第35話 職人の感情論

 「あ、リアンさん。お疲れ様です」


 あくる日、俺はリゼさんの工房を訪れていた。

 最近は魔法道具の修理業も一巡した感があり、始めた当初ほどの依頼数はなくなった。そのことも影響し、日中からウーミィやエクペル、ルーシャ関連の仕事をすることもできるようになったのだ。そんな事情もあり、今日は新規のルーシャテーブルへの彫り込みと、昨日受取ったルーシャカップのうちの一部を持ち込んでいる。回路の彫り込みが終わったものから、仕上げ作業をしてもらうためだ。

 

 ところが意外な客も工房に来ていたようだ。


 「お疲れ様」


 昨日サンライニに戻ってきたというシスティである。

 とはいえ、リゼさんとは旧知の中らしいしおかしなことではないだろう。


 「昨日はカップありがとうございました。とりあえず何点か回路が終わったので、仕上げをお願いします」

 「わざわざ持ってきていただいてありがとうございます」


 リゼさんは昨日のことなどなかったように、いつもどおりの穏やかな表情でカップを受け取る。


 「テーブルは一脚仕上がっています。今日このまま回路の彫り込みをしていかれますか?」

 「そうですね。今日は修理依頼が入っていないので、作業させていただければ」


 彼女はわかりました、とうなずくとまだ回路の入っていないテーブルまで案内してくれた。周囲には削ったばかりの木材特有の香りがする。おそらくこのテーブルも仕上がったばかりなのだろう。


 「何かおかしなことがあれば言ってくださいね。修正しますから」


 リゼさんはそう言うが、真新しいテーブルは仕上がりも美しく文句のつけようがない。作業が遅い…とは彼女の弁ではあるが、これだけの仕上がりを求めれば仕方の無い話ではないかと思わずにはいられない。

 それではよろしくお願いします、と少し離れた場所でカップの仕上げを始めたリゼさん。その横へシスティが立つ。


 「せっかくだから見学していくことにするわ」

 「えっ……!」


 思わず声をあげた彼女だったが、すぐに仕方ないという顔になって作業に取り掛かる。システィがあんな風に人の作業を覗き込むのは学園生時代にもよく見た光景だ。リゼさんの反応から察するに、彼女にも同じようなことをやっていたらしい。

 俺は少し懐かしい気持ちになったが、ひとまずテーブルの回路の彫り込みを始めることにした。

 それからしばらくは特に言葉を交わすことはなく、それぞれの作業音が響くだけだった。



 「カップはもう作らないそうね」


 それは唐突なシスティの一言だった。大きな感情がこもっているわけではなく、どこか事務的に確認するような、それでいてよく通る声は、いつもよりはっきりと聞こえた。

 俺は思わず作業を進めていた手を止めた。そしてそれはリゼさんも同じだったようだ。作業音の消えた工房内に、今度はリゼさんの声が響く。


 「ええ…。ファリエ会長とお話して、そういうことになったの。リアンさんの回路が幅広く使われることになるし、レストロさんのためにもなるから…」


 なんでもないことのようにリゼさんは答える。そっと様子を伺うとシスティはそんな彼女に続けた。


 「それでいいの?」


 その言葉を聞いたリゼさんの肩が少し震える。

 強い口調ではない。先程と変わらずもう一度確認をするためだけに投げかけられたような声。それでもシスティの言葉ははっきりと届くのだ。かつて俺に刺さったあの時と同じ。システィの問いかけは寄り道をしないのだ。物事の核心にまっすぐに進んでくる。


 「……」


 だからこそ、リゼさんは沈黙してしまったのだろう。そしてその沈黙を破ったのもまた、システィだった。



 「自分がどうしたいのか、押し込めてしまってはいけないんだと思う」



 沈黙してしまった彼女へ、システィはゆっくり噛みしめるように話す。まるで彼女自身に言い聞かせるような声色だった。


 「どうしたいのかって……」


 そんなシスティの言葉を聞いても、リゼさんは仕上げ途中のルーシャから目を離すことはしなかった。けれど手は動いてはいない。


 「そう。あなた自身が本当はどうしたいのか。ルーシャをもう作ることができなくていいのか、それともまだルーシャに関わっていきたいのか」

 「私は……ただカップの基を作っただけだから……」


 彼女はその先を口にすることはなかった。諦念で満たされた表情で、視線は手に持った仕上げ前のルーシャのままだ。

 そんな彼女の様子を見て、システィははっきりと言う。


 「あなたが最初に作ったことは事実よ。回路だけでは魔法道具はできないのだから」


 どこか自身に向けられていたようなシスティの言葉は、今度ははっきりとリゼさんに向けられている。


 「そこに何の思い入れも無いなんて無理がある。私は技師で、あなたは職人。自分が関わったものが受け入れられて嬉しくないわけがない。そして、それに関わることができなくなることが悲しくないわけがない」

 「そ、それは……」


 端的で、無駄がない彼女の一言に口ごもるリゼさん。



 「素直になって。あなたはどうしたいの?」



 ぱっと顔を上げたリゼさんの返答を、システィは静かに待っている。



 「……私は、惨めな気持ちになりたくない……」



 そんなシスティに、リゼさんはゆっくりと話を始めた。その表情にはいつもの穏やかさはなく、悲しみが色濃く浮かんでいた。


 「私だって、ルーシャが別の人によって作られてそれが広まっていくことを見ているだけなのは苦しい。それでも、私にはそのことに何か言えるような技術はないの……」


 陰のある表情はそのままに、彼女は続ける。


 「父のように回路がわかるわけでもない。ただただ丁寧にやることしかできない。作業だって他の職人さんに比べたら遅いほう。

 会長さんのお話を聞いた時思ったの。リアンさんの回路を使うのにお金が必要になったとしても、質のいいカップを私より早く、私より丁寧に作る人はすぐに現れるだろうって」


 心のうちを少しずつ話していくリゼさんを、システィは黙ったまま見つめている。


 リゼさんは父親が急死したことで工房を継ぐことになったそうだ。木工職人として父には追いつけていないことは本人が一番わかっていたのだろう。父のように、と言ったときの彼女はそのことをもう一度噛み締めているようだった。


 「それが分かっているから……とても怖いの。自分の職人としての水準が分かってしまうことが」


 明日明後日のことではないにせよ、リゼさんが言うような状況は遠からずやってくるだろう。少なくともファリエ会長はそのつもりだ。

 魔法道具に限らず一般化して受け入れられた商品は、模倣や改良されたものが多く生み出されることになるのは世の常だ。

 だからこそ技師や職人はいつでも比較され、評価され、認められ、忘れられていく。


 そんなことは当然で、分かっていてやっている。だからそこに不平不満を言うのはおかしい。人様の金をもらうのだから甘えたことを言っている場合ではない。その技術で勝負をするべきなのだ。


 ……まったく正しい。徹頭徹尾間違いなどない。これ以上完璧な答えはないだろう。

 けれどその完璧な答えが。隙間風とは無縁の立ち姿が。得意満面で彼女に迫るのだ。


 「ルーシャを作らせてもらっても、たとえ作ることができなくなっても。この気持ちからは一生逃れられない。……それが今一番怖くて、辛い」


 リゼさんは絞り出すような声で話した。


 「……そう……」


 静かで、けれど確かな彼女の言葉を聞いて、システィは言葉に詰まったようだった。その表情にはやや後悔の色が見える。

 悲しみを心の奥へそっとしまい込もうとするリゼさんは、まるで大きな川の向こう側からこちらを見ているような様子だ。同じ部屋の中なのに、そこには絶望的な距離があるように思えた。


 恐怖を感じることや、後ろ向きになること。悔しさに負けそうになること、逃げ出したいと思ってしまうこと。どれも排除されるべきことで、道具を使う人にはなんの関係もない。正しさの前には等しく間違いで、無価値である。


 けれども、異端の教祖はそれを良しとしていいのだろうか。

 ローエンを信奉する教祖だからこそ。作り手が折に触れて感じるこの気持ちを、なかったことにしてはいけないのではないか。

 世間は認めなくても、同じ技師にすら否定されても。そこに悲しさや、辛さや、息苦しさがあるのは事実なのだ。

 そしてその事実があるからこそ、手助けしてくれる人がいることが嬉しいのだ。心から感謝できるのだ。もう少し続けてみよう、そう思えるのだ。

 

 ノースモアとサンライニの晴天の下で、リアン教は暖かさと感謝を忘れないことにしたはずだ。

 だからこそ、この人をこのままにすることは教義に反するのだ。 

 周囲の人から受取ったたくさんの何かは、一生かかっても消費できないほどに膨れ上がっている。影が目立つ今の彼女に、なんとか押し付けることができるのではなかろうか。


 黙したままではいけない。何かを伝えなくてはいけない。そんな気持ちに乗せられるまま、俺は彼女にもう一度お願いをする。


 「リゼさん……また一緒にルーシャを作りませんか」


 唐突な申し出に、リゼさんはうつむきがちだった顔を上げる。とはいえその表情は冴えないままだ。そこには諦念と疑念がくっきりと浮かんでいた。


 「お気遣いありがとうございます……」


 彼女はその言葉を気休めや慰めとして受け取ったのだろう。リゼさんは無理やりに笑顔を浮かべそう言った。そんなリゼさんの様子を見つつ、システィは厳しい表情でこちらを見る。月銀族の冷たい視線は、怒った時のルーさんに匹敵する威力だ。俺はその視線に亡き者にされてしまう前に、慌てて訂正する。


 「そうじゃなくて!……今から新しく、改めて新作のルーシャを一緒に作るんです」


 そう、ルーシャをもう一度作る。改めてもう一度やるのだ。ぎこちない笑顔を浮かべていたリゼさんは、怪訝そうな表情になる。


 「今から新しく……ですか?」


 俺は頷いた。改めて、新作ということが大切なのだ。


 「俺はハンブル商工会に入る前、とある工房をクビになっているんです。その時同期の技師に言われたのは、言われたことしかできないやつはいらない、ということでした」


 その言葉を聞いて、リゼさんは何かを話そうとはしたが口を継ぐむ。まあ反応に困る話ではある。

 ひけらかすような過去ではないが、話をしておくべきだと思ったのだ。当時を知るシスティは俺に向けていた視線を収め、少し俯き加減になったように見える。


 「でも、俺最近になって思ったんです。確かに俺は技術的にも特筆する所はなかったし、活躍もできていませんでした。けれど彼が指摘したのはそのことではなかったんじゃないかって」

 「……そのことではない……?」


 リゼさんはやや困惑した表情で、疑問を口にする。


 サンライニに来てから、俺を取り巻く環境は変わった。周囲には支えてくれる人たちがいて、仕事があって、居場所がある。かつてアローグ工房にいた頃は感じたことの無いものだ。これは出会いの運による所が大きいのだろう。あの日ハンブル商工会に顔を出したのも、路地裏の宿の亭主が押しえてくれたからなのだ。


 そして俺はその幸運な出会いと環境の下、一つ分かったことがある。


 「行動し、変化しようとすることを一年以上も放棄していたこと。そのことを指摘されていたんだって思うようになったんです」


 フラドの言葉はもちろん文字通りの意味もあったのだろう。確かに俺は言われた通りの基型をつくるくらいしかしていなかった。変化するより、毎日をこなすことを優先していたのだ。


 「現状に満足できないからといって、不貞腐れているだけ。そりゃあクビにもなりますよね」


 改めて振り返ってみても自分勝手だと思う。新しい技師のために席をあけさせる、その判断は間違っていなかっただろう。

 自分で言ってみて、苦笑してしまう。そんな俺の話を、システィとリゼさんは黙って聞いている。


 「きっと職人や技師は、その仕事を続ける限りどうしたって周りと比べられてしまう。受け入れられることもあれば、受け入れられないこともある」


 華美で装飾にあふれたエクセシオスの魔法道具が栄華を極め、その陰でローエン式の魔法道具が追いやられていったように。

 きっとローエンは悔しかっただろう。装飾品として進化していく魔法道具を憂いていたはずだ。けれど、それでも。



 「だから……じたばたするしか無いんだと思います」



 これが俺がサンライニで見つけたことだ。陳腐で当たり前だけれど、実践を通してようやく思い知ったのだ。

 勝手な考えだが、ローエンもそうだったのではないか。彼の思想は受け入れられなかったが、現在でも学園で触れる程度には伝わっている。それはきっと最後まで抗い、行動で示し続けたからだと言えないだろうか。

 じたばたすることすら辞めてしまうと、そこからは更に辛い。ハンブル商工会の試験で、不合格覚悟で腕輪を作ろうと決めた時。俺はようやく吹っ切れたのだ。もしそれがなければ虚しさと、情けなさを抱えたまま、今よりもっとつまらない人間になっていただろう。そしてそのことへの自覚だけは残り、自身への嫌悪感とずっと暮らしていくことになったはずだ。


 「どうせ辞めてしまうのなら、最後にじたばたしたほうがいい。そうでないと、リゼさんがリゼさん自身にがっかりしたままになります。それは多分すごく辛いことだと思うんです」

 「……」


 リゼさんは俺の言葉を聞くと顔を上げ、また少しうつむいた。彼女の表情を見て、ぼんやりと緩慢で停滞した空気を抱えたまま、アローグ工房を出ていった時を思い出す。

 そんな俺の空気を始めに動かしてくれたのはシスティだ。普段見せない表情と態度をもって、真剣に俺に言葉をぶつけてくれた。路地裏の宿の亭主やスタンレイも、それぞれの言葉で背中を押してくれた。

 リゼさんにとってのそのような存在に、俺がなれるはずもない。けれど、だからといって何も言わないのは違う。それではアローグ工房にいた時の俺と同じなのだ。


 「……それはリアンの希望でしょう」


 すると、しばらく黙って話を聞いていたシスティが口を開く。


 「あなたとリゼでは置かれている状況が違う」


 彼女の発言に、俺は自分が感情的になりすぎていたことに気づく。自身に起きたことを引き合いに、勝手な意見を述べているだけなのは事実だった。勢いにまかせて話をしていたことを反省する。

 けれどシスティは気まずそうな俺を見て、少し柔らかい表情になった。そこから少し意地悪そうな笑みになった後、彼女は曇りのない声で言った。



 「でも、私もリアンの希望には賛成だわ」



 俺はようやく理解した。システィと再会した昨日から感じていた違和感の正体に。


 彼女は変わったのだ。


 言葉にしてみればなんということはない。そもそも考えてみれば当たり前なのだ。学園を卒業してアローグ工房に入った後は、言葉を交わす機会はどんどんと減っていった。俺が勝手に学園生時代のシスティのままでいると勘違いしていただけだ。

 基本的には理性的で、感情論には傾かない彼女。それに纏っている雰囲気も俺の知っているシスティとは随分と違う。それこそが彼女が変わったことの証左だと俺は感じた。


 リゼさんも彼女の変化を悟ったのかもしれない。うつむきがちだった顔を上げ、驚いたようにシスティを見ている。


 「私はルーシャのことも、それが作られた時のこともわからないわ。……けれど、行動しなかったという後悔を抱えながら暮らすととても辛いから。友人としても、リゼにはそういう気持ちにはなってほしくない」

 「システィ……」


 彼女も思うところがあったのだろうか。システィは実感の籠もった声で、自身にも言い聞かせるように語る。リゼさんもそんな彼女に視線を向ける。


 「……私、ずっと逃げてきた」


 うっすらと涙を浮かべながら、リゼさんは再び自身の気持ちを話はじめる。


 「父と比べて……って言葉にしていたのもそう。今回のこともそう。何かと競うことに、比べられることに向き合いたくなかった。逃げられるならずっとそうしていたい。でも、やっぱりそうはいかない」


 彼女は話ながら自分の考えを今一度噛みしめているようだった。そして少しの沈黙を挟んだ後、リゼさんははっきりと言った。


 「私はやっぱり職人に向いてないみたい。だってリアンさんやシスティのように強くはなれないもの」


 それは穏やかな彼女の一つの宣言だった。しかしそこに先程までの悲愴さはなく、むしろすっきりとした様子だ。


 「それでも、ただの惨めな女でいたくないって。二人の話を聞いて思ったの」


 憑き物が落ちたような顔で、涙を拭ったリゼさんは俺を見る。今までの穏やかで一歩引いた印象は消え、彼女の少し濡れた瞳には確かな芯が見える気がした。


 「ただの憂さ晴らしのような制作になるかもしれません。そんな惨めな女の我儘を聞いていただいてもいいですか」


 言葉ば否定的で、悲観的で、後ろ向き。けれどそう言ったリゼさんは、俺が出会ってから一番前向きな表情だった。

 さきほどまでとの雰囲気の落差がすごいとは思う。女性が開き直るというのはこういうことなのかもしれない。


 「リゼさんが納得いくまで、付き合います」

 

 俺は精一杯見栄を張ってみせた。言い出したのは俺なのだから、これぐらい言わなければ格好がつかないだろう。とはいえ、言ってみた後に少し不安になったのは不可抗力だ。脇役が主役じみた発言をした際の副作用である。


 「……随分、大きく出たわね」

 「ふふっ……」


 呆れたように言うシスティ。リゼさんはくすくすと笑う。本当に大変なのはこれからだとは思うが、リゼさんの表情が明るくなったことは今日の成果だろう。


 ……などと考えていたのだが。



 「私も手伝うわ」 



 そんなシスティの発言は、リゼさんを驚かせ、更に喜ばせるには充分すぎたようだ。どうやら俺の精一杯の見栄は脇役級の印象にとどまりそうである。なんだかそのことにほっとしている自分に、おもわず苦笑してしまう。だが悪い気分ではない。

 そして、主役級の活躍を見せた彼女といえば。


 「基礎工程主任のお手並み拝見……かしらね」


 研究室で一緒だったあの頃を思わせる、どこか挑発的な微笑を浮かべていた。

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