第43話 講師もどきのお節介

 フレンスに対して講師の真似事を始めてから2週間が経った。

 彼女は着実に知識を身に着け、苦手だった魔素操作にも慣れた。今ではルーヴを使って簡単な実習をこなすまでになった。相変わらず叫ぶ癖は治ってはいないが、持ち前の諦めの悪さが彼女の進歩を支えている。


 「ぐぎぎぎ…」


 今も少女が発してはいけないだろう声を出し、見せてはいけないだろう表情をしているが大丈夫。いつものことである。


 「フレンスちゃん、とんでもねえ顔してるぞ」

 「うるさい!」


 スタンレイに誂われながらも、手は止めない彼女。

 ここは休日のエドガー工房だ。個人工房室での実習でもよかったのだが、彼女の様子を見るために長時間一緒にいるには狭い。

 加えてここなら試作用の木版も沢山ある。技師向け工房が請け負う仕事の大半はルーヴ関連だ。新規制作、調整どちらにおいても出来を確かめるために木版で試用をする。だからこそ技師向け工房は、様々な経路で木版を確保しているのだ。

 今回はそんなエドガー工房の特色を頼り、休日ということで使わせてもらっている。面白そうだ、ということでスタンレイも付き合ってくれることになった。


 「あっ…!」


 と、フレンスが唐突に声を上げる。

 手元を見ると、緩やかに描かれた曲線が道半ばで途切れてしまっていた。どうやら失敗したらしい。


 「ぐっ…ぐぬぬぬぬ…!」


 みるみるうちに沸騰した彼女は、手に持ったルーヴを投げつけようとするがぴたりと動きを止める。それからゆっくりとルーヴを机に置くと、沸騰したまま外へ飛び出していく。多分頭を冷やしにいったのだろう。ちなみにルーヴはエドガー工房からの貸し出し品である。


 隣を見やるとスタンレイは腹を抱えて笑っていた。


 「あははは!ほんっと面白い!」


 それには全面的に同意である。


 一度ルーヴを投げつけそうになった時に、俺がシスティに言いつけるぞ、と脅したのだ。以来、彼女がルーヴに感情をぶつけそうになる度にそのことを思い出すらしい。その結果が今の珍妙な行動である。

 本人は大真面目で怒っているのだろうが、周囲から見れば面白くて仕方がない光景であった。「お姉様」の存在は彼女の中では絶対らしい。


 「にしても2週間であれか…」


 スタンレイは少し真剣な表情になる。


 「後期が始まるまでは後2週間。知識面は問題なさそうだが、ルーヴの扱いはそれなりに苦労しそうだな」

 「なかなか厳しい学園生活になるのは間違いないと思う。差を埋めるのは難しいだろうね」

 「むしろ一ヶ月で他のやつらとの差が埋まる、と考えるほうが無理がある」


 フレンスが一生懸命やっていることは間違いない。それは毎日のように見ている俺でも上達や成長に驚くほどだ。けれどもやはり魔素操作に関してはまだまだ拙い。


 庶民出身の俺も自前のルーヴこそ直前だったが、魔素操作については学園入学後に向けそれなりに練習を重ねていた。


 ちなみに試験で使用されるルーヴは特別製だ。試験では不正の可能性を考慮して、受験生に一律でルーヴが用意される。これらは魔素操作の基本さえできていればすぐにでも使える。代わりに彫り込む力はほとんど無く木版が精一杯だ。しかも何枚も掘ることができるほどの性能はない。

 貴族の子女たちは試験よりも前からルーヴに触れているし、試験後は講義を見越した訓練も始める。魔素操作の基本が出来た上で訓練を重ねるので、当然上達も早く講義開始前には基本的な実習の段階を超え、簡単な回路なら彫り込めるくらいにはなっているのだ。


 現実問題、フレンスに時間的余裕はないだろう。


 「むしろ2週間でよくやってる…と思うよ、俺は。アモーリテのことさえよく知らなかったんだから」

 「先生にも恵まれてないのにな」


 ニヤニヤと俺を誂うスタンレイ。確かに貴族が呼べる講師とは雲泥の差だろうな…。彼女が自分で決めたこととはいえ、選択肢が狭かったことは事実だし。


 「っていうか、自分の商品の仕事はいいのか?最近つきっきりみたいだが」

 「その辺は都合つけてもらったよ。思ったより出足が鈍くなりそうだってこともあってさ」


 ルーシャの一般販売は明日にはもう始まる。そんな中、こちらで臨時講師をしているのはファリエ会長が都合をつけてくれたからだ。

 ルーシャの現時点での評判は悪くないようだが、お店で使えるならそれでいいという声も少なくないらしい。急激な注文は無いだろう、という予測のもと初期の販売数を絞ることにしたようだ。その影響で、修理や不具合の予測数も当初より小規模になるだろうと考え、俺をこちらに残せるように配慮してくれた。

 会長曰く、初めての指名依頼なんだから最後まで頑張ってね、だそうだ。レストロの手伝いも現在は免除してもらっているし、修理依頼もシスティが回してくれている。

 フレンスは気づいていないだろうが、結局依頼を受ける形でイームス家は力を貸してくれているといえるだろう。


 「はあ…本当にもう曲線を見るのも嫌…」


 扉が再び開き、秋の香りが強くなった風が入る。爽やかな気候とは裏腹に、入ってきた彼女は死んだ魚のような目をしているが。


 「曲線くらいできなくてどうする?フレンスちゃんの同期は当たり前にやってくるぞ?」

 「そこの変態!ちゃんって言うな!何回言えばわかるのよっ!」

 「フレンス嬢落ち着きなさいな…とりあえず、もう一回一緒にやってみよう。ルーヴの角度もよく見て――」

 「リアンも嬢ってつけるのやめてよ…」


 俺とスタンレイはそんな彼女を見て、もう一度手本と実習の補助をすることにした。文句は言いつつも、魚の眼から復活した彼女。その瞳から真剣さが消えることはなかった。



 翌日、ノースモアのハンブル商工会には新しい講師がやってきた。


 「エクセシオスの形式だと、ここはこうなるの。曲線で構造をつなぐのが特徴だから、そこだけは覚えておいたほうがいいわ。リアンが見せた図面にもあったでしょう」

 「も、もしかしてあれもお姉様が…?」

 「お姉様はいい加減やめなさい…。まあ、そうね。リアンと2人で作ったものよ」


 お姉様…、とキラキラとした尊敬の眼差しでシスティを見るフレンス。彼女は数秒前にやめろと言われたことも無視するほどに、システィに懐いてしまったようだ。初対面の段階で結構厳しいお叱りを受けていた気がするのだが、そのことに全く動じていないのは豪胆といえるのだろうか。

 まあ2人が話をしているところを傍から見ると、仲のいい姉妹に見えなくもない。透き通るような白い肌と、少し釣り眼に見える目元は似ている。髪の毛の色は対照的だけど、お姉様と慕うのも過去の一件を知らなければ不自然さはないだろう。

 

 「基本の細工はある程度決まった型があるの。魔法道具に幼い頃から親しんできている家の子は、そういったところの感性は優れているわ。

 触れたものの多さが細工設計においては力になる。数多く触れていれば必ず素晴らしいものが作れるとは限らない。けれど色々なものを知っているほうが素晴らしいものを作りやすくなる。貴方はこれからその差を埋める努力をするべきだと思う」

 「…わかりました!」


 彼女にとってお姉様の助言が一番心に響くようだ。

 システィにとっても放ってはおけない存在なのだろうか。今日は唐突に顔を出して、細工を教えると言ってくれた。俺が細工を苦手としていることを知っているシスティの気遣いだろう。実際苦労しそうだと思っていた点だったので、とても助かっている。さすがにイームス家の身内、転移扉はかなり自由に使えるらしい。

 

 しかし今回来たのは彼女だけではなかった。


 「小さい子が趣味だったのかなあ、リアンくん」


 唐突に後ろから声がかかる。そこではニアがじとっとした目でこちらを見ていた。


 「お・し・ご・と!誰のせいで溜まったんだろうねえ…」

 「い、いや俺のせいじゃ…!」

 「ふーん…そういう事言うんだ」

 「ひっ…!」


 システィに勝るとも劣らない迫力をもって、彼女が俺に迫る。

 

 受付の仕事は俺の担当ではない。そのはずなのだが、彼女は俺に書類とエクペルを持ち込んでまで作業をさせにきた。


 俺がノースモアにいるせいでレストロの人手が足りない。そのせいで日中に疲れがひどく書類が進まない。その上、ウーミィも品切れだ。だから遊んでないで、仕事を手伝え…というのが彼女の言い分である。


 ウーミィのことを失念していたのは申し訳なかったが、書類に関しては完全な言いがかりである。そもそも2人がこちらへ来てしまえば一番大変なのはルーさんなんじゃないかとか、それこそレストロの人手は大丈夫なのかとか、色々思うのだが。それに魔法道具をよくこちらへ持ち込めたと思う。許可はちゃんと取ったのだろうか…。


 しかし、悲しいかな。すでに分かっている通り、受付嬢には敵わないのだ。俺は姉妹の勉強会から目を離し、粛々と書類作業を進めた。


 ちなみに彼女は今日の食事を担当してくれている。フレンスにも俺にも家事能力は殆ど無い。元令嬢に料理を求めるほうがおかしいし、俺がつくっても対して美味しくはない。ニアが作ってくれた昼食はそんな俺達2人にとっては最大級の癒やしであったことは間違いない。

 ニアもフレンスのことを気に入ったらしく、あっと言う間に打ち解けていた。思えばシスティともそうだったが、彼女の人付き合いの上手さは群を抜いている。さすがに飲食店で働いているだけはある。

 

 「フレンスちゃん、大変そうだね。私は事情を聞いただけだけど」


 2人で書類に目を通していると、ニアは少しだけ手を止める。


 「まだ小さい…って言ったら怒るだろうけど、あの年齢でいきなり放り出されているのは事実だし…」


 ちらりと彼女達の勉強の様子を見る。


 確かにその通りだ。彼女は行動をしなかった。もちろん責任が無いとは言えないだろう。けれど、領地経営に影響を与える方法を模索しようと行動するほど、大人になれる年齢でないことも否定できないと思う。


 俺があの年齢の時は、配達の下働きをやっていた。けれどそれも親の勧めがあったからだ。学園に入りたいという希望はあったけれど、そのために何をするべきか道を示してくれたのは両親だった。学園に入った後も兄含め、俺を応援してくれた。


 きっと彼女には道を示してくれるような人がいなかったのだろうと思う。


 貴族は基本的に忙しい。個領貴族当主となれば、その執務内容は多岐に渡るだろう。

 その上領地経営は上手くいっていない。彼女から見れば改善はなかったのだろうが、両親も相当に苦労をしていることは想像に難くない。決して褒められることではないが、彼女の精神的な部分にじっくりと向き合う機会を持てなかったのかもしれない。


 本人はもっと話したいし、もっと誰かと時間を過ごしたかったのではないだろうか。彼女の処遇に対して交渉したであろうことを思えば、両親はフレンスのことを大事には思っているだろう。けれど、忙しさのあまり家族の時間を取ることができなかったのではないかと勝手に解釈している。


 その証拠といっては説得力にかけるかもしれないが、フレンスは人懐っこいところがある。システィを慕っていることもそうだし、なんだかんだと俺との会話も嫌がる様子はない。何が上手くいかなかったとか、今日はこれができたとか、むしろ楽しそうに話をすることも多い。

 そんなやりとりができる存在が、彼女にもっと増えたらいい…というのは余計なお世話だろう。とはいえ楽しい学園生活になればいいと思う。その頃には、俺と彼女の接点がもう無いのは分かっているが。


 「どうしたの?何かおじさんみたいな顔をしてるよ」

 「おじさん…」


 柄にも無いことを考えるとおじさん顔になってしまうらしい。おじさんになること自体は嫌ではないが、もう少しお兄さんでいたいと思う。いやフレンスからすれば既におじさん…?


 「あのさ、気になってたんだけど。魔法道具の実習って慣れてないとやけどでもするの?」

 「やけど…?ううん、熱の出る魔法道具を下手に使えばそうなるかもしれないけど…」


 ルーヴを使った練習でもそう簡単にやけどまではいかないだろう。それにもしそうなったら、フレンスは自身で言うだろう。上手くいかないことに関してはすぐに聞いてくる性格だ。


 「フレンスがやけどでも?」

 「どうかな…やけどっぽく見えただけかも。ちょっと手に赤い所があったの。右手の人差し指の付け根あたりだったと思う」

 「右手に?」


 利き手がどうかは確認していないが、少なくともフレンスはルーヴを右手で使う。


 「さっき昼食を渡す時にさ、食器を右で取ろうとして一旦引っ込めて、左手で受け取り直したの。その時に赤くなってたから、やけどかなって」

 

 良く見ている、と思った。この辺りは客商売をしていると普通なのだろうか。

 俺は気にもとめていなかった所だ。今は細工設計の練習をしているので彼女の手のひらを確認することはできない。

 ルーヴを使ってやけどは考えにくい。その上彼女自身が料理をしている様子はないが…。


 「…家に帰ったら料理の練習でもしてるのかな」

 「まあフレンスちゃんも女の子だしね。上流階級の男を捕まえるのに、まずは胃袋から落とせ!みたいな作戦もあるし、あり得るかも」


 ニアの玉の輿への興味は相変わらずで俺は思わず笑ってしまう。

 

 彼女の言う通りなら問題ないのだが…。

 赤みがさしているといえば。俺はプラティウムの腕輪を彼女がしていた時のことを思い出す。あの時も、腕に赤い筋のようなものがついていた気がする。

 

 ファリエ会長含め、おそらくサンライニ側の受付を一手に担ってくれているルーさん。システィにニア、スタンレイ。色々な人が便宜を図ってくれている。



 だからこそ、しっかりと依頼を達成するべきだ。



 俺はそのために彼女に一つ確認をすることにした。

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