第11夜 蝋梅の花香り

「真っ白な扉、ですか?」

「そう」


 体の力が戻りきらない琥珀先輩は、彼に寄りかかったまま、僕に静かに話す。


「でも、真っ白な扉と言っても……」


 あたり一面、真っ白ですけど……

 ひやりとする地面を触りながら言えば「そうね」と先輩が頷く。


「けどね、絶対にどこかに外と繋がる場所あるはずなの」

「出入り口、ですか?」

「そう。じゃなきゃ、狭間に入った夢渡しは誰も帰ってこられないはずでしょう?」

「……確かに」


 狭間に入ってしまったとしても、出られないわけではない。

 出るにはすごく大変で、面倒なだけで、出るには出られる、と。


「だから、絶対にどこかに出入り口がある」

「けど、どうして扉なんですか?」

「小さい頃、おとぎ話で聞いたの」

「……おとぎ話……」

「あら、信じてないでしょ?」

「いや、だって」


 そんな事を言われても。

 思わずそう言いかけた僕を、琥珀先輩は笑う。


「火のないところに煙は立たないってやつだな」

「煙……?」

「知らないか? ことわざ、っていうやつだ」


 彼の言葉に、知りません、と首を横に振れば、「そうか」と彼が小さく呟く。


「不思議な言葉ばかりよね、きみの世界は」

「そうでも無いと思うけどなぁ」


 ふふ、と笑った琥珀先輩に、彼は静かに首を傾げる。


「でもですよ? 僕は帰れたとしても、先輩は? それに、彼は」


 ちら、と琥珀先輩を支える彼を見やれば、彼が自分自身を指さして瞬きをする。


「わたし達は扉を通ったあとはどうなるか分からないわ」

「そんな……」

「でもね、なんだか、どうしてだか分からないけど、大丈夫だ、って思えるの」


 そう言ったあと、琥珀先輩がゆっくりと立ち上がる。


「先輩?」


 どうしたのだろう。

 琥珀先輩の動向を見守っていれば、何かを察したらしい彼が、琥珀先輩の手を握った。


「見つけた」

「え、どこに」

「ほら、あそこに」


 空いている片方の手で、琥珀先輩が少し先をさし示す。


「ええと……」


 僕には、真っ白すぎて何も見えないんですが……。

 困惑した顔をしていたのだろう。

 琥珀先輩が僕に顔を寄せて、また同じ方向を見つめる。


「ほら、あそこにある」


 琥珀先輩の言う方向を見ても、僕にはただの真っ白な空間にしか見えない。


「……凪には、見えていないの?」

「……そう、みたいです」

「そっか」


 僕の言葉に、琥珀先輩は少しだけ驚いた顔をしたあと、横に立つ彼を見やる。


「でも、あんなに小さくちゃ、ふたりとも通れないな」

「……大丈夫。きっと、何か打つ手があるわ」


 ー 「大丈夫」


 よく琥珀先輩が言っていた言葉。

 そうだ。先輩たちなら、きっと大丈夫だ。

 小さく、願うかのように、息とともに吐き出した言葉は、誰に届くでもなく、真っ白な空間に消える。


「ねぇ、凪」

「はい」

「未来に何があるなんて、誰にも分からないわ」

「……先輩?」

「だからこそ、そばにいる、凪が大事だと思う人たちに、言葉にして、伝えていって欲しい」

「……でも、先輩」


 届かないのに。

 どれだけ叫んでも、どれだけ願っても、本当のところなんて、誰にも伝わらないのに。

 誰にも、響かないのに。


「凪の声は、届いているんじゃない?」

「……誰、に」


 誰にですか。

 先輩に質問しかけた言葉が、止まる。


「心当たり、あるでしょう?」

「リリスとか、御影、とか……」


 思い浮かんだのは、カペル地区長。アルニム副地区長に、リチャード地区長。


 それから


「……ユウ爺さん……」


 黒と白を纏う彼の名前を、小さく呟けば、僕のオールが柔らかな光を放つ。


 それはまるで、僕の言葉に応えるように。


 それはまるで、僕の願いを、知っているかのように。



「琥珀先輩」

「なに?」


「僕は、先輩の願いを叶えたい」

「……凪?」

「僕が、琥珀先輩と彼を会わせてあけたいと願ったことは、決して間違いなんかじゃないから」


 どうせはじめから、この世界は曖昧なのだから。

 信じられないことだって、起こるかもしれない。


 それなら僕は、僕の信じる道を、

 ユウ爺さんや、御影、僕の願いを、

 願って、祈って、叶えにいくだけだ。


「琥珀先輩。これ、持って行ってください」

「これは……光の粒? でも、なんで消えていないの?」

「わかりません。でも、ここに来る直前に採取したものです」

「……そう……」

「分からないけど、分かんないですけど、先輩たちの役に立つ、気がします」


 ぐっ、と先輩の手のひらに光の粒がつまった小瓶を押し付ける。


「え、でも」

「僕は、いくらでも、どうにでもなります。先輩たちは、二人揃って無事にここを出ることだけを考えてください」

「……凪……」

「琥珀先輩は、僕の先輩です。いつだって、きっと、どうにかするんですよね?」


 どんな状況であっても、諦めない。

 そんな先輩に、憧れた。

 そんな先輩みたいに、なりたいと思った。


 あの日、泣きながら、それでも笑った先輩を、綺麗だと思った。

 それはきっと、先輩の強さを垣間みたから。

 先輩の、彼への想いを、垣間みたから。


 じっ、と目を凝らして見えたのは、かすかに揺らぐ空気の波。


 ……あそこか。


「少し、離れててください」

「凪? 何を」


 ディアボロと戦うのとは、違う。

 こめるのは、

 願うのは、


 二人の旅路の幸福と、いつか来る巡りあいの刻。


「っ僕は!!!」



 ただ、あなたに、幸せになって欲しいだけだ。


 渾身の力を、オールを握る両手にこめる。

 ずずず、と揺らぐ空間へと引きずり込まれそうになる。その引力を振り切るように、揺らいでいた場所に突っ込んだオールで、思い切り横へと引っ張る。


「っ!!」


 オールで引き伸ばし、大きく開いた空間に見えるのは、水色の空と、鮮やかな緑。


「先輩!!!」


 ぐぐぐ、と気を抜けば押し戻されてしまう強い力に、必死に抗いながら、後ろに立つ琥珀先輩を呼ぶ。


「先輩!! 急いで!!」

「凪、でも、凪が」

「大丈夫、ですよね?」


 長くは保たない。

 ただでさえ、ディアボロと戦い続けていたせいで、多少なりとも疲れも溜まっている。


 それでもこれは

 僕が彼女に

 琥珀先輩に返せる、唯一のもの。

 僕に生きる術を、

 世界を教えてくれた彼女に返せる

 唯一の、もの。



「ーーっ」


 涙をいっぱいに溜めた瞳で、僕を見た先輩が、彼の手をぐい、と引っ張る。


 ふたりの身体が、引き伸ばした空間に収まった。

 そう思った瞬間。


 蝋梅の花の香りと、たんぽぽ色の光が、僕を包む。

 それと同時に、


 僕の視界がぐるりと、揺れた。
















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