第36話 彼女の結論

 彼女の機嫌は今日も悪いようだ。受付嬢に口を利いてもらえない貴族とは、なんとも情けない話だとは思う。まあ今回の件に関しては兄の自業自得だろう。

 とはいえ、一応は貴族で上司に対しての態度としてはかなり大胆だ。けれど、それが率直で情が深いことの証明かもしれない。そのことを思うとつい頬が緩む。

 一方兄があんなに落ち込んでいるのを見たことはなかった。年頃の娘に毛嫌いされる父親のようで、最近はやや不憫になってきたけれど。まあもうしばらくは反省してもらおうと思っている。

 

 「実はお前のことを試していたのじゃ!」


 ぱっと席から立ち上がり、かなり芝居がかった様子でニアは言う。語尾から察するに老人を意識しているのだろう。


 「……ってずるいと思わない?なんか後から言っておけば全部丸く収まる言葉じゃない!」


 憤慨やる方ない、という様子の彼女。まあ実際には憤慨のやる方はきちんとあるし、十二分にぶつけているのは明白であるけれど。


 「こんなお菓子で懐柔しようなんて、ほんっと虫がいいんだから」

 「でも、食べはするのね」

 「……もったいないもん」


 その幼さを感じさせる返答に吹き出したのはリゼだ。


 「し、食事を出す店の娘が食べ物を粗末にはできないから!」

 「さすが看板娘さんですね」

 「……リゼさんがそんなに性格が悪いとは思わなかった」


 くすくすとニアを誂うリゼに、彼女は三白眼を向ける。


 「はいはい、いい加減機嫌直してくださいね。レストロだけじゃなくて、ハンブル商工会の看板娘でもあるんですから」

 「服の丈を縮められそうになったけどね!」

 「縮める前にリアンさんが来てくれてよかったじゃないですか」

 「まあ、そうだけど……」


 営業終了後のレストロで不貞腐れている彼女。その様子はどこか親しみやすさを残していて。同じ女性から見ても思わず笑ってしまうのも頷ける。同席しているリゼもルーさんも、その表情は柔らかい。


 リゼとリアンと私の3人で作ったルーシャが出来てから、一ヶ月が過ぎようとしている。レストロではすでに常用されているし、かねてから不足していたルーシャテーブルもようやくすべての席に配置されたところだ。

 

 「でも、こんな素敵なカップができたのも会長の思惑どおりだとしたら、なんか悔しいじゃない。リゼさんだってそう思うでしょ?」


 新しいルーシャを持ち上げながらニアは言う。


 「ううん……悔しくはないです。会長さんの演技だったって聞いたときはびっくりしましたけど、いつか向き合わなければいけないことでしたから」


 あれからリゼは少し変わった。上手くは表現できないけれど、言葉や態度に落ち着きが増したように思う。


 「まあ今になって考えてみればわかったことかもしれません。法の施行前から話を持ち出した時点で、少し強引でしたね。それなりに付き合いがあるのに見抜けなかったほうが悔しい……かな」


 苦笑しつつ管理官は顛末の感想を述べた。


 「それを言うなら、私のほうが付き合いが長いわ……」

 「システィは妹だもんね」


 ニヤリとニアがこちらを見る。そんな目で見られるのも仕方がない。直接話を聞かなかったとはいえ、私も兄の意図するところはつかめないまま踊らされてしまったのだ。思わず溜息をついてしまう。


 兄ははじめからリゼの職人としての腕は充分に買っていたようだ。けれど、彼が重視するところの「個」が弱いところをなんとかしたいと考えていたらしい。


 「もっと自分勝手でいてほしいんだよ。そして悔しかったら行動する。自身の想いに嘘をつかないで、思いっきり暴れてみる。そういう職人こそハンブル商工会で独占したい。技術が高いのはあきらかだし、贅沢な要求なのは承知だけれどね」


 というのが兄の理屈だ。

 悔しさを抱えたまま、ひっそりと舞台から降りることをよしとしない。これで最後になってもいいから、とある種の自己中心的な挑戦をリゼにもしてほしかった、とも言っていた。


 「言ってることは分からなくないけど……。仕事取り上げるから!って迫るのは演技でも良くないと思う!」


 結局兄が本心を話したのは、新しいルーシャを見た後でのことだった。本人としては絶妙の機会だと思っていたらしいが、その様子を見ていたニアにとってみれば真逆だったようだ。

 後出しだからこそ、新しいルーシャの出来がよかったから手のひらを返したように見えるだろう。やり方も終わらせ方も完全な失策だったのは間違いない。


 「まあ本当に切り捨てようとしていても、このカップを見たら私も手のひら返しますね」


 ニアがぐちぐちと文句を言っているのを尻目に、ルーさんは改めてカップを見つめる。


 「思わず大切に扱っちゃいます。これ、貴族向けの細工だって本当ですか?」

 「リアンさんのお国ではそうらしいです。サンライニの模様と合わせてくれたのはシスティなんですよ」


 まるで自分が褒められたかのように嬉しそうに話すリゼ。

 結局新しいルーシャの方向性は、手に取れる高級木工品、というものにまとまった。これは3人で話し合った結果、競争相手が持っていないものは華美さへのこだわりと技術だと考えたからだ。

 サンライニの魔法道具は良くも悪くも実用的な側面が強い。それが木製となればなおのこと。使用者が庶民なのだ。手間暇をかけたところでつけられる価格は決まっている。となればかけられる時間も限られて、簡素な物が出回るのは当然だ。だからこそ、庶民向けの道具をつくる技師は細工の知識がほとんどない。


 そこで、ノースモアでは必須と言える細工の技術を活かすことにした。私は細工目当ての客が多かったこともあったし、そういった意味では都合がよかったのだ。

 作業においてはアモーリテ製と木製の違いは大きかったが、学園生時代に木版相手に随分試作を重ねたことが幸いした。嬉しい誤算と言えるだろう。

 結局ノースモアで貴族に好まれていた細工様式と、サンライニの伝統的な模様を組み合わせた細工を施すことになった。

 木工品にここまで手の込んだことをする魔法技師はこの辺りには皆無だ。それにこの細工を回路として併用できる技術をもっているのは、ノースモアでも少数だろう。彫りの深さにこだわる技師なんて彼以外には知らない。

 まあ結局やりすぎて価格設定は高めとなってしまった。けれど兄はその点を特に問題視してはいなかったようだ。


 「これだけのものを身近で触って使っていれば、当然欲しくなってくるはずさ。それに購入者はレストロの食事が安くなるっていう特典もつける予定なんだ。庶民向けとしては高額ではあるけれど、充分勝負はできると思うよ」


 というのが兄の言葉。商売に関しては彼のほうが経験も実績もあるので、その辺りは任せることにした。


 「この細工の中を魔素が通ってるってリアンは言ってたけど……」


 文句を言うことに飽きたのか、ニアも一緒になってカップを観察し始める。


 「細工の半分は回路も兼ねてるのよ。カップに模様と回路、別に彫り込むのは表面積的に難しいから」

 「システィとリアンさんの構想では、飲み物を入れるところまで回路が入るとこだったんですよ」

 「確かに、カップの内側が溝だらけなのは少し抵抗ありますね」


 はじめはそういう設計になっていたのだけれど、そこに関してはリゼが強硬な姿勢を崩さなかったのだ。ルーさんも抵抗があると言っているし、結果的には正解だったようだ。


 「リゼが嫌がったの。内側に溝があるとお酒を美味しく感じられない人もいるだろうって」

 「い、いや……だって人によっては嫌と思うかもしれないじゃない……中に入れる飲み物の色によっては気持ち悪く感じることもあるし……」


 自身が我を通した部分を話されるのは恥ずかしいらしく、リゼは少し赤くなっている。そんなリゼを見て笑みをこぼしたニアは、今度は思案顔になる。


 「模様と回路が一緒……っていうのは普通なの?回路って決まった形にしなきゃいけないんでしょう?」

 「普通はそのはずなんですけど、リアンさんが何とかしてしまいました」

 「えっ?」


 今回のルーシャはリゼと私の希望を全部採用した形になった。つまりどういうことかと言うと……


 「……しわ寄せはリアンさんに……?」

 「……い、いや別に無理をさせたわけじゃないから……」

 「そ、そうですよルーさん。ちゃ、ちゃんとお茶とか出しましたし……」


 完成間近には真っ白な顔をしていたけれど、多分気の所為だ。私は悪くない……と思う。いや、ちょっとは無理を言った気がしないわけでもないような……。


 「いつものやりすぎ病かと思ってたけど……黒幕が二人……いや会長も入れると三人いたみたいね」

 「真っ白な顔してましたもんね、リアンさん」


 ジトッとした目で二人に見られると、非常に居心地が悪い。私はお茶どころか、リアンの回路に口を出すことしかしていなかったのでますますである。


 「前から思ってたんだけど……リアンって技師として結構頑張ってるよね……?」


 ニアがやや視線を伏せながら確かめるように看板娘は言う。あまり自信がないのか語尾の音量はかなり小さい。彼女は魔法道具に関しては素人だから、判断しかねているということだろう。


 「……ま、まあまあね。もっと技術がある人もノースモアには大勢いるわ」


 一応技師としての判断だ。事実だし少しぎこちない気がしなくもないけれど、許容範囲だろう。私の狭い人付き合いの中にさえリアンがいるのだ、それなら他にもあれくらいの技師は大勢いると見ていいはず。決して誇張はしていない。とはいえ神に誓うのは遠慮しようと思う。そういう気分じゃないだけだ、他意はない。

 

 「ふ、ふーん……」


 さきほどまでの不満を爆発させていた彼女はどこへ行ったのか。含み笑いでルーシャをつつくニアは年齢以上に幼く見える。これはちょっとずるいな、と思わずにはいられない。


 「ニアちゃん、玉の輿はやめたんですか?」


 ルーさんはルーシャではなく彼女をつつくことにしたらしい。呆れ半分、楽しさ半分といった表情だ。


 「い、いやそういうのじゃないから。た、玉の輿はまだ諦めてないし」

 「捕まえた後に出世させるっていう手もありますもんね」


 つつき甲斐がありそうだと判断したのか、リゼもそこへ混ざる。


 「私は手近なところで済ませたりしないし……」

 「ニアちゃんは今や人気受付嬢ですからね。職場で見つけたりはしないですよねえ」

 「確かにニアさんは引く手数多でしょうね」


 ニヤニヤと年上の女性二人が少女をかまって楽しんでいる。あまり褒められた状況ではないけれど、つい誂いたくなる気持ちは分からなくもない。


 「でも、遠慮はしない……かな。そこはね、会長の言うことが正しいと思うんだ」


 ぱっと顔を上げたニアは私の目をまっすぐに見る。先程までの様子が演技だったのかと思うほどすっきりした表情がとても印象的だった。


 「そうね。私も……たまには兄を見習おうと思うわ」


 心からの言葉だったからだろうか。引っかかりを感じることはなかった。そしてそれを聞いたニアは嬉しそうに頷いた。

 侮れないし、油断できないし、勝ち目は薄そうだけれど。兄の商工会へ所属した時に腹はくくったのだ。彼のいないノースモアの工房より、ずっと刺激的で張り合いがある。


 「仕事に支障は出さないでくださいね」

 「ふふっ…」


 溜息混じりのルーさんと、笑みをこぼすリゼ。


 夏を超えたサンライニの夜は少し肌寒さを感じるくらいになった。けれど、夜のレストロは寒さを感じない。いづれ寒さを感じるようになったとしても、きっと暖かで穏やかな明かりが消えることはないだろう。



 「ありがとう、システィ」


 隣を歩くリゼが改まって言う。

 

 「どうしたの?急に」


 レストロで女性だけの夕食を終えた後。点検予定のルーシャを持って、リゼの工房へと二人で歩いている。

 改良されたルーシャはいづれ個人単位でもつものになる予定だが、法の施行を目前に控えた現段階では店用のものしか用意していない。人気店での使用率を考慮して定期的に点検をしているのだ。


 「あの時、システィが本当にいいの?って聞いてくれなかったら。多分今日も私は暗い顔をしていたと思う」


 リゼは新しいルーシャづくりを始めてから、随分と明るくなった。あの時吐露した気持ちを含め、彼女なりに踏ん切りがついたんだと思う。それは私にとっても嬉しいことだった。


 「最終的にやるって決めたのはリゼよ。リアンも私もそれを手伝っただけ」


 木製だけれど、高級品のような見た目を持つルーシャ。正直言って採算度外視だ。

 けれど数量限定の生産にならざるを得ないからこそ、希少性と話題性、品質の高さを売りにできると兄は言っていた。元祖ルーシャ開発の商工会にふさわしいし、飲食店なら見栄の一つに、庶民なら自慢と憧れの的にしようと目論んでいるらしい。


 「二人とも同じこと言うのね」


 私の返答を聞いて、くすっと笑うリゼ。どうやらリアンにも似たようなことを返されたようだ。


 「でもね、やっぱりお礼を言いたい。私を動かしてくれたのはどう考えても二人のおかげだから。すごく心強かった」


 リゼは噛みしめるように続ける。


 「技術的に、金銭的に……そんな風に助けてもらえるのもとても嬉しいし、有り難いし、大切なことだって言うのはもちろんわかってる。それに私が話していたことは世間に対する恨み言だし、ただの愚痴みたいなものだってことも。

 だけどね、二人はその気持を否定せずにいてくれた。そのうえでこのままだと悲しい気持ちになるのは私自身だよって言ってくれた。それが本当に嬉しかった」

 「……そう」


 彼女の笑顔を見て、私は自分が勘違いしていたことを改めて思い知った。


 リアンに投げつけた言葉。あれは正しいことを言う機会を間違えていたのではないのだ。そもそも正しさなどなかったし、正確には自身の考える正しさを押し付けていただけだった。

 前の私なら、リゼの言う気持ちは簡単に切り捨てていたかもしれない。それは商品を買う側からすれば正しくないし、意味がない気持ちには変わりがないのだから。けれど、その考えでは私は多分友人を一人悲しませるだけの女になっただろう。そして後で思い知るのだ。自身がいかに愚かだったかということを。


 正しさは他人や状況から押し付けられるものではない。そんな簡単で、人任せのものではなかった。むしろ自分でそれらを見て、受け止めて。そのうえで大切なものを守ったり、勝ち取ったりするために自身で見つけていくものなのではないか。だってそうじゃなきゃ説明がつかない。


 感情的で、自己中心的で。でもそこから始まった魔法道具が彼女を笑顔にした。

 この動かし難く、大切で暖かい事実が目の前にある。


 サンライニの強い日差しが、くっきりとした影を生むように。わかりやすく伝わりやすい正しさは、わかりやすく忌避しやすい間違いを生む。でもそれを鵜呑みにしてはいけないのだ。日差しが当たる方向によって影はいともたやすく変わっていくのだから。

 私が大切にしたいことは多分そんな影が動いていく途中、正しさと間違いの間にあるのだろう。そこにはリゼの悲しみや、笑顔。私がかつて寄り添えなかったリアンの苦悩。競争相手のはずの受付嬢に頬がゆるむ瞬間の感情。そんなものが一同に会しているのだ。

 後悔のない、彼や彼女たちが笑っていられる未来のために。私は頭を使おう。わかりやすく提供される写実的な世界ではなく、方角も、昼夜も分からない抽象的な世界へ飛び込むのだ。そうして彼が言ったようにじたばたしてみよう。


 「システィ?どうかした?」


 考えている間無言だったのだろう。リゼは不思議そうな顔をしている。


 「ううん、なんでもないわ」

 「そう?何か考え込んでいたみたいだけど……リアンさんのこと?」


 私が否定すると、リゼは楽しそうな笑みを浮かべそんなことを聞いてくる。ニアを誂うだけでは足りなかったのか、いたずらっ子のような表情をした彼女を見て、返事の代わりに苦笑した。


 実りの季節を控えたサンライニ。見上げた夜空は澄み渡っている。

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