第18話 魔物の名は(東森編)

 雲一つない青空。

 朝の心地のよい風が、フーナプラーナののどかな農村を駆け抜ける。


 ベトールは朝早く魔道院を出て、エミューリアに借りた小屋の中で魔物調査のための準備をしていた。

 二つに仕切られた小屋の中は、入って右奥には新たに間仕切りされたトイレと簡易なシャワー室が備えられ、仕切りの左側には机と二脚の椅子が窓際に置かれている。

 ベトールはその机の上に置かれていた、数枚の紙からなる資料を手に取った。


 トントントン、と小屋の扉をノックする音。

「はい」

 ベトールが机の傍らに立ち、扉を振り返る。

「おじゃましまーすのー」

 そう言って入って来たのは、魔道階位“青”の青い色の魔道服を着た若い女性だ。

 背は低く、童顔の顔立ちが14、5歳ほどに見える。浅い緑色の髪がクルクルと外に跳ね、その髪を強引に抑えるように、幅の広い黄色のヘッドバンドをしている。

「ディルメイ、遅刻だよ」

 ベトールが言う。

「えー。会合所でいろいろお話ししてたら、時間過ぎてたんですのー」

 ディルメイはそう言うと、口をとがらせた。

「会合所の方たちも、仕事の時間なんだよ。いつまでも学生じゃないんだから、時間は守らないといけないよ」

 ベトールは諭すように言った。

「まー、まー。今日はいいじゃないのですかー。調査の初日ですしー」

 そう言うとディルメイは小屋の中を見回した。

 そして、仕切られた右側のドアの前に立つと、ドアを開け、中のトイレと簡易なシャワーが設置された小部屋を見て言った。

「あ!よかったですのー。ちゃんとお手洗い完備ですのねー」

「この小屋は、元は仕切りも窓も何もない小屋だったんだよ。昨日シアさんが魔法で改造してくれたんだ。今朝、私が水属性の魔晶石を設置して魔術を施したから、トイレもシャワーも、もう使えるようになっているよ」

 ベトールはそう言うと、手元の資料に視線を移した。

 ドアの前からディルメイが振り返って言う。

「さすがはシア様ですのー。さっき、会合所にご挨拶に行っていろいろお話してきたら、この村、おトイレもシャワーも、村人全員で共同なんだそうですのよー」

 ディルメイはそう言うと、シャワー室前からベトールがいる左側の小部屋に置かれた椅子に座った。

「そうらしいね。なんでも、個人の家では水属性の魔晶石が買えないから、村の資金で大きいものを1つ買って、上下水処理の魔術を施しているとか。モロウさんが、会合所の裏に建っている建物が、その共同トイレとシャワー室だと言っていたよ」

「この村の人たちは不便じゃないのかしらねー。王都に引っ越せばいいですのにー」

 ディルメイは両肘を立て、そこに頬杖をついてつまらなそうに言った。

「王都に住むにも地代が高いからね。引っ越しの費用だってあるし。それに個人で水属性の魔晶石を買えないのでは、王都に住むのは無理があるかもしれないね」

「うみゅー……」

「それより、ディルメイ。準備はできたのかい?今日から東森の魔物調査に入るよ」

 ベトールは手に持っていた資料を板に挟めると、約10センチの大きさの赤い魔晶石がついた長さ1メートルほどの、なんの飾りもないシンプルな魔杖を手に持った。

「はーい、ですのー」

 ディルメイはそう返事をすると、椅子から立ち上がり小部屋の中を見回した。

 そして、壁際に立てかけられていた、ベトールが持っているものと同じ魔杖を手に取り言う。

「今回の調査用の魔杖はこれですの?」

「そうだよ」

「これ、火炎属性の魔晶石の杖ですのー。私は属性が無いものが良かったですのー」

「支給品だから選びようがないんだよ。無いよりはまし、ということで使うしかないね」

 ベトールはそう言うと、薄っぺらな小屋の扉を開けて外に出た。

「あ、待ってくださいですのー」

 ディルメイも急いで後を追う。


「ベトール様。今日の調査は“カロの森”まで行きますの?」

 小屋の前のダートな小道、その傍らに立ちディルメイが言う。

「今日は行かないよ。フーナプラーナから出てすぐ東側の、通称“東森”が今週の調査範囲だからね」

 その言葉にディルメイは、少しがっかりした顔をして言った。

「早く“カロの森”の調査に入りたいですのねー」

「どうして?」

「どうしてって……。それは噂の“カロ屋”さんがあるからですのー。せっかくカロの森が調査範囲に入っているんですもの。私、一度行ってみたいと思っていましたのよー」

 ディルメイはそう言うと森の奥を見つめた。

 ベトールが苦笑して言う。

「あぁ、そうだね。気持ちはわかるよ。私も行ってみたいと思っているからね。でも“カロの森”は魔法課の管轄だし、“カロ屋”は魔道具課の管轄だし、下手にカロ屋に関わるとルルア様やミゲル様にお叱りを受けそうで……」

「そんなことないですの!――」

 ディルメイがベトールを振り返り、少し怒ったように言う。

「――青属帯以上の魔道士なら“カロ屋”を利用する許可は出ているんですの!だから、堂々とカロ屋を利用していいのですの!なのに、なんでみんなカロ屋に行かないんですの?まったくー」

 ディルメイは、そのまま森の方に歩いて行った。

「魔物も出るし、単純に、王都から遠いからだと思うけどな……」

 ベトールは苦笑いをしてつぶやくように言った。



 ――魔物調査5日目


 鬱蒼とした東森の中。

 早朝に降った雨のせいで湿度が高く、ぬかるんだ地面に足元が滑りやすい。

 

 ベトールは、濃紺の魔道服のズボンの裾をブーツの中に入れ直して言った。

「今日はマントを着てこなくて正解だったね」

「はい、ですの」

 ベトールの後をついて歩いてきたディルメイが返事をする。

 ディルメイも、青色の魔道服だけでマントは羽織っていない。

「空を飛ぶのならマントがあった方がいいのですけど、こんな雨上がりの森の中で着ていたら、ジメジメして濡れてしまいますのー」

 

 遠く、濃くなった緑の森の木々の間に、何やら動くものが一瞬視界に入った。

「ディルメイ、あそこに何かいる」

 ベトールが、その方向を指して言う。

「どこですの?」

 ディルメイは足元に横たわる倒木を乗り越え、ベトールがさした方向を見た。

「うみゅ?何もいないですのー」

 ディルメイがそう言った瞬間、その動くものはベトールたちに気付いたのか、下草を揺らし、ものすごい速さで森の奥へと逃げていった。

「あにゃ?」

「逃げられたかっ!」

 ベトールは、右手で拳を握るとガッツポーズのように腕を曲げ、そのまま目の前に腕をまっすぐ伸ばすと指先2本を揃えて突き出した。そして叫ぶように言う。

「召喚!メア・ウルフ」

 その瞬間、ベトールの突き出した人差し指と中指の先から、複雑な紋様を配したベトールの背の高さと同じくらいの大きさの魔法円が現れ、その中からオオカミにも似た獣、メア・ウルフが出てきた。

 大型犬よりもさらに一回り大きなメア・ウルフは、白い毛並みにフサフサの長いしっぽを持ち、額の真ん中には、三角の図形を組み合わせたような赤い紋様が浮かんでいる。

「ひゃっ!?しょ、召喚魔法!」

 ディルメイが驚いて声を上げた。

 魔法円の光が消え、ベトールがメア・ウルフに向かって言う。

「ナジ、あれを追え!」

 ナジと呼ばれたメア・ウルフは、一瞬ベトールを振り返り頷くと、倒木や下草など物ともせず、疾風のように森の奥へと駆けていった。

「ベトール様!すごいですの!召喚魔法、初めて見ましたの」

 ディルメイが興奮気味に目を丸くして言う。

「ディルメイ。私の魔法よりも調査に集中だよ。追うよ!」

 ベトールは厳しい顔でそう言うと、森の奥へと視線を向け、足早に歩き出した。


 雨上がりの東森は、ぬかるんだ地面と濡れた下草で、とても歩きにくい。

 ベトールは、支給された魔杖で草を払いながら森の奥へと分け入ってゆく。


 しばらく進むと、木々の切れ間にナジの白い毛並みが見えた。

「いた」

 ベトールは、下草を飛び越えるように駆け出した。

「ま、待ってくださいのー!」

 少し遅れて、魔杖を握りしめたディルメイがその後を追う。


 その魔物は大きさが1メートルほどで、全身茶色い毛に覆われ、長い耳と短いしっぽ、胴体は丸く、そこから短い脚が4本生えていた。

 その魔物の首を、ナジが噛みつくように抑え込んでいる。

「よくやった、ナジ」

 ベトールが魔物とナジを見て言った。

「べ、ベトール様ぁ、……はぁ、はぁ」

 ようやく追いついたディルメイが息を切らせて、ベトールの少し後ろに並ぶように立った。そして魔物を見て言う。

「なんですのー、メア・ラビットでしたのねー」

 ベトールが頷いて言う。

「そうだね。野兎が魔獣化したものだね。フーナプラーナ村では、これをハネミミと呼んでいるらしい――」そして板に挟んだ資料をめくり、チェックを入れながら言う。「――うん、以前の調査の通りだ。東森周辺は、魔物の種類に変化はないようだね」

「はいです。この五日間、いろいろ見てきましたのですけど、突然凶暴化する魔物はいないようですのね」

「ナジ、よし!放せ」

 ベトールが合図を送ると、ナジは抑え込んでいたメア・ラビットを解放した。その途端、メア・ラビットは焦ったように森の奥へと逃げていった。

 ナジがベトールの傍らにより、座りの姿勢を取る。

「いいぞ」

 そう言ってベトールはナジの頭をなでた。

 ふと、ナジが何かに気づいたように鼻をヒクヒクさせ、立ち上がると姿勢を低くし、メア・ラビットが逃げていった方向から3時の方向を見て、低い唸り声を上げ始めた。

「な、なんですの?」

 ディルメイが、こわばった顔をしてナジが見ている方向を見る。

「ヘリオベア……」

 ナジが、かすれたような声ともつかぬ声で言った。

 ディルメイがナジを見て驚いた声を上げる。

「ひゃっ!?しゃ、しゃべりましたの!?」

「ディルメイ、静かに」

 ナジの言葉にベトールが厳しい顔をする。

「やっと、一番厄介なのが登場したようだよ」

 そう言ってベトールは森の奥を注視した。

「へ、ヘリオベア……。やはり遭遇してしまいましたのね」

 ディルメイも森の奥を見て言った。

「そうだね。ヘリオベアも調査対象だからね」

 

 フーナプラーナからカロの森まで広範囲に出現するヘリオベアは、熊が魔獣化した大型の魔物だ。初めから攻撃的かつ凶暴で、森に出現する魔物の中で最も恐れられている。その出現頻度は低いものの、魔力を扱えないものが遭遇した場合、生きて帰ることはまずできない。


「ディルメイ。これ、持っていてくれる?」

 そう言ってベトールは杖と資料が挟まれた板をディルメイに渡した。

「は、はいですの」

「ナジ、行くよ!」

 その声に、ナジが勢いよくヘリオベアがいる方向へと駆け出した。

 ベトールもその後を追う。

 ヘリオベアの姿はまだ見えない。

「べ、ベトール様ぁー!」

 後ろから、ディルメイの叫ぶ声が聞こえた。


 木々の間を抜け、奥へ奥へと走ってゆく。


 不意に、ナジの大きく吠える声が聞こえた。

「は、ナジ!?」

 ベトールは焦ったようにその方向を見た。


 遠く、木々の間に、ナジの白い毛並みと、それと対峙する黒く大きな影が見えた。

「ヘリオベア!」

 ベトールのこめかみに冷や汗が流れる。


 森の木々の僅かな切れ間に、体長3メートルはあろうかというヘリオベアが、ナジと睨み合っていた。

 黒い剛毛と、鋭い爪。目は三角に吊り上がり、牙をむき出しにしている。

 よく見れば、ナジの白い毛並みの胸元が僅かに赤い。

「ナジ!(ヘリオベアの爪がかすったのか?)」

 ベトールの声に、一瞬ヘリオベアの注意が逸れた。

 その隙をついて、ナジが瞬時にヘリオベアの喉元に噛みつく。

 ヘリオベアが怯んだ。

 ベトールが両手を前に突き出し「炎爆!」と叫ぶ。と同時に、ベトールの足元に微かに直径1メートルほどの小さな魔法円が浮かび、手元から炎の玉が発せられた。

「グォォッ!」

 炎の玉がヘリオベアの顔面に命中すると、激しい炎の爆発とともにヘリオベアは吹き飛んでいった。

 その爆風を翻し、ナジがその場に綺麗に着地をする。そして、ヘリオベアが吹き飛んでいった方向に駆けてゆく。

 ベトールもその後を追う。


 吹き飛んだヘリオベアは、大きなナ・ブーナの木の幹の下に横たわっていた。その口から長い舌が出ている。その大きなナ・ブーナの幹に当たって止まったのか、幹にはヘリオベアの剛毛が刺さっていた。

 ナジが、ベトールを待つかのようにその傍らに立っている。


「ナジ、ヘリオベアの状態は?」

 ベトールは、横たわるヘリオベアから少し距離を置いてナジに話しかけた。

「ゼツメイ……」

「そうか」

 ベトールは頷いて、ヘリオベアに近づいた。

 

 ヘリオベアは、炎の玉が当たった辺りを中心に焦げ、周囲には毛と肉が焼ける気持ちの悪い臭いが漂っている。

「……ちょっとやりすぎたかな」

 ベトールは、黒焦げになったヘリオベアの顔を見て呟くように言った。


「ベトール様ぁー!」

 ヘリオベアの死体を観察していると、ようやく追いついたディルメイが、息を切らせて走ってきた。

「ディルメイ、資料を貸して」

 ベトールが冷静な声で言う。

「は、はいですの」

 ディルメイは、資料の挟まれた板をベトールに渡した。そして、目の前にある巨大なヘリオベアの死体に驚愕した表情を浮かべ言った。

「お、大きいですの……。ヘリオベアの中でもこの個体は相当大きいですのね」

「そうだね」

 ベトールは、資料にメモを書き込みながら言った。

 そして、一通り確認するとペンをしまい、ヘリオベアの死体を見た。

「……うん、この個体は魔道院まで運ぼう」

「え!?」

 ベトールの言葉にディルメイが少し嫌そうな声を上げた。

 ベトールがディルメイを見る。

「ディルメイ。たしか運搬の魔術か魔法、使えたよね?」

「は、はい……ですの」

 ディルメイは顔を曇らせて、うつむいて答えた。

「では、このヘリオベアをまっすぐ魔道院まで運んでくれ。私は一度、フーナプラーナに戻るよ」

 そう言って、ベトールは預けていた魔杖を受け取ると、ヘリオベアの死体とディルメイを残し、ナジとともにその場を後にした。


「そ、そんなー!ベトール様、置いてけぼり、ひどいですのー」

 去ってゆくベトールの後姿に、ディルメイが少し怒ったような声を上げた。

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