第19話 魔物の名は(カロ屋編)
薄暗い『カロ屋』の店内。
正午前、茂はひとりカウンターの上に広げた新聞を読んでいた。
ふと、異世界側の森の、爽やかな風が店内を抜ける。
「こんにちは」
見れば組子障子の戸を開けて、空色の外套を羽織ったルルアが立っていた。
「おぉ、いらっしゃい!ルルアさん。待っていましたよ」
老眼鏡を外し、茂が笑顔でルルアを迎える。
「遅くなって申し訳ありません。“魔杖”を取りに来ました」
ルルアはそう言ってほほ笑んだ。
茂は作業台の上に置かれた杖を手に取った。
「ルルアさん、どうですか?この出来具合。本物の魔法の杖を作ったのはこれが初めてで、自分でもよくできたと思うんですが!ガハハ!」
茂はそう言って少し照れたように笑った。
ルルアは微笑むように茂を見て言った。
「見せていただいてもよろしいですか?」
「えぇ!」
ルルアは茂から杖を受け取り、両手でしっかり持つと、上から下までまじまじと見た。そして、驚いた顔をして言った。
「茂さん……、すごいですね!魔晶石の、魔力の増幅が通常よりも大きい……」
「お?そうですか?ガハハ」
ルルアは杖を握りしめると茂を見て言った。
「メイランには……、セイランのお母様には私からちゃんとお渡しいたしますね」
「お、お願いします!立ち話もなんですから、どうぞ座ってください」
茂はそう言うと、カウンターの横に置かれた丸い椅子を指した。
代金の受け渡しを終え、茂は休憩室から急須と湯呑を持ってくると、湯呑にお茶を注いだ。
それをレジカウンターの前に座ったルルアに差し出す。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ルルアは軽く頭を下げた。
「今回は、ルルアさんにすっかりお世話になっちまって……。ほんと、ありがとうございました!ガハハ!」
茂も自分の湯飲みを片手に、ルルアと向かい合うように、カウンターの内側のパソコンデスクの椅子に座って言った。
「いえ、私としても、大変興味深く拝見させていただきましたよ。今度、私にも作っていただこうかしら」
「おぉ!ルルアさんの注文なら、ぜひ引き受けたいですね!それに、これを機に、もう少し異世界側のお客さんにも来てもらいたいもんです……。今度、宣伝でも打ってみようかな、ガハハ」
「うーん……」
ルルアは少し困ったような表情を浮かべた。
それに気づいた茂は、取り繕うように言った。
「や、やっぱ異世界側の店だとバレるのは、まずいですかね?」
「うーん、それもありますが、カロ屋さんは場所が王都からだいぶ離れているというのもありますし、それに……――」ルルアは少し考えて言った。「――やはり、一番の問題は、この“カロの森”でしょうか……」
「カロの森?あぁ、夜になるとでっかい魔物が出るんでしたっけ?俺も一度、何か羽ばたく音を聞いたことがあるな」
茂は苦笑いをして言った。
「えぇ。このカロの森と、王都からしばらく東に行ったところに、フーナプラーナという小さな村があるのですが、その村の東側までは、昼間でも森の中に魔物が出るのです」
「んじゃ、あの夜に空を羽ばたく音は?」
「カロ屋さんの近くであれば、それはウスペンスキーで間違いないですね」
ルルアはお茶を一口すすり言った。
「ウス?」
「ウスペンスキーです。……カロの森の木はほとんどがナ・ブーナという木なのですが、それに混じって、マ・ブーナという、ナ・ブーナよりも大きくなる木があるんですね。その木の実が魔物化したものがウスペンスキーと呼ばれているんですよ」
茂は感心したような表情を浮かべて言った。
「へー、木の実が(魔物化?)?ウペん?スキー?難しい名前ですな、ガハハ!」
茂のその様子にルルアがクスッと笑って言う。
「ウスペンスキーです。その名前は、第一発見者であるデミナトル・ウスペンスキーから取ったものですね。デミナトルは五百年ほど前の魔物研究を専門にしていた魔導師で、ウスペンスキーがマ・ブーナの実が魔物化したものであると突き止めた方なのですよ」
「へ、へぇ……」
「ウスペンスキーの領域認識範囲は、森の木々よりもかなり上空ですので、森の枝葉と同じ高さを飛んでいれば見つかることは無いのですが、森の中は別の魔物が出ますし、逆に言うと、そのルートしかカロ屋さんまで来る道が無いんですよね……」
そう言って湯呑の中のお茶の揺らぎを見る。
「ふーむ、なるほど。魔物は厄介ですな、ガハハ」
「えぇ。ですから飛行の魔法か、低空飛行のペンダントを扱える者でないと、カロ屋さんまではなかなか……」
「いやぁ、そうなんですか……」
茂はそう言って、少し落胆したような表情を浮かべた。
「それにカロ屋さんのことは、高度機密情報になっていますし、魔道院の青属帯以上の魔道士でないと知りえない情報なんですよね……」
「え?でもセイランちゃんとか、ルカちゃん?でしたっけ?あの子たちは?」
茂は困惑した表情を浮かべた。
「セイランもルカも、まだ幼いですけど、ただ知識と経験がないというだけで、彼女たちも実力は青属帯と同等ですからね。二人とも将来の魔道院生候補なんですよ。特にセイランは」
ルルアはそう言ってほほ笑んだ。
「へー、セイランちゃんはそんなにすごいのか……」
茂はそう言うと、感心したように腕を組んだ。
「えぇ。まだ9歳だというのに、飛び級で魔道中学の二年生ですからね。ルカは少し年上の11歳ですね。ほんと、二人ともまだ幼いのにすごいですよ。(前世はきっと、名のある魔道士だったのでしょうね)」
「きゅ、9歳に11歳!?――」茂は驚いた顔をした。「――中学生にしちゃ、子供だなとは思っていたけどよ、まさかそんな小さかったとは」そう言って頭を掻く。
「そ、そうだわ、茂さん!」
不意に、ルルアが何か閃いたような顔をしてカウンターに両手をついて立ち上がった。
「な、なんでしょ?」
茂は驚いてルルアを見た。
「今度、青空市に、逆に露店として出してみてはどうですか!?」
「えぇ!?」
茂はルルアの勢いに、驚きすぎて椅子から転げ落ちそうになった。
「現状では、カロ屋さんの存在は機密扱いになっていますし、ここまで買いに来られるのは実質、青属帯の魔道士だけ。デグレード国内には青属帯の魔道士は50人ほどしかいませんから、ここでお店を開けていても集客は見込めないと思うんですよね!――」茂はルルアの勢いに押され気味に、うんうん、と相槌を打った。「――ですから、青空市で異世界のことを秘密にして、お店を出すというのも面白いかもしれませんよ!」
ルルアは目をキラキラさせて言った。
「あ、ああ!た、確かに面白そうな話ですな、ガハハ」
茂は焦ったように笑って答えた。
「もし、露店を出すのであれば、ギルドに登録するなど、何かと準備がありますので、次の青空市までに間に合うかどうかわかりませんが、露店を出す出さないに関わらず、ギルド登録はしておいて損はないと思います!」
ルルアは力強く言った。
――その日の夕方
いつもより、少し早く閉店した『カロ屋』の店内。
「だからもう、最悪だったんだって!」
アリサが文句を言いながら、休憩室を掃除している。
「ガハハ!ま、たまにはそんな日もあってもいいんじゃないか?」
レジカウンターで日計表を書きながら、茂は大笑いをした。
アリサはホウキを片手に持ち、不貞腐れた顔をして休憩室から店の中を覗いて言った。
「ほんと、もう、ルイ兄の友達って変な人ばっかり!ルイ兄自体がド変態だから、変な人ばっかり集まってくるんだよ、きっと」
「がはは!そうかもな。でもよ、その……、ミナミちゃん?ってオカマさんか。もしかしたら、うちの店と相性がいいかもしれんな、ガハハ!」
「ちょっと!やめてよ、お父さんまで」
アリサが引きつった顔で言う。
「異世界側の商品を置くようになってから、ネットだけじゃなく店の方にも客が入るようになったし、ローリカーの配置菓子も好評だしな。案外、お得意さんになってくれるかもしれないぞ?」
茂はそう言うとニヤリと笑った。
「えー……」
アリサは渋い顔をして休憩室に戻ると、ちり取りですくった埃を、乱暴にごみ箱に捨てた。
「ド変態で悪かったな」
いつの間にか組子障子の前にルイが立っている。
アリサは休憩室から店側に顔を覗かせて言った。
「来た来た、ド変態。ド変態ルイ兄。また女の子ですか!イーっだ!」
アリサはルイに嫌な顔をすると、そのまま住居側に戻っていった。
「また、アリサに嫌われたな!ガハハ!」
カウンターの内側で茂が、笑いながら言う。
「いつものことだし……」
ルイはそう言うと、不機嫌そうな顔をして、カウンターの前の丸い椅子に腰を下ろした。
ふと、何かに気づいた茂が、不思議そうな顔をしてルイを見た。
「そういや、ルイ、お前……。今日は最初から、声が“ルイちゃん”だな。どうしたんだ?」
ルイは足を組み、カウンターに頬杖をついて言った。
「あぁ……。俺もよくわかんないんだけど、デバイスを使わなくてもモニタに触れるだけで、アバターに憑依できるようになったみたいなんだ」
「へー、便利になったな」
「便利っちゃ、便利だけど(そういう問題かなぁ?)」
そして店内の様子を見る。
「あ、杖がなくなってるね。ルルアさん、取りに来たんだ」
「ああ……、昼にな――」茂は、ふとペンを持っていた手を止め「――それでな、カロ屋も青空市で露店を出そうって話になってな」そう言うと、老眼鏡越しに類を見てニヤリと笑った。
「えっ?」
「明日さっそく、ルルアさんと露店を出すためのギルド登録に行くことになったからよ。ルイ、店番頼むぞ。ガハハ!」
「えぇぇ!?」
ルイは立ち上がり、驚いた顔で茂を見ると続けて言った。
「大丈夫なの!?“カロ屋”って異世界じゃ機密情報扱いじゃなかった?」
「あぁ。だから、あくまで一般の魔道具屋として店を出すんだ。いやー、ルルアさんがいろいろ手続きしてくれるって言うからよ!まったく、ルルアさん様様だぜ、ガハハ!」
茂はそう言うと、老眼鏡を外し、レジの引き出しを開けた。
レジの中には、杖を売った代金である異世界の大銀貨が大量に入っている。そのうちの1枚を手に取って言った。
「登録や露店を出す資金は、十分にあるからよ。ギルドに登録すれば、異世界からの仕入れが楽になりそうだな」
浮かれる茂とは対照的に、ルイは不安げな表情を浮かべ、成り行きを按じた。
「お、そうだ、ルイ」
「ん?」
茂が何かを思い出したようにルイを見た。
「昨日の、あの魔物の羽なんだけどよ」
そう言って、類の後ろ側にある倉庫の扉に目を向ける。
「どうしたの?」
「あの魔物、もともと植物らしいぞ」
ルイは茂の言葉に、納得したような表情を浮かべた。
「……どおりで」
「あれ?驚かねーのか?」
「うん。――」
ルイは魔物の死体の様子を思い出していた。
「――あの魔物を倒したとき、血が出ていなかったんだよな。代わりに樹液っぽいのが出てたからさ。変だとは思ったんだ」
「この前、青空市で見た、あの魔物も同じやつなのかね?」
茂が訝しげな顔をする。
「どうだろ?ルルアさんならわかるかもよ。明日会うんだよね?訊いてみたら?」
ルイはそう言うと、立ち上がって組子障子の戸の前に立った。
「うーん。ルイ、また外に行くのか?」
「あぁ。身体が魔力を求めているみたいで……」
そう言うと、組子障子の戸を開け、外に出る。
戸の向こうに、夕暮れに染まる異世界の森が広がる。
「あまり遅くなるなよ」
茂の声にルイが頷く。
茂はカウンター越しに、あきれたようにルイを見た。
五番通りの魔道具店 もとめ @M_motome
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