第7話 明日の朝まで、おやすみなさい。

「先生、また痩せた?」


 封印の魔法のあと、意識を失った師匠をケビンは軽々と寝室まで運ぶ。


「今回は魔力の消費が激しかったからね」

「そっか……そう、大丈夫か」

「僕? 僕は平気ですよ」

「嘘だな」

「嘘って」

「俺たちは騙されないぞ。な、ニルス」

「そうだよ。それに、湊、クマが出始めてる」

「……え、そんなに酷いですか?」

「うん」


 ベッドに寝かせた師匠の規則正しく動く胸のあたりをぼんやりと眺めながらケビンとニルスの問いかけに答えていたものの、僕の顔を覗き込んで顔をしかめた彼女に問いかければ、彼女は大きくうなずく。


「ひとまず、みんな休息が必要、だな」

「そうだね。湊、今日はもうお仕事終わり!」

「ですが、まだ表も閉めていないですし」

「そのあたりはあたしたちに任せて湊は部屋に戻ること!」

「や、でも」

「ケビン」

「あいあいさー」


 そう言って、ニカ、と笑ったケビンと視線が交わる。

 じり、と近づいてきたケビンから足を一歩引けば、左の肩が壁にぶつかる。


「湊」

「わ、ちょっ、ケビン?!」

「捕まえた」


 強めの光がケビンの瞳に宿った、と思った瞬間、急な浮遊感と視線が動く。

 気がついた時には、ケビンの腕が僕の膝裏と背中に回されていて。

 僕はいわゆるお姫様抱っこ、と呼ばれる格好でケビンに持ち上げられる。


「ケビン、おろしてくださいっ」

「駄目だよ湊。ふらふらしてた」

「してません」

「いーや、してたね」


 ふふん、と言って笑うケビンの腕から降りようともがくものの、鍛えているケビンに力勝負で勝てるわけもなく。


「暴れるならこのまま部屋まで走ってっちゃうもんね!」

「う、わっ?! わ、ケビ、ちょ、揺れる!!」

「おりゃぁー!」


 ニヤリとした笑顔を浮かべて僕を見下ろしたケビンが、僕を抱えたまま廊下を走り出した。



「はい、到着っ」

「……お疲れ様でした……」


 途中から、おろしてくれと頼むことを諦めた僕は、ひとまずは部屋のベッドにおろしてくれたケビンに労いの言葉を伝える。


「にしても湊といい、先生といい軽すぎだろ」

「僕は普通ですよ」


 ベッドに腰をおろしたままの僕を見て、ケビンの瞳が少し細まる。


「普通の人はこんなに華奢な手首してないよ、湊」


 そう言って、ケビンは僕の手を持ち上げ、きゅ、と軽く握り僕を見やる。


「いつから?」

「いつから、とは?」

「この任務の前は、もうちょっと掴み甲斐があったよ。いつからこんなだったの」

「……ケビン?」


 掴まれた手首は、決して痛くはない。

 でも。

 僕を見るケビンの瞳が、心の奥をグッ、と掴んだ気がする。


「ケビン、あの……」


 なんで胸が痛いのだろうか。

 理由が思い当たらない。

 確かに、色々と忙しくて食べる量は減った。

 それに、魔力を多く使ったから、食べても食べても、吸収されていなかったと思う。

 でも、師匠ほどじゃない。師匠の足元には、足元すら、届かない。


「湊?」


 そんな風に考えたら、言葉が止まった。

 言葉が止まったせいなのか、心なしか頭の奥がグラグラしている気がする。

 そして、そんな風に黙った僕を見て、ケビンは「はぁ……」と小さくため息をついたあと、掴んでいた手を緩め、僕の手首を撫でる。


「明日の朝、湊の好きなものを作るよ。何がいい?」


 いつもの、夏休みの子どもたちのような笑顔ではなく、雪が降った日の朝の太陽のようにケビンは笑う。


「…………チーズ、……」

「チーズ?」


 そのケビンの笑顔に、後押しされるように口を開けば、ケビンが僕の言葉を繰り返す。


「ええ。それと、卵焼きが乗った」

「とろとろチーズトースト、だろ?」

「そ、うです」


 どうしてだが、ケビンの言葉が遠くに聞こえる気がする。


「分かった」

「ケビン、なんで」

「……湊、もう寝ていいんだよ」

「僕、は」

「大丈夫。皆いる」

「ケ、ビン」


 ケビンが何かを言った気がしたけれど、僕には聞き取ることができなかった。



 ◇◇◇◇◇◇



「やっと寝たのか愛しは」

「……珍しいですね、貴方が私をここに連れてくるとは」


 草原のような場所に立っている、と思った瞬間、さわりと吹き頬をかすめた柔らかな風に、この場の主を認識する。


「そうか? 何、たまにはもう一人の愛し仔の顔も見ておかぬとへそを曲げるだろう?」


 風に溶ける声と同時に目の前に現れたのは、白く長い髪を水色の紐で束ねた人ならざる者。


「……そんなことはありませんが」


 ふふ、と悪戯が成功したような表情を浮かべている彼に、思わず苦笑いを浮かべれば、彼は愉しげに笑う。


「ハッハッ、なに、ほんの少しの戯れよ。いい、そのままにしていろ」


 風の精霊王を前に、膝をつこうとした自分を、目の前の人ならざる者が止める。


「本当は、幼い愛し仔のもとに行こうと思ったんだがなぁ。いまあちらに顔を出したらアイツが怒るからなぁ」

「……お願いですから、あの家は壊さないでくださいね?」

「なに、喧嘩なぞ我はせぬ」


 しれ、とした顔で言う風の精霊王に、過去のアレコレを思い出し、小さくため息をはく。


「なんだ、愛し仔、何か言いたげだな?」

「いえ……特には……」

「我もすまないとは思ってはいるのだぞ?」

「承知しております。ですから、今日はあの子の元には行かないのでしょう? ウィンディ」

「おう。だが、近いうち、必ずや会いに行こうぞ」

「……いらっしゃる時は、弱めの風でお願いします」


 ふわ、どこからか吹いてきた風に、黄色の花びらが舞う。

 あの花は、なんだっただろうか。


 そう考えた時、クツクツ、と愉しげな笑い声が耳に届く。


「愛し仔の願いだ、聞いてやろう」


 『おれは優しいからな』


 柔らかな風に溶けた声が、もう一度、愉しげに笑って消えた。










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