第16話 相手の心は分からない

 ウームを届けよう。

 とにかくそう思った。


 感謝を表すこの花を贈ることで、置いてきた罪悪感のようなものを消したい、という利己的な考えのもとかもしれない。その行動によって自身の心の整理をしたい、という矮小で愚かな人間性の証明だと笑われるかもしれない。


 それでも、俺はいつの頃からか見落として来たのだ。

 自己中心的であったとしても、俺の出発点が何だったのか。何を達成したくて、何を願って魔法技師への道を歩き始めたのか。どうして折り合いをつけることができず、情けない3年間を過ごしたのか。


 その先に人がいたのだ。届けたいと思った人がいたのだ。

 自身の理想の中に、もうすでに他人がいたのだ。

 思い通りにならない現実に駄々をこねている暇は無かった。

 同じ技師に対して主張を繰り返し頑なな姿勢でいる時間があったのなら、誰かに届けるための魔法道具を作って、届ける努力をしなくてはならなかったのだ。



 これからやろうとすることは、新しい贈り物を作ることだ。

 人気があり、すでに喜んでくれることが分かっている贈り物を選ぶことではない。



 その考えは、純粋に相手を思う気持ちだけで構成されるとはいえないだろう。相手が喜んでくれるかどうか分からないものを作るというのは、間違いなく自己満足のための行動である。

 相手が喜んでくれそう…というのは想像でしかないし、どこか「相手が喜んでくれそうなことに取り組む自分に満足する」という感覚がつきまとう。無意識であっても、そのことを否定するのは難しいのではないか。

 結局技師としてはもちろん、人間としても自己中心的なのは変わっていない。人間としての品質は情けなくなるほどに低いのは自覚できた。


 それでも、自分の心の中にしか存在しない空想の対象に向け、試作を重ねた日々から脱皮しなければならないのだ。

 現実に存在する本当の誰かに向けて、ぶつかっていく時がやってきたのだ。たとえ否定されてもそんなものは慣れっこだ。もともと人に受け入れられるような宗教をやっているつもりはなかったじゃないか。

 

 リアン教は限りなく邪教っぽいのだ。


 自分のことばかり考えてきた自己中心的で孤独な教祖だけれど。

 それでも誰かが喜んでくれたら嬉しいのだ。序章で倒されてしまいそうな噛ませ犬だからこそ、そんな笑顔を向けられ、感謝される主人公に憧れるのだ。


 噛ませ犬は頭が悪い。上手なやり方なんて思いつかないから、今の自分なりに誰かを意識しながらやってみよう。情けなくあがいてみよう。弱い犬ほどよく吠えると言うし、役割的にもちょうど良さそうだ。


 スタンレイの言うとおり、この機会を逃して「後悔したら負け」なのだ。それなら不戦敗より完敗のほうがずっといい気がする。大負けすれば序章の見せ場になれるかもしれない。


 腹はくくった。

 噛ませ犬な教祖として、身勝手な感謝を押し付けるのだ。リアン教の無様で滑稽な経典に、語り継がれもしない新たな悪行を連ねてみせよう。




 教祖の朝は早い。…というのはここ最近である。


 ルーさんが普段やってくれている商工会の掃除を肩代わりすることにしたのだ。目的は朝早くに商工会に入ることである。

 転移扉に触れたり使ったりするにはルーさん、ファリエ会長がもつ魔法道具が必要だ。なので、商工会自体の鍵が開けられても、最大の機密には問題はない。

 そのことにつけ込み、朝早くの掃除を受け持つ代わりに商工会の鍵を預けてもらうことにしたのだ。これによって、朝早くから個人工房を使うことができる。また夜にこっそり来て、個人工房に篭もり作業をすることもできる。


 これにより周囲の人々にバレないように作業をすすめる環境を確保することができた。


 理由は簡単である。普段の修理の仕事を疎かにはできないし、今回の件はおそらく金にならない。得をする人がいなそうな自己満足だ。そのためにおおっぴらに商工会の施設を使うのもどうにも申し訳ない。周囲に悟られないようにこっそりと作業を進めたい。

 …作業の途中でうっかり見つかり、「なにそれ?必要?」とか言われると挫けそうだから、なんてことはない。同じ評価ならやりきった後で言ってほしいのだ。やりきることが大切なのだ。それくらいしか財産にならなそうなのは内緒だ。


 

 さて、今回一番問題になるのは時間である。

 つまり、ウームをどうやって今以上に長持ちさせるか、ということだ。


 なぜ長持ちさせる必要があるのか。1つはノースモアの家族に贈りたいからだ。


 月に一度戻れるかどうかという今の状況では、次にノースモアに戻るまでにはかなり時間がある。キュリオさん謹製のウームでも枯れてしまうだろう。

 新しく摘んでくるにしてもその頃には花の旬は過ぎ、まず手に入らないそうだ。

 となると、現時点で手に入るウームを長持ちさせる以外に方法はないと見ていいだろう。


 優秀な兄と差別せず愛情を注いでくれた両親には感謝している。連絡を催促されるようなこともなく、学園での成績や俺の思考についても責められることすらなかった。当たり前という人もいるかもしれない。けれど窓際を通り過ぎ屋外にいたような半端者の劣等生には、それがとても暖かかったのだ。


 兄夫妻にも感謝している。俺とは住む世界も、暮らしぶりもまるで違う。劣等感の塊で、あまりいい表情も見せてはいなかっただろう俺に対して、騎士団の愚痴を言ってみせたり、自らの情けないところを隠さずいい格好をみせないことで和ませてくれた。

 兄嫁も俺を邪険にすることなく、むしろ非常に友好的に話をしてくれた。聞き役になってくれたり、兄と一緒になって窓際で荒みつつあった心を癒やしてくれたと思う。


 俺はそんな家族に対して、感謝をはっきりと口にしたことは無かった。


 気を掛けてくれていた両親にもまともに連絡をしていない。ありがたいとは思いつつも、しっかりと感謝を表現せず、向ける先のない居心地の悪さを持て余すばかりであった。


 言葉にするのは照れくさいし、上手くできないだろう。だから、ウームを贈ることから改めて始めたいのだ。

 情けない第一歩だけれど、この行動の中に何か大切なものがあるような気がするのだ。



 もう1つの理由は単純だ。

 今回の共犯が師匠だからである。


 「にゃふふ…面白そうなことやってるじゃねえか」


 ウームを手に入れるにしろ、その技術的な面にしろ、キュリオさんには教えを乞う他なかった。

 はじめは秘密にしようかとも思ったのだが、ウームのことを教えてくれた彼にどことなく不誠実になる気がして、新しいやり方を開発したいという話をしてみたところ、大層乗り気になってくれた。


 「協力は惜しまねえが、できればその中で枯れるまでの時間を長くするってことには挑戦してほしい。俺も色々考えてきてはいるが、異国の技術をもった技師がどういう工夫をするのか見てみたいんだ」


 技師としての顔を見せるキュリオさんにそう言われては、断るどころかやる気になってしまう。俺の目的にも適っているし、その方向で開発を進めることにした。



 「とはいっても…魔素が濃い環境ではなおさら辛いか…」


 個人工房にこっそり通い詰めるようになって数日。色々試してはいるが試すほど花の寿命が短くなっていっている。

 キュリオさんがやっている、葉っぱの中にある色の濃い筋を切る方法は、かなり洗練されていると言っていい。つまり改良の余地がほとんどない、ということだ。

 切り方を色々と変えてみたり、切る本数やその際に流す魔素の量も色々と調整してはみたが、それでも結果は芳しくない。未だにキュリオさんの作るウームのほうが元気である。


 ただここ最近の試作で分かったこともある。

 ウームは周囲の魔素の濃さと、自分の中の魔素の濃さをどうやら同じくらいにしたいらしい。

 これはキュリオさんが作っているグラス製の瓶に詰めてみたことでわかった。魔素を沢山込めた瓶の中に閉じ込めたものと、閉じ込めていないものだと、同じ加工をしても枯れるまでの時間が違うのだ。

 魔素を沢山込めたほうがあっという間に魔素を吸って、あっという間に枯れていく。ウームの中の魔素を抜けば抜くほど枯れるまでの時間も短くなる。


 ということはだ。ウームから魔素を抜いた後、魔素がまったくないところに閉じ込めればいいのではないか。

 魔素を保持していないからウームは成長しないし、魔素を補充しようとしても周囲には無い。極端な話だが、枯れないという可能性もあるかもしれない。


 ただこの説が正しかったとしても、魔素が完全にない状態を作る方法はないだろう。魔素はどこにでも存在するとされてるし、実際に魔素がないなんて場所のあてもない。

 そんな場所があったとしても、その状況を再現するには長い研究と時間がかかりそうだ。その間に今年のウームは切れてしまうだろう。


 「うーん…一体どうしたものか…」


 頭を悩ませていると、コンコンと個室の扉が鳴った。

 現在は深夜である。商工会が締まり、レストロで夕ご飯を頂いた後、こっそりと部屋を抜け出してここへ来たのだ。

 まさか、商工会の誰かに見つかった…?

 仕事に直接関係ないことを商工会の部屋をこっそり使ってやっている状況だ。明かりの魔法道具向けのほたる石も、材料費も自分もちだし、隠し立てするようなことは無いはずだが、私用で部屋を使っている事実は変わらない。できれば見逃してほしいのだが…。


 「おーやってるねえ。関心関心!」


 扉が開いて声を掛けてきたのは、ファリエ会長だった。



 「新しい魔法道具の開発かい?」


 深夜でも雰囲気は変わらないファリエ会長が楽しそうに覗き込んでくる。

 聞くところによると遅くまでノースモア側で打ち合わせがあったらしい。こちらへ戻ってみると個人工房室に明かりがついていて気になって覗きにきたそうだ。

 俺の姿を確認した後、暖かなお茶を淹れてきてくれた。


 「いや…魔法道具ってわけじゃなくて、魔素抜きの延長線上っていうか…」

 「あ!キュリオに影響された?彼、腕は良いからね。奥さんに逃げられちゃったらしいけど…くくっ…」


 人の不幸をなんて楽しそうに笑うんだ…。やはり悪魔である。


 「子猫族の奥さんは構ってもらえないと拗ねちゃうらしいからね。可愛いよね」

 「まあ…確かに見た目も可愛らしいですよね、子猫族の方は」

 「特に子供たちは懐っこいし…ノースモアには無い魅力の一つだよね。ヴィクトに初めて行ったときには驚いたよ。陽人族ばっかりなんだもの。こっちじゃ少ないから、それはそれで衝撃を受けたね」


 ファリエ会長はそういうと、俺の作業机を覗きこむ。


 「それで、ウームの研究…?キュリオに何か頼まれたの?」

 「一緒にやってるって感じですかね、長持ちさせる方法はないかなって」

 「おお、そりゃ面白そうなことやってるねえ」


 ニヒヒ、といった笑い方を見せる貴族。庶民の世間話の際に出そうな表情に、やっぱりこの人は変わっているんだな、と改めて思う。


 「それで、どうしてウームについてやってみようと思ったんだい?その口ぶりだとリアンから言い出したようにも聞こえるけど」

 「いや、まあ…勝手なことをして申し訳ないんですけど…」

 「いやいや、全く問題ないよ。たださ、リアンが自分から言い出すっていう理由がちょっと気になって。アローグの時も最後のほうは試作してなかったって話してたよね」


 ファリエ会長とは所属が決まってから改めてアローグでの話をした。俺を責めたりせずに最後まで話を聞いてくれる悪魔に、ちょっと感極まったのは一生の不覚である。


 「その、感謝を示すっていうことしてこなかったんです。俺自分のことで手一杯で」

 「ははあ…なるほどね。まあ余裕のあるリアンっていうのもあんまり想像できないなあ」


 クスクスと笑われる。どうせ小物ですよ…。


 「ノースモアの家族に贈ろうと思って。喜ばれるかどうかは分からないんですけど、何かできることがあればやっておきたいなと。技術的な自己満足だろうとは思うんですけどね」

 

 俺が自嘲気味に笑うと、ファリエ会長はからかうような笑いをやめ、腕を組む。

 そのまま目を伏せて、うーん…と少し考えた後、柔らかい表情でこちらを見た。


 「私はこの世に自己満足でない贈り物なんかないと思う。というより自分を満足させられない人がどうやって他人を満たすのかって思うよ。何かを贈ることっていうのは、送った相手だけを満たす行為ではないんじゃないかな」


 そうだなあ…、と彼は手元にあったカップを持ち上げた。そこには先程俺に持ってきてくれたものと同じ、暖かなお茶が入っている。


 「これさ、リアンが欲しいって言ったから淹れてきたわけじゃないよね?」

 「え…ええ、まあ確かに欲しいとは言ってないですが…」


 確かにその通りではあるのだが、そのように表現すると少し申し訳ない気がする。


 「サンライニもさ、春先の夜は冷えるよね。昼間暖かい風も夜は冷たい日もあるし」


 確かにそうだ。ノースモアに比べ温暖ではあるが、まだ春先。夜も暖かくなるにはもう少しかかるだろう。


 「だから持ってきたわけ。夜はちょっと冷えるし、暖かいお茶が飲みたくなったからさ。どう?迷惑?」

 「いや、むしろ有難かったです」


 ぶっ続けの作業だったし、少し疲れもあった。小休止に暖かいお茶がついてくるのは贅沢と言えるだろう。


 「それはよかった」

 「それが何か関係あるんですか…?」


 安心したような表情を浮かべるファリエ会長。自信に溢れているように見えるいつもの彼からは、少し意外な表情だった。


 「私が飲みたかっただけだよ。私が暖かいお茶が飲みたかったから、もしかしたらリアンも飲むかなって思って淹れたんだ」

 「まあ、実際そうですね」

 「贈り物なんてそんなもんだよ」


 そこでお茶を一口飲んで、彼は満足そうな笑みを浮かべる。


 「自分はこうされたら嬉しい、自分はこうだったら満たされる。そういう考えや願いを形にして贈る。ただそれだけ」

 「それだけ…」

 「そう、それだけ。相手のことなんて一生わからない。別の生き物には違いないんだから。

 でもさ、どこかで通じる部分があるはずなんだ。だから一緒に暮らしていける。通じ合うところが少しもなければ、多種族の国なんて成立しないよ」


 確かにそうかも知れない。現に陽人族と月銀族。容姿が似ていることも大きいだろうが、こうして同じ部屋で同じ飲み物を飲んでいる。


 「嬉しかったことを再現して、同じく嬉しい気持ちになって欲しい。貴方のことを大切にしている、なにか少しでも伝わらないか。そういう気持ちの表れが贈り物だと思う。

 結局私達には相手の心を読むことができないんだから、自分の嬉しい、自分の満足、それを上手に伝えて、同じ気持ちになってもらおうとすることしかできないんだ。

 リアン、君は多分ウームに感動したんだろうと思う。もっと言えばウームに感謝を託す文化に、かな。

 だからさ、その時の嬉しい気持ちとか、心が動いた感触を伝えたくなったんだよ」

 「心が動いた感触…ですか?」


 確かにウームの話を聞いたとき、ある種の衝撃というか、強く訴えかけられるものがあった。

 それは技師としてのキュリオさんの「個」に対してだと思っていたのだけれど。


 「キュリオの技師としての挟持を聞いただけでは、それを贈ろう、とは思わないし改良するまでの行動にはならないんじゃないかな。

 綺麗な花に託して感謝するということに心が動いたんだ。そしてその心の動きが心地よかったから、できたら同じ気持ちになってほしい、って感じたんじゃないかい?

 そうでなければ、次に戻った時に手紙を書くだけでもいいはずさ。

 わざわざ長持ちさせてウームを贈ろうとするのは、その時の気持ちを伝えたい証明だと私は思うけどね」


 ファリエ会長はお茶を飲みきると、優しい笑顔で告げた。


 「別に贈る側と、贈られる側、両方満足する贈り物があったっていいよね?」


 言いつつ空っぽになったカップで、まだ湯気を立てる俺向けのカップを指す。

 その後くすっと笑うと彼は、お先!、といって去っていった。




 そんな理想的な贈り物になる可能性は限りなく低いと思うけど。

 

 …やっぱりうちの商工会長は人を乗せるのが上手い。


 未だ湯気の立つカップを見て、俺は手を付けていなかった仮説を実証に移してみようと思った。

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