最終夜 それでも世界は

 結局のところ、今回の出来事の結果からいうと、どうやら僕は、GATEに無理矢理に飛び込んでから2週間近く、行方不明。

 かつ、発見されてからまるまる2週間、眠っていた、らしい。


 あそこにいた体感時間は、一日にも満たないというのに、そんなに?! と、本当に驚いたのだけれど。


「……これは……リンゴ?」

「そ。ちょっと甘くて美味しいだろ?」

「ん」

「アルニム副地区長の手作りだよ」

「……へぇ……」

「美味しくなかったら残していいからね」

「いえ、美味しいです」


 火傷をしない温度になっていたリンゴ粥を口に運ぶ。

 すり潰したリンゴと、柔らかいけれど形の残るリンゴが混ざっていて、ほんの少し甘くて食べやすい。

 もくもく、と少しずつ食べ進めていれば、「それにしても」とカペル地区長が呟く。


「……あの中に琥珀くんが居たとは驚きだよねぇ」

「……そうですね」

「それも驚きなんだけど、バクくんたちのもつ底しれぬ影響力。いや、感能力とでも云うべきなのか」


 カペル地区長とアルニム副地区長の会話に、背もたれを抱きかかえるように座っているリチャード地区長が、手にしている紙の束をめくりながら「これは今度……いや、やっぱりダメか? いやでも」などとブツブツと呟く。


「リチャード? おーいリチャードー?」


 リチャード地区長の顔の前で、ひらひら、とカペル地区長が手を振るものの、どうやらリチャード地区長は気がつかないらしい。


「聞こえていませんね」


 リチャード地区長の様子に、アルニム副地区長は苦笑いを浮かべる。



 そういえば、どうやら、カペル地区長と、リチャード地区長の判断で狭間にいた琥珀先輩と彼のことは、僕たちだけの秘密、ということにはなったのだけれど。


 「……あそこは、全くと言っていいほどに詳しいことが何も分からない」


 僕の話を聞いたリチャード地区長は、悔しそうな、けれど、ワクワクして堪らない、という表情を浮かべながら、ひたすらにメモをとったり、考え込んだり、を繰り返している。


「……あの……」

「なんだい?」

「……その……皆さん、忙しいのでは……?」


 僕が引き起こしたこととはいえ、いつもの仕事に事後処理とやらが追加されて色々と大変で大忙しなのでは。

 てんてこ舞いなのだ、と御影も言っていたし。

 地区長ふたりと、副地区長を目の前にして、そんな不安を口に出せば、3人は顔を見合わせたあと、「なんだそんなこと」と笑う。


「大丈夫さ、凪くん。ボクたち優秀だからね!」

「いや、でも……」


 さっき来た同僚たちは死にそうな顔をして探してましたが……。

 そんな言葉を言いかけて、声が止まる。


「凪くん」

「……なん、ですか」

「キミはまだ、探し続けるかい?」


 ベッドに腰をおろしたカペル地区長が、僕の顔をじい、と見る。


 なんだか、その視線はやけに優しくて、目尻は少しさがっていて。


「……今はまだ、分かりません」

「……そっか」

「でも」

「うん?」

「探すとしたら、それは」


 なんで、どうして。

 その思いは変わらないけど。


「……そうか、僕は」



 寂しかったんだ。

 突然、先輩がいなくなって。

 悲しかったんだ。

 なにも言ってもらえなかったことが。


 辛かったんだ。

 僕は、邪魔だったのか、って思ってしまうことが。



「凪くん?」

「……大丈夫、です」


 滲んだ世界が歪んだけど


 僕はもう


「大丈夫」


 大丈夫だよ、先輩。


 一人はやっぱり怖いけど


 でも


 それでも、僕には






 ちゃぷ、とゴンドラに水があたる音がする。

 寝転んで見上げる空は、濃青色。

 その景色の中で、キラキラと何かが瞬く。

 星が降ってくるような感覚にもなる。

 この星空を進む、僕たち夢渡しのゴンドラの波跡は、のんびりとした流れ星にでも見えるのだろうか。



「何を見てるの?」

「何が見えんだ?」


 桟橋に腰掛けていた僕の両隣に、2つの人影が並ぶ。


「空を見てた」

「空?」

「うん。どうして、この時間はいつも暗いのかな、って」

「夜だからじゃん?」

「まぁ……そうなんだけど」

「暗くないと眠りづらいからじゃない?」

「僕は明るくても眠れるけど……」

「それは人による、っていうやつでしょ」


 とす、と両隣に腰をおろした二人が、代わる代わるに声をかけてくる。


「どうしてこの世界は、こんなに曖昧なんだろう」

「曖昧?」

「そう。曖昧だよ」

「……曖昧ねぇ」


 分からないことが多い。

 知らないことが多い。

 けれど、世界は動いていて、僕たちもここにいる。


「どうして、ひとりでは生きていけないんだろう」

「……凪?」

「凪、お前」

「僕、寂しかったんだ。先輩がすべてだったから、居なくなってしまったこと、置いていかれたこと。何も言ってもらえなかったこと。全部が辛かった」

「……そうね」


 僕の、ぽつりぽつりと呟く言葉に、

 リリスと御影が静かに応えてくれる。


「でも、狭間で先輩を送り出して、笑う先輩を見て、分かった。寂しくて、悲しくて、痛かったけど、僕はただ、ただただ先輩に幸せになって欲しかった。ただ、それだけだった」


 自分も消えるかもしれない。

 そう思った時に浮かんだのは、ただ彼女の幸せのみだった。


「……愛も、色々あるよ、凪」

「……そうだね」

「でも」


 どんな形であったとしても。


 僕は、先輩を

 琥珀先輩を大好きで、大切で、愛していた。

 好きとかそういうキラキラしたものじゃなくて。

 きっとこれは


「家族愛、ってやつに近いんだろうな」


 言いよどんだ僕の言葉を、御影が呟く。



 気がついたときには、皆に「凪」と呼ばれていて。


 それが、本当の名前なのかは、知らないし。

 その名前を誰がつけたものなのかも知らないし。


 でも、皆が僕を、凪と、呼ぶのだから、僕は凪なのだろう。


 違うのかもしれないし、合っているのかもしれないし。

 別の、本当の名前が、あるのかも知れないし、無いのかも知れない。

 けれど、僕達にはそんなこと、あまり関係は無いのだ。


 僕たちの世界には、あまり、関係ないんだ。



 曖昧なこの世界から、

 先輩の気配は、ちっともしなくなって

 狭間の中にも、先輩は見つからないけど。


 先輩の思い出だけを残したまま、

 それは更新もされないし、

 少し、忘れてしまうことも出てくるのだろうし、

 相変わらず先輩のことを、ふいに探してしまうけど。


 それでも、毎日、朝は来るし

 お腹も空いて、眠くもなる。

 『彼ら』がこの世界に来なくなることだって無くならないし、

 僕らの仕事にだって、終わりがないし。

 世界は、ぜんぜん待っていてくれない。


 今だってほら、

 

 空には、僕たち夢渡しの、ゴンドラの灯りが映っていて、

 この世界に生きる二人が、僕の隣にいる。


「ねえ、御影、リリス」

「何だ?」

「なぁに?」


 僕の呼びかけに、二人は応えてくれる。


「僕は、この世界を綺麗だと思う」



 この世界は

 とても美しく

 時に残酷で、

 曖昧で、いい加減で。

 先輩に厳しい世界だったけど。


 けど。

 それでも僕は、



「この世界も、綺麗だよ」

 

 綺麗だったんだよ、先輩。


 先輩

 琥珀先輩。

 二度と会えなくても

 僕の、たった一人の先輩。

 僕の、大切な人。




 飽きもせず、見上げた群青の空に、

 遠い場所にいる彼女たちに伝わったらいい。

 そう願いながら、

 僕はひとり、小さく呟く。




 これは、


 凪、と呼ばれる僕が、この世界で目にするものこと、耳にすること。

 そんな僕たちの、とても曖昧に出来ている世界を、紡ぐ物語。



 夢を渡す僕と、僕の世界のものがたり










 完


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夢を渡す僕と、僕の世界のものがたり 渚乃雫 @Shizuku_N

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