第33話 講師の極論

 作品と商品は違う。


 技師や職人は自身が作ったものを、作品と呼ぶことがある。特に経験が浅ければ浅いほどその傾向があると言える。学園生の頃は基本的には作品として扱われ評価されるので、若い魔法技師がそのように考えるのもおかしくはないだろう。


 ところが現実は違うのだ。


 皆が欲しがるのは、目的に適う商品なのだ。誰が作ったかなど心底どうでもいいことだ。一部それを気にする貴族もいるが、それだって箔を求めてのこと。つまり箔が欲しいという目的に適う商品が欲しいのだ。

 魔法技師自身が満足するために作った魔法道具など、この世界に居場所はない。同時に自身の作ったものに対する執着やこだわりなどは、それを買う人間からすれば何の役にも立たない。


 手に取る人間の目的を満たすものが、商品。

 送り出す人間の目的を満たすものは、作品。


 技師や職人は執着をしてはいけない。執着をするとこの境界が曖昧になり、無意識的に作品を作ってしまうのだ。

 自身が作ったものに個人的な執着をすること、それはある意味作り手の越権行為なのだ。醜い自尊心の露呈であり、承認欲求にまみれた汚物であり、愚かで矮小な人間であることの証明そのものなのだ。

 だからこそ作品から、自己を抜き取り、そうして生み出した隙間を他者で満たすことで商品にしていく。


 それができなければ不要なのだ。この世界はそんな作り手にも、そこから生み出された作品にも、居場所を用意することはないだろう。他者の醜い自尊心に付き合うほど人々は暇ではない。利用価値のない汚物に金を払う人間もいない。何より愚かで矮小な人間ほど価値の無い存在はいないのだ。

 価値のない人間から、価値ある商品が生み出されることは永遠に無い。そして価値のあるものを生み出せない人間が必要とされることもまた、永遠に無いのだ。


 

 俺は学園で講師が使ったこの理屈が今でも好きになれない。俺には極論に思えたが、節々に見える現実を前に明確な反論ができなかった。それは今でも変わらない。そればかりか時々、この理屈が俺の眼の前で行使されることすらあるのだ。

 そしてまた今、その理屈が行使されようとしている。


 「リゼくんには、ルーシャテーブルの制作に専念してもらったほうがいいと思っていてね」


 暑さを感じる最近のサンライニの気候。それが嘘か幻だったかのように、商工会の一階は冷えている。それは陽が落ち始めたからではないだろう。

 そんな中、会長はなんでもないことのように続ける。


 「ルーシャ自体は今回の立法で利益を出しやすくなる。多くの職人や技師に関わってもらって、色々な人が個人でルーシャを持つ状況を作ってもらうほうがいいんだ。

 ルーシャテーブルの回路については今しばらく権利化に時間がかかると思うし、権利化できるまでの間はうちが独占的に作っていこうと思ってる」


 そもそも現時点でもルーシャテーブルの数は足りていない。本来はレストロのすべてのテーブルがルーシャテーブルであることが目指している形だし、そちらの生産にも取り掛かるべきだろう。

 そういった背景も踏まえて考えれば会長の提案は至極もっともだ。リゼさんがルーシャテーブルに集中することで、より効率的にルーシャを広めていくことができるだろう。カップを作る時間をテーブルに回すことで、数を用意するのも容易になる。


 「リゼくんにこれ以上負担を強いるのも好ましくない。今はルーシャの手入れや、補充にかなりの時間を使っているみたいだからね。テーブル自体も重要な商品には変わりない。一脚作るのにもそれなりに時間がかかるみたいだし、今後はそちらに注力してもらいたい」


 ということでどうかな?とファリエ会長はリゼさんに問いかける。

 静かに話を聞いていたリゼさんは、少し間を置いてゆっくりと頷いた。


 「わかりました。私も作業が早いほうではないので…テーブルに集中できるならありがたいです…」


 リゼさんの言葉を聞いて会長はルーさんに声をかける。


 「よし、じゃあルーくんには権利化の詰めの作業をお願いしようかな。リアンは引き続きルーシャをよろしくね。リゼくんもお疲れ様!」


 えぇ…と迷惑そうな顔をしつつルーさんは書類を受け取る。そしてリゼさんは挨拶をして商工会から出ていった。

 

 何事もなかったかのように、徐々にサンライニの暑さが商工会の一階に戻ってくる。そしていつもと変わらずに、陽は落ちて商工会の営業時間も終わりを告げる。

 陽が昇り落ちていくことと同じように、季節が春から夏へ移り変わっていくことと同じように。今日確かに何かが零れ落ちていったのだと思った。そしてそれが零れ落ちたことは、当然で日常的なことすぎて気に留められることは少ないのだろう。

 俺はそのことがたまらなく悲しいのだ。当たり前であるはずのことが、どうしても気になって仕方がない。けれど、それに抗う方法は今も見つからないままだ。



 「お疲れ様です、リアンさん」


 ルーシャの今日分の作業を終えた後、個人工房室から降りると声をかけられる。ルーさんがこの時間まで残っているのは珍しい。詰めの作業、というのが長引いたのかもしれない。


 「お疲れ様です。もう閉めようと思うんですが大丈夫ですか?」

 「あ、はい!私もちょうど今終わったところなので」


 ルーさんとともに軽く片付けをした後、商工会に鍵をかける。この時間は最近ニアと一緒になることが多かったので、少し新鮮だった。昼は人通りの多いティーラ区も、この時間になると随分と静かになる。末端技師が看板娘と一緒に歩いていても、問題になることはない。

 途中まで同じ道なので、ルーさんとなんとなく並んで歩く。けれど会話は無かった。俺はリゼさんの表情で頭がいっぱいだった。ファリエ会長の言葉に頷いた時、彼女が見せた表情が何度も頭の中に浮かぶのだ。


 「リゼさんの件、気になっているんですか?」


 沈黙を破ってルーさんの声がした。

 俺はいつの間にかうつむいてしまっていたようだ。ルーさんの声に顔を上げた時、そのことに気づいた。


 「相変わらずわかりやすいですね、リアンさんは」


 俺がどんな表情をしていたのかはわからないけれど、おそらく情けない顔をしていたのだろう。ルーさんはため息をつく。


 「ただそんな顔をされると、私まで悲しい気分になるので今日だけにしてほしいです」


 愚痴っぽい口調で彼女はそう言うと苦笑する。


 「すいません…つい…」

 「もう今はいいですけど、仕事中は自分の感情はちゃんと制御してください」

 「はい…」

 「リアンさんがそんな顔をしても、決定は覆らないんですから」


 学園生時代から続く苦い思いをぶり返したからといって、今の俺の態度は褒められるものではないだろう。彼女の軽く短いお説教は身に染みた。


 「不思議ですよね」


 少しの沈黙の後、ルーさんはつぶやくように話を始めた。


 「利益を生み出すために働くのに、利益の前に無力を感じる。行動の結果として利益があるはずなのに、その利益の可能性が人の行動を止めてしまうんですから」


 普段の彼女らしからぬ、深い憂いを帯びた声色。


 要はファリエ会長はルーシャを開発した生みの親に、ルーシャの開発をやめるように宣告したのだ。ルーシャが売れないのであれば納得はいくかもしれないが、今回はむしろ逆だ。需要があることが分かり、これからいよいよ打って出ようという時に外される。職人としては使い捨てられたような気持ちになってもおかしくはないだろう。


 「一生懸命作ったのに、結局リゼさんには今後ルーシャの利益は入らないですし…。ルーシャが広まれば調整の手間は減りますし、回路の権利料でハンブル商工会にとっては良いことですが、素直には喜べませんね」


 公国の偉い人は喜びそうですけどね、とおどけたように言いつつもルーさんの表情は冴えない。確かにルーさんの言う通り利益面での不遇を感じることもあるだろう。それでもリゼさんのあの表情から感じることは、そのことについてではないように思うのだ。


 「…上手く言えないんですが、利益について失望してしまったのでは無いような気がするんです」


 技師と職人は呼び方が異なるだけで、本質的には似ていると思うのだ。何かを作って、誰かに提供する。そういう仕事を選んだり、従事している時点でおそらく精神的にも共通するところがある。


 「もう関わることができない…というか。自身の作ったものを人に提供する機会を失ってしまったことが辛いんじゃないかなって…」

 「機会を失った…というのはルーシャをもう作れない、っていうことですか?」

 「もちろん個人で作ることはできますが、それを手にとってもらう機会がなくなった。生みの親なのに、手塩にかける権利を取り上げられたような、そんな気持ちになったんじゃないかと思うんです」


 自身が手がけた商品に執着しない職人や技師は滅多にいないと思うのだ。きっとあの講師は否定するだろうし、無駄な執着だと一笑に付すだろう。それでも少なくない熱意を込めて生み出したものには違いない。執着をしないほうが無理があるのではなかろうか。そしてその執着は、誰かに手にとってもらえるところまでを含むのだ。


 「利益の問題と、気持ちの問題は別ですからね…。リゼさんの工房を所属勧誘しなかったのも、会長はこうなることを見越していたのかもしれません」


 とはいえ今回の件は少し強引な気もしますね、と少し思案顔になるルーさん。


 ファリエ会長はリゼさんの所属を促すようなことはしなかった。レストロは所属を促したけれど、結局利益が見込めたからだろうか。けれど、思いやりから物をつくるという「個」を持つリゼさんを勧誘しなかったのは不自然に感じる。会長にしてはあっさりしているというか、なんとなく腑に落ちない。


 とはいえ、筋の通っていない理屈ではない。技師から回路を生み出させ、その権威を商売にするのは間違いではないだろう。


 「嫌だな…」


 思わずつぶやいてしまう。この苦い後味はきっと、他人事ではないことを感じているからだ。回路を出し切ってしまえば、明日は我が身という逃れようのない事実が立ちはだかる。

 宛もないため息をつくと、ちょうどルーさんと別れる場所まで来ていた。


 「それじゃあ、また明日ですね」


 今までの話を受けてだろう、わざと明るい笑顔を見せてくれるルーさん。きっと俺の気持ちを少しでも軽くしようとしてくれたのだ。そしてその笑顔はもしかしたら彼女自身にも向けられているのかもしれない。

 くるりと背を向けて歩いていく彼女を見送る。こうして彼女と俺の歩く道は違う。彼女は管理官で、俺は技師なのだ。それは当然だろう。道が交わることはあっても、完全に同じ道を歩くわけではない。

 ローエンを信奉した時点で、俺は一人で歩いていく状況になったはずだったのだ。けれど、運良く学園生時代から並んで歩いてくれる人はいた。そのうちの一人とは離れてしまったが、それでも彼女の言葉は今でも大切に心のうちに残っている。

 

 リゼさんはどうなのだろう。彼女に並んで歩く誰かはいるのだろうか。


 日中の暑さが嘘のように消えた帰り道。それはどこかリゼさんが頷いたあの瞬間のような、無機質で空虚な冷え込みを連想させた。



 「おかえり」


 とぼとぼと末端技師が宿に戻ると、そこには意地悪そうな笑みを浮かべたニアがいた。時々いたずらっぽい笑顔を浮かべる彼女だが、今日はいつもより笑みが深い気がする。


 「って…どうしたの?リアン。なんかすごいしょんぼりしてるけど…」


 しかし俺の表情が想像以上に悪かったのか、やや心配そうな顔になる。


 「まあ…ちょっとね」


 珍しく自身の表情については自覚がある。駄々をこねたが望みが叶わなかった子供のような顔をしているだろう。おそらくとても情けない表情には違いない。今日は早く寝てしまおう。これ以上色々考えても、正論の現実に打ちのめされて、逃げ出したくなるだけなのは予想できる。


 「…うーん、なんか紹介しづらくなっちゃったなあ…」


 少し声色が優しくなったニアは、苦笑を浮かべている。気を使わせてしまったようだ。とはいえ紹介とはどういうことなのだろうか。


 「紹介…?」

 「そう、今日のお昼に来てくれた新しいお客さん」


 レストロのお客さんを俺に紹介…?というのはどういう風の吹き回しだろうか。



 「システィさんって人。絶対リアンの知り合いでしょ」



 風どころか嵐を目の当たりにし唖然とする俺を見て、彼女はもう一度意地悪そうな笑みを浮かべる。



 「あんな美人の知り合いがいたなんて、リアンも隅におけないね」



 ニアの冷やかしのような言葉が、遥か遠くから聞こえたような気がした。

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