靴職人とガラスの靴

第8話 綿毛とぐるぐる

『すみませんっ!!! 凄腕の靴屋さん知りませんか?!!!』

「うぁっ?!!」


 店内に大きな、元気な声が響き渡る。

 それは依頼専用の郵便受けに現れた手紙を開けた瞬間の出来事。

 それは、また本の中に行くという、一つの、報せ。



「あんた、ちゃんとご飯食べてるのかい? それにお店、相変わらずお客さんもあんまり来てないじゃないか。大丈夫なのかい?」

「食べてるって〜」

「ケビンに聞いてるんじゃないよ、あたしゃそうに聞いてるんだよ!」

「あいたっ」


 ぺしんっ、とぷらぷらと揺らしていたケビンの手のひらを叩きながら、八百屋のおばちゃんは言う。


「ほら、これも持って行きな」

「あ、待ってくださいね、いまお代を」

「もー、いつも言ってるだろう? お代はいらないよって」

「いや、ですが」

「良いんだよ本当に」


 そう言いながらケビンをぱしぱしと叩きながら言うおばちゃんの手が、新たな野菜を掴む。

 ほらこれも、と頼んだもの以上の野菜や果物がまた一つ袋の中に増えていく。


「いやでも、いつもいつもたくさんっ」

「あんたたちにゃ片手間かもしれないがね、いっつも作ってくれる薬が本当によく効くんだよぉ。ほら、見てご覧よ、酷かったあかぎれだってこんなに綺麗になっちまって」

「やだ、おばちゃん、あかぎれどころか肌も綺麗になったんじゃん?」

「やだよお、この子は口ばっかり上手いんだから」


 ぺしぺし、とケビンを叩きながらも、八百屋のおばちゃんは楽しそうに笑う。


「そうねぇ。それなら、もっと頻繁に顔を出しておくれよ」

「え」

「ほら、アンタんとこの学者先生さんも連れてさ。アンタたちが来たあとは、どういうわけかお客さんの入りもよくなるんだよ」

「へぇ? なんでー?」

「あたしが知るわけないだろう?」


 八百屋のおばちゃんの言葉に、不思議そうに首を傾げたケビンを、おばちゃんが笑いながらまたペシペシと叩いている。


「ま、そういうことだからね、はい、ちゃんと食べなね。あんた、今にも倒れちまいそうだから」


 そう言ったおばちゃんが、僕の胸元に押し付けたのは、まんまるになったオレンジだった。



「なぁ、なぁやっぱお客さんが増えるのって、先生と湊は精霊に好かれてるから?」

「……どうなんでしょう……?」


 予定していた買い物の量をはるかに超えた荷物を、ケビンと二人で持ちながら帰り道を歩く。


 ちなみにケビンが8割、僕が2割の荷物量なのは、全部持つと言って聞かなかったケビンと、全部は持てないけれど半分なら持てると主張した僕とが話し合った結果だ。


 住宅地から少しだけ離れた場所に立つ店への帰り道は、人の手入れがほとんど入らない自然の花畑だ。

 そのせいなのか、師匠の影響なのか。

 いつも買い物を終え住宅地を出てるとすぐに、精霊が僕たちに寄ってくる。


「こらこら、イタズラは駄目ですよ」


 ケビンが見えていないからと、風の精霊が、ケビンの髪を風で揺らして遊んでいる。


「……やっぱり精霊だったんか。俺が見えないからってー! こうしてやる! うりゃっ」


 ふるふる、と頭を揺らしたケビンに、風の精霊は楽しげに笑ったあと、またケビンの後頭部に、ふうっ、と息を吹きかける。


「おわっ」

「ふふ、君もじゅうぶんに好かれていると思いますが」


 小さな風の精霊のイタズラで、飛んできたたんぽぽの綿毛がケビンの髪にふわり、と落ちる。


「おや、綿毛が」


 そう呟いた僕に、「綿毛?」と言いながら僕よりも背の高い彼が少しかがむ。


 そんなケビンの頭に手を伸ばした時、ツン、ツン、と今度は僕の髪に引っ張られる感覚が走る。


「どうかしましたか?」


 髪をひいた小さな彼らを見やれば、彼らは何を言うでもなく、またケビンの顔の前へと飛んでいく。


「あ」

「あ? わぷっ?!」


 顔に吹きかけられた小さな風に、ケビンが驚きの声をあげれば、ケビンにイタズラをした小さな風の精霊は、楽しそうにくるくると飛び回る。


 そんな彼らの表情も、ケビンには見えてはいないのだけれど。


「ったく、俺で遊ぶなってのー!」


 空気や雰囲気で精霊の楽しむ様子を感じとったケビンが、笑顔を浮かべながら叫ぶ。

 ケビンは、精霊たちが見えているわけではない。

 けれど、そんな風に感じ取った彼に、くすくすと笑えば、何故だかケビンが嬉しそうな表情を浮かべ口を開く。


「ね、湊。いまのは精霊のせい?」

「今のは、とは?」


 僕の顔をじい、と見つめるケビンの言葉に首を傾げれば、「やっぱ何でもない」と言ってケビンがまた笑う。


「あ! そうだ! ね、湊っ」

「何でしょう?」

「手かして!」

「手、ですか?」

「そ! 荷物の全部を俺に預けるか、片手を俺に預けるか。どっちがいい?」

「……なぜその二択……」

「ほら、いいから、どっち?」

「………では………」


 にこにこと笑顔を浮かべながら手を出しているケビンの片手に、自分の片手をのせれば、ケビンはさらに満面の笑みを浮かべる。


「なんかね、こうしてっと、時々みえるんだよ」

「見える、ですか?」

「そ、精霊たちがね、見えんの!」


 子どものように無邪気な笑顔を浮かべて、僕の問いかけにケビンは頷く。


「あ、ねえ、ほら、あそこ。ベンチのとこのオレンジの花と、白い花のとこ、座ってるっしょ?」

「ええ、そうですね」

「よっし、合ってた!」


 ケビンの指差すとおり、精霊がオレンジの花と、白い花の花弁の上に座っている。

 けれど。


「ケビン、他には何か見えますか?」

「いや、俺に見えたのはそんくらいかな。俺で遊んでたっていう風の精霊も見えないし」

「なるほど」


 そう呟いて立ち止まった僕に合わせて、ケビンの足も止まる。

 残念そうに言う彼が見えたという少し先の道途中。

 その途中に置かれたベンチ脇の花よりも、もっと手前。

 要約すると、それはいま僕たちがいる場所のすぐ近く。


 師匠いわく、この道路にずっと昔からあるこの花畑の一角。

 ぐるぐるとその場に留まる黒い小さな渦巻きがある。


 そのすぐ上に、ふわり、と飛んできたのは、小さな小さな一匹の蝶々。


 蝶々が小さな渦巻の上空にさしかかった直後。

 蝶々は姿を消す。


 そして、渦巻きもまた、濃い灰のようなものを吐き出したあと、姿を消した。


「湊?」


 立ち止まった理由はただ一つ。

 渦巻に触れないため。

 渦巻から、少しでも遠ざかるため。


 魔力を持たないケビンや、町の人たちの目には映らないけれど。


 その渦巻は、近くを通るものを飲み込んでは姿を消し、また何処かにふいに現れる。


 通りすがるだけのそれが、何処に行くのか。それが何なのか。

 真実を知るのは、闇を守る者たちだけだと、師匠に教わった。

 光と闇。

 生と死。

 そのバランスを崩さないために、ソレとは下手に関わらないことがこの世のことわりなのだと、いつだかに読んだ魔導書にも書いてあった。


 そんなことを思い返しながら黒い渦巻が消えた場所をぼんやりと眺めていれば、「いいなぁ」とケビンの声が聞こえる。


「俺も見えるようになりたいなぁ」

「……ケビン……」

「良いことばっかりじゃないって分かってはいるよ。そうが見えることでたくさん嫌な目にあってきたことも、ちゃんと覚えてる。……けど」

「……けど?」


 花畑に向けていた視線を僕に向けて、ケビンが言葉を続ける。


「大好きな人と同じ景色を見てみたいって思うじゃん?」


 きゅ、と僕の手を握りながらそう言ったケビンに、「……大好きな人……」と小さく呟けば「うん」とケビンが頷く。


「きっと、そんなこと言ったら、先生は困るんだろうけど」


 そう言ったケビンに、なんとも言えず、ただ彼を見返せば、ケビンが少しだけ寂しそうに笑った。








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修復屋リコルヌ 〜依頼主は物語の中の人〜 渚乃雫 @Shizuku_N

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