第42話 少女と違い

 「あ…」


 工房の扉を開けた先で小さく声を上げたのは、フレンス嬢だった。そしてその隣にはシスティがいる。もう会うことは無いだろうと思っていた元貴族令嬢。思わぬ形での再会に俺はなんと声を掛けるべきか言葉に詰まってしまった。なによりシスティが隣にいるのは意外である。先日の「教育」は相当迫力があったと思ったが…。


 「ここ以外宛がなかったから安心したわ」


 反応に困っている俺に、システィは苦笑した。



 「それでそのお嬢さんがフレンスちゃんってわけだ」

 「ちゃんってなによ!」


 幼い子供を相手にするような態度でスタンレイに誂われると、ようやくフレンス嬢が口を開いた。彼女は工房の中へ招かれ、椅子に座った後も沈黙を守ったままだったのだ。初めて会った時の勢いはどこへ行ったのかと思っていたが、その心配はいらなかったらしい。


 「まだ子供なのは事実じゃないかしら」

 「お、お姉様…」

 「…お姉様はやめなさい」


 ただシスティとファリエ会長の「教育」は十分に効果を上げていたようである。いつの間にかお姉様と呼ばれていた。システィの諦念に染まった表情を見るに、おそらくやめろと言っても聞かなかったのであろう。吹き出しそうになるのを必死にこらえていると、システィは溜息をついた後フレンス嬢に目配せした。

 システィの視線を受けたフレンス嬢は立ち上がり改めて背筋を伸ばすと、深く頭を下げた。



 「私に、魔法学を教えていただけませんか」



 気位の高そうな彼女が簡単に頭を下げたことは少し驚きだった。その上、その声には誠実さすら感じられる。とはいえ、随分急な話である。昨日の今日で彼女に一体何があったのだろうか。


 「…ルーヴっていう道具は店にあるものを買えばいいんだって、そう思ってた。でも、魔素っていうのを通すこともできなくて…」


 俺の疑問に答えるかのように、彼女は腰を下ろすと語り始めた。


 「結局ルーヴのお店っていうのかな…、ここみたいな工房からも追い出されてしまった。それでやっと分かった。…ううん、本当はもう分かってたんだけど認められなかった。私が本当に無知で愚かだってこと」


 先日までの高飛車な様子はすっかり消え、語尾は少し震えている。


 「工房から追い出されちゃった後、もうどうしようもなくて…この辺りを歩いていたの」


 エドガー工房がある辺りは、基本的に技師向け工房が多い。彼女が追い出されてしまったというのも、おそらくこの辺りにある技師向け工房の一つだったのだろう。


 「…まあふらふらしていたから、声をかけたのよ。こんな格好でいたら、悪い男に騙されそうでしょう」


 システィはエドガー工房に忘れ物をしていたようだ。それを取りに来たら歩いていたフレンス嬢を見つけたらしい。あれだけ問題があった相手とはいえ、まだ幼さの残る彼女を放って置くことができなかったのだろう。

 考えてみればイームス兄妹は、感情的に怒っていたというよりは叱っていたというほうが近い。会長曰く、妹の方はちょっと怒っていたみたいだけれど…。

 それにシスティの言う通り、フレンス嬢は華美さの残る格好をしていた。それでも、プラティウムの腕輪をつけていないのは彼女にとっての大きな変化なのかもしれない。


 「私、この無知を克服しなければもうどうにもならないってやっと分かった。だから魔法学のことを教えてほしいの。リーティフは学園からもらえるものでいい。その分のお金を払うから、学園が始まるまで、できるだけ魔法学について教えてください」


 フレンス嬢はそう言って、もう一度頭を下げた。

 一度細工の歴史と、本人の選んだ模様についての話をした時彼女は怒りを抑えたことがあった。その際に一瞬だけ見せた真剣な表情、雰囲気。それが彼女のもつ大きな一面であったことを俺はようやく理解した。


 …ただ、気になることもある。彼女が頭を下げている方向が俺側であるということだ。


 俺はフレンス嬢から目を離すと、システィとスタンレイがこちらを見ている。一方はあまり表情を変えてはいないが、一方はニヤニヤした表情を隠しもしない。


 「ご指名みたいね、リアン」

 「確かにリアンは学園でも優秀だったしな!うんうん!」


 訂正しよう、あまり表情を変えていないシスティもこの状況を楽しんでいる様子である。スタンレイは言うまでもない。しかし本人の意向を確認したわけではない。それに他の2人のこともよく知らないだろう。ここはきちんと説明が必要である。


 「その…システィは細工に関しては学園一でした。この間、お見せした図面も彼女が相当に助けてくれたものなんです。

 それからそっちの彼は技師向けの魔法道具に関わってます。普通の工房よりも高度な技術が要求されることも多いので、実技を教わるにはとてもいいと思います。どちらかにお願いしたほうがいいと思うんですが…」


 俺の説明に嘘はない。実際窓際技師だった俺よりずっと成果を残している2人だ。システィに比べればスタンレイも異端かもしれないが、アローグをクビになった俺より実績がある。

 システィは工房関係の貴族令嬢として認識しているだろうし、スタンレイに至っては初対面である。2人の技師として、学園生としての優秀さを考えればそっちに教わったほうがいいのではないかと思う。


 しかし…。


 「私がリアン、…リアンさんにお願いしたいの」


 性格からして媚びるという発想すらなさそうな彼女。そんな少女に上目遣いでお願いされると、断ったほうが悪者になってしまいそうだ。


 正直この3人の中から俺を選ぶ理由はよくわからない。一度は話したことがあり、システィより気後れすることなく接することができるからなのか。それとももっと別の理由だろうか。そこには何か特別な理由があるのかもしれないし、俺の思い当たらない打算が含まれているのかもしれない。

 それに多分、この元令嬢相手というのは色々と気苦労がありそうなのは間違いない。加えて教える方法論や、回路の考え方は基本的にはエクセシオス式になるだろう。


 それでも、変わろうとしている彼女に。時折見せる真剣さに。俺は冷水を浴びせるようなことはしたくなかった。


 「…わかりました。よろしくお願いします」


 そう応えた俺に、まっすぐな視線を向けてくる元令嬢。

 ちょっと意地悪そうに笑みを浮かべるシスティに、どこか満足そうな表情のスタンレイ。


 異端の教祖が、講師の真似事をすることになるとは思わなかった。

 顔なじみの野次馬に囲まれながら、結局俺は苦笑する他なかったのだ。




 それから一週間。結論から言えば、彼女の生態は子供そのものだ。


 「あーー!!!でぎないいいいいいい!!!」


 まずはその堪え性のなさが特徴だ。とにかく上手くいかないことがあると、ひとしきり叫ぶ。

 今現在はルーヴを使うための魔素操作を練習してもらっている最中だ。ハンブル商工会の二階、個人工房室にいるはずだが、彼女の絶叫は一階まで聞こえてくる。

 もしお客が来ていたら腰を抜かしてしまいそうだが、未だに誰一人来ないのでよしとする。彼女の叫びが客を遠ざけている可能性は大いにあるが、依頼料は受け取る約束なので彼女も客である。よってそのことには目をつぶることにした。ご近所さんから苦情が来ないことだけを祈る。


 「おねえさまぁ…ふへへ…」


 次は寝付きの良さである。座学的な勉強をする際あっと言う間に寝てしまうのだ。王国の歴史や、貴族の話になるとわざとではないかというくらい寝る。それはもうあっと言う間に。貴族をやや敵視している所がある割に、敵情視察という言葉は知らないらしい。

 ちなみに寝ている時の顔を見ると、やや釣り眼の品のある美少女だ。気性の荒さをなんとかすれば、貴族夫人を狙えないこともないのではなかろうか。こういう顔が好きな人もいるだろうし…。いや、まあ気性の荒さをなんとかするのが大変だとは思うけれど。気持ち悪い寝言はともかく、よだれもなんとかしたほうがいい。起きた時必死で誤魔化すけれど、バレバレである。


 しかし悪い特徴ばかりではない。


 彼女はいい意味で物分かりが悪い。自身が出来ないことがあると徹底的に克服しようとする。こんなものだろう、という要領の良さは皆無だ。執念深く絶対に諦めない。

 今も叫びが聞こえなくなったが、おそらく彼女はまた夢中になって取り組んでいるはずだ。成果がでなければ、出るまでやる。憤りを撒き散らしながらもぶつかり続ける姿はまるで駄々をこねる子供のようでもあるが、簡単な小試験も満点になるまで確実にやっている。


 そして興味に対する正直さだ。歴史や貴族の話をするとすぐに寝てしまうが、回路や細工など技術の話になると貪欲に知識を求める。参考書籍に記述されていること以上の話を聞きたがる。

 ひとまず試験範囲までの知識さえあれば、あとは講義で知識を蓄えていけばいいと言っても、今聞かせろと言って譲らない。いつもの寝付きの良さはどうしたのかと思うくらい態度が違う。

 彼女のこういう側面は学園生活が始まってからより活きていくだろう。興味がある分野があることは、彼女の学園生活をきっと面白くするはずだ。


 総じて理屈で動くというより、感情で動くところが子供っぽい。それが彼女の難点になることもあるだろう。しかし同時に彼女の長所を担う要素になっていることもまた間違いない。


 そんなフレンスだが、確実に変化があった部分もある。



 「リアン…、お腹へった…」

 「あいよ」


 静かになってからしばらく魔素操作に挑戦していたようだが、空腹に耐えかねたらしい。フレンスは一階に顔を出す。彼女は自身に敬語や敬称を使うことをやめてくれ、と自分から言い出した。教えてもらう立場であるし、何よりもう自身は貴族でもなんでもないと。俺も彼女に敬称をつけられるのは、どうにも違和感が拭えなかったのでやめてもらった。

 このことは「お姉様」の教育の成果かもしれないが、それだけではないような気もする。彼女の中で何か変化があったように思うのだ。


 「魔素操作って何であんなに難しいのよ…」

 「フレンスの場合はもう少し数をこなさないとね」

 「…他の子はこれ簡単にできるのよね」


 昼食にしては遅めの軽食を食べながら、彼女は少し声を落とす。確かに彼女と同期になる後期からの学園生は、当然魔素操作の基本は抑えているだろう。ルーヴを使えないということはまずないと言っていい。

 聞くと個領にいた時から魔法道具そのものも使用人に任せきりで、ほとんど使ったことが無かったそうだ。彼女が言うにはそもそも個領では貴族に対しても、魔法道具そのものがあまり普及していないらしい。


 「私がなんとなく過ごしている間に、中央の子達は勉強してたんだから当然だけど…」


 本人もそれは仕方がないことだとは分かっているのだろう。どちらかと言えばかつての自身に対して愚痴っている様相だ。しかし彼女はもともと魔法学園に通う予定はなかったのだ。王都に来てからの行動は褒められたものではないが、これ以上自身を責める必要はないようにも思う。


 「やっぱり他の学園生には負けたくない?」

 「…そうできればいいけれど」


 俺が聞くと、彼女は少し複雑そうな表情をする。打てば響くような性格のフレンスにしては珍しい。この言葉で勢いを取り戻してくれればと思ったのだが、思っていた反応と違ったので驚いてしまった。


 けれど、その理由はすぐに思い当たった。

 多分彼女は今、現実を見たのだ。自身の立っているところと、周囲の実情を比べてみたのだろう。魔素を操り、ルーヴを扱うことができることが当然。周囲はすでにそんな状況なのに、自身は未だ魔素操作の段階だ。そんな差を思い知れば、彼女でなくても勢いを失っても不思議ではない。


 結局そこには比較がつきまとう。誰かと比べての自分。何かと比べての自分。

 確かにそう考えなければ、きっと自分と他者を区別できない。違いこそが自分と他人との境界線なのだから。


 「俺、多分勝ち負けでいったら負けた技師だと思う。前にフレンスが言った通り底辺だよ。一度工房もクビになってるしね」

 「き、急にどうしたの?」


 でもだからこそ、俺は改めて思うのだ。そこに必要なのは多分、差ではない。「違い」なのだ。そしてきっとこれは似ているようで全く別のものなのではないかと。


 「そんな俺が言うと負け犬の遠吠えに聞こえるだろうけどさ…」

 「…気休めでも言ってくれるのかしら」

 「容赦ないなあ…」


 俺の言葉に苦笑しながら頬杖をつくフレンス。呆れ半分のようだが、話はまだ聞くつもりがあるようだ。


 「知り合いの木工職人さんがさ、自分よりも素晴らしい商品を作る人が必ず現れるから辛いって言ってたんだ。惨めな気持ちになるって」

 「まあ…それはそうでしょうね。負けるんだから…惨めでしょう」

 「でもその人は今、すごくいい表情をするようになった。まだ勝ってもいないし負けてもいない。むしろこれからはずっと競うことになるはずなのに」


 リゼさんは惨めな想いをすることから逃げたい。そう言っていた。けれど、最終的には自身でそこへ飛び込んだのだ。そして今とても活き活きと仕事をしている。


 「きっと彼女は『向き合っている自分でいること、逃げ出さない自分でいること』を大切にしようって決めたんだと思う。だから負けて落ち込んだとしても、彼女は『彼女自身が自分を好きでいるために』行動を続けるって思うんだ」


 そこにあるのは、勝ちとか負けではない。自身のもつ「違い」への確信だ。自身の中央に背いていないかの是非なのだ。そしてそこに是でいられるように、彼女は進むことを決めたのだ。


 「俺は彼女のことを負け犬だとは微塵も思わない。むしろすごく素敵だと思った。貴族より富んではいないだろうし、いつか彼女より優れた技術をもつ職人が現れるのは必然かもしれない。でもそれによって彼女の素敵さがくすむことはないと思う」

 「…結局最後がリアンの個人的な感想じゃない…」


 確かにその通りだ。独りよがりの考え方なのかもしれない。それは承知だけれど、異端の技師だからこそその独りよがりを信じたいのだ。色々な人の独りよがりを許容していく教祖でありたいのだ。


 「何に一生懸命になるのか。何を得ようとするのか。比べ続けて、勝ち続けて、その先に何が欲しいんだろう。傍からは大負けに見えても、自分が守るべき何か。そういうものがあるような気がしてならないんだ。

 技術も、富も、比較して決まるすべての勝ち負けは無くならない。でも負けたままでいないために。そして多分、勝ったままでいないために。単純なものさしの勝負に振り回されないように。そういうやり方があるんじゃないかって最近思う」


 頭の中で考えたことを全部。俺は吐き出してみた。

 別にいいのだ、同調されなくても。けれど、こういう考え方をする人間がいるってことも知ってもいいと思ったのだ。自分でもひどく独善的な行動だと思うけれど。もう話をしてしまったのだから仕方がない。


 「じゃあさ、リアンは…何に一生懸命になるの?」


 そんな俺に瞳を揺らしながら、彼女は言う。

 正直そう言われるととても困る。けれど、それでも最近見つけたことがある。


 「じたばたすること…かな」

 「はあ?」


 多分期待はずれだったのだろう、呆れ全開で声を上げるフレンス。俺はそんな彼女の様子に思わず頬が緩んでしまう。


 「何、ニヤニヤしてるのよ!それっぽいことを言うから、ちょっとだけ期待したのに」

 「その期待に答えられないから俺は負け犬なんだろうなあ」


 俺がぼんやりと返事をすると、彼女はぷっと吹き出した。


 「そうね。貴方のようにはならないようにするわ」


 意地悪そうに笑う様子を見るに、いつもの調子を取り戻したようだ。そんな彼女を見て、わけのわからないことを話した甲斐があったと思うことにする。


 ごちそうさま、と言って彼女は再び工房室に向かう。が、階段に足をかけた所で一旦止まった。

 俺がそのことを疑問に思っていると、フレンスはこちらを振り返った。


 「私は…何に一生懸命になるのかな」


 年相応の幼さを感じさせる声。それはつぶやくようだったけれど、確かに俺に届いた。

 不安そうな彼女を安心させるようなことは言えないし、本当に彼女を安心させられるのは俺ではない。けれど、精一杯応援をするために何とか言葉を絞り出す。


 「まずはその何かを探すことに…かな?」


 ちょっと疑問系になったのは非常に失敗であった。まったく締まらない話だと恥ずかしくなった時、彼女は大笑いした。



 「あははは!リアンってほんっと頼りないね!」



 理由はわからないが、元令嬢のご機嫌は斜めには傾かなかったらしい。

 上機嫌に二階へいく彼女が、次に叫ぶのはいつ頃だろうか。俺はそんなことを考えつつ胸をなでおろした。

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