第39話 貴族による躾

 考えてみれば明確に依頼者がいる、という仕事は初めてかもしれない。

 ウーミィについては俺一人の個人的な思いつきから始めた。

 ルーシャについてはレストロという明確な対象はあった。とはいえ、そこに提供するための魔法道具の仕様は、基本的には俺とリゼさんで決めていった。

 今回の制作に関しては、フレンス嬢からの明確な要望から始まっている。少なくともアローグ工房で基礎工程主任をやっていた時とは、自身の周りの環境が随分と変わったと言えるだろう。


 「貴方私にこんな腕輪つけさせるつもり?」


 とはいえ、そのことが常に新鮮で美しい変化であるとは言えないのが実情である。俺はご令嬢の勢いに負けそうに、いや正確には負けながら痛感していた。

 朝晩に肌寒さを感じるようになったノースモア。その路地裏の商工会では金髪の少女が大きな声を上げている。


 「私が要望した模様と全然違うじゃない!貴方のその耳は飾りなのね、なら切り落としても問題ないわよね!」


 この令嬢、発想が猟奇的過ぎて怖い。この依頼は受けるべきでなかったかもしれない、と考えても後の祭りというやつだ。そもそも俺に断るという選択肢は用意されていなかったし…。

 彼女がご立腹な原因は目の前に用意された細工図面だ。そこにはシスティに協力してもらって設計した細工案が描かれているのだが、ご令嬢はこの案がお気に召さなかったようだ。まあ正直想定どおりの反応ではある。しかしこれには理由がある。


 「フレンス様、この細工について理由だけでも聞いていただけませんか」

 「私の話は聞かないくせに、貴方の話は聞けっていうの?冗談じゃないわ!」


 怒り心頭といった様子の彼女に、それでも頭を下げて話を聞いてもらえるよう頼み込む。この細工が出来上がった経緯について理解してもらえなければ今後にも多大な影響がでる。とにかく根気良く聞いてもらうしかないのだ。


 「…庶民に頭を下げさせるのが好きなわけじゃないわ。話すだけ話してみなさい」


 しばらく頭を下げていると、彼女は溜息混じりにそう言った。図面を見たばかりの時よりいく分か落ち着いた様子である。俺はひとまずの難関を超えることができたようだ。内心ほっとしながら、可能な限り丁寧な言葉で説明をする。


 「魔法道具だけでなく、ノースモアでは特にあらゆる細工に意味があります。この細工というのは飾りのために掘られた模様のことです」


 ヴィクト王国では魔法道具が発展するよりも前から、細工に関しては様々な文化が発達していた。木製品はもちろん貴金属といわれるものや、宝石に施される飾りまで。その文化の下敷きにあったのは細工自体が貴重で、高価なものであったということだ。

 歴史的な側面でみれば、ルーヴのような道具発展してきたのは最近だ。そもそもルーヴ自体が細工を掘るための道具の派生だし、その元となった道具でさえ一般庶民が手に入れられるようになったのは近年のこと。つまり細工を掘ることができる人は限られていたのだ。


 「そういう背景があったので細工は貴重で特別なものだったんです。なかなか掘ることができなかったから、その一つひとつに色々な意味を込め、価値を持たせていきました」


 この傾向は特にノースモアで強く見られる。もともとノースモアはそういった職人が集まってできた都市なのだ。だからこそ魔法道具の発展も早かったし、金銭が集まり王都として存在感を増して行ったのも自然な流れだった。

 「華美さ」が求められたのは、細工を特別視する価値観がノースモアに深く浸透していたからだ。エクセシオス式の装飾的魔法道具が貴族に受け入れられていったのも、精巧な細工に高い価値と意義を見出す文化が深く関係していたことは間違いない。


 「ノースモアの貴族はこの細工について口うるさいです。歴史を重んじることが一つの教養だと考えられているためです」

 「……」


 やんちゃな令嬢でも教養という言葉には重みがあるようだ。ヴィクト王国の貴族にとって、教養は富と同じくらい重視されるものである。そのことは彼女も理解しているのかもしれない。


 「先日フレンス様からご要望のあった模様は、ノースモアでは少し年齢層の低い方や、庶民が持つことの多いものなんです。細工の背景としても、豊作や、健康を主題に表現されたものでした」


 けれども、魔法学園で皆が身につけるリーティフはこういったものを主題にはしない。世俗的すぎて敬遠されるからだ。貴族達でもこういったものを身につける場合もあるが、社交的な場よりも家庭的な場で使われることが多い。となると、他の貴族子女からは時と場をわきまえられていない、とされてしまうのだ。


 「ですので今回の設計では…」


 想像以上に静かに話を聞いてくれているので、そのまま今回の細工の設計について話そうとした時。俺はわずかにうつむいた彼女が少し震えていることに気づいた。そしてその原因が怒りだということも。


 「…私の感覚が、低年齢で庶民じみているって言いたいのね。こんな場末の商工会にいる技師に、そんなことを言われるなんて思わなかったわ」


 叫ぶわけでもなく淡々とした声色が、彼女の怒りの強さを表している。俺よりはずっと若いし、身長も俺より結構低い。見た目だけで言えば可憐な少女だが激しい気性は隠せていない。


 改めて相手は貴族の令嬢である。家名を出してはいないので、個人でのやり取りということになってはいるが怒らせてしまった場合はその限りではないだろう。

 …これはかなりまずいかもしれない。教祖の死に様というのは大抵美化されるものだが、それは残った信者によって物語が作られるからである。信者のいない邪教の場合は語り継がれることはないだろう。悲しい。

 と、そこまで考えたところで金髪の令嬢は意外なことにそこを動くことはなかった。怒りにふるえていただろう様子は落ち着き、顔を上げている。


 「とにかく最後まで話しなさい」


 彼女の瞳は俺を射抜くような鋭さをたたえてはいたが、そこには怒りだけでなく僅かな真剣さが見えたような気がした。少し余裕のある作りになっているプラティウム製の腕輪がかちゃりと音を立てる。その音につられて令嬢の腕を見ると、その手は固く握りしめられている。何か思う所があったのだろう、激情を抑えていることが見て取れる。

 ふと、その腕に輪っか状の跡が残っているのが見えた。月銀族と大差ない白さの肌に、少し赤みがさしている部分がある。長く腕輪などの装飾品をつけていた跡のようにも見えるが、彼女の腕輪はぴったりとしたものではない。


 「何をジロジロと見ているのかしら!」


 妙に気になって見ていると、今度は苛立ちを隠さない声で叱られてしまった。ひとまず謝ってから、話を続けることにする。


 「そ、そういった理由で今回の模様は、学園生になる頃合いの貴族が好みそうなものを選んで設計しました」


 今回設計したのは、富を象徴する細工と、成功を象徴する花の柄を取り入れたものだ。魔法学園に入る学園生は少なからず出世を求めるし、その親も同じように我が子の成功を願う。だからこそこの組み合わせは基本中の基本といえるだろう。ちなみに魔素を流した際に光ることになるのは花の部分を予定している。


 「目立つ、という点に関してはプラティウムを使用する時点で充分だと考えています。むしろ奇抜な細工を採用すると…」

 「悪目立ちする、って言いたいのね」


 彼女はギロリと一度こちらを睨んでから、短く溜息をついた。


 「でも、それじゃあ駄目だわ。話を聞いた限りただの無難な腕輪ね。材質だけで目立っても大したことないじゃない。細工でも材質でも両方で他を圧倒しないのなら意味がない。見ただけで格の違いを理解させたいわ」


 元学園生としてはプラティウムをリーティフに使うだけでも、十分な効果が見込めると思うのだが彼女は納得できないようだ。


 「もっといい模様は無いの?もっと格式を高くする様式よ。要は私の好みじゃなくて、ノースモアの文化に合わせたものであればいいんでしょう」

 「もっと格式の高いもの…ですか」


 富や成功の模様の細工を施すということは、一方でそれらをまだ得ていない、もしくは現状に満足していないという意思の象徴でもある。これは転じて身につけるものの向上心を示すものと受け取られる。若者がこういった模様を持つことは、上の世代からも好ましい目で見られることが多い。

 そしてこれを超える格式となると、当然模様の意味が変わってくる。主だったものは公平さや、法、知識といったものだ。確かに格式は非常に高くなり、より理性的な印象を与えるだろう。しかしこれらは文字通り格が違う。政治や法律に直接的に関わる者、領地を治める貴族の元首など、貴族の中でも更に高位の存在を表現することになる。そこには高い格式とともに、責任を負うという意味が内包される。プラティウムという素材にはふさわしい模様ではあるが、学園生の身分で持ち歩くべきものではないだろう。


 「結局それも悪目立ち。…まったく本当にどうでもいいことに縛られているのね、王都の貴族は。ますます吐き気がするわ」


 最後のほうは吐き捨てるように言う彼女。庶民にも開放されているとはいえ学園は貴族関係者が多くいる。こんな調子だと、彼女が入学した後のことが少し心配だ。表面上は上手くやるのが令嬢なのかもしれないが。


 「模様はもういい。貴方の言うことが本当ならどこも似たようなことを言うでしょうし。無能な貴族に慣らされると工房も無能になるのね、勉強になったわ」


 彼女は今にも舌打ちしそうな様子で言う。実際模様については彼女の言う通りではある。そういった細工のしきたりに沿いつつ好みや個性を出していくのだが…彼女はそういった発想にはならないようだ。貴族令嬢でありながら、王都の貴族批判というのもなかなか大胆だとは思う…。



 「…無能なのは、貴方の方でしょう」



 そこへ突き放すようなシスティの声が響く。彼女はスタンレイの所へルーヴを取りに行っていた。その中には俺の分も含まれている。親父さんに直してもらって以降使い続けていたので、問題が起きていないか確認してもらうためだ。とはいえ、今日はフレンス嬢と打ち合わせをする約束はしていた。なので留守番兼打ち合わせの担当として俺だけが商工会に残っていたのだ。

 戻ったら打ち合わせに混ざってもらう話だったが、どうやら和やかな合流とはいかないらしい…。


 「違法な商工会には、躾のなっていない犬がいるようね」


 座っている俺の脇にたったシスティを睨みながら立ち上がるフレンス嬢。金髪と銀髪で対照的な二人だが、その身長も対照的である。金髪の妹が銀髪の姉を上目遣いに睨む。まるで姉妹喧嘩のように見えるが、流れている空気はそれとは似ても似つかない。


 「考えなしですぐに沸騰するのはやめたほうがいいわ、アウトワルド令嬢」


 フレンス嬢が語っていなかったはずの家名。どうやらシスティはどこからか知ったようだった。まあ十中八九、奔放だが抜け目のない彼女の兄からだろう。そしてそれが正しい家名であることを、見開かれたフレンス嬢の瞳が語っている。


 「…名乗りなさい」


 ここへ来てから一番険しい表情でフレンス嬢は問いかける。


 「システィ・イームスよ」


 システィが彼女を射抜くような目をしたまま名乗る。その言葉を聞いて、フレンス嬢の瞳は更に大きく開かれた。


 「躾がなっていない犬。…今の貴方が私に言っていい言葉じゃないと思うけれど」


 ぞっとするほど冷たい声でシスティは続ける。あんなことを言われればシスティでなくても怒るだろう。システィも大概な言葉を投げつけていたとは思うが。それにしても「今の貴方が」というのはどういうことなのだろうか。


 「貴族を正当な理由なく侮辱すること。ヴィクト王国では犯罪ね。両親の寿命を縮めるのが趣味なのは結構だけれど、潰す家もないのによくやるわね」


 システィが自身が貴族令嬢であることを口にするのは珍しい。そもそも学園生時代は名字すら明かさずにいたのだ。


 「…っ」


 フレンス嬢はいつの間にかシスティを睨むことをやめていた。今は立ったままやや俯き、肩を震わせている。その顔色は青い。


プラティウムの腕輪を持ち、着飾った少女。後期入学で魔法学園に入る予定で、リーティフを注文しにやってきた令嬢。

 俺はそういった状況から判断していたが、それは違ったのだ。

 わざわざこの商工会を選んだことも、家名を語らなかったことも。彼女にとってはそうすることしか選択肢がなかったのだ。

 

 

 「座りなさい、平民」



 システィはさらに冷たい声で、瞳で、あえてその言葉を使った。

 フレンス嬢の挟持を踏みつけるために。


 それは皮肉にも貴族による躾だった。

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