第15話 彼を叱る人はいない

 春を迎えたサンライニの陽光を穏やかに受け止めたような。

 そして同時に冬の間に溜め込んでいた生命力を大きく示すようにも見える、輝く白。決して押し付けるわけでもなく、押し負けるわけでもない。


 積極的に目に入ろうとはしない。けれど目にすればふと立ち止まる、そんな花。


 それがウームという花だった。



 「綺麗な花だろう?まあ一度摘んじまうとなかなか長持ちはしないんだが」


 キュリオさんが仕入れたウームの一輪を手に取りながら言う。


 綺麗な花だと思った。

 美しいというのとは少し違うかもしれない。自己主張の強い花の中では埋もれてしまうだろう。

 でもそんなことを気にもしていないような佇まい。主張はないが、卑下もしない。そんな印象を受ける。


 本来なら花の日後にすぐに枯れないようにするため、作業も仕入れももう少し後らしい。

 そんな中キュリオさんは花の日を知らないと言う俺のために、少量早めに仕入れてくれた。今日はそれらのウームを使って、魔素抜きを実践してくれるそうだ。

 

 「この少しだけ輝いているように見えるのは、どうも魔素を沢山吸っているからみたいなんだよな」

 「魔素をたくさん吸っている…?」

 「そう、トラジア島はこの辺でも魔素が濃いらしくってな。まあ異国の人間からすると、サンライニ公国でも魔素が濃いらしいが、それ以上ってことだ」

 「それはまた…体に害とかってないんですか?」

 「島に渡った時に気分が悪くなるやつもいるらしいが、船酔いなのか島のせいなのかははっきりしてないな。まあそれくらい影響がないってことだな」



 魔素の濃さについては学園でも議論はされていたが、なかなか研究の進まない分野でもあった。理由は簡単で、離れた地にいかなければ計測や比較が難しいからだ。金銭的にも時間的にも負担である。

 ノースモアの魔法学園としては、魔素の濃さやそれが身体に与える影響については目下研究中と言えるだろう。



 しかしながらそんな中でもわかっていることは大きく2つある。

 

 1つ目は、「魔素は植物の成長と寿命に影響を与える」ということだ。

 特に植物に関しては、魔素を吸収することで成長していくことがわかっている。土の中から水を吸収していることは早い段階でわかったようだが、その後研究を進めた結果魔素も吸収していることがわかったのだ。

 土の中にある別の栄養をとっているのではないか、とも言われているがその点については未だ定かではない。


 魔素を吸収することで植物は成長するということは、同時に魔素を吸収することで老いていく、ということでもあるらしい。

 人為的に大量に魔素を与える実験をした時、花があっという間に枯れてしまうことがあったそうだ。はじめは魔素を大量に浴びさせるとなんらかの悪影響があったのだ、と考えられていた。

 ところが研究を進めていくと、魔素のせいで素早く成長し、素早く老いて寿命を迎えたという結論に至ったのだ。

 ちなみに水を与えなくても枯れてしまうこともわかっている。その場合は成長して老いたというより、水が足りなくて死んでしまう…という感じらしい。


 この不思議な現象は生き物にも適応されるのではないか、というのが学園卒業間近に大きな話題になった。


 花や木などの植物と私達は根本的には同じ、と考える研究者からそのような学説が提出されたからである。もちろん少数派の意見ではある。とはいえ植物も呼吸といえるようなことをしていることも最近分かったのだし、当たらずとも遠からずかも知れないな、とスタンレイと話したのを覚えている。



 2つ目は、「魔素は物に染み込む」ということだ。

 これは先日のグラスを作る作業の時にも言えることだが、一般的にこの世界に存在するものには多かれ、少なかれ魔素が染み込んでいる。

 染み込んだ魔素は魔素抜きの作業によって追い出すこともできるが、基本的には周囲の魔素はまた染み込もうとする。そのため一度作ったグラスにも魔素は戻っていくので、長い目でみればグラスはそのうち白く不透明になる。

 それがあっという間にならないのには理由がある。

 ざっくり言うと、硬い物にはゆっくり染み込んで、柔らかいものには素早く染み込む、というような関係があるからだ。


 キュリオさんのグラスにあっという間に魔素が戻ってしまうのは、急激に、しかも綺麗に魔素を抜いているからだ。この世界にあるものは大抵、去る魔素を追うらしい。早く抜けたら、早く戻りやすい。

 魔素が綺麗に抜けすぎると、ぽっかり穴があいたようになり、鉱石といえども急いでその穴を埋めようとするのだ。

 「魔素が戻る」という表現をするのはこのためである。


 石よりも木、もっと柔らかい植物は、魔素の安住の地と言ってもいいだろう。


 ちなみに木製の魔法道具から魔素が抜けやすくするための回路は、工房時代に試作済みである。当然却下済みでもある…。

 魔素が染み込むと回路が上手く動かないため、必要だと思い作ったのだ。ところがアモーリテの魔法道具は魔素が染み込みにくいし、木製の魔法道具の需要など皆無である。手間だけかかり、わかりやすく不要であり、不評であった。



 「まあ、見て分かる通りウームは綺麗さを支えるための魔素を多く持ってる。その分早く枯れちまうんだよな」

 「あっという間に成長するってことですね」

 「そうだ、魔素を大量に持ってる分魔素抜きをした後の戻りも大量だ。そうなると花が疲れて、しなびて枯れちまう」

 「じゃあどうやって魔素抜きするんですか…?」

 「魔素は抜くが、今度は入りにくくするんだ。ウームには申し訳ないが、成長を我慢してもらう感じだな」

 

 この発想には少し驚いた。俺が聞いたことがあったのは、とにかくゆっくり抜く、丁寧に作業する、という正攻法のみだったからだ。

 地味で根気のいる作業は人気がないため、学園生でも仕事をすることができた。授業代のためにはありがたかった。

 今回の花の魔素抜きはその経験が生きて、もしかしたら褒められるかも知れないと思っていたのは秘密だ。


 しかしながら、魔素を入りにくくするという処理はどんなことをするのだろうか。学園でもやったことがなかった気がする。


 「魔素を入りにくくするってどうやるんです…?」

 「まあそう思うよな!そこがキュリオ式の秘伝ってやつさ。まあ見てな」


 そう言うと、キュリオさんは自分の作業机の上にウームを載せる。手には愛用の不思議ルーヴを持っている。

 さっと技師グラスをかけると、真剣味の増した声で話しつつ作業を開始した。

 同時に技師グラスにも魔素が通る。俺も合わせて技師グラスをかける。


 「まずは技師グラスの倍率を強めにする。リアンもやってみろ、このウームについてる葉っぱを見るんだ」

 「これ、やっぱり意味あったんですね。どのウームにも葉っぱついてますし」

 「伝統的な意味もあるけどな。二枚残してあるのは、夫婦で渡し合ったりする時にもだな…」

 「ふむふむ…」

 「…ミィミにも渡してえなあ…ぐす…」

 「何急に泣いてるんですか!?」


 夫婦の話が出たとたん、果実酒も入っていないのに泣き始める子猫族。技師グラスの脇から涙が見える気がするが、あまり見るのもよくないかも知れない。


 「ま、まあそれは後で考えましょう?それで次は?」

 「にゃ…にゃむ。…この葉っぱにはよく見ると筋みたいなのが入ってるのが見えるか?」

 「…あ!ほんとだ!」


 ウームの緑色の葉っぱをよく見ると、周りより濃い色で筋が何本か入っているのがわかる。技師グラスで拡大しないとわからない薄さだ。


 「簡単に言えば、こいつが魔素を取り入れるのに関係してるらしいんだ。多分、魔素を身体に運んでるんじゃないかと思う。ほら、植物には水を通す道が茎にあるやつもいただろ?」

 「ああ、確かに。大きいやつとかそういうのありましたね」


 どうやらキュリオさんは植物に関しても詳しいようだ。俺は学園時代にうっすらと習った記憶がある。


 「これを素早く切る!」

 「…おお」


 一瞬だけルーヴに魔素が通ったかと思うと、キュリオさんは素早く正確にその筋を切った。

 学園の魔法技師見習いより鮮やかなルーヴ使いである。グラスを作る際にもなかなかの腕前であったことを思い出す。


 「この筋も幾つかあるんだが、どうも素早く切るだけでも魔素を吸っちまうらしいんだ。あんまり沢山切ると、枯れちまうこともわかってる。ゆっくり切ったら魔素が入り込んでもっと厄介だ」

 「なるほど…」

 「まあ、目安としては葉っぱ一枚に対して、一切れでやってみてるな」

 「ははあ…しかしよく気づきましたね…」


 これはなかなかの発見ではなかろうか。他の植物がどうなっているかはわからないが、解明されていないことも多い植物に対する研究に大変貢献しそうである。


 「昔間違ってルーヴで葉っぱを傷つけちまったことがあってな。売り物にできないから家に取っておいたんだよ。そしたら周りの花よりも長持ちしたんだ。それから気になって色々やってみたら、この筋を切ったやつが調子がいいことがわかったんだよ」

 「へえ…!」


 発見したのも凄いかも知れないが、そこから更に試行錯誤を繰り返すあたり非常に魔法技師っぽいところがある。キュリオさんが学園に進んでいれば今頃研究者か教授として講義をしていたかもしれない。


 「しかし、これはすごい発見だと思いますよ!少なくとも俺の通っていたところじゃあこんなこと分かっていなかったと思います」

 「ファリエにも似たようなこと言われたんだがな、まあ手続きが面倒そうだったからとりあえず保留にしてある」

 「ええ…」


 魔法学の発展が面倒という理由で足踏みしていることが判明した瞬間であった。まあ…そんなもんかも…いや、どうかな…。


 「それに大きく発表しなけりゃ、しばらく俺の仕事も減らないしな!面倒でもないし、稼ぎも出るしで得しかない!」

 「ああ…」


 これにはある種納得でもある。まあ秘伝っていっているくらいだし…。

 しかしそうなると、俺に教えたのは良かったのだろうか。


 「ん?まあ教えたところでそう簡単にゃ真似できないさ。それに他の魔法技師は魔素抜きとかより魔法道具をつくるほうが忙しいだろ。花の日のウームに時間を割くより、花の日も魔法道具を修理してた方が儲かるだろうしな」

 「確かに修理の仕事結構ありますね」

 「そうだろう?それにウームが売れるのも、仕入れがあるのもこの時期だけだ。季節限定で、多くはない利益のために動くやつは少ないだろうな。まあ魔素抜きを生業としてるグラス技師連中には内緒にしてるがな!」

 「でも、俺がウーム作り始めちゃったらハンブル商工会で売るらしいですよ…?」


 俺が不安になって聞くと、技師グラスを外した彼はニヤリと笑った。


 「にゃふふ…そのあたりは抜かりはねえぜ…!」


 こちらを舐め回すように見るキュリオさん。完全に獲物を見る目である。怖い。


 「ちょ…何企んでるんですか…」

 「にゃはは!秘密だ!」


 一転楽しそうに笑う。子猫族の笑顔は人の毒気を抜く効果があると思う。


 

 ところで、ずっと気になっていることがあった。

 

 「花の日に皆さんが好んでウームを贈るのには、何か理由があるんですか?」


 ウームは確かに綺麗な花だと思う。でも、ティーラ区の住宅を見ると窓の近くに植えられている花は、ウームに負けず劣らず美しいものもある。サンライニにはウームしかない、というわけでもないだろう。

 だからこそ気になるのは、これだけの手間を掛けて長持ちしない、店先に並べることもかなわない花をどうして取り上げるのか、ということだ。

 もっと魔素を含まない花を選べば、もう少し長持ちさせ、直接的な話になるが利益もあがるのではないだろうか。


 キュリオさんは、俺の言葉を聞いてはっとした後、頷いた。


 「そうか、異国の人からすりゃあそう思うよな。綺麗だが手間はかかるしな」

 「サンライニの皆さんの好み…ってことですかね」

 「まあそうだな…。それに、リアンの国じゃどうかは分からないが、サンライニでは花に対して意味を持たせることが多いんだ」

 「意味?」

 「ほら、結婚に適した花ってそっちでもあるんじゃないか?」

 「ああ、確かにそういうのありますね」


 キュリオさんの言っていることはわかる。ノースモアでは結婚式には赤系統の花がいい、とされていたと思う。兄の結婚の際にも、赤系統の花を家族みんなで探したことを覚えている。


 「サンライニでは花に意味があるから、その意味に合った状況で贈ったり、飾ったりするわけだな。結構色々あるぞ」

 「へえ…俺の国では色に対する考え方が主流だったような…」


 俺が詳しくないだけ…という可能性はないと信じたい。花も華もない人生だったけど…。


 「ウームはな、感謝の気持ちを表すんだ」

 「感謝…」


 キュリオさんは海側に大きく作られた窓をみやると、一息つきながら語る。


 「ウームは魔素を沢山吸って成長して、綺麗に咲く。冬の間に溜め込んだ力を開放するようでもあるが、同時に陽を受け止めて輝いてるようにも見える。

 しかしウームは一輪で完結するわけじゃない。冬の魔素に支えられ、春の陽に照らされはじめて綺麗に咲く。 

 そんな様子から、この花を贈るっていうことは自分を輝かせてくれている人に対して、あなたのおかげで今咲くことができていますよ、っていう感謝の現れだとされてるのさ」

 「…そうなんだ…」


 しっかり深い意味が込められていたことに関心し、思わず言葉を零した。

 花に気持ちを託すなんて、素敵な文化だと思う。


 「綺麗だし、その有り様も粋だ。サンライニ人もそこを好んでいる。

 ただそれでも長く保たないのはちょっとな。最近じゃウームの花を象徴にした他の贈り物なんかも流行ってきてるし、魔素抜きした花もそのうち廃っちまうかもな。

 でもな、その花をこう…長持ちさせようとする試みってのは、感謝を贈る側にとっても、受け取る側にとっても大事なことだと思うんだよ。気持ちを大事にするっていうか…学が足りなくてうまく表現できないんだかな」


 子猫族の職人は少し照れくさそうに、しかしその目に確かな挟持を浮かべながら続けた。



 「どうもおざなりにできないんだよ。何か見過ごせないようなことが、この花をできるだけ保たせて届けることにある気がするんだ。

 売り場とは少しずつ離れていくかもしれない。利益にならなくなるかもしれない。

 でもその分はグラスで稼ぐ。そんでもってウームもやめない。変なこだわりなのはわかっちゃいるが、辞めたらミィミにも怒られそうな気もするしな!」



 にゃはは、と笑う彼を見て俺はようやく気がついた。

 これが彼の「個」なのだ。技師として彼が譲れないものがそこにはあるのだ。



 彼は俺の先輩なのだ。分野が違っても、種族が違っても。



 そして彼の住むここは、抜けるような青空で。

 辞めてしまったらミィミさんという奥さんに叱られてしまうのだ。

 俺がかつて彼女に叱られたように、きっと。


 「いい花ですね…ウームって」

 「そうか!異国のリアンにもそう思ってもらえるのは嬉しいな」




 この素敵な花を、贈りたい人も、贈らなければいけない人もいる気がする。

 多分そのために、俺はサンライニに誘拐されたのだ。


 誘拐犯にも…ウームを贈る?…うーむ。


 「リアン、お前今、すげえつまらないこと考えてるだろう。顔でわかる」

 「…ごめんなさい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る