第34話 教祖の持論

 日中の暑さが拭き取られたように涼しげな風が通り抜ける。人気店レストロの喧騒は今は消え、夜の帳が落ちたティーラ区の一等地は穏やかな静寂に包まれている。

 明日の日差しに備えるように、サンライニ全体が微睡むこの時間が普段はとても心地がよい。


 そんな心地よい時間に、今日はかつてない居心地の悪さを感じている。


 「……」


 理由は簡単だ。久しぶりに会った同期が無言で見つめてくるからである。


 「……」


 彼女はもともと感情が読みにくいところはある。それでも付き合いが続くにつれ、なんとなく察することができるようになってきたと思っていた。しかし今目の前にいるシスティの表情は、最初に出会った頃以上に読めない。辞めたほうがいいと言われた魔法技師を未だに続けていることを呆れられているのかもしれないし、腹を立てているのかもしれない。

 別れ方も決して後味の良いものではなかったし、正直俺からも何を言って良いのかわからない。


 「ひ、久しぶり…。げ、元気そうでよかったよ」


 だから開口一番無難すぎて、逆に多難すぎる言葉を投げかけたのは仕方なかったのだ。


 「……」


 俺の取って付けたような発言を聞いて、彼女は一瞬目を丸くして視線をそらした。視線が外れても重たい空気は変わらず、ますます気まずくなってしまう。逃げ場を探して、レストロに置かれたルーシャテーブルに視線を移す。そこにはニアが座っていて、苦笑気味にこちらを見ている。おそらくシスティからおおよその事情は聞いているのだろう。表情から察するに、それでもこの雰囲気は予想以上だったのかもしれない。会話に入ってくる様子はなく、静かにこちらを見守っている。

 完全に二人きりにしなかったのは、彼女なりの気遣いだろう。この雰囲気に取り残されてしまったら、俺は窒息してしまったかもしれない。


 「…まだ、魔法技師を続けてたのね」


 システィの第一声はそれだった。アローグ工房で最後に交わした会話。その時のシスティの言葉を受け入れずに魔法技師を続けていたことは、やはり彼女にとって見過ごせない点なのだろう。

 けれど、その表情や声色からは怒りや呆れの感情は感じられなかった。どちらかと言えば事実を確認するような、間違いがないか確かめるような雰囲気だ。

 とはいえ今日のシスティはいつも以上に読めないので確証はないが…。


 「うん。運良く拾ってもらえてさ。まさかシスティのお兄さんの商工会とは思わなかった」


 システィがファリエ会長の妹だったと知ったのはつい先程のことだ。

 レストロの一階にシスティを連れてきたニアが、最初に説明してくれたのがそのことだった。なぜシスティがサンライニにいるのか全くわからなかったが、ファリエ会長の身内なら転移扉を使うことができても不思議ではない。

 今になって考えて見れば、システィとファリエ会長の髪色はとても良く似ている。そしてその色もノースモアでは珍しい銀髪だ。ノースモアはサンライニよりも日差しが強くないし、日焼けに関しても目立った問題ではない。月銀族特有の日焼けしない、という特徴もサンライニで生活するよりは目立たなかったのもうなずける。人によっては気づいたとしても、そういう珍しい体質であると説明されれば疑問を持たないだろう。ヴィクト王国では種族の違う人々と出会うことはまずないし、日常生活でそんな発想にいたらないからだ。


 「専属技師だって聞いたけれど…個人で所属してるってこと?」

 「そうなるのかな。ほら、ノースモアの工房はどこも相手にしてくれなかったしさ…」


 言いながらあの頃を思い出す。

 そもそも工房を紹介してもらえるはずの商工会から門前払いを受けていたのだ。ハンブル商工会のことを宿屋の主人から聞かなければ、魔法技師として働くことはもう二度となかっただろう。

 ここ最近の身の回りでの出来事が濃かったからだろうか。対して時間は経っていないはずなのに随分前のことのような気がする。


 「そうでしょうね。あなたの若さなら貴族と問題を起こしたって思われたでしょうし」

 「ああ、なるほど…それもあったのか…」


 今更ながら納得する。あの頃は実績がないことが問題なのだと考えていた。けれど貴族相手で有名アローグ工房である。顧客である貴族と揉めて辞めた、もしくは辞めさせられたと思われるのももっともだろう。

 若者が世間知らずの行動をしでかして貴族の不興を買う。学園でも注意しろと言われたが、つまりはそれなりに前例があることなのだ。


 「それも…って今気づいたの?」


 俺の受け答えが間抜けだったせいだろうか。仮面をつけていたように読めなかったシスティの表情がやわらかくなった。

 傍から見れば些細な変化かもしれない。けれどその変化が、アローグ工房にいた時からの距離を少しだけ変えてくれた気がした。


 「それで、このテーブルの回路は何?学園生時代の続きのつもりかしら」


 ニアの近くにあるルーシャテーブルをさして、やや挑発的に聞いてくるシスティ。


 そういえば学園生時代もそうだった。お互いが何かを作る度に焚きつけるような質問をする。それがあの当時、俺たちの間のお決まりであったことを思い出した。

 彼女からそんな風に聞いてくれたことで、さきほどまでの居心地の悪さが消えていくのを感じた。


 「アケイトを使った回路が役に立ったんだよ。まさかこんな所で応用できるとは思っても見なかったけどね」


 サンライニ公国でシスティと話をするなんて、それこそ思っても見なかったことだ。それでも学園にいた時のように彼女と話ができている。異国に来ているはずなのに、どこか昔と似た雰囲気を感じる。けれど決して同一のものではなかった。


 「そうね…私の見込み違いだったみたいね」


 こういう発言をするときの彼女は、昔は少し悔しさが滲んでいたはずなのだ。

 しかしルーシャテーブルを見たままの彼女は、少し嬉しそうだった。俺はそれが何故なのか気になって改めて彼女を見る。



 「久しぶり…リアン。元気そうでよかった」



 俺の視線を受け止めたシスティは、ゆっくりと言った。

 穏やかなサンライニの夜。レストロにもようやくそれが戻ってきたようだった。



 「はい、どうぞ。もう夜食って感じの時間だけど…システィもちゃんと食べてね」


 空気が変わったことを察したニアが、夕食のスープを運んできてくれた。システィははじめと比べると随分柔らかい表情で、ありがとう、と受取った。

 システィが店を訪れたのは昼頃だったらしいが、それから今までの間にニア母娘とは随分打ち解けたようだった。その間どのようなことがあったのか聞くと、システィに背筋が凍りそうな目で睨まれたので以降触れることはやめようと心に誓う。リアン教の教典には太文字で刻まれた。手に入れた穏やかな夜を大切にせよ、と。


 「それで、このルーシャテーブル…かしら。これリゼと一緒に作ったていうのは本当?」


 ニアを混ぜて3人で話ながらスープを食べていると、ふとシスティが聞いてきた。

 どうやらシスティとリゼさんは昔から交流があったようだ。


 「うん。ファリエ会長に紹介してもらってさ。木材をあわせる技術は凄いなと思って。リゼさんの木工品を詳しく見せてもらえなかったら、この構造は思いつかなかったと思う」


 リゼさんの話題になったことで、彼女とルーシャに関する件を思い出す。システィとの突然の出会いで考えから外れていたが、言いようのない感情が消えたわけではなかった。


 「奇特な設計に付き合ってくれるのは彼女くらいでしょうね」


 わずかに笑みを浮かべながらシスティは言う。

 確かにその通りだ。カップとテーブルの回路を上手くつなぐために、カップを置く部分のくぼみは何度も調整した。アケイトへ魔素が流れやすいように脚の太さや、合わせる木材に関しても好き勝手注文をつけたと思う。

 それでも彼女は不満をもらすこともなく、快く協力してくれたのだ。忙しくても気遣いを忘れず、一緒に仕事をする職人として本当に尊敬できた。

 そのことを思うと、今日の会長の決定には言いようのない寂しさや、悔しさを感じる。


 「…どうしたの?リゼさんと喧嘩でもした?」


 今日のことについて考えを巡らせていると、いつの間にかうつむき加減になってしまっていたようだ。ニアはそんな俺の顔を覗き込むようにして聞いてきた。

 俺はそんなニアや、こちらを見ているシスティに今日商工会であったことを話すことにした。



 「まるっきり使い捨てじゃない!」


 話が終わるか終わらないかのうちに、ニアは大きな声で言う。かつて俺がウーミィを作っていた際に「良くない!」と突きつけたとき以上の勢いだ。リゼさんと俺よりも付き合いがある彼女からすれば、俺以上に腹に据えかねたのだろう。


 「ファリエ会長がそんなに金の亡者だとは思ってなかった。…なんか幻滅」


 話題の受付嬢は完全にふてくされてしまったようだ。明日以降の仕事に影響がでないといいが。眼の前に妹がいるというのに遠慮しないあたり、二人がどれだけ打ち解けているのかがわかる。


 「それでも会長の言っていることは間違いではないとは思う。…だからこそ割り切れないっていうか。俺が考えても仕方のないことだけど」



 そう言いながらわずかな期待をしつつ、システィのほうを見る。


 「私に何か期待してるようだけど、それは無理ね。兄さんは変わっているけれど馬鹿ではない。それに商工会だって慈善事業ではないのだから、利益を求めるのは当然のことでしょう。

 確かに兄妹ではあるけれど、私から兄さんの仕事に口を出そうとは思わないわ」


 あまり他人の評価を口にださない彼女が「馬鹿ではない」と語るのは、その能力を認めている証拠だろう。それにシスティの言う通り、商工会は技師や職人と馴れ合いをするために存在するわけではない。

 俺の専属はもちろん、レストロの件も、会長自身の旧友であるキュリオさんの件でさえ、そこに利益が見込めるから契約をしているのは事実だ。


 「結局お金には敵わないんだね。…それはうちも一緒か。ルーシャのおかげで持ち直せたけれど、それがなかったら閉店一直線だっただろうし…」


 そんなシスティの発言の前に、ニアもさきほどまでの勢いを失ってしまったようだ。


 「うちはそうやって助けてもらったのに、その職人さんがそうやって扱われるのを見ているだけなのは…嫌だな」


 玉の輿だなんだと言って冗談めかしてはいるが、ニアはそこを中心にしているわけではないと思う。言葉や行動の節々にそれが見て取れることがあるのだ。トレラさん譲りのそういう部分が、彼女の魅力の一つなんだろう。もちろんしたたかで現実主義な面もあるが。


 「リゼが納得しているのなら、周りが何かを言う余地はないでしょう。…あなたの気持ちは分からなくもないけれど」


 突き放すわけでも、擁護するわけでもない声色でシスティは言う。簡潔で無駄のない意見。

 システィのそんな一面は、彼女が作る魔法道具にも色濃く現れていたことを思い出す。


 彼女が設計する回路は無駄がない。しかしそれは装飾を一切廃しているとかそういうことではない。依頼条件を満たす道具として、無駄がないのだ。

 流行りの回路を求められれば盛り込む。装飾的要素が求められれば、効果を発生させる回路と共存できる程度に追加する。ルーヴの使い方も無駄がなく、彫り込み線は美しく均一な仕上がりだ。加えてその彫り込み線で構成された細工は、工房内外から非常に高い評価を受けていた。彼女が手がける魔法道具は、回路より細工を目当てに発注する貴族がいるほどだ。美しい設計と仕上がりで、貴族の御婦人への贈り物として非常に人気があった。作業の速さにも定評があり、一時期は先輩技師より多くの依頼をこなしていたと思う。


 「ニアさん、夜遅くまでありがとう。美味しかったわ」

 「お粗末様でした。そこへお皿置いといてくれればいいからね」


 システィはスープの皿をカウンターへ持っていくと、おやすみ、と言って自室へ戻っていった。実家もあるんだからそっちへ帰ったほうがよかったのではないか、と思うのだが彼女はここに一晩泊まることにしたらしい。


 そんな彼女の振る舞いと、先程の発言に俺はわずかな違和感を覚えた。


 「あなたの気持ちは分からなくもないけれど」


 システィは決して冷たい人間ではない。けれどかつてのシスティなら言葉にはしなかったような気がしたのだ。



 彼女がいなくなったレストロの一階で、俺は自室に引き上げるわけでもなくぼんやりとしていた。

 リゼさんの件、システィとの思わぬ再会。今日は色々な感情に振り回されて少し疲れてしまったのかもしれない。


 「システィって凄い美人だよね。やっぱり月銀族ってずるい」


 そんなことを言いながら、ニアは俺の隣の席に座った。言われてみればティーラ区でみかける月銀族も美形が多い。無論システィとファリエ会長もどちらも整った顔立ちだと思う。


 「学園生だった頃、リアンは相当嫉妬されたんじゃないの?仲良かったみたいじゃない」

 「いや、そんなことはなかったよ。システィと俺じゃあ釣り合いがとれなすぎて、嫉妬の対象にすらならなかったんじゃないかな…」


 彼女の男子学園生からの人気は確かに凄かった。しかし言い寄った学園生の全員が惨敗した結果、婚約者がもう決まっているのだろうとか、男には興味がないのだろうとか、様々な憶測が飛び交う始末であった。また俺のような異端にも分け隔てなく話をしている所は、周囲からはむしろ彼女の評価が上がる要因でもあったらしい。そのことを後でスタンレイから聞かされた時は、余計な揉め事がなかったことを喜ぶことにした。そう、大変喜ばしいことだろう。添え物扱いは悲しくなんてないよ、本当だよ。


 とはいえシスティが昔のことを人に話すなんて珍しいと感じた。ニア母娘とはどんな話をしたのだろう。それにもし、学園生時代は仲が良かったと彼女が言っていたのなら正直少し嬉しい。


 「でも…最近は色々大変だったみたい。本当に消えちゃいそうな表情で、注文したきり一口も食べないままだったんだよ?

 あまりにも様子がおかしいから、思わず声をかけちゃったんだよね。そうしたらお母さんも混ざってきて…」


 困ったように笑いつつ、ニアはシスティと出会った話をしてくれた。

 色々大変だった…というのはどういうことだろうか。俺とは違いアローグ工房でも重宝される技師だったはずだし、工房自体が閉鎖になるようなことも考えにくい。


 「……女の子にはいろいろあるの。リアンみたいに魔法道具のことばっかり考えていればいいわけじゃないんだから」


 くすくすと笑いながら、ニアは俺をからかう。

 確かに女性の気持ちを理解するのは得意ではないし、魔法道具のことばかり考えてきたのも自覚があるので答えに窮する。

 そんな俺を見てニアは満足気だったが、しかしその表情はすぐに曇った。


 「…リゼさんのこと。やっぱりなんともならないのかな」


 レストロの再生に力を貸してくれたリゼさん。だからこそニアからしても放ってはおけない存在なのだろう。頬杖を付きながらニアは小さくため息をついた。


 とりとめの無い考えは結局要領を得ない。かつて講師の論に感じた歯がゆさもそのままだ。

 「なんともならない」と思えることに目をつぶった結果、俺はどうなったか。ため息をつき、八つ当たりのように改良を続けた成形機の回路。回路は確かに変わっていったが、俺の周りを巡る現実が変わることはなかった。


 サンライニ公国で仕事をさせてもらえるようになったことは幸運だったけれど、その幸運に甘えたまま今日まで来てしまったようにも思う。だからこそ「なんともならない」にもう一度目を向けなければいけないのではないだろうか。



 俺が納得していないのだから、黙したままではいられないのだ。…システィの考えは正しいことだとはわかるけれど。

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