルバイトをしていたというファミレスに来ていた。

 杏子には、ひとりで調べに行ったりしないと約束したけれど、どうにも気になって仕方がなかった。

 ほんの少し、様子をうかがうだけなら大丈夫。そんな気持ちだった。


 ファミレスに入るとすぐ、バイト仲間だったという女の子に声をかけられて、バックヤードに通してもらうことが出来た。

 顔も覚えてないバイト仲間に話を聞くことは、美緒にとってあまり気分のいいものではなかったけれど、失った記憶を埋めるにはそれしかなかった。


「記憶喪失だとは聞いてたけど、本当だったんだね。びっくりしたよ。あたしのことも覚えてないんだよね? 真紀だよ、真紀」


「うん。ごめんなさい」


「あっ、いいのいいの。それで美緒は、八月十日のことが知りたいんだよね?」


「うん。あたし、バイトの後どこかに行くって言ってなかった?」


 美緒がそうたずねると、真紀は腕組みをして考え込んだ。


「うーん、どこかへ行くって話はしてなかったと思うけど……そうだ、石崎さんに聞いてみれば?」


「石崎さん?」


「そっかぁ、石崎さんも忘れちゃったのかぁ。大学生のバイトで、美緒も仲良くしてたんだよ。もうすぐ上がる時間だから、ここで待ってれば来るんじゃないかな」


 真紀の言葉に、美緒は青ざめた。


「石崎さんって、女の人?」

「ううん、男の人だよ。待ってて、声かけてくるから」

「あっあの、待って真紀ちゃん!」


 美緒が真紀の腕をつかんで止めようとしたとき、店内につづく扉からひとりの青年が入って来た。彼は美緒を見つけると、驚いたように近づいて来た。


「美緒ちゃんじゃないか、もう大丈夫なの?」

「あの、いえ」


 美緒は一歩後ずさる。


「ちょうど良かった石崎さん、美緒が八月十日のことを聞きたいんだって」


 真紀が説明してくれるのを聞きながら、美緒の心の中で不安が大きくなっていった。


「あの、いいんです。あたし、今日は帰ります。ごめんなさい!」


 美緒は、真紀と石崎に向かって頭を下げると、バックヤードを飛び出した。

 そのまま店の外まで走り出て、人の行きかう歩道を歩きながら、ようやく息をつく。


 杏子が言っていた『バイト先の男の子』というのが、石崎かどうかはわからない。それでも美緒には、とても石崎と話す勇気はなかった。


(これじゃ、記憶を取り戻すことなんかできないよ……)


 美緒が小さなため息をついた時、後ろから肩をつかまれた。


「美緒ちゃん、よかった間に合った!」


 驚いて美緒がふり返ると、そこには私服に着替えた石崎が立っていた。


「美緒ちゃんは覚えてないかも知れないけど、あの日、バイトの帰りにすこし話をしたんだ」


 よほどあわてて追いかけて来たのか、石崎はすこし苦しそうに息をしている。


「話……ですか?」


「うん。ぼくが貸してたマンガを、美緒ちゃんがわざわざ返しに追いかけてきてくれたんだ。それで、すこしマンガの話をして……」


 石崎は困ったように首をふる。


「その帰りに、美緒ちゃんが記憶を失くすような目にあったって聞いて……ぼくが送って行けばよかったのにって、ずっと後悔してたんだ」


 申し訳なさそうにうつむく石崎に、美緒はすこし緊張をゆるめた。

 思っていたほど怖くはない。石崎は無関係なのかも知れない。そう、美緒は思いはじめていた。

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