第19話 リアン教は忘れない

 キュリオさんの工房は花の日が近づいてくると大忙しであった。

 何しろ例年でさえウームの魔素抜きと加工で忙しいのに、今年は妙な若造の実験のためにグラス瓶の製作もやることになったのだ。

 グラス技師として確かな技術をもつ彼も、手間もかかれば時間もかかる見通しにさすがに閉口していた。



 結局ニアから指摘されたことは非常に単純であった。


 「中身が可愛くない!」


 単純だからこそ、感性の低い技師と、子猫族のおじさん技師は頭を悩ませることになった。

 「可愛い」というのは率直な意見なようでいて、その実大変漠然とした意見でもある。キュリオさんはともかく、俺は女性に贈り物をすることなどまずなかったのだ。贈られる側の女性に対する感覚は皆無である。


 家族に贈るだけならまだしも、ルーさんにも気に入ってもらえるようにという目標もできた。

 ここに俺とキュリオさんは「可愛い」への挑戦を余儀なくされることとなった。



 まず取り組んだことはウームを中心に他の花も液体の中に浮かべて、見た目の華やかさを演出することだ。


 確かに言われてみれば、ただただ研究、観察用に瓶詰めにされたような味気ない見た目だったと思う。しかし彼女の指摘はもっともだったが、それを可能にするためには魔法道具の改良が必要となった。


 ここで主に活躍したのがかつて試作で却下された、木製の魔法道具から魔素を追い出す回路である。


 この回路、魔素を追い出すために魔素を流すというちょっと変わった仕組みになっている。


 魔素を追い出す、という技術は結局魔力を使って魔素を動かすことに他ならない。通常の魔素抜きなら、魔素を抜きたい物に対して魔力を加えて魔素を追い出すのだ。

 ただ回路を使うと、別のやり方でもこれを実践することができる。


 魔素に魔素を引っ張らせる。それが魔素抜き回路の本懐だ。

 魔素を光らせる仕組みがあるように、魔素そのものに特質を付与するようなことも回路を使うと可能だ。

 魔素抜き回路は魔素に対して、近くの魔素を集めるような特質を持たせる。そしてその特質を持った魔素を勢い良く流すことで、多くの魔素を外に引っ張っていってもらうのだ。


 このやり方の範囲は狭く、回路を通ることができた魔素にしかこの特質を乗せることができない。回路を発動させて効果を得るくらいなら、単純に魔素抜きをしたほうが手軽だし簡単なのは間違いない。

 しかしこの回路の良いところは別にある。


 回路ということは魔法道具の回路に付け足してしまうこともできるのだ。

 つまり魔法道具本来の効果を求めて魔素を流すと、同時に魔素抜きが進む。魔法道具を使うと、勝手に魔法道具の整備が行われるわけだ。

 ただ魔素抜きが行われる関係で、道具本来の回路を動かすための魔素が少なくなりがちではある。

 長時間使い続けるような魔法道具で合った場合は、この回路が無い方が使いやすいだろう。逆に言えば、短時間でいいものなら問題ない段階まで無駄に改良した。


 この回路の理屈が魔素抜きには活かせそうだ、というのが今回の花の瓶詰めを思いついた理由でもある。

 結局今回作った魔法道具は、予定どおりこの回路を思い切り使うことになった。


 最終的に出来上がったアモーリテ製の魔法道具は、T字型を反対にしたような台座に、その頂点から一本の棒がぶら下がるような形をした、なんとも奇妙なものになった。

 

 始め棒は3本ぶら下がっていたのだが、複数の花を浮かべることになったことを鑑みて回路を改良した結果、なんとか1本にまとめることができた。


 一連の作業はそう難しくない。

 まずグラス瓶の中に魔素を抜いた水を入れ、複数の花を浮かべる。そして、浮かべた花に対してぶら下がった棒を触れさせて魔素抜きを始めるのだ。

 台座に仕込まれた回路の効果で、棒の先からは魔素を引きつける特性のある魔素が流れ込む。これによって花の中から魔素は引っ張り出されて水に流れ込む。

 

 ここで期待以上に魔素を引っ張ってくれる効果が続いたため、途中で樹液を足しながら作業をする必要はなくなった。却下された試作だったが、こんなところで予想以上に働いてくれて少し泣きそうになった。

 近くにいたニアがぎょっとしていたが気にしない。嬉しいものは嬉しいのだ。


 そしてもう一つ思いがけない効果があったのは、グラス瓶にまで魔素を引っ張って行ってくれるようになったことである。

 これはキュリオさんのグラス加工技術あってこそなのだ。


 キュリオさんは宣言どおり、瓶の内側は魔素が入り込みやすくなるように繊細な作業を買って出てくれた。

 このおかげで魔素が非常に流れ込みやすくなった。結果魔素を引っ張るための回路を強力にすることで、勢い良くグラス瓶まで魔素を到達させることができたのだ。若干力技だが、それを可能にしてくれたキュリオさんには頭が上がらない。


 このようにして花の中の魔素をグラス瓶にまで到達させると、グラス瓶は真っ白になる。

 そして真っ白になった後も勢い良く魔素を飛ばし続けることで、最終的にはグラスの外にも魔素を飛ばすことができた。つまりはグラス瓶が透明になればその時点で作業は終了だ。


 いくつかの幸運に恵まれたこともあり、無事魔素抜きの工程は完了した。作業終了後に魔素が入っていくのを避けるため、樹液を水に足すことで一応の完成だ。


 透明な瓶の中に数種類の花を浮かべることはこうして実現したのである。


 ちなみに水の魔素を抜くのも、大きなグラス瓶に水をまとめて行っていたのだが…。

 その後水の沢山入ったグラス瓶をみるだけで、身体から魔力が抜けていくような感覚に陥るほど、苦行であった。



 後は数を揃えるだけかと思っていた矢先、受付嬢から次の要求が届いた。


 「瓶が可愛くない!」


 歯に衣着せぬ物言いに、そうだった、と俺たちは頭を抱えることになった。


 そもそもグラスには可愛さなど求められないのだ。グラス瓶だって可愛いかどうかではなく、中身の視認性や持ちやすさ、壊れにくさなんかに気を使う。

 ところが、我が商工会の悪女は容赦が無かった。ああでもない、こうでもない、と言いながら新しい瓶の形を提案し、キュリオさんに作らせるという光景が繰り広げられることとなった。


 作業を秘密にしていたルーさんも途中から顔を出し、紐で結んで飾り付けをしたり、中に入れる花をいろいろと買ってきてみたりと、積極的に関わり始めた。

 当然ファリエ会長もやってきて、今回作った魔法道具を喜々として使いだし、花の瓶詰めは思った以上に数が揃うことになった。


 作業がいよいよ追い込みになってくると、ニアは料理を作って持ってきてくれたり、果実酒を差し入れしてくれたり、工房の掃除をしてくれたりと技術以外のところで様々支えてくれた。


 「エクペル」と呼ばれるようになった今回の魔法道具は、気が付けば2つに増え、自分用に買っておいたアモーリテの在庫はなくなった。成形機のためにティーラ区の貸工房に通うので、もらったはずの一時金も底をついた。

 契約にあった給料日は花の日の後である。それまでは一時金の底を何度もさらって、わずかに残った砂でもあつめて生きていかなくてはならないだろう。


 しかしそれは些細なことだと思うほど、楽しかったのだ。


 今この瞬間が大切で、暖かくて、貴重なものであること。

 負け犬だからこそ、そのことを本能で理解しているのだ。



 

 花の日当日。

 様々な形の瓶が並ぶキュリオ工房の前。そこには魔素抜きを終えたウーム達が並ぶ。


 その列の中、透明な液体の中に数種類の花が浮かぶ少し変わった新入りは、サンライニの日差しを受けて少し誇らしげにしているように見えた。



 看板娘は愛想の良い笑顔を浮かべながら、立ち寄ったお客さん達に新商品の説明を始める。


 「ウーミィって言います。キュリオ工房の新商品なんですよ。数には限りがあるのでお早目にどうぞ」


 美人の笑顔にほだされてなのか。それとも水に浮かぶウームに惹かれてなのか。

 結局どっちなのかは定かではなかったが。


 キュリオさんと、ハンブル商工会が一緒になって取り組んだ新商品は、あっという間に売り切れたらしい。



 …らしいというのは、商品を並べた後、俺とキュリオさんは工房の奥で睡魔に白旗を上げていたからである。

 

 二人とも倒れ込むように床に転がり、達成感よりはるかに疲労感が勝った結果、お客さんの反応を見ることは叶わなかった。

 まあ子猫族でそれなりに名の売れたキュリオさんはまだしも、何処の負け犬かもわからない技師が店先にいても、売上にいい影響はでないだろう。


 肩を揺すって起こされた時、目の前には満面の笑みの看板娘がいた。


 「売り切れだよ。おめでとう」


 その笑顔はどこかいつもの悪女的笑みではなかったような気がした。

 …というのは売り切れという事実を聞いたことで驚愕し、気が動転していたからかもしれない。

 

 「あはは!リアン、大丈夫?」


 多分俺はよっぽど面白い顔をしていたはずだ。


 はじめは売れないと思っていた。その後、多くの人に手伝ってもらったので、できれば3分の1くらい売れたら嬉しい。残ってしまったら給料から天引きで買わせてもらえば、まあ一応責任を取る形にはなるかもしれない。くらいの感覚であったのだ。


 「ふぁ…、売れたな…リアン。まあ名前が良かったんだろうな!」


 隣ではもそもそと身体を起こし、顔をこするキュリオさんがいた。


 「ウームとミィミでウーミィ…。愛と感謝に溢れてるだろ?花の日にぴったりだ」


 誇らしげにする名付け親。確かに奥さん愛には溢れているかも知れない。

 

 「よかったですね、キュリオさん。奥さん戻ってきてくれるそうじゃないですか」


 臨時で売り子をしたルーさんが嬉しそうに言う。

 結局この名付けをしたこと、ウーミィを渡したこと、忙しい合間を縫ってミィミさんに会いに通ったことで、近くミィミさん達は戻ってきてくれるらしい。

 そのことが決まったのは作業の追い込み中だったが、そこからのキュリオさんの頑張りは尋常ではなかった。


 「その点は姉ちゃんたちには感謝してるぜ。結婚したところで女心ってのはわかんねえもんだ」


 上手に二人のヨリを戻すための作戦は、我が商工会女性陣の入れ知恵だったようだ。さすが聖女と策士である。

 


 ルーさんがとても嬉しそうにウーミィを受け取ってくれたこと。

 ミィミさんとキュリオさんの仲を取り持つ小道具になってくれたこと。



 贈ろうと決めたことで。情けない願いと自己満足を込めてじたばたしようと決めたことで。

 確かに何か変わったのだ。

 

 拍手喝采も、女性たちの黄色い歓声も。俺には一生縁がないだろう。

 それでも、近くにいる人の、俺のことを知っている人の、顔をあわせたことがある人の笑顔には縁があったのだ。

 ウーミィについて楽しそうに話す協力者達の笑顔が、俺にはもうどうしようもないほど大きくて、受け取ったことのない何かを押し付けてくるのだ。


 出来損ないの技師だってぶつかれるのだ。誰かに助けを求めることだって許されたのだ。自分の存在を認めてもらえたのだ。

 極めてわずかであっても、他人からは呆れられるほどのものであっても。じたばたすれば、何かが動くのだ。


 本当に他者というのは理解できない。俺の理解の範疇を超えている。一生理解なんてしきれないだろう。

 それもそのはず、脇役の予想を飛び越えていくのが主人公なのだ。あらすじに現れるほど、人々が語り継ぐほど、驚きと感動を与えてくれる存在なのだ。


 「なーに泣いてんだよ、リアン」

 

 いつの間にか滲んでしまったサンライニの青空の下、キュリオさんの優しい声が降る。

 ふいに肩を叩かれる。くすくすという笑い声の主はファリエ会長だろう。もう目に映るものはめちゃくちゃだ。



 「…みんな、ありがとう…!」



 あんまり笑わないでくれ。

 噛ませ犬が心をいれかえる展開も珍しくないのだ。負け犬が嬉しくて泣く話があってもいいじゃないか。


 リアン教は感謝を忘れないことを、今決めたのだ。




 「いやあリアン、ありがとな!異国の魔法技師様には足向けて寝られねえぜ!」


 ウーミィの販売や製造は、今後キュリオ工房で行うことになった。

 若干不自然さを感じるほどウーミィは現在ティーラ区では人気が出ている。製作に関わった技師としては嬉しい限りではあるのだが。

 多分我が商工会の悪魔が、あの手この手で流行を作ったような気もする。


 ウーミィの製作者はキュリオさんと発表され、利益は工房が得ることになり。

 同時にキュリオ工房は、この度正式にハンブル商工会の所属工房となった。


 またウーミィ自体もその名前の範疇を超えて、色々な花を用いて作られるようになった。長持ちのために製作を始めたものではあったが、想像以上に見た目の新鮮さに惹かれるお客さんが多かったのだ。

 確かに色とりどりの花が水の中に浮かぶ様子は、製作初期の頃からすれば見違えるようだ。キュリオさん謹製の透明感あるグラス瓶に納められたそれは、サンライニの日差しを取り入れながら誇らしげに輝いている。


 加えて引き続きの調査の結果、花そのものの持ちは想像以上であり現在に至るまで花は元気一杯だ。

 ただ、現在手にしている方々にとっては些細なことかも知れない。いづれにせよ美しい見た目がウーミィの価値として広く認められたのである。


 俺の感性だけで進めていたら、こうはならなかっただろう。現在ではウーミィ入荷日には朝早くから数人が工房前に並ぶそうだ。関わった人間としては、その事実がたまらなく嬉しい。


 そんな事情もあり現在ハンブル商工会では、一階の一部に商品を並べられるように改装中だ。

 キュリオ工房は未だグラスが主であるし、朝から押しかけられるのは面倒だという理由で、我が商工会で販売を請け負う形を目指しているからだ。

 ニアも花の日のように臨時ではなく、いよいよ受付嬢兼看板娘という新たな道を進み始めそうである。


 「花の日はうちじゃなくて、キュリオの所で販売して正解だったね」


 満足気に頷くのはファリエ会長である。花の日は商工会に並べようとしていたウーミィであったが、キュリオ工房のほうが客足があるだろうという理由で、ウームの取扱いも一旦取りやめ、急遽そちらで販売をしたのだ。

 結果的に売り切れたし、現在の人気ぶりからしてもその選択は正しかったといえるだろう。


 そしてその儲けはキュリオさんの工房にも入りつつ、結局所屬料という形でハンブル商工会にもそれなりの部分が流れてくるようになっている。

 初めから俺が何か取り組み始めた段階で、その技術で出る儲けはキュリオさんの工房に入るように根回しがされていたらしい。


 今回売上に結びつかなかったとしても、そこで生まれた技術に関してはキュリオさん側で好きに改良できる。

 売上が一定以上出た場合は、商工会に所屬してもらい所属料を支払ってもらう。


 こんな取り決めがあったからこそ、キュリオさんが手を借してくれたという側面もあったようだ。キュリオさんもファリエ会長もある程度賭けの部分もあったが、今回はお互い賭けに勝ったといえるようだ。

 その証拠に二人とも心底嬉しそうな表情を浮かべていた。


 ウーミィを手渡しで売っていた受付嬢と管理官は、花の日に訪れた男性を中心に話題になっている。

 今までのキュリオさんにはない感性で作られたウーミィは、彼女たちとの共同商品だというのが街の共通認識だ。なかなかに鋭い。

 端正な顔立ちに、爽やかな笑顔の商工会長もティーラ区の女性の間で人気沸騰中らしい。


 このように我が商工会の印象、キュリオ工房の印象はどんどん良くなっている。だからこそ言えないのだ。


 そのウーミィ、使う道具も中身も。夜な夜なボサボサ頭の冴えない技師が作ってますよ…とは。


 契約的にも言わない規則だが、修理依頼に出かけた先で盛り上がる方々を見ていると、若干の後ろめたさを感じるのは自意識過剰なのだろうか。


 ちなみに俺の周囲からの評判は、勢いのあるハンブル商工会が末端仕事を回している技師、というところに落ち着いた。修理の依頼料も抑えめになっているからなのか、街の人からも優しくされ扱いは悪くない。

 ときどき受付嬢を紹介してくれないかと頼まれるが、末端には接点なんてほとんど無い、と告げると納得してくれるのも助かる。


 そんな末端技師にも無事給料が出て、今月は特別手当ということで契約で決めた金額に少し色がついた。

 せっかくだし、と使い切ったアモーリテを補充することにした。これでまた楽しい時間が過ごせたらという自分勝手な願いを込めて。


 ボサボサだと指摘された髪の毛も、実家に帰る前に切っていかないと。服も少しなら新調する余裕がありそうだ。



 家族用にギリギリで用意したウーミィは個人工房室の作業机の上。

 魔法技師がなんとか作った不格好なグラス瓶の中で。



 心が動いたあの瞬間の輝きを、今も変わらず放っている。

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