第14話 霧の中では変わらない

 「花の日…でも…むむむ…うーん」


 ハンブル商工会の一階受付奥の事務室。商工会長は今日も不在、もはや会長代理とも言える兎族。

 いつもハキハキしている人がうんうん唸っていると非常に気になる。


 「はあ…」


 いつも明るい人が溜息をついているとますます気になる。


 …というわけで声を掛けてみることにした。


 「ルーさん、どうしたんですか?なんかすごく困ってるみたいですけど」


 先程から難しい顔をして唸っていたのは我が商工会の管理官、兎族のルーさんである。元気よい挨拶と、手際よい指示出しで、ハンブル商工会は今日も平和に営業中である。

 入国管理官だったかと思えば、いつの間にか商工会そのものの管理まで請け負い、我が商工会にはなくてはならない彼女だが、その表情は冴えない。


 「あ!すいません…つい口に出してしまったみたいで…」


 申し訳なさそうに垂れる兎耳。彼女の耳は上に伸びるタイプではなく、下に垂れる種類だが、しゅんとするときはより垂れる感じがするのだ。短い付き合いでもここはわかりやすい気がする。

 

 日は真上とまではいかないまでも、もう十分に高い。サンライニは今日もいい天気だ。

 キュリオさんの工房に出向いてから数日。いつもならグラスについてああでもない、こうでもないと研究を進めているはずなのだが、今日は仕入れがあるらしい。工房に出向くのは昼過ぎの予定となっている。

 

 というわけで現在は商工会の掃除をしている。ニアは玄関先、俺は1階だ。


 ニアが外担当なのは、商品販売に向け看板娘を控えめに宣伝しておこうという魂胆もあるらしい。ノースモアで買ったという王都流行の服は珍しいし、彼女の顔立ちは非常に人目を引くだろう。

 日がある程度昇ってから掃除をするのも作戦のうちである。


 「それで、花の日がどうかしたんですか?ウームの仕入れに何か問題とか…」


 ハンブル商工会では近日サンライニの季節行事「花の日」に合わせ、ウームという花を提供することになっている。商工会が商品を直接販売するなど異例である。各所との調整もあるだろうし、何か問題があったのかも知れない。

 

 「いや、問題というほどでもないんです。すごく些細なことなので…」


 最近は新しい修理の依頼が持ち込まれたり、ファリエ会長からも新規の派遣先が紹介されたりと、商工会にも少しづつ活気がでてきた。そんな中、増え始めた依頼料の受取や支払いに関する相談など、不慣れな受付嬢に指導しつつ、そつなくこなしているように見えるルーさん。そんな彼女は珍しく歯切れが悪い。


 「いつもお世話になってますし、何かお手伝いできることがあれば言ってください」


 俺は事務作業は昔から大の苦手である。書類仕事など考えただけで鳥肌が立つし、学園で必要となる書類さえ記入漏れや、体裁に問題が見つかったりして、散々な目にあったのだ。

 しかしながら仕事をこなすにはどうしたってそういうことも必要になる。ニアとルーさんにはその部分を全面的にお願いしているのも少し申し訳なかったし、何かできそうなことがあれば役に立ちたいところである。

 書類だけは謹んで辞退させていただくけど…。


 「その…とても個人的なことなんですが…。花の日には私も両親にウームを渡す予定なんです。でも今年は両親が結婚してから30年ってことで、いつもとは違う嗜好を凝らすといいますか…。普段とは違う贈り物ができたら嬉しいなと考えてるんですが、なかなか良い物を思いつかなくて」

 「なるほど…30年ですか…。ノースモアでも10年毎のお祝いってしてますね」

 「ヴィクト王国でもサンライニ公国でもそこは一緒なんですね」


 ノースモア、というよりヴィクト王国でも結婚10周年毎のお祝いは一般的である。かつて大戦があった頃の名残とも言われているが、生き別れにならずに一緒に過ごせたこと、もしくは戦地から無事戻り平和に暮らせていることを祝ったことが始まりらしい。

 当然戦争がなくなって随分経った現在では、夫婦仲が良好なことを祝ってなにかしらの贈り物をしたり、すこし贅沢な食事をしたりすることが多い。


 「私には弟がいるんですが、姉が言うのもなんですけどとても贈り物の感性がいいんです。街中から変わったものを見つけてきては、この時期素敵なものを持ってくるんですよね」

 「へえ…それは凄い。女性に人気でそうですね」

 「まあ良くも悪くも女性慣れしてるところはあります…。姉としては複雑ですが」


 ルーさんは苦笑いを零す。

 学園でも贈り物の選択がいい男子学生は人気があった。そういった気遣いが好感を高めるし、そもそも王都に精通している感じが、離れた都市からでてきた女子学生に受けがいいのだ。

 工房でも言わずもがな。しかし今度は贈り物に現れる経済力も、冷静に観察されていることをお忘れなく。

 

 モテているから女性に理解があり感性が磨かれるのか、女性に理解があり感性が良いからモテるのかはわからない。

 当然俺はどちらでもないし、女子学生から人気がでたことなど一度もない。魅力的な女性は多かったと思うが、こちらから話しかけたり、話しかけられたりすることはほとんどなかった。当然、関わりがなければ贈り物を贈ることもない。悲しいかな、感性が試される機会すら与えられなかったのだ。


 印象に残らない顔を掲げる窓際学生にとっては、甘酸っぱい学生時代こそ旧魔法時代の遺産である。塩の効いた思い出でお腹いっぱいにした技師は、この世の不平等さを嘆かずにはいられない。

 …スタンレイはわりと人気があったように思う。若干変態に目覚めていたやつに、窓際に押しのけられた学生の心の内は筆舌に尽くしがたい。許すまじ。


 「なんかものすごく苦々しい顔されてますが、お腹でも痛いんですか…?」

 「いやどちらかと言えば胸が…あっ!いえ何でもないです…」

 「んんん?」


 ルーさんの心配そうな顔が胸に刺さる。悲しくなるのであんまり見ないで下さい。


 「それで、弟さんの贈り物が良いことが何か問題あるんですか?」

 「別に悪いことじゃないんですが…なんかこう毎回姉として負けたような気分になるんですよねえ…」

 

 兎耳の管理官は普段から硬い人ではない。しかし締めるところは締める、どちらかと言えば緩みすぎないように気を使っている節がある。

 そんなルーさんも、家族のことを持ち出すとどこかのんびりとした、近所の住民的な柔らかな空気を纏ったようだった。


 「競うようなものでもないのは分かってはいるんですけど、仕事ばっかりしてるから感性が鈍るんだとか、男に縁がないのがすぐわかるね、とか楽しそうにからかって来るんです。私のほうが年上なのに…」

 「あはは…」


 歯に衣着せぬとはこのことだろうか。俺がそんなことを言われたら胸に大穴があいて、再び抜け殻になってしまうだろう。サンライニの暖かな風に飛ばされ、大海原を旅することになっても不思議ではない。


 「だからこの時期になると悩むんですよねえ。しかも今年は30年の記念ですし、今度こそ姉の威厳を見せつけたいわけなんです」

 「なるほど…」

 「リアンさん、王国式のいい発想はありませんか?異国の感性を取り入れて、生意気な弟を今度こそぎゃふんと言わせたいのです!」

 「うーん…王国式…。そもそも花の日っていうのもありませんからね…」


 二人で悩んでいると、玄関先の掃除を終えたニアも混じり、今までの姉弟の勝負の話や、ニア家の花の日の話、俺のあまり探られたくない灰色の学園生時代の話まで、世間話に花が咲くことになった。


 暖かな日差しが差し込む商工会の一階で、今日も穏やかに午前中は過ぎていった。




 ルーさんには弟だが、俺には兄がいる。

 彼女は贈り物の話であったが、どんな兄弟でも少なからず競争のような、背比べのような話はあるものだ。

 ルーさん姉弟ではまだまだ勝負は続いていると見ていいだろう。


 一方我が家の兄弟の競争は、決着してからかなり時間が経っているように思う。


 庶民の出で王国騎士団に入るような優秀極まりない兄である。競争して勝とうと思うほうが不幸になるだろう。兄のことは嫌いではないし、むしろ尊敬している。王国騎士団に入ってからも奢ることはなく、弟が言うのは照れくさいが、人格者であると思う。


 王国騎士団もなかなかに苦労の多いところだったらしい。貴族の子息で上司になった人間から意地悪をされたり、珍しい庶民の出ということで注目を浴び続けて心が休まらなかったり。人格者もさすがに疲弊し酒の量が増え、たまに家に集まると愚痴大会ではあった。そういうところも人間らしくていいと思う。


 現在ではとても美人な奥さんを得て、実家で暮らしている。

 地位も収入も安定したところで、実家の建て替えをして、足の不自由な母を支えるために夫妻で帰ってきてくれたのだ。両親の喜びようは凄まじかった。

 奥さんも穏やかな優しい人で、旦那が全くもって羨ましい。夫婦喧嘩をしている時は、夫家族が震え上がるほど怖かったが。


 そんな兄と比べ、俺は圧倒的に落ちこぼれであったと思う。顔も兄のほうが端正だし、地位も収入も上だ。学園に入ったとはいえ、主席になるほどの能力はないし、もっと言えばローエン主義なんか窓際も窓際。下手すると屋外である。悪い意味で目立ちはしても、賞賛されることはない。


 兄と比較され意地悪をされたり、不当な非難を浴びた記憶はない。両親からも傷つけられるようなことはされなかった。むしろ兄と比べてあきらかに見劣りするのに、変わらず愛情を注いでくれてとても感謝している。


 それでもやはり、不出来な弟は負い目を感じるのだ。不出来だからこそ、余計な気を回してしまうのだ。


 学園の学費は自分で稼いだし、生活も家を出て寮で暮らすようにした。工房に所属した後も、実家に戻りはしなかった。幸せそうな家族を邪魔したくはなかったし、自立することで勝負にはならなくても、張り合ってはいたかったのだ。本当の意味で勝敗を受け入れられていなかったのかも知れない。


 家族のことを考えた親孝行な息子ではない。ちっぽけな挟持のために、現実を受け止めまいと駄々をこねていたのだ。我ながらまったくもって矮小で滑稽な男である。

 自分とは対照的に成功した兄や家族を直視するだけの強さが俺にはないのだ。今も、これからもそうだろう。


 肥大化した自己意識と、足並みを揃えるように大きくなった袋小路。実家への足取りは重くなっていった。


 工房をクビになった時に実家に帰らなかったのもそのせいである。連絡もしていなかったし、まだアローグで働いていると考えているだろう。まさか他国へ半ば誘拐気味に出張に出かけているとは思いもしないはずだ。

 連絡を取る間隔も伸びきっているから、1ヶ月くらい行方がわからなくても問題ないだろう。普通なら。


 両親の結婚30年ももうすぐなのだ。


 さすがに連絡がなければ、心配させてしまうのではないだろうか。うちの家族は俺を攻めるのではなく、多分俺の安否を心配するような気がする。

 



 ずっと自分のことばかり考えてやってきたのだな、とルーさんの花の日の話を聞いて感じる。

 決着した背比べに固執していたのは、言うまでもない、俺だけだ。

 

 ファリエ会長の言葉を思い起こす。彼は確かに言ったのだ。


 

 「まずはちゃんと自己中心的だ」



 まずは、なのだ。きっとまだ足りないのだ。魔法技師としての技術だけではなく、俺には足りていない部分がある。いやむしろ足りている部分などないだろう。人間として未熟であり、今も矮小で滑稽であることの証左でもある。


 まもなくやってくる花の日。


 アローグにいた頃の毎日のように、霧の中で気取っていては何も変わらない。


 サンライニの風は今日も商工会の中を通り過ぎていく。

 その風が心の中にわずかに残っていた霧を、優しく追い出してくれた気がした。

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