第41話 意外な二人

 カラン、カラン…


 騎士たちが出ていった後、ハンブル商工会の扉がゆっくりと閉まる。初めてここへ訪れた時にも聞いた音。扉についている木製の飾りが揺れる音だ。何度も聞いた音なのに、今日はそれがやけに耳に残った。

 そして、その音が鳴り止むと同時に。


 「はあ~疲れた!」


 盛大に溜息をついたのはファリエ会長だった。彼はそのままフレンス嬢が座っていた椅子に腰掛ける。まるで止まっていたようだったハンブル商工会の時間は、その一言でようやく動き出した。


 「ん?もしかしてリアン、私のあまりの威厳にびっくりしたのかな?んん?」

 「いえ、まあ…正直…」


 いつもの調子に戻った会長に誂われると、体中を縛っていた緊張がほぐれていくような気がした。普段との違いにびっくりしたし、正直ちょっと怖いくらいだった。


 「フレンスさんに気づかれないくらいの存在感なのに、よく言うわよ」

 「あ、あれはシスティが怖かったからだよ、可哀想な少女をいじめるのは兄さん関心しないなあ!」


 聞くと、ファリエ会長はシスティによるお説教の途中からここにはいたらしい。当然扉の飾りも鳴ったはずだが、フレンス嬢はともかく俺も空気に呑まれて気づかなかったようだ。

 システィもさきほどまでの態度を納め、いつもの調子に戻っていた。

 状況から察するに、二人とも意識的にさっきの雰囲気をつくっていたのだろう。元令嬢に立場を分からせ、今後も問題を起こさせないために。

 とはいえ同席した庶民は寿命が縮まりそうだったので、できればもうやらないでいただきたい…。


 「最初は扉の飾りをちょっと鳴らしちゃったんだけど、面白そうだからそっと入ってきたんだ。いつも冷静なシスティがあれだけ怒るのも珍しかったし」

 「…私にだって感情くらいあるわ」

 「多感なお年頃だしねえ、兄さん妹の成長が嬉しいよ」


 ニヤニヤとするファリエ会長。しかしその表情は一転し苦悶に歪む。机の下でものすごい音がしたが、あまり深くは考えないことにしよう…。


 「ふ、踏んだ後ぐりぐりするのはやめて…」


 先程の威厳はどこへ行ってしまったのか。妹に涙目で懇願する貴族がそこにはいた。もう一度大きな音がして、兄は許されたらしい。様々な交渉等で移動の多い人なのだ、執拗に足を痛めつけるのはやめてあげてほしい。


 ファリエ会長ははじめからアウトワルド家の事情は知っていたようだ。その上であえて商工会内へ案内し、彼女の真意を確かめたかったと言う。


 「現状、商工会前を派手な格好でやたらと行ったり来たりしていただけだからね。一応私は他国の貴族だし、彼女は元貴族。事も起こっていないのに拘束したりすると色々と面倒なんだ。それなら小さな問題を起こしてもらって、うちからヴィクト王国へ通報した形のほうが都合がいい」

 「随分と賭けにでましたね…」


 事情は分からないでもないが、なかなか危険な話だ。感情的な元令嬢だ。もっと大きな問題が起きてしまうことだってあったかもしれない。

 ちなみに騎士団の話は、彼女自身の両親から聞かされたのだろうということだった。なんだかんだと言って元貴族、王都の要注意施設くらいの情報は越した後に調べているのが普通らしい。おそらく彼女のご両親は面倒なことにならないよう、あまり関わらせないために教えたんじゃないか、と会長は言う。


 「彼女の性格からして横柄な態度にでるのは予想できた。貴族を騙るような言動はすでにしていたし、他にも手は打っていたからね。そこまで賭けでもないかな。むしろ今回の件は彼女にとっては幸運だったかもしれないね」

 「幸運?」


 ファリエ会長は俺の疑問に軽く頷く。


 「私も貴族だし、見過ごしてはいけないことがあるんだ。彼女が立場を偽り依頼料の減額なんかを持ち出したら、それは貴族が運営する商工会に対しての詐欺…というか脅迫になる。しかも事実無根で、ここはヴィクト王国にとっても外交窓口。私の名前で陳情をだしても…商工会からどころか、この国から追い出されていただろうね」


 俺は思わず沈黙してしまった。会長がさらりと話した内容が実際に起こり得たかもしれないからだ。違法商工会だと決めつけ、貴族を騙り、金銭に関わる不当なやりとりを企めば…。それを思うと、この程度で手打ちにできたのは良かったのかもしれない。


 …しかし他の結末はなかったのだろうか。どうも釈然としない想いを俺は抱えずにはいられなかった。


 「リアンは2、3日こっちでゆっくりするといい。お陰でルーシャ販売までは少し余裕ができたし、面倒なことを引き受けさせちゃったからね」


 申し訳なさそうに笑う会長は、そう言って臨時休暇を出してくれた。




 「初の指名依頼になると思ったんだけどなあ…」

 「お得意様候補を一人逃しちまったな?」


 俺がぼやくと、スタンレイは笑いながら言う。


 翌日、俺はエドガー工房にいた。ルーヴの調整はもう必要なかったが、なんとなく話がしたくなりここへ足を運んだのだ。ちょうどひと仕事終えたところだったため、スタンレイも俺に付き合ってくれている。


 依頼されて魔法道具を作る。商工会に所属してからはまだやったことのない仕事だ。基礎工程主任だった頃はいわずもがな。

 最初に交わした契約上、ウーミィはキュリオ工房製、ルーシャはリゼ工房製ということになっている。俺は勢いのあるハンブル商工会で修理を担当する無名技師、というのが現在の立ち位置だ。修理依頼に関しても商工会へ持ち込まれたものを俺が担当しているという形なので、直接的な依頼というわけではない。

 正直フレンス嬢の物言いには辟易していたが、自身に向けられた依頼ということで楽しみな部分もあった。


 「とはいえ、そのフレンスだっけか?その娘は結局どうするつもりなんだろうな。そんな調子だと学園入ってから苦労するだろう」

 「あそこは予習前提みたいなところあるしね…。ルーヴも持ってるかどうか」


 魔法学園の試験はそれなりに難しい。あらかじめ指定された書籍を読んで、知識問題に一定以上の割合で回答し、初歩的な実習をこなすことができれば合格である。

 しかしその書籍は高額だ。ある意味入学金ともいえるかもしれない。俺は両親と兄からお金を借りて、一年ほど小さな商店で働いたお金と合わせてこの書籍を手に入れた。それにルーヴだって必要だ。庶民にはなかなか手がとどかない。

 学園に入った後は、放課後はルーヴの練習、深夜からは色々な商店で働いて授業代とこれらのお金の返済に奔走していたので、貧乏学園生筆頭だった。

 書籍を購入して試験に合格すれば安心…とはいえないのが魔法学園である。初年度冒頭から始まる講義には実技も入っている。しかもルーヴの基本的な使い方はできていることが前提の内容だ。ルーヴを持っていることはもちろん、魔素操作の練習は終えていないとお話にならない。


 試験へ向けて技師向けの工房街へ来た時に出会ったのが、スタンレイとエドガー工房だったのだ。結局ルーヴの使い方もスタンレイと親父さんに改めて指導してもらい、一応試験の実習で困ることは無かった。ただそれでも周囲と比べ技術は劣っていて、放課後に木版を集めることになったのだ。

 試作後の木版を集めるのは異端に見えただろう。けれど変態というのは言いがかりだったということは声を大にして主張しておきたい!


 そう考えるとフレンス嬢は正直課題山積みといった所だ。

 そもそも試験を受けていないので、必要書籍は読んでいないだろう。少しでも触れていれば、あれほど知識がない…ということはないはずだ。

 魔素操作についてはどうだろうか。ルーヴの話は特に出なかった。しかし回路と細工の違いがわからない、という事態はルーヴの実習を一度でもやれば解消されるはずである。参考書籍がそこを解説せずに、実習をさせるような構成にはなっていないからだ。


 「まあ学園の事情を知らなきゃ、試験無しで入れるのは羨ましいってやつもいそうだが…」

 「そうも言ってられないからね…」


 王都の中央地域に出入りできるだけでも、庶民としては嬉しかったものだ。しかし、フレンス嬢の状況を考えれば気の毒でもある。家庭の都合でノースモアへ来ることになり、よくわからないうちに魔法学園に通うことが決まっている。当然頼る宛も無ければ、情報も足りない。本当の所はかなり動転していたのかもしれない。その行動はとても褒められたものではなかったが、彼女は彼女なりに必死だったことは確かだろう。

 そのことが俺の釈然としない気持ちの一因でもある。もう少しなんとかできなかったのだろうか、そんな想いを捨てきれずにいた。


 「しかしまさかリアンが、元貴族からの依頼がなくなったことをぼやくとはな。意外なこともあるもんだ」

 「え、そう?」


 スタンレイは自身の仕事机に頬杖をつきながら言う。


 「前のお前なら、エクセシオス式を作らされるって分かったら強烈に拒否反応を示しそうなもんだったからな。どうした?宗旨でも変えたか?」

 「強烈な拒否反応って、俺を何だと思ってるんだよ」


 試すような笑みを浮かべる彼に言われ、そんな風に見えていたのかと俺は苦笑する。

 しかし考えてみれば否定できないことでもあった。

 

 彼女から求められたものをそのまま制作していれば、それは間違いなくエクセシオス式になっただろう。スタンレイの言う通り、以前ならそのことに対してもう少しひっかかりを覚えたかもしれない。フレンス嬢の要求が賑やかだったし、そういうことを考える暇がなかったからだろうか。


 「ローエンだったら彼女を叱ったかな」

 「いやいや…さすがに客を叱ったりはしなかったんじゃないか」


 俺の発言につっこみを入れるスタンレイと一緒になって笑ってしまった。


 「にしてもプラティウムか…」

 「さすがに元個領貴族だよね、どうやって納税から逃れたのかはわからないけど」

 「その辺も色々交渉したんじゃないか?財産全部没収ってのも反感買って問題起こしそうだしな」


 改めて彼女に見せてもらったプラティウムを思いだす。質はそこそこと言っていたが、普段から縁がなさすぎて品質については正直見ただけでは判断がつかなかった。


 「プラティウムの品質って、純度のことだよね?」

 「そうそう、高純度のやつほど高いな。というか混じりなしのプラティウムのインゴットが手に入るのって王族くらいじゃないか?」

 「半分くらいはアモーリテだって聞いたけど…」

 「半分もプラティウムが入ってれば十分だ。話に聞くと1割くらいしか入って無くても、プラティウムって

言ってるらしい」


 プラティウムと呼ばれているものでも、基本的にはアモーリテとの合金だ。スタンレイの話を聞く限りプラティウムとアモーリテの割合はかなり幅があるらしい。というより9割アモーリテが混ざっていてもプラティウムって言っちゃうんだ…。

 とはいえ、フレンス嬢の持っていたものは見た目にも明らかな違いがあったし、結構な含有量があるものだったのだろう。

 ちなみに俺たちが普段使うルーヴも単一アモーリテというのは少ない。品質の違うアモーリテの混ぜ合わせが一般的だ。全体としてアモーリテなのは違いないが、魔素の馴染みやすさや予算によって様々な場合がある。

 それでも王都の一般的な魔法道具は単一アモーリテだ。これは自動成形機の仕組み上そのほうが都合がいいからだ。半自動ならやれないこともないが、結局手間がかかる。それに実際混ぜ合わせなくていいので加工の手間がかからないことが主な理由である。

 

 「純プラティウムっていうのは逆に魔素の通りが悪いって聞いたな。その辺りは複合製のアモーリテルーヴのほうが使いやすいのと一緒みたいだ。アモーリテは精密な操作がいる道具以外は単一で十分だけど、プラティウムはそうはいかないらしい。結局純プラティウム製はそういう意味でも普及しにくいんだろう」

 「なるほど…」


 逆に言えば純プラティウム製の魔法道具が使えるというのは、魔素操作に長けていることの証明でもあったようだ。まあ貴族らしいというか…。

 使いやすくするために混ぜる必要があるということは、プラティウム製が一手間かかることを証明している。このことも価格が上がる原因なんだろう。

 

 「あ!そういや、システィと同じ職場になったんだって?」

 「ああ。まさかシスティがアローグ辞めるとは思わなかった」


 リゼさんと改良したルーシャを作った後、システィはあっと言う間にアローグ工房を辞めてハンブル商工会所属になってしまった。その事を知ったときは流石に面食らってしまったが、決断から行動が早い彼女らしいな、とも思う。


 「システィの顔色もよくなったし正解だとは思うけどな」

 「え、具合悪かったの?」

 「誰かさんのせいでな」


 意味深な笑みを浮かべるスタンレイ。アローグ工房で貴族の誰かにでも言い寄られたのだろうか。確かにしょっちゅうそんな噂は聞いたが…。


 「誰かさんのせいでな!」


 何故か語気を強めてもう一度言われた。顔が近い!


 「もしかして…お、俺のせい?」

 「まったく…久しぶりに会った時に何か言われなかったか?」

 「いや、特に…。物凄い怖かったけど」


 レストロのあの日の空気感は壮絶であったことを思い出す。いや、フレンス嬢の時も凄かったけどね。


 「それシスティに言うなよ。多分泣くぞ」

 「えっ!?」


 工房を出る時にシスティの泣き顔を見た時は、本当に心にくるものがあったので一生黙っておくことにしよう…。


 その後、システィの話から学園生時代の思い出話、最近の仕事の話など久しぶりに穏やかな時間を過ごした。


 「じゃ、また来るよ」

 「おう、次はシスティと一緒に顔だせよ。久しぶりに3人で飯でもいこうぜ」


 スタンレイに別れを告げて、エドガー工房の扉を開ける。

 


 「あ…」



 明日は実家でのんびりしようか…そんなことを考えながら外に出ると、そこには意外な二人が立っていた。

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