第40話 貴族が並べる現実

 ヴィクト王国は良くも悪くも貴族中心の国家といえる。内政や外交に関しては貴族達がほぼ独占的に取り仕切っているし、商工会を通じて商業関係についても大きな影響力を持っている。そんな彼らには富が集まるし、それ故に貴族社会というものが消費を促進する土台になっている。消費は需要として市場を刺激し、供給のために仕事が生まれる。そういった経済活動を通して、金銭は庶民に分配されていく。権力的にも、経済的にもこの国を動かす原動力となっていること、むしろそうあることが貴族達の存在意義であると言われている。

 そんな貴族達だが、ヴィクト王国では大きく二つの種類に分けられる。一つは中央貴族、もう一つは個領貴族だ。

 中央貴族というのは中央、つまり王都であるノースモアに居を構え、政治、外交、商工会などを担当している貴族達だ。彼らは専門性が高く、それぞれに得意分野を抱えている。ファリエ会長がもしヴィクト王国の貴族なら、商業分野に特化した貴族家として認識されていたのではないだろうか。

 一方個領貴族というのは文字通り個人で、正確には各家名において領地を所有する貴族である。彼らはノースモア外に自身で管理する領地を持ち、その地域を治めることを主な役割としている。領地経営を行うということは、規模は小さいながらも王都を切り盛りすることと構造的には変わりがない。となると個領貴族に求められることは多岐にわたり、結果として彼らは中央貴族とは逆に、専門性には欠けるが幅広い知識と経験を持つ。

 この辺りのことは庶民でも学園に入れば学ぶことになる。貴族を相手に商売をするのだから、彼らの背景についてはある程度知っておく必要があるからだ。

 

 そして目の前で顔を青くしている少女は、アウトワルド家という個領貴族だった家の出身らしい。

 そう、アウトワルド家は個領貴族「だった」のだ。


 「数年に渡り納税基準を満たせず領地を没収。貴族位を返還したばかりの元貴族令嬢。プラティウムは懲罰納税から隠した、もしくは免れたってところでしょう」


 システィは淡々と彼女の足取りを語る。元貴族令嬢は、イームス令嬢に座らされて以降ほとんど身じろぎもせず沈黙を守っている。

 

 「…それで?貴方どうするの?」


 元貴族の令嬢が、現貴族の令嬢に暴言を吐いた事実。システィがどうするの、と言っているのはそのことだろう。俯いたままだった彼女はそのまま頭を下げる。


 「た、立場をわきまえない発言をしてしまい…すいませんでした…」


 今にも消え入りそうな声で謝罪をするフレンス嬢。しかしイームス令嬢による躾は続く。


 「死にたいの?」

 「しっ…!?」


 冷ややかな表情のままシスティが恐ろしいことを言い始める。いつもより目を細めた彼女の言葉だけで死人がでそうだ。むしろ側にいる気弱な庶民がもう耐えられないことに、早く気づいていただきたい。

 それでもシスティの言葉は脅しではない。明かしてはいないがイームス家は他国の貴族。元貴族、つまり平民による一方的な暴言は外交問題に発展しかねない。罪はより重くなり、一家の社会的な死は免れない可能性は高い。フレンス嬢は他国の貴族だとは考えてもいないだろうが、この脅しは十分に利いているようだ。


 「た、大変申し訳ございませんでした…」


 とうとう床に手をついて土下座をし始めてしまう。体は彼女が感じているであろう恐怖のせいで震えている。

 俺はさすがにやりすぎだろう、と思いシスティを見る。だが彼女には何か考えがあるらしい。口だけを動かして、大丈夫、と苦笑を浮かべる。彼女の表情が緩んだことにほっとするが、頭を床につけているフレンス嬢からは見えないだろう。

 システィはしばらく土下座をしている彼女を見つめた後、もう一度厳しい表情に戻り声をかける。


 「…いいわ。とりあえず座りなさい。いつまでも頭を下げさせる趣味はないから」


 どこかで聞いたような台詞で、システィはフレンス嬢を許した。土下座の体勢からゆっくりと顔を上げた彼女は涙ぐんだまま椅子へ座る。無理もない。まだ学園に入る前の少女が、犯罪者として引き渡されるかどうかの瀬戸際だったのだ。自身の行動がその事態を招いたとあれば尚更だろう。


 「違法な商工会って言ったわね。何を根拠に言ったのかしら」


 システィの声にびくっと反応する半泣き状態の少女。とても気の毒になってきたが、今はひとまずシスティに任せることにした。


 「…こ、この商工会は騎士団に監視されているみたいだったので…、何か違法なことに手を染めているに違いないと…」


 ああ…と俺は思わず声を漏らしてしまう。ノースモア側のハンブル商工会は確かに監視されてはいる。というより目立たないように護衛されているのが実情だ。事実兄もその任に関しては関係者である。その目的は密かに設置されている転移扉なのだが、まあ外部から見れば彼女のような考え方につながってもおかしくない。


 「どこからそんなことを知ったのかは聞かないけれど、貴方が考えているような理由じゃないわ」


 はあ、と深く溜息をついた後、システィは更に続ける。


 「後々そのことを持ち出して、依頼料を支払わないか、減額しようとかって思っていたのでしょうけど。他の商工会へは?」


 どうやら図星だったらしい。びくっと反応した元令嬢は顔を青くしていた。まだ少女といった見た目なのに考えていることは随分と腹黒かったようである。


 「ア…アウトワルド家のことは大抵の所には知れ渡っていて…。どこの商工会でもほとんど相手にしてもらえませんでした。依頼料が支払われるかどうか安心できないって…」


 納税基準を数年も満たせていなければ、貴族社会での評価は下がらざるを得ないだろう。特に金銭管理の問題とされれば各商工会からの判断も妥当性はある。実際懲罰納税を受けていることから察するに、金銭面に不安がある依頼者とみなされるのもおかしくはない。とはいえ、最近ノースモア側を疎かにしていたハンブル商工会はそのことを知らなかった。彼女にとっては都合がよかったのかもしれない。


 「実際に近いことを考えていたのだから、彼らはある意味で正解だったことになるわね」

 「そ、それは…」


 システィが冷たい声色で指摘する。フレンス嬢は痛いところをつかれ、体を固くしている。とはいえシスティの言う通りなので、何も言い返すことはできないだろう。


 「リーティフが必要みたいだけれど、今度は嘘でもついて学園に入るつもりだったのかしら」

 「い、いえ!入学の許可はもう貰っています…」

 

 がたっと少し腰を浮かせたフレンス嬢。彼女はそのまま話を続けた。


 「私はある意味人質というか…」

 「人質…?」


 あまり穏やかではない単語に、俺は思わず言葉を零してしまう。フレンス嬢はこちらをチラリと見た後、事情を説明しはじめた。


 「し、システィ様が仰ったとおり、アウトワルド家は領地を取り上げられることになりました。そして貴族位を取り上げられた後、本来なら収めるべきだった税収分を償うために、王都で仕事を得て返済をするのです」


 どうやらアウトワルド家は懲罰納税だけでなく、長期に渡る返済義務も負ったようだ。


 「私自身も働くことができますが、一家が逃げ出さないための保険として学園へ入学させられることになりました。同時に学園卒業後のほうが収入の高い仕事へつけます。…長期的に見れば、返済総額を増やすことができるという判断だったようです」


 俺とシスティは顔を見合わせてうなずく。彼女が魔法学を学んだ様子がなかったのは、こういう事情があったからのようだ。

 普通平民が魔法学園に入るためには様々な障害がある。中でも金銭面の事情から、試験に必要な知識を十分に仕入れることが難しいことは大きな問題だ。

 彼女は試験が無かったということで、こういった障害はあらかじめ取り払われていたと言える。俺やスタンレイからすると非常に恵まれていると思わずにはいられない。元、とはいえこんなにも待遇が良くなるものなのだろうか。


 「そこまではわかったけれど、どうしてリーティフを注文なんてしようとしたのかしら」


 システィの疑問はもっともである。話を聞く限りとても余裕があるような状況ではない。ハンブル商工会に来る前に他の商工会にも行っていることからすると、基本的には正規の依頼料を払うつもりがあったようにも思える。そうなるとますます苦しいはずだ。


 「…悔しかったんです…」


 彼女は再び俯き、心情を吐露しはじめた。


 「私から見ても、両親のやり方は甘かったと思います。去年できなかったことを、去年と同じやり方で達成しようとしていたのですから…。それでも私は口を出させてもらえませんでした。傾いていく領地経営を見ていることしかできなかったのです」


 どうやら彼女の両親は納税基準を達成できなかったのにも関わらず、特に手法を変えないまま数年を過ごしていたようだ。問題があったのにも関わらず、手を打たなければ状況が改善する見込みはほとんど無いだろう。前年の気候が著しく悪かった、などの要因があれば別ではある。ただ、その場合なら翌年以降も同じことが起きない限り、翌年は経営状態は回復するはずだ。彼女がそういったことを話さないし、アウトワルド家の結末から察するに原因は気候ではなかったのだろう。


 「両親は愚かだったとは思いますが、私の評価まで同じにされては嫌です。それに領地経営をしたこともない王都の人間に馬鹿にされるのはもっと嫌です」


 魔法学園の学生は基本的には中央貴族の子女が多い。貴族位を継ぐことができるのは長男や長女なので、それ以外の子供達が生業を求めてやってくる。必然、彼女は中央貴族の子女だらけの中に放り込まれることになる。アウトワルド家の話は彼らの耳にも当然入っているだろう。居心地が悪い状況におかれるのは想像に難くない。

 ちなみに個領貴族の子女は自身の領地経営に携わることになるので、あまり王都にまでやってくることはない。貴族位を継ぐことができなくても、彼らには仕事があるのだ。


 「…だから落ちぶれていないことを証明したい。そのためには他の貴族たちに負けないリーティフが欲しいんです」


 初対面での印象は大切である。特に見栄が重要になる貴族社会においては。とりわけ彼女はそういったことを気にしているようだし、今後の展望が明るくないことを放って置きたくなかったのかもしれない。

 システィはそこまでの話を聞いて沈黙した。彼女の沈黙に焦ったのか、それとも好機と思ったのかフレンス嬢は少し勢いを取り戻して言う。


 「失礼なことをしてしまったことは反省しています。けれど私の事情を理解してほしいんです。どうかイームス家のお力を…!」


 立場を含めて、自身の都合を吐き出したからだろう。高飛車な態度はなりを潜め、彼女はすがるような目をして懇願する。


 どう見ても庶民が着るとは思えない服。貴族でもそうそう持ち出さないプラティウム。それらはフレンス嬢にとっては一種の鎧だったのだ。理不尽を感じる周囲の環境に対して、自分という存在を守るための。個領貴族としての挟持を保ち、思い通りにならない現実に対抗する。そのために必要不可欠な道具たち。そしてそこに新たなリーティフを加えようとしていたのだろう。


 ただ…俺は話を聞いている間、ずっと考えていた。

 

 彼女が感じているであろう悔しさ。それは本当にプラティウムでできた、格式の高いリーティフが吹き飛ばしてくれるものなのだろうかと。


 彼女の行き場のない憤りのようなもの。それは俺がかつて工房で抱えていたものに似ているような気がした。自身が求めた風景と、眼前に横たわる現実。その格差に嫌という程自身の無力さを自覚するのだ。

 フレンス嬢はこんなはずじゃなかった、その想いがとても強いのではなかろうか。領地が傾いていくのを見ていることしかできなかった、と言う話にもそんな感情が色濃く出ている気がする。

 こんなはずじゃない、そう感じた現実を一つの装飾品が変えられるのだろうか。もっと言えば、華美な服装や道具たちが彼女の悔しさを本当の意味で払拭できるのだろうか。


 

 「…呆れたわ」



 そんな風に俺が考え込んでしまっていると、システィが沈黙を破った。フレンス嬢の表情がこわばる。


 「なぜ暴言を吐き、他人を罵る人間の事情を理解しなくてはいけないのかしら。まずはそこがわからない」


 フレンス嬢は気まずそうに顔を伏せる。少なからずイームス令嬢の気分を害するようなことをしたのは彼女自身だ。言い訳のしようもないだろう。


 「それから貴方はもう貴族じゃない。他の貴族子女たちに負けたくない?平民と貴族が何を張り合うのかしら。確かに彼らはいづれ家を出る。けれど学園生のうちは当然身内として扱われているし、金銭的にはまず無理でしょう。

 それともリーティフの出来を張り合うの?貴方が言う中央貴族達の子女は、毎年リーティフを更新していくわよ。プラティウムとはいえ、毎年替えられなければ笑われるでしょうね。富の使い方を知らない平民が、初年度の見栄に財産を使い切ったんだろうって」


 システィは今後起こり得る事実を並べていく。


 「人脈に関しても彼らは毎月のように会食へ出るわ。卒業と同時に家を出て平民として横並びになっても、その繋がりは大きな差になる。特に大きな工房へ入るにも、その後にも関わる。常連客の層にも影響して、結局は収入に反映されるわ。結婚相手選びだって無関係じゃない。貴族と婚姻する人もいるわね。けれど、平民の貴方はその会食へ参加を許されることはない」


 イームス令嬢、貴族の子女として学園生活を過ごした人間から告げられる現実。フレンス嬢はただ唇を噛み締めていた。


 「貴方は何に張り合って、何に勝つつもりなの?」


 刺すような視線を向けるシスティ。それはアローグ工房で俺に向けられたそれより、更に厳しさを含んでいた。フレンス嬢は震えながらも立ち上がり返答をする。何かを失うまいとするように。


 「わ、私は!見返したいんです…、親と私は違うんだって!そのためにわざわざここへ――」

 「同じよ」


 システィは彼女の言葉を最後まで聞くことすらなかった。息を飲み、目を見開くフレンス嬢に躾をするかのように、更に続けた。


 「いえ、確かに違うわね。貴方はもっと酷い」


 立ち上がったままその言葉を受け止めたフレンス嬢。その彼女を見つめるシスティの瞳は更に冷ややかなものになっている。


 「その服、プラティウム製の腕輪、商工会への依頼料。それは貴方のご両親が貴方に与えたものでしょう?領地経営もしていない子女が、自身で用意するには額が大きいわ。それとも貴方が用意できたの?」


 確かにその通りだろう。学園にいる中央貴族の子女達も華やかな格好をすることもあるが、それらは親、家が用意するものだ。彼らは平民と同じように学園に通いながら仕事をする、ということはない。たとえしたとしても、あれだけのものを購入できるほどの稼ぎをもつことはまず無理だ。そもそもプラティウムを購入しようすれば、それなりの立場も求められる。貴族の子女では不可能だろう。

 そしてその推測はフレンス嬢の沈黙によって肯定された。


 「魔法学園の試験もろくに受けていないのでしょう?細工と模様のことすら知らないものね。例え一種の人質的な意味合いや返済のことがあったとしても、その待遇の良さ。貴方のご両親が必死に交渉したとしか私には思えないのだけれど」


 色々な思惑が織り込み済みなのは間違いない。しかし結果的に彼女が今置かれている環境は、一般の平民から比べれば随分と良い。確かに、彼女の待遇の良さはそこに必死の交渉があったと考えるのは自然だろう。どちらかと言えば、経営より政治や外交に秀でたご両親だったのかもしれない。


 「貴方は結局何をしたの?与えられたものを見せびらかして、抱えて、注文をつけることしかしてない。親からもらった玩具で遊んでるようにしかみえないわ」


 フレンス嬢は相変わらず立ったままだった。システィの視線と言葉を一身に受けて震えている。


 「領地経営に関わることを許可されないほどに、少なくとも交渉能力は高い両親に認められていない。魔法学園に所属するのがわかっているのに、基礎知識すら準備しようとしない。けれど見栄えは気にして、準備の期間である今の時期にリーティフの発注に時間と労力を割いている」

 「…っ」


 改めて現状を並べられ、フレンス嬢はいよいよ追い詰められていく。息苦しい空間。近くにいる俺まで喉が詰まってしまいそうだ。



 「知識も、常識も、客観性も無い。無能は君だね?フレンスくん」



 そして、その空間に会長はやってきた。微笑を浮かべてはいるが、いつもとはまったく雰囲気が違う。普段は感じない確かな威厳がそこにはあった。それこそがファリエ・イームス会長の格を示しているように感じる。


 「君の言動はあえて不問にしよう。無能に手間を割いても、私が損をするだけだからね」


 本物の貴族次期当主の声に続き、ハンブル商工会の一階に騎士が二人入ってくる。その様に荒々しさは感じない。誠実に任務を果たす、そんな雰囲気だった。


 「…本当に…本当に…申し訳ありませんでし…た…」


 そして。

 涙を流しながら絞り出すような声で謝罪する少女は、騎士たちに両脇を抱えられ静かに連行されていったのだった。

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