第9話 青空市(後編)

 見世物小屋の屋根を突き破って、突然現れた怪物に、リグレット広場は騒然としていた。


 怪物は全体的に青黒く、楕円形の胴体に太い腕だけが4本も生え、異形とも呼べる形相をしている。背中と思われる場所にコウモリにも似た大きな羽を生やしていた。

 見世物小屋の屋根の上で、周りにいる人々をあざ笑うかのように、その大きな羽をバサバサと動かしている。


「お二人とも、大丈夫ですか!?」

 ルルアが魔晶石の露店から類とアリサのもとに駆け寄ってきた。

 すぐ後ろを、茂も息を切らせながら走ってくる。

「大丈夫です。でも、あれは……」

 類がそう言って怪物に視線を移した。

「あれは……、最近よく出るようになった低級な魔物ですね」

 冷静なルルアの声。

「魔物……(あれが……)」

 昨夜見た、森の木々の上に浮かぶ影を思い出す。

(似てるよな……。やっぱ、あれも魔物だったのか……?)

 周りで逃げ惑う人々をよそに、類は魔物の様子をうかがった。

 白昼で見ているせいか、それとも昨夜見たものよりも小さい印象のせいか、小屋の魔物に、とりたてて恐怖は感じない。

「魔物って(こんな近くで)初めて見た!案外、キモカワ系?」

 先ほどまで青い顔をしていたアリサが、ルルアがそばに来たことで安心したのか、のんきなことを言っている。

「ここにいても大丈夫なのか!?」

 茂が、少し焦ったように言った。

「えぇ。問題はありません。……それに、広場には警備兵がいるはずですし。……とりあえずこのまま、噴水の影に隠れていましょう」

 普段穏やかなルルアが、そう言って少し厳しい表情をする。

 四人は、噴水のへりに隠れるように身をかがめた。


 小屋の前で「ギャーっ」と、男の悲鳴が上がる。

 ヘリから頭を少し出して様子をうかがえば、小屋の前にいたクラウンが、魔物に足を引っ張られ、逆さまに宙づりになっていた。

 他に、いかつい男二人が、クラウンを助けようと棒を振り回している。

「なんで来ないのかしら……、警備兵は……」

 ルルアが少し焦ったように唇をかんだ。

 魔物は、クラウンをぶらぶらと左右に揺らし遊んでいる。棒を振り回している男たちなど、まったく気にしていない様子だ。

 周囲の人々も、露店や建物の影に隠れ、状況を見ている。

「あの人たち大丈夫なのかな?」

 アリサが心配そうにクラウンとその仲間を見て言った。

「おそらく、あの魔物の飼い主たちでしょうね……」

「魔物の?飼ってるの?」

 アリサがルルアを振り返っていった。

「えぇ……。あのように飼いならして、見世物として商売をする人もいるのです。ですが……」

 ルルアが何か言いかけた、ちょうどそこに、警備兵と思われる槍を持った十数名の男たちが広場に駆け込んできた。

(あれが警備兵か……)

 警備兵は、くすんだ銀色の鎧にヘルメットをかぶり、強靭そうな風貌をしている。

 そして、颯爽と見世物小屋を取り囲んだ。

 その中の一人、鎧の上にモスグリーンのマントをなびかせた男が指揮をとり、警備兵は一斉に魔物に向けて槍を構えた。

 辺りに緊張が走る。

 建物や露店の影から様子を見ている人々も、少しザワザワとしながら、動向を注視している。

 しかし、いつまでたっても警備兵たちは、ただ魔物に向けて槍を構えているだけで動きがない。

(何をやってるんだ……?助けないのか?)

 類は指揮官と、魔物の様子をじっと見た。

 魔物はクラウンを人質に取るように、小屋の屋根より高く浮いている。

 槍を振り回して届くような距離ではない。それに、仮に槍を投げたとしても、クラウンに当たる確率も高いだろう。

(どうするつもりなんだ……?)


 不意にすぐそばで、ビリッと紙を破る音がした。


 ハッとして横を見れば、ルルアが一筆箋1枚を指に挟んで魔物を見ている。

 真剣なまなざしで、それを地面すれすれに、空気を切るように素早く投げ放つ。

 すぐそばで一筆箋は瞬時に青い炎を上げ、消えた。


「ギュエー!!」

 突然、魔物が叫び声を上げた。

 と同時に、小屋の屋根にバウンドし、広場の石畳に落下する。

 その拍子にクラウンも、小屋の屋根に引っかかるように落ちた。

 警備兵が畳みかけるように魔物を攻撃する。

 そして弱ったところで、ロープを使いグルグルと縛り上げた。

 魔物が石畳に落ちてから、あっという間の出来事だった。

 クラウンも屋根の上から助け降ろされ、やはりロープで縛られている。


「あの人、どうなっちゃうの?」

 縛られたクラウンを見てアリサが言った。

 ルルアは、ふっ、とため息をついて立ち上がる。

「これだけの騒ぎを起こしたんですもの……。警備兵にたっぷり油を絞られますよ、きっと」

 そう言って、クスッと笑った。


 クラウンとその仲間と思われる二人と魔物は、警備兵に引きずられるように、どこかへ連れていかれた。


 事の一部始終を見ていた周りの人々も、危険が過ぎ去ったことで、ゾロゾロとまた広場に溢れてきた。しかし、広場内の雰囲気はまだざわついている。


「ルルアさん、先ほどの一筆(箋、じゃない)、呪符は一体……?」

 類が訊ねた。

 ルルアは、類をまっすぐに見た。その表情は硬い。

「……警備兵にちょっとしたきっかけを作っただけですよ(たぶん、気づいてないでしょうけどね……)」

 そう言って困ったように笑うと、そのまま茂の方を向いた。

「あ……(なんか、はぐらかされたような気が……。考えすぎか……?)」

 類はルルアの後姿を見た。

「茂さん、お昼、どうしますか?」

「お?もうそんな時間か……。そうだな……」

 ルルアは茂と話を始めた。

 類はもう一度、見世物小屋を見た。

 野次馬が集まりつつある。

「ね、ルイ兄、ちょっとあの小屋まで行ってみない?」

 アリサは、小屋に興味津々と言った様子で類と小屋を交互に見た。

「……まぁ、確かに気にはなるけどな。でも何があるかわからないんだ。みんなで一緒に行動したほうがいい……」

 出掛けに、茂に釘を刺された手前、さすがに即答で「うん、行こう」とは言いにくい。

「えー。すぐそこだし、大丈夫だと思うけどなー」

 アリサは、小屋の様子をうかがった。

「やっぱり気になる!ルルアさん、お父さん。あたし、ちょっとあの小屋、見てくるね」

「こら!アリサ、待ちなさい!」

 駆け出そうとしたアリサを、茂が制止する。

「大丈夫。すぐそこだから!」

 アリサはそう言うと、小走りに小屋に向かっていった。

「まったく、あいつは……。類、一緒に行ってやれ」

 茂はあきらめた顔をして、類に目配せをした。

「わかった」

 類は大きくうなずいた。

「……すぐに戻ってくるんだぞ」

 


 見世物小屋の前では、アリサと同じように野次馬が十数人ほど群がって、小屋の様子を眺めていた。


「はい、下がって、下がって」

 戻ってきた警備兵の一人が、そう言いながら、小屋の前に立ちふさがる。

 野次馬たちを小屋の前から遠ざけようとしているようだ。

 ほかの警備兵も2、3人が小屋を囲むように小屋に背を向けて立ち、野次馬が立ち入らないよう警戒をしている。

「現場検証かな?」

 アリサがそれを見て言う。

「……っぽいな」

 野次馬の一人が、小屋の前にいる警備兵に話しかけた。

「兵隊さん、なんで魔物が出てきたんです?」

 警備兵は面倒くさそうに答えた。

「はぁ、管理不行き届きですよ。まったく人騒がせなことです……」

 そう言うと、また「ほら、下がって、下がって」と野次馬を遠ざけた。


 突然、場の雰囲気が変わった。

 面倒くさそうにしていた警備兵たちが一斉に緊張した顔をした。

 周りにいた野次馬たちも、一様に渋い顔をして、そそくさと小屋から離れる。

 見れば、落ち着いた深緑色のマントをなびかせた男が歩いてくる。

 みな、その男に軽く頭を下げ、避けるように道を開けた。

「あの人、なんか嫌な雰囲気ね……」

 アリサが小声で言った。

「そうだな……。アリサ、こっちへ……」

 類も場の雰囲気を察して、他の野次馬たちと同様に小屋の前から下がった。


「魔物騒動があったそうだねえ……。警備兵の到着が遅かったって声が聞こえてきているけど」

 その男は、嫌味ったらしく周囲に聞こえるように大きな声で言った。

 深緑色のマントの下は、同色の貫頭衣にも似た服を着て、腰に装飾の派手な太いベルトを回している。歳は三十代後半といったところか。

 マントのフードはかぶらず、代わりに羽飾りのついた同色のベレーのような帽子をかぶっている。

「魔物が相手だっていうのに、対魔装備をしていない……、なぁんてことは、ないよねぇ?」

「そ、それは……」

 警備兵は引きつった顔で口ごもった。

「バルドリウス様……。それぐらいにしていただけませんか」

 先ほど、指揮をとっていたモスグリーンのマントを着けた警備兵が戻ってきて言った。

「これはこれは、ジウ分隊長殿。ご苦労様です。警備兵を広場に置いておかなかったようですが、万が一、魔物が出てくるという可能性は考えなかったんですかねぇ」

「…………」

 ジウは渋い顔をした。

 バルドリウスよりも若干若い印象だ。

「それとも、毎月のことで、油断なされましたかぁ?」

 バルドリウスは、薄ら笑いを浮かべてジウを見た。


「うわ……。あの人、超嫌味」

 アリサが、聞こえないくらいの小声で言った。

 周りにいた野次馬たちは、バルドリウスの出現で、いつの間にかぽつりぽつりといなくなっていた。


「お騒がせして申し訳ございません」

 ジウは深々と頭を下げた。

「これだから枯れ緑以下の連中は……。ま、僕がいたら、あの魔物、あっさり殺しちゃっていたかもしれないけど」

 そう言って、ジウを馬鹿にしたような目で見た。


「あぁ、ムカつく。もう見てらんない。戻ろ!ルイ兄」

「あ、あぁ……」

 アリサは、ムッとした顔をして、噴水に向かって歩き出した。

 類もその後を追う。

 それに影響されてか、まだ残っていた野次馬も、波が引くようにいなくなった。

(……枯れ緑?)

 類は、バルドリウスが言った言葉に引っかかるものを感じた。


 噴水の傍らに戻る。

「あれ?ルルアさんとお父さんがいいない。どこ行ったんだろ?」

 アリサはキョロキョロと辺りを見回した。

「ほんとだ。(“みんなで一緒に行動”とか言っておいて、自分はルルアさんといなくなるんだもんな……)」

 類は大きくため息をついた。

「アリサ、待ち合わせ場所ここになってるんだ。少し待っていれば、そのうち戻って来るだろ」

 そう言うと、また噴水のへりに腰を下ろした。

「うーん……。しょうがない……」

 アリサは不満そうにそう言って、類の左横に並んで座った。

 見世物小屋に目を向ければ、まだバルドリウスとジウが何やら話をしている。


「あーあ、あの“上緑”、早くどこか行ってくれねーかな……」

 少し離れた噴水のへりに、同じように腰をかけている痩せ気味の男が言った。

 類たちと同じ、モスグリーンのマントを着て、見世物小屋を退屈そうに見ている。


 類は、その男に座ったままズリズリと近づき、様子をうかがいながら話しかけた。

「あの、すみません。……あの方は、一体どういう方なんですか?」

 急に話しかけられ、男は戸惑った顔をした。

 そして、類を見回して言った。

「あんた、王都の人間じゃないのか?あんな有名人を知らんとは」

「え?えぇ……。田舎者で……。今日初めて王都に来たんです」

 類は適当に話を合わせた。

 男は、無精ひげに白髪が混じる濃い目の顔立ちで、歳は六十代後半といったところだ。

「ほう、そうか。青空市はいろんなところから人が集まるからな。どこの田舎から来たのか知らんが、まぁ、あんたも同じ“枯れ緑”の好で教えてやるよ。あの“上緑”は、バルドリウスって言うんだ。このあたりじゃ“嫌味の上緑”って陰で言われている有名人さ。関わらない方がいい」

「そうなんですか?」

「あぁ。すぐマントの色で判断するんだ。自分が“上緑”だからって威張りやがって。同じ“緑属帯”なのにな」

「へー……( 上緑?緑属帯……?)」

 緑があるということは、それ以外の色もあるという含みか。

(そういやルルアさんは水色っぽいの着てたな……)

「あーあ、なんであんな嫌味なのが上緑なんだろな」

 男は不貞腐れたように言った。

「えっと……、緑以外ですと、水色のマントの人もいたりするんですか?」

 類のその問いに、男は首を傾げた。

「水色?魔道階位にそんな色のマント、あったか……?」

 そして、少し考えて思い出したように言った。

「あぁ、そういえば魔道学校の魔導服……、先生たちが着てる服がそんな色だった気がするな。正式には水色じゃなく空色か?でも、確かマントじゃなかったんじゃないか……?まぁ、オレも詳しくないけど」

「そ、そうなんですか?」

「そりゃそうだろ。魔道学校はオレたちみたいな“枯れ緑”には縁のないところだからな。所詮、“枯れ緑”は最下層魔道士さ……」

 男はそう言うと、ため息をついて再び見世物小屋の方を見た。

 類は「ありがとうございました」とお礼言って、またもとの場所に戻った。


「……ルイ兄」

 アリサが少し不機嫌そうに類を見た。

「結構いい情報を得られたよ」

 類はアリサに向いて、小声で言った。

「聞こえてた」

「そっか……」

「ルルアさんって、やっぱりすごい人なのかな?」

 そう言って、アリサはうつろに周りの景色を見た。

「そうかもな……」

 類は自分のマントを見た。


 なぜ、ルルアも道中で同じモスグリーンのマントに着替えたのか?

 ひそかに気になっていた。

 類は、三人が異世界の人間であることを隠すため、それに合わせているのだと思っていた。

 しかし、今の男の話を聞き、少し引っかかるものを感じた。

 

(ルルアさん自身も、身分を知られたくない事情があるんだろうか……?)

 類は、公園の端にルルアの姿を見つけ、噴水のへりから降りた。

「ルルアさん、こっち」

 そう言って手を振る。

 広場の東側から、ルルアが小走りに戻ってきた。

「すみません、おまたせして……」

 そう言って困ったような笑顔を見せる。

「おう、お前たち、ちゃんとおとなしく待っていたようだな」

 茂が両手に紙袋を抱えて、ルルアの後ろをニヤッと笑って歩いてきた。

 見れば、マントの下の背中のリュックがずっしりと沈み、かなり重そうだ。

(叔父さん……。この短時間に、何をそんなに買い込んできたんだ……)

「昼食を買ってきましたので、向こうの公園でお昼にしましょう」

 ルルアはにっこりとほほ笑んだ。

 

 リグレット広場の東の外れ、広場に隣接するように、その小さな公園はあった。

 一面の芝生に、プラタナスのような木が植えられ、適度な木陰を作っている。


「ここに座りましょう」

 ルルアが木陰を指す。

「いいですね。じゃ……」

 そう言うと、茂はリュックを下ろし、そこからレインボーカラーのレジャーシートを取り出した。

 アリサはそれを受け取ると、「ルイ兄、そっち持って」と、端を持たせ、その木陰に敷いた。

「どっこいしょ」と、茂がど真ん中に座る。

「お父さん、じゃま!もっとそっち行って」

「あ、あぁ……」

 そう言うと、茂は端に移動し、真ん中にルルアとアリサが向かい合わせに座った。

 類も、茂と向かい合うように端に座る。

「お昼、何買って来たのー?」

 アリサは、ルルアの前に置かれた紙袋を見た。

「パンサンドです。このあたりでは、よく食べられているものですよ。名産、というわけではありませんが、王都の一般的な家庭ではよく食卓に上るものですね」

 ルルアがそう言って、紙袋から大きな木の葉に包まれたハンバーガーのようなものを取り出した。

「へー、あ、ありがとうー」

 ルルアは、まず目の前にいたアリサに渡した。そして、茂と類にもそれぞれ手渡す。

 類は、包み紙の代わりになっている木の葉をめくって、パンサンドを見た。

 開けた瞬間に漂う異臭。

 乾いた白いパンに、何かの肉と謎の香草が挟んである。

(獣臭い……)

「ルルアさん、これ何の肉?なんか変な匂いがする」

 アリサはそう言って、パンサンドをじっと見た。

「キマイラの肉です。王都で肉と言ったら、これが定番なんですよ……」

 ルルアは苦笑いをして言った。

「えー、キマイラ?」

 アリサは少し嫌そうな顔をした。

 茂はさっそくムシャムシャと食べ始めた。

「ほほぅ。なかなか野性味のある味ですな。ガハハ」

 そう言って、あっという間に完食する。

 類も、一口食べて、目を見開いた。

「……!これは……(パ、パンが干からび過ぎてパサパサだ!口の中の水分を全部持っていかれる。そして口の中に広がる獣臭さ、鼻から抜ける香りがなんとも気持ちが悪い。挟んである緑の葉っぱはその辺の雑草か!?なにより味が薄い!)」

 類は、ルルアを見た。

 パンサンドの味や匂いを特に気にすることもなく、普通に食べている。

(なんで平気なんだ……。慣れか?)

 そのまま茂に視線を移す。

 茂は、キヨに持たされた水筒の麦茶をがぶ飲みしていた。

(……そりゃ、そうなるよな……)

 類は顔が引きつった。

「あたし、これ今、いらない。持って帰る」

 アリサはそう言うと、一口も食べずに、木の葉に包み直し、紙袋に戻した。

「(うっ!その手があったか)じゃ、じゃあ俺も……。朝、いっぱい食べてきたから、おなかそんなに空いてないんだ……」

 誰も聞いてはいない言い訳を適当にして、類は木の葉を適当に包み直し、紙袋に入れた。

「お口に合いませんでしたか……?」

 ルルアが、申し訳なさそうに言った。

「い、いやいや、そんなことないですよ!俺たちには少しばかり食べ慣れないもので……、その、なんだ……ガハハ」

 茂は取り繕うように笑って答えたが、あまりフォローになっていない。

 その横で、アリサが膝立ちをして辺りをうかがうようにキョロキョロと見回している。

「ど、どうしたアリサ?」

 話題を変えるように、茂が言った。

「うーん……。ルルアさん、この辺りってトイレ、どこにあるかな?」

「それでしたら……、たしか……」

 ルルアもそう言って、辺りを見回した。

「あ、あれですね」

 そう言って、公園の奥を指す。

 小さな石造りの小屋が、植え込みの陰に見える。

「あー、うん。わかった。ちょっと行ってくる」

 アリサは立ち上がって、レジャーシートから降り靴を履いた。

「あ、アリサ。待て、俺も行こう。一人で動くのは危険だ」

 茂もそう言って立ち上がった。

 そして二人で、石造りの小屋の方に歩いて行った。

(逃げたな……、叔父さん)



「もー、なにあの匂い!」

 トイレの手前の植え込みの陰で、アリサがムッとした顔で茂に言った。

「露店で売ってる食いもん、全部あれなんだ。しょうがないだろ」

 そう言った茂も、苦い顔をしている。

「あー、もー……。これ持ってきてよかったよー」

 そう言ってアリサは、リュックから“クランチョコ”を2つ取り出した。

「お父さんも1個食べる?……口直し」

 茂に差し出す。

「お、おう。ありがとよ」

 二人は隠れるように“クランチョコ”を食べた。

「うん!やっぱ“クランチョコ”最高!」

 アリサはホッとした表情を浮かべた。

「……ふむ。安心できる味だ。それに、なんだろな?これ食ったら、急に気持ち悪さがなくなったな」

 茂もすっきりした顔で言った。

「それが“クランチョコ”の力だよー。さすがマジックアイテム」

 アリサは得意げに言った。

 


 残された類とルルア。

 ルルアはパンサンドを食べ終わり、レジャーシートの上の紙袋に視線を落としてうつろに見つめている。

「…………」

 気まずい沈黙。

「あ、あの、ルルアさん……」

「はい……?」

 ルルアは軽く笑みを浮かべ類を見た。

「“枯れ緑”って何のことですか?」

 類は気まずさに耐えきれず、先ほど聞いた話題を持ち出した。

「“枯れ緑”は、このマントの色の階位名称ですね」

「階位名称……?(そういえば、さっきの男も、階位がどうとか言っていたな……)」

 類は、顎に手を当てて、何か考えているように言った。

 それを察してか、ルルアが話を始めた。

「この世界では、魔力によって身分が決まるようなところがありまして……。全て、ではないのですが……」

 そう言って遠い目をする。

「そういえば、先ほど噴水のところにいた人が、上緑がどうとか……」

「“上緑”というのは、深緑色のマントの階位名ですね。緑属帯の中で、一番上位ということで、そう呼ばれています」

「緑以外もあるんですか……?」

「そう……ですね。下から、緑属帯、赤属帯、青属帯の順ですね。それぞれさらに分かれていて、緑とエンジが3階位ずつ、その上の青が2階位、残りが特別階位と言って色の割り当てのない階位が2つの全部で10階位に分かれていますよ。これを魔道階位と呼んでいます」

「へー……(そうなのか。さっきの人が言ってたのはそれか)。……その、例えば緑の上位と、青の下位の差というのは……、どうなんですか?結構差がある感じなんですか?」

「うーん……」

 ルルアは、座っていた姿勢を変えて考えるように言った。

「色の違いは、どの色かによって違いまして……。例えば緑の上位を10とするならエンジの下位は100くらいのレベルの差があります。そしてエンジが100なら青は1000といったところでしょうか。……ですから実数としてみれば、緑とエンジの差は90、エンジと青の差は900離れているということになりますね……。数値はあくまでわかりやすく言った例えですが……」

「なるほど……(青はもう、ケタ違いに強いということか……)。ということは、緑属帯の中では上位と下位の差は、他の色に比べたら、たいして離れていないということですよね?」

「えぇ。そうなりますね」

 ルルアは遠い目をして微笑んだ。


(さっき噴水のところにいた人が、“同じ緑属帯なのに”と言っていたのはそういうことだったのか……)

 類はリグレット広場を見回した。

 改めて広場にいる人々を見てみれば、マントを着ている人といない人の割合は、ちょうど半々くらいだ。

 フードなしのマントを着た人も三分の一ほどいる。

 そしてマントを着ているほとんどの人が“枯れ緑”のマントだ。

 “枯れ緑”と“上緑”の間の濃さの緑色のマントを着ている人がぽつぽつと見受けられるが、おそらくそれが3つに分かれた真ん中の位なのだろう。

 見回した限り、バルドリウスと同じ“上緑”のマントの人はいない。

「ルルアさん、このマントって必ず着ないといけないんですか?」

 ふと、疑問に思い訊く。

「いいえ、任意ですよ。フードもかぶる必要はないですし。ただ……、マントは威信財のようなところがありまして、着ていれば魔力を持っているという証明にもなりますから……」

「えっ?でも俺ら、魔力なんて……」

 類はルルアの言葉に戸惑った。

 ルルアがクスッと笑って言う。

「低空飛行のペンダント、試してみましたよね?」

「え……?えぇ……(なんで知ってるんだ?)」

「ルイさんは、どれくらい浮きました?」

「1メートルくらいです」

 その答えにルルアがニコッと笑う。

「それが、ルイさんが魔力を持っている証拠です」

「えぇ!?」

 類は驚いて、ルルアを見た。

「あの低空飛行のペンダント、魔力を持っていない人は、本当に全く反応しないんですよ。……茂さんも僅かですが浮きますからね」

 類は、昨夜のことを思い出した。

 茂が浮いた高さは、僅か10センチほど。

(……叔父さんの魔力は相当微弱ということか。限りなくゼロに近い?アリサは2メートルとか言ってたような?俺より強いのか……)

「この世界は魔力主義なので、魔力があるのと無いのとでは雲泥の差があります。僅かでも魔力を持っているのなら、マントを着るに越したことはありませんよ……」



「おまたせー」

 そう言って、アリサが茂と戻ってきた。

「そう言えば、予定の買い物は全部澄んだの?」

 アリサが、茂とルルアを見て言った。

「おう!ルルアさんのおかげで、全部そろったぞ」

 茂は、膨らんだリュックを指した。そして続けて言う。

「あと、いろいろ仕入れたしな!ガハハ」

「じゃぁ、そろそろ……」

 類はそう言って立ち上がり、レジャーシートを下りた。

「そうですね、戻りましょう」

 ルルアもそう言って、レジャーシートを下り、端を持ってアリサとレジャーシートを畳み始めた。

「ねぇ、帰り道もさ、露店を見て帰ろうよ」

 アリサが言った。

「おう!いいぞ」

「ルイさん、これ……」

 ルルアから、パンサンドの入った紙袋を渡される。

「あ、すみません……」

 類は紙袋を見た。

(……正直、捨てたい)

 再びルルアに目を戻せば、ルルアは類を見てほほ笑んでいた。

 類は紙袋を抱えて苦笑いした。


 

 カルドラ通りを抜け、朝くぐってきた外城壁の門の前に着く。

「うーん、楽しかったー!いっぱい買えたし」

 アリサはそう言うと、マントの中でリュックを背負い直した。

 類は、あきれた顔でアリサを見た。


 カルドラ通りの露店で――

「ルイ兄、このスカーフさ、高くて、ちょっとだけお金足りないんだよ……。ね、どうせ余ってるでしょ?」

 ――とか、なんとか言って、アリサは類が所持していた異世界のお金を半分巻き上げていた。


「ルルアさん、この後どうしますか?」

 茂が言った。マントの下のリュックが重そうだ。

「待ち合わせた場所までお送りしますね」

 ルルアはニコッと微笑んだ。



 朝、待ち合わせた森林の小さな広場でルルアと別れたのは午後2時半頃。

 そこからまた、1時間かけて『カロ屋』に戻ってきた。


「ただいまー!」

 組子障子の戸を開けて、アリサが元気よく店の中に入った。

「あら、お帰り。早かったわね」

 レジカウンターの前に座って、何やら作業をしていたキヨが、アリアを見て言った。

「キヨ、帰ったぞ。ふぅ、疲れた……」

 茂はそう言うと、リュックを「どっこいしょ」と作業台におろした。

「叔母さん、戻りました」

「お帰り。類君も疲れたでしょ?少し休んでいったら?コーヒー淹れるわね」

 そう言うとキヨは立ち上がって、休憩室に入っていった。

 類は、キヨが作業していた、レジカウンターの上の木製と銀製のパーツを見た。

 紐が半分通され、作りかけで置いてある。

「叔母さん、何作ってるんだ……?」

「あー、それ?ブレスレットだよ。ネットショップで売ってるやつ。飾りが可愛いって人気あるんだよ。“カロ屋オリジナル商品”」

 アリサが、レジカウンター前の丸い椅子に座って言った。

「へー……」

 見れば、パーツの横に置かれたカゴの中に、完成品が20個ほど入っている。

(叔母さん、相変わらず内職三昧なんだな……)

 類は、レジカウンターを通り過ぎ、休憩室に入った。

 キヨが、流し台の天板にマグカップを並べて、ポットでお湯を沸かしている。

「叔母さん、これ……」

 類は、パンサンドの入った紙袋をキヨに渡した。

「なあに、これ?」

 類は一瞬、とんでもないものを渡してしまったと、顔が引きつった。

「……ア、アリサの分の昼飯?……あぁ、あと俺の食いかけも入ってる……」

 キヨは紙袋から、木の葉の包みを1つ取り出した。

「あ、それは俺の食いかけの方かも。もう1個の方がアリサの分だと思う。たぶんアリサは、もうそれ食べないと思うけど……」

「そうなの……?でも、異世界の食べ物なんて珍しいわね。おいしいのかしら?」

 キヨは興味津々といった表情で、アリサの分の木の葉の包みを見た。

「……(どうしよう)」

 少しの罪悪感と後悔に冷や汗が出る。

 キヨは包みを開けようとした。

 それを見て「あっ!」と思わず声が出る。

「どうしたの?」

 キヨが不思議そうに類を見た。

「い、いや……。その、それ……」

「なあに?……何かあるの?」

 類は意を決して言った。

「ものすごく、まずいです!」

「……あ……そう……」

 キヨはキョトンとした顔をした。

 そして、おもむろに包みを開く。

(あぁぁぁ…………)

 休憩室内に異臭が漂う。

「変なにおいね」

 キヨはパンサンドを見てそう言うと、一口ほおばった。

「あっ!(やばいって!)」

 類は顔面から血の気が引いた。

 クラクラと気を失いかけるキヨ。

「叔母さん!」

 とっさに、キヨを支えた。

 その顔は真っ青だ。

「ど、どうした!?」

 類の声に、茂が休憩室に入って来た。

 そして、「うっ」と言って腕で鼻を覆い、顔をしかめた。

「類!換気扇!」

「あ、あぁ」

 茂がキヨを支えると、類はコンロの上部にある換気扇の紐を引っ張った。

「キヨ!大丈夫か!?」

「え。えぇ……」

 キヨは、力なくそう言うと、食べかけたパンサンドをじっと見た。

 そして、茂の支えから立ち上がる。

「……、それはキマイラの肉だそうだ」

 茂がため息交じりに言った。

「……キマイラ?」

「俺も、生きてるのは見たことないけどよ。王都じゃ、それが常食らしい……」

 キヨは、休憩室のテーブルの上に、食べかけたパンサンドを置いた。そして、類の食べかけの包みも合わせて置く。

「……こんなの、……こんなのダメよ。こんなにまずい料理にするなんて」

 キヨは少し怒ったようにパンサンドを見た。

「お、叔母さん……?」

 類は、パンサンドを渡してしまったことに、内心穏やかではない。

「もっとおいしくなる調理法があるはず……」

 そうつぶやくと、キヨは茂を向いて言った。

「あなた。今度、王都に行ったら、キマイラの肉を仕入れてきてちょうだい!」

「えぇぇ!??」

 茂と類は驚いた。

「ルルアさんも、こんなまずいの食べてるんでしょ?!ダメよー!あたしが、もっとおいしく調理してみせるわ!」

 一口食べて、気を失いかけたのは何だったのかというほど、なぜか急にキヨの気合スイッチが入った。

 そしてキヨは、食べかけの二つの木の葉の包みを大事そうに持って、そのまま住居側に行ってしまった。

「…………」

 嫌な予感がする。

 類と茂は、キヨが去った住居側に続くドアを見つめた。

(食べかけの、あれを使って実験する気か!?)

 類はハッとして、茂を見た。

 茂は脂汗をかき、恐怖した表情を浮かべている。

 キヨが、二つのパンサンドを使って再調理を試みようとしているのは容易に想像がつく。そうなれば、真っ先にその犠牲になるのは茂だ。

(一緒にいれば、巻き込まれる!)

 類は、青ざめた顔で焦ったように言った。

「お、叔父さん!俺、帰るね!」

 そして、慌てたように休憩室を玄関側に出る。

「ま、待て!類、お前、そりゃないだろ!!」

 後ろから悲痛な茂の声が聞こえた。

「ま、また来るから!(ごめん、叔父さん!)」

 類はそう言うと、茂を残し、皆川家の玄関から外に飛び出した。


 類がアリサから、その後、茂が3日ほど寝込んだと聞いたのは、ずっと後の日のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る