第18話 受付嬢には敵わない
ハンブル商工会に朝日が入ってくるのと時を同じくして、アモーリテ製の奇妙な魔法道具の回路は大方目処が付いた。
T字を逆にしたような台座の頂点から、3つの棒がぶら下がったなんとも不格好な形である。
魔法道具はそれを生み出した魔法技師に似るのだろうか。
自身の道具に負けず劣らず不格好な技師は、小さいながらも暖かい個室からひっぱり出され、説教をされることになってしまった。
「あのね…確かにリアンはうちの宿のお客さんだし、口を出す筋合いはないとは思うんだけど…」
我が商工会の受付嬢の表情は、完全に残念な弟を窘めるそれである。
「毎晩毎晩、色街に出かけるのはさすがにね。若いのはわかるんだけど。同じ職場の人間としても、色街の常連が唯一の所属技師っていうのも外聞が悪いでしょう?」
サンライニにも色街はある。ノースモアには規模では負けるが、質は勝るとも劣らないとはファリエ会長の談である。聞いてないのに教えてくれる貴族であった。ちょっぴり興味が沸いたことは顔に出なかったはずだ。…多分。
「掃除を代わってまで一晩中遊び呆けるのは、どうかと思います。ちゃんと寝たほうがいいですし。いやぐっすり寝てるのかもしれませんけど!」
そして残念な技師を窘める姉はもう一人。兎耳を揺らす管理官である。
「まあ、リアンも男だしね。その…そういう欲にまみれてしまっても仕方がないのかも知れないけどさ」
「そうですね、リアンくんも年頃ですからね。理解しないとはいっていません。頻度が問題なのです」
まみれるって…頻度って…。
「二人とも分かってて言ってますよね…」
残念でぼさぼさ頭の不格好技師を窘める二人は、口では色々言っている。
しかしさっきからニヤニヤしているのだ。俺の信じた聖女はどこへ行ってしまったのか。ニアはいつもどおり、というかいつも以上に楽しそうだが。
「っ…ふふっ…貧乏だもんね…くふっ…」
「ちょっと…ふふっ…ニアちゃん…し…くふっ…失礼ですよ…っ!」
「もうそれ笑っちゃってるよ!どっちも失礼だよ!」
笑いを噛み殺そうとして盛大にしくじっていた二人は、ついに大きな声で笑い始めた。
「あはは!リアンしょんぼりしてると可愛いね」
「しょんぼりリアンさん…しょんぼりあん…ふふふっ…」
大変不名誉なあだ名をつけられた気がするが、もう深く考えるのはやめよう。
事実、徹夜明けの頭では考えはさほど回らないのだ。好きにしてくれ。
「で、毎晩抜け出して工房室に篭ってたってわけ?」
ひとしきり笑って満足したのか、軽く目尻を拭いつつニアが聞いてくる。
ルーさんは俺をからかった後、公国に報告業務があるらしく楽しそうに出掛けていった。
「まあ…そうかな。さすがにレストロではやるわけにはいかないし…」
「家は普通の宿屋だからね。魔法道具作り始められたら困っちゃうけど…」
ニアはそこで少しだけ視線を外して続けた。
「…少しは気になるよ。毎日夜抜け出していってるのが分かったら。それにあんまり寝てないでしょ?最近顔色悪いし。夕ご飯も朝ご飯も控えめだし、果実酒もあんまり飲んでないし…」
意外と観察されていたことに驚いてしまった。
確かに深夜工房室に篭った後眠くなってしまうといけないので、夕飯は控えめにしていた。朝ごはんも短い睡眠時間の後なのでさほど食欲が出ず、あまり量を食べられてはいなかったと思う。
顔色はもともと気にしていなかった。印象に残らない顔は、たとえ土気色をしていても見逃されるだろうと思っていたのだが。
「…あのね、私だって一応客商売をしているところの娘なの。お客さんのことくらいちゃんと見てるよ。意外そうな顔しないでもらっていいですか?リアンくん…?」
やや苛ついたような声色で始まり、最後のほうは妙な迫力まで帯びている。こわい。
余計なことを述べてはいけない。女性が怒っている時は負け犬には全面降伏しか道がない。
急いでこくこく、と頷いた。
「本当に分かってる?どうもリアンは私のことを悪女みたいに思ってる節がある気がする…」
…ば、バレているっ!
じとーっとした目で見られると、徹夜明けの頭も冷ややかな予感で冴えてくる。
「そ、ソンナコトナイヨ」
「…ほんとに嘘つくの下手だよね!はいはい、私は悪女ですよ。宿代の値上げも躊躇しないくらい悪女ですよ」
「っ!悪女様…!ご勘弁を!」
「悪女様って言っちゃってるよね!わざとでしょ!」
策士…!ハンブル商工会受付嬢の名に恥じない策士っぷりである。
「はあ…もういいよ。それで何作ってたの?仕事に関係ないから時間外にやってたんでしょ?」
策士は魔法道具に興味があるのだろうか。ルーヴの時も意外と食いついていたような気もする。
「こんな時期にやりだすんだし、花の日関係?」
「あ、ああ…まあそんなとこかな」
「…なんか凄い自信なさげだね。上手く行ってないの?」
「うーん…上手くいってるかと言われると難しいな…」
正直言って上手くいっているかどうかは判断できないのが現実なのだ。
キュリオさんと方針を固めてから一週間、木製での試作を何度か試してから現在アモーリテ製に取り掛かったところだ。
木製での試作では魔素抜きをすることは確かに成功したし、液体の入った瓶の中に一輪花が入っているようなものが出来たことには違いない。
中の花はウームではないが、製作してから数日で腐ったり枯れたりということは現時点ではない。
しかしながら観察期間が短く、通常の魔素抜きより長く持つかどうかは検証できていない、というか未だに検証中なのである。
つまり、作ってはみたが本来の目的を達成できているかどうか分からないのだ。
しかしそんな状態でも花の日は近づいてくるし、一週間後にはウームが入ってくる。
キュリオさんの本来作る分のウームもあるし、実験分、実際に贈る分含めて数は限られているだろう。
とりあえず現時点では、一日毎に花の様子や、液体の様子を観察したり魔素の濃さを測定したりして、観察を続けることしかできない。
「不思議なもの作ってるんだね…」
それが、個人工房室にある試作品を見たニアの第一声である。それはそうだろう、瓶の中に花が浮かんでいるのだ。触れもしないし、香りだってわからない。他の花と組み合わせて花束にもできないのだ。
作った後に思ったのは、花の楽しみ方のほんの一部しか提供できていないのではないか、ということだった。
「…これだと長持ちしそうなの…?」
「正直まだわからないんだ。理屈としてはそう予測してはいるんだけど、その通りになるとは限らない」
「そっかあ…」
ニアの反応はやはり芳しくない気がする。
王都で流行した服をあっという間に取り入れた受付嬢である。ファリエ会長には丈を改造されそうになっていたが。
彼女は贈り物に関しても感性は高いだろう。この瓶詰めの花はどう映るのだろうか。
「どうしてウームを長持ちさせたいの?」
瓶から目を離し、くるりとこちらを向いたニアは少し真剣な表情だった。
普段との様子の違いにやや戸惑ってしまう。
「なんかリアン、気合入ってる気がする。いや…腕輪作った時も頑張ってたとは思うけど」
「腕輪の時は、暮らしが懸かっていたしね…」
「それはそうだけどさ。でも今回は暮らしはそこまででもないでしょ、もうすぐお給料でるし。それにこの魔法道具…だよね?これ、自分でこのアモーリテだっけ…買ったんじゃないの?所属が決まったときの一時金使ったんでしょう」
「まあ…そうかな。ほら、仕事じゃないしさ。商工会にお金もらうわけにはいかないよ」
実験中のものを売り出すのはちょっとね、と俺は続ける。
長持ちを目指しているのに、長持ちするか実は分かっていないものを売ったらそれは詐欺になってしまうだろう。
「それで、誰に贈りたいの?」
もう一度真剣な顔でこちらを見るニア。
どうにも誤魔化しができそうになくて、両親のこと、兄のこと、掻い摘んで話すことになってしまった。
少し長い話を聞き終わったニアは、ルーヴの話をしたあの時と同じ表情で答えた。
「リアンてさ、ホント損な性格だよね」
いや、さほど損はしてないとは思う。むしろ恵まれた環境にいたのではないか。顔だけは兄と比べると損している気がするが、寛大な神様的には誤差ではなかろうか。矮小な負け犬には大差に感じるが、親を恨むほどではない。
「リアン一人に任せてたら、何作っても絶対売れそうにないもん」
「ええ…」
歯に衣着せぬとはまさにこの事である。
最近袋小路を壊されたり、突風が吹き込んだりと天変地異の続いた胸の内。そんなほとんど防御のない心に大軍が攻め寄せてきた印象である。
もう白旗を振っているのだ。非人道的な行いは慎んでいただきたい。
「贈り物なんでしょう?リアンには感性が足りない!」
「…やめてくれよ…俺は比較的落ち込みやすいんだ…」
「ふふっ…でも本当のことじゃない。服にも気を使ってないし、頭だって今ボサボサだよ?色街だって相手を選ぶかも」
「本当のことが一番傷つくんだ、…分かってて言ってるだろう」
あはは!と気持ちよさそうに笑うニア。
仕方がない、感性のなさは本当のことなんだし。服や髪の毛に頓着したことはない。流行りも知らないわけではないが、取り入れるようなことはあまりなかった。
昔、システィにも服の選択は絶望的だ、と言われたことがある。…思い出してしまった…悲しい。
「でもね、これもっとよくなるよ。もっと綺麗にできる、贈り物らしくできる。瓶の中にふわふわ浮いてるなんて新しいもん。例年と違うものなら新鮮だし、これ他では見たことない。ノースモアにだって無いんじゃない?」
言われてみればそうである。というかそれも当たり前なのだ。突拍子もない発想だというのはキュリオさんと話した時から自覚はある。
「見た目は私も色々意見を出すよ。手伝えることがあれば言って。きちんとやれば売れる…と思う」
最後は少し自信なさげになるところが、なんだかとても庶民らしい。こういう所はサンライニ特有のあまり気取らない気質が影響しているのかも知れない。
「いや、別に売れなくてもっていうか…ニアはこれ売るつもり?」
俺が正直な気持ちを零すと。
はあ?と心底呆れた顔をしてニアは言い放った。
「売らなきゃリアンが損するばっかりで終わるでしょ。あのさリアン、自分がどう見えてるか少し考えた方がいいよ?」
「えっ…そんなに良くない…?」
流行には乗れなくても清潔にはしてるつもりなんだが。
「勘違いしてるのは面倒だから置いておくけど。良くない、とても良くない。すごく良くない!」
「なんでちょっと怒ってるんだ…」
はああああ、と大きな溜息をつく悪女はなんだか不機嫌である。
「リアンが贈りたい人だけを考えれば想いは伝わるかもしれない。ウームが枯れやすいのを知らなくても、作ってる技師がどんな性格してるのか家族はよく知ってると思うし」
ニアは瓶の一つを指でつつきながら言う。若干子供が拗ねているような仕草である。
「でもね、それだけじゃ商売にならない。わかるでしょ?」
それはそうだ。贈ろうとしている人も少ないし、キュリオさんが技術を上手に活かしても来年以降だろう。
「もっと広い相手のことも考えなきゃ可能性がない。リアンの一極集中なところは技師としては良いところなのかな、とは思うけどそれだけじゃ足りない」
悪女はまっすぐ負け犬技師を見つめて続ける。
「例えばルーさんはどう?弟に負けない贈り物が欲しい、って言ってたでしょ?」
「ああ…そういえば…」
「見た目だけで言えば相当違うし、水の中に入れる花を増やすことを考えてもいいんじゃない?できるか知らないけどさ!」
その言葉にはっとする。確かにそうだ。応用になってはくるが、仕組み的にはあまり変わらないし、数本なら可能かもしれない。
「瓶だって工夫できるよ。ノースモア風に紐で結んで飾り付けしてもいいし、瓶の形だってキュリオさんなら種類を考えられるでしょ」
「確かに…」
あのね…、と少し溜息混じりにこちらを見て、一歩距離を詰めて看板娘候補は言う。
「一人だけでやってるんじゃないんだよ?
私だって一応同僚なんだから、売れないとか、無理とか思わないで相談くらいしてみてよ。
みんながみんな、リアンのことを否定するわけじゃないの。少なくともここは、会長は、リアンを評価してるからお給料だしてる。キュリオさんも手伝ってくれてるんでしょ?
リアンの個人的な思いつきからだっていい。可能性があるかもしれないんだから、一緒にやってみるくらいしたっていいじゃない」
責めるというより、諭すような口調で彼女は話す。
いつものようにからかうわけではなく。やっぱりどこか残念な弟に言い聞かせるような様子で。
「リアンの視野が狭いのはよーくわかったから!私が、というか私達がお金にしてあげる」
もちろん儲かった分はしっかりもらうよ、と楽しそうに笑う。
「物だって、人だって、良いところは一つだけじゃないでしょ。この瓶詰めの花?…名前も考えないとね…まあそれは後でいっか。これだって、長持ちするだけが売りじゃない。工夫すれば目新しさとか綺麗さも売りになるし、贈り物として喜んでもらえる。
ルーさんに喜んでもらえるなら、他の女性も喜んでくれるかもしれないでしょ?」
視野は狭いことは自覚していたつもりだったが、まだまだ甘かったらしい。
まずはその行動を。自分の小さい世界がすべてだと考えていた自分を、変えていかなくてはならないのだ。
まったくもって脇役が染み付いている。協力者など皆無だとばかり思っていた。
勝ち誇ったような笑みを浮かべる悪女のほうがよっぽど賢い。本当に良い物を生みたいのなら、伝えたいのなら。なりふり構っている暇などないのだ。
ルーさんをもう一人の贈り先にしよう。
それも一つの挑戦である。綺麗さや目新しさで彼女に喜んでもらえるか。
うまくいくかは分からないけれど、じたばたしてみたって損などない。
「ニアの言ってることは良くわかったし、本当にその通りだと思う。…改めて知恵を貸してください」
「任せなさい!」
視野が狭いのなら、もっと周りが見えている人に協力してもらうという手があったのだ。
技師のキュリオさんにだって頼れるのだ。
こんなにありがたく、心強いことはない。
「それから。ちゃんと寝て、ちゃんと食べて。儲けの大元が倒れたら、タダ働きになっちゃうし。それに…」
「…悪女だって心配くらいするんだよ」
果実酒くらいなら出してあげるから。
そう照れたように笑う彼女を見て。
この看板娘が手渡しで売るだけで利益が見込めるかもしれない、そんなくだらないことを考えてしまった。
したたかで、策略家で、現実主義な、我が商工会の受付嬢には敵わない。
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