第9話 青空市(前編)

「殿、おはようございまする」

 パソコンの、2つのモニタの間に挟まるように、ミヤビが本体と並んで立っている。

「あぁ……、おはよ」

 類は目をこすり、机の上の時計を見た。

 表示は午前5時8分。

 時計の横に、昨日買い求めた本が置いてある。

 夜はもう明けているのか、カーテンの隙間から外の明るさが伝わってくる。

(結局、あまり眠れなかった……)

 類は机に片手をついて、目頭を押さえた。

「殿、いかがなされましたか?」

 ミヤビがキーボードの近くに寄ってきて言った。

「……寝不足(……少し早いけどコンビニによってカロ屋に向かうとするか……)」

 ふと、ミヤビが目に留まる。

 ミヤビはキーボードの横で、類を見上げていた。


 異世界に通じる『カロ屋』の組子障子。

 ミヤビはそれと同じ紋様から出てきた。

「なぁ、ミヤビ。異世界のこと、何か知ってるか?」

 心のどこかで、もしかしたらと、淡い期待を抱く。

「異世界……?にございまするか?」

「あぁ」

 類は、携帯電話を手に取り、机の前に立ったまま、紋様の画像を表示させた。

「うーん、……某には、わかりかねまする」

「そうか……。じゃ、ミヤビが、紋様から出てくる前はどうだったんだ?異世界を通ったりしたのか?」

 そう言って携帯電話の紋様を見る。


 すべての“こと”の中心に紋様がある、そんな気がしていた。


 視界の端にミヤビが映る。

「いえ。某、ここより出でる前の記憶はございませぬ」

 そう言ってミヤビはサブモニタを指し、続けて言った。

「ただ……、某をお作りになられた、彼の御方のことは、この身に刻まれておりまするが……」

「閏お爺ちゃんか……」

「左様にございまする」

 類は携帯電話の表示を戻した。

「そうか。お爺ちゃんはミヤビの生みの親だもんな……」

「はい。言うなれば、某の母上にございまする」

 類の脳裏に閏の顔がよぎる。

「生みの……は、母……?」

 思い出した閏の顔は、入れ歯がカクカクしていた。

「(うげっ!……)わ、わからなくはないんだが……。母と言うには、なんか違和感が……」

「さすれば、この世に現れ出でるきっかけを与えてくださった殿は、父上となりましょうか」

 ミヤビは手を広げて嬉しそうに言った。

「へっ?(そんなふうに思っていたのか?……お爺ちゃんが母で俺が父?ミヤビが子供で、……お爺ちゃんが母、俺が父。……閏と俺が夫婦!?)」

 類は鳥肌が立った。

(お、おぞましい……。おぞましい想像をしてしまった……。俺は朝から一体何を……)

「殿?お顔の色がよろしくないようですが……」

「い、いや、何でもない。大丈夫だ……(やはり、ミヤビは直接異世界とは関係がないのか……?)」

 類はミヤビをじっと見た。

「な、何でございましょう?」

(異世界に、ミヤビも一緒に連れていけば何かわかるか……?)

 類は少し考えた。

 茂や、アリサはともかく、ルルアと、ルルア以外の異世界の人間との接触の可能性。

 昨夜のような、異世界の未知の存在の出現の可能性。

 現時点で、明確にわかっていることの少なさ。

(うん。やっぱりやめよう)

 ミヤビを異世界に連れて行った場合の、未知のリスクをあえて抱える必要はない。

(ミヤビを連れて行くのは、もう少し何かわかってからでも遅くはないか……)

 類は机から離れ、クローゼットの取っ手に手をかけた。

 中を開いて、掛けてあるグレーのダブルジップパーカーを手に取る。

 さっさと着替えを済ませ、洗面台で身支度を整えると、斜め掛けのバッグを背負い、玄関先からミヤビに言った。

「今日も出かけてくるから、いつも通り留守番を頼む」

「はは!かしこまりました」



 朝の冷えた空気。

 ところどころゴミが散乱し、すがすがしいとはあまり言えない土曜早朝の二番通り。

 どこかでカラスが鳴いている。

 いつものコンビニで朝食を買うと、類は足早に五番通りに向かった。


 五番通りも、両側に並ぶどの店もシャッターを閉め、この時間から開いている店はコンビニ以外ほとんどない。

 当然『カロ屋』も、シャッターは閉められている。


 類は、皆川家の玄関から声をかけて中に入った。

「おはよう」

「お、類。来たな。おはよう」

 休憩室から店に入ると、茂が大きなリュックを足元に置いて、組子障子の戸の前に立っていた。

「今日はよろしく頼むぞ」

 茂が力強く言う。

「うん」

 類は軽く返事をし、店の中を見回した。

 アリサの姿はない。

「あれ?アリサは?」

「まだ時間が早いからな。もう起きているとは思うが……」

 茂はそう言って、持ち物の確認をしている。

「そっか……」

 類は休憩室に戻り、時計を確認した。

 針は6時10分を少し回ったところだ。

「叔父さん、俺、こっちで朝メシ食べてるから」

 休憩室から顔を出しそう言うと、類は休憩室のテーブルの上にコンビニのビニール袋を置いた。

 そして壁と対面する側の椅子に座り、ビニール袋からサンドイッチとお茶を取り出す。

 そこへ、住居側からトントンと階段を下りる音がして、すぐに住居側と店側を分かつドアが開いた。

「あ、ルイ兄。おはよ。もう来てたんだ」

 入って来たのはアリサだ。

 手に、小さめの黄色いリュックを持っている。

「おはよう。今、来たところだよ。アリサは準備できたのか?」

 サンドイッチ片手に、アリサを見る。

 今日は髪をツーサイドアップに結って、そこに小さめの水色のシュシュを結んでいる。

 負ぶさることを意識してか、スカートではなく動きやすそうなカーキ色のカーゴパンツをしっかり穿いている。

「まー、だいたい?」

 アリサはそっけなく答えると、類の横を通り過ぎ、店の中に入っていった。

「……」

 サンドイッチを食べながら、テーブルの上に置かれた朝刊を何気なく手に取る。

(明日は新聞休みなのか。……今日の天気、原野中、晴れ。降水確率……)

 新聞と一緒にテーブルに置かれていた折り込み広告の中に、1枚変わったチラシを見つけた。

(ん?なんだ、これ)

 新聞を畳んで横に置き、そのチラシを他のチラシの隙間から引っ張り出す。

 一番上に重ねて、見れば五番通り商店街の連休中のイベント情報紙だ。

「へー……(後半の4連休に何かやっているお店が多いな)」

 類は、各店舗のイベント内容告知欄を見た。

「アオミドロ薬局は……胃腸薬フェア?」

 なぜだろうと疑問を持ちつつ、他の店舗の告知も見る。

「鶏庵ラーメンだ(この店、五番通りだったのか……)“いまならトッピング増し増し”?“パイナップル増量中!!!”??(うへーっ!)」

 類はチラシから目を離し、背もたれにもたれた。

「(なぜアオミドロ薬局が胃腸薬フェアなのか、わかった気がする……)ドリアンラーメン、相変わらずだな」

 そう言うと、コンビニのビニール袋にゴミを入れ、すぐ後ろにあるゴミ箱に捨てた。

「類、ちょっといいか?」

 茂が、店側から休憩室を覗いて言った。

「あ、うん」

 類は椅子から立ち上がり、茂の後を追うように店の中に入った。

 アリサがレジ前で、銀貨と銅貨を数えている。

「今日は、なるべくみんな一緒に行動するぞ」

 茂が言う。

「うん。そうだな。それがいいと思う」

「ルルアさんの案内があるとはいえ、お前は初めてなんだ。余計なことはするなよ」

「……わかってるよ」

 茂に釘を刺され、類は少しムッとした。

「お父さん、はい、これ」

 アリサがそう言って、カウンターの内側から茂に少し大きめの黒いがま口の財布を渡した。

 その財布はずっしりと重そうだ。

「おう。ありがとよ」

 茂は財布を受け取ると、肩掛けの布地のカバンにしまった。

「異世界のお金か」

 類がそれを見て言う。

「うん。そうだよ。はいこれ、ルイ兄の分」

 アリサは、類に少し小さめの青いがま口の財布を差し出した。

「俺の分もあるのか……」

 そう言って受け取った財布は、見た目よりも重い。

「この前の店番代から差し引きね」

 アリサは、レジにカギをかけながら、軽く笑っていった。

(この前……?あぁ、町田って人が来た時のことか……)

 類は、がま口の財布を開けてみた。

(1、2、3……)

 小銀貨が2枚、大銅貨と小銅貨が10枚ずつ入っている。

(店番代って言ってもなぁ……)

 類が店を手伝った仕事代は、だいたいがアリサの手料理か、皆川家の夕飯のおかずの詰め合わせだ。

(これも、ある意味、現物支給だよな……)

 類は、財布をまじまじと見た。

 住居側でバタバタと音がする。

 そのすぐ後に、休憩室から店の中にキヨが入って来た。

「あら、おはよう。類君、もう来てたのね」

「おはようございます」

「今日はよろしくね」

 キヨはそう言ってにっこり微笑むと、持っていた水筒をアリサに差し出した。

「アリサ、これ水筒。冷たい麦茶が入ってるから。向こうで飲みなさい」

「えー。……別にいらないのにー。荷物になるじゃん」

 アリサは少し嫌そうな顔をして水筒を見た。

 内容量1リットルの紐付きの青い水筒は、けして小さい大きさではない。

「向こうの世界は、生水が飲めないんでしょ?コンビニもないみたいだし、だったら持って行かないと」

 キヨは強引にアリサに水筒を渡そうとしている。

「いらないってばー」

「なら、俺が持って行こう」

 茂が、そう言ってカウンター越しに手を伸ばした。

「そう?じゃぁ、お願いするわね」

 茂はキヨから水筒を受け取ると、組子障子の戸の前に置いたリュックの中にそれをしまった。

「お父さん、今何時?」

 アリサが黄色いリュックを背負いながら言った。

 茂が腕にはめた時計を見る。

「6時半前だ。27分か。ふぅ……、まだ早いな」

「叔父さん、今日の段取りは?」

 茂は類を見た。

「うーん、7時にルルアさんがこれに魔力を送ってくれることになってるんだが、5分前には、待機してないとな」

 そう言って、首から下げた低空飛行の首飾りを示した。

「あぁ、そうだ。類も、もうこれ下げておけ」

 茂はそう言うと、レジカウンターの上に置かれていたもう一つの首飾りを手に取り、類に渡した。

「ありがと」

 類もそれを首に下げる。

(昨日、少しでも練習しておいてよかった……)

 類は、首飾りを確認するように見た。

「まず、青空市は平日の二番通りくらいの混雑だ。まぁ、たいしたことないな。問題は俺たちが異世界の人間だってバレないようにすることだ」

 そう言うと、茂は腕を組んで、レジカウンター前の丸い椅子にドカッと座った。

 類は首飾りから視線を移し、茂を見て言った。

「なんかまずいことでもあるのか?どうせ、ルルアさんは知ってるんだろ?」

「あぁ。ルルアさんは別だ。ここの存在は、機密情報扱いだと言っていたからな。どういう範囲かは知らんが、知っているのはごく一部の人間らしい。俺たちが、ここが異世界に通じているのを秘密にしているように、異世界の連中も、同じようにここを秘密にしてるってことだ。ガハハ」

「あたし、トイレに行ってくる」

「おう」

 アリサはそう言うと、そのまま休憩室に入っていった。

「ふむ……、秘密ねぇ……(でも、前に、異世界側の子供も来てなかったっけ?)」

 類は記憶をたどった。

 翔太を『カロ屋』に誘った日、ルルアと一緒に子供が二人ほどいたような記憶。

(でも、あれは、ガールスカウトの小学生……?異世界側の子供じゃないのか……?)

「類も、トイレを済ませておけよ。王都までは1時間はかかるからな。ガハハ。久々の青空市、楽しみだぜ!」

 茂はそう言うとニタリと笑った。

「あなた、あまりはしゃぎすぎないようにね」

 キヨが釘をさすように言った。

「ガハハ。心配するなって。キヨにもお土産買ってくるからよ」

 茂が苦笑いしていると、休憩室からアリサが戻ってきた。

 そして店側に入るなり言う。

「ルイ兄も、トイレ行っておいた方がいいよ。青空市の場所ってさ、公衆トイレが1か所しかないから」

「そうなのか」

「うん。前に行ったとき、すっごく大変だったんだよねー」

 アリサはそう返事をすると、類の横を通りすぎて、組子障子の前に立った。

 茂は立ち上がって休憩室の方を見た。

「じゃ、俺も行ってくるか。類、お前先に行け」

 そう言って、首で合図をする。

「わかった……」

 類はそう言うと、休憩室に入り、住居側のドアのすぐ横にあるトイレに入った。

(……よく考えたら、異世界の人間ってこと、服装ですぐバレるんじゃね?)

 ルルアの恰好が、こちらの世界で違和感があったように、異世界ではこちらの世界の恰好に当然違和感があるだろう。

 多少の疑問を感じつつ、用を済ませ、類はトイレを出た。

 ドアのすぐ前では、茂がすでにトイレの順番を待っていた。

 類と入れ替わるように、今度は茂がトイレに入る。

 類は、トイレの前の壁にかけてあるタオルで手を拭くと、そのまま休憩室から店の中に入った。

「アリサ、服ってこのままでいいのか?」

 だしぬけに訊く。

 アリサが、組子障子の戸の前から、振り向いて言った。

「服?……あ、それなら大丈夫だよ。ルルアさんがマントを貸してくれることになってるから」

「マント?」

「そ。この服の上に羽織るだけ。それだけで、もう異世界人だよ」

「……そうなのか(そんな単純なことなのか?)」

 類は作業台の横に移動し、自分の服装とアリサの服装を交互に見た。

 アリサは長そでのカットソーに黒のジップアップジレを着ている。

 背負った黄色いリュックが、なんとも子供っぽい。

「なによ。あんまりジロジロ見ないでよね」

 アリサが嫌そうな顔をして言った。

「いや、別に……」

「なんかムカつくー(今日もパーカーのくせに……)」

 アリサはプイっと横を向いた。

「二人とも、準備はできたか?」

 茂が、トイレから戻ってきた。

「あたしはオッケー」

「できてるよ」

「あ!おやつ!!」

 アリサが急に思い出したように言った。

 そして、慌ててレジカウンターの上の配置菓子の箱を手に取る。

「お母さん、100円持ってない?」

「えぇ?」

 突然そう言われ、キヨは驚いた顔をした。

「あったかしら……」

 そう言って、エプロンのポケットを探る。

「“クランチョコ”は、重要なマジックアイテムなんだよ。絶対に持って行かなきゃ」

 アリサは配置菓子の箱の“クランチョコ”が入っている部分のガラスを指さした。

 類は首を傾げた。

(マジックアイテム?)

「アリサ、ほら。100円でいいの?」

「うん、ありがと!」

 アリサは100円を受け取ると、配置菓子の投入口に入れ、“クランチョコ”を2つ取り出した。それをリュックにしまう。

「これで良し、と」

 アリサはそう言って、リュックを背負い直した。

「うん。二人とも、準備良いな?そろそろ行くぞ」

 茂は、組子障子の戸の前に置いていた大きなリュックを背負った。

 そしてキヨに向きを変えて言う。

「じゃ、行ってくる。留守を頼んだぞ」

「いってらっしゃい。みんな、気を付けてね」

 キヨが笑顔で手を振った。

「お母さん、行ってきまーす」

「いってきます」

 茂は、組子障子の戸を開けた。

 

 朝のまぶしい光が右側から射している。

 森の、朝露に濡れた緑のにおいがする。

 

 最後に入り口を出た類が、ゆっくりと組子障子の戸を閉めた。


 三人そろって、異世界側の『カロ屋』の店の前に立つ。


「こっちもいい天気でよかったー」

 アリサが空を見上げて、大きく伸びをした。

「そうだな」

 茂はそう言うと、袖をまくって腕にはめた時計を見た。

 類は辺りを見回した。

「……太陽が、右から出てる?(昨日の月も、気にはなっていたけど……)」

 足元に落ちる自分の影は、カロ屋の組子障子の戸と並行して伸びていた。

「叔父さん、こっちの世界って、方角ずれてないか?」

「あ?」

 茂が振り向く。

「だってほら、店じゃ組子障子の戸って東壁に沿って置いてあるだろ?でも、この世界、向こうから日が昇ってる……」

 そう言って太陽を指さす。

 異世界も方角が同じなら、組子障子の戸を出れば真正面に昇る太陽が見えるはず。

 しかし、太陽は組子障子の戸を背にし、右側から昇ってきていた。

「あ……。そう言われりゃそうだな。全然気づかなかったわ。ガハハ」

 類は顎に手を当てた。

(どうやら異世界側のカロ屋の入り口は、北に面しているようだな……)

「ねえ、そんなことより今、何時よ」

 アリサが少し焦ったように訊いた。

「お、今か?えっと……。52分だ。ちょうどいい時間だな」

 茂が腕時計を見て答えた。

「アリサ、一筆箋持ってきたか?ルルアさんに連絡、書いてくれ」

 茂がアリサを見て言った。

「はーい」

 アリサは黄色いリュックを下ろし、中から無地の一筆箋と筆ペンを取り出した。

「どうするんだ?」

 類はアリサの横に立って、その様子を見た。

「こっちの世界じゃ、これのこと呪符帳って言うんだって。それで、これをこうやって……」

 アリサは一筆箋の表紙をめくると1枚目に筆ペンで

“ルルアさんへ 準備できたよ アリサ”

 と書いた。そしてそのページを切り取る。

「日本語でいいのか?」

 類は不審そうに見た。

「大丈夫。ルルアさんは日本語読めるから」

 アリサはそう言いながら一筆箋と筆ペンをしまうと、黄色いリュックと、類のカバンを背負い直した。

 そして、いま書いた一筆箋1枚を「それっ」っと、空に高く投げ上げた。

 それはあっという間に空に舞い上がり、頭上2メートルのあたりで端から青い炎に包まれ、灰も残さず一瞬にして燃え、消えた。

 類は目を見開き驚いた。

「どうなってるんだ……」

「ルイ兄、そのバッグ、あたしが持つよ」

 アリサは、類が背負っている斜め掛けのカバンを指した。

「あ?あぁ、そうだな。頼む」

 類は、肩からカバンを外し、アリサに渡す。

「類、早くアリサをおんぶしろよ」

 冷静な茂の声。

 首飾りの扇形の飾り部分が淡く光り始める。

「え?あ?」

「ルイ兄、早く」

「あ、あぁ……」

 類は状況がつかめぬまま、アリサに促され、アリサの前にしゃがんだ。

 アリサは類の肩に手をかけ、昨日と同じように負ぶさる。

 類はゆっくり立ち上がった。

「…………」

「…………」

 涼やかな風が通り過ぎる。


(……昨日ほど、嫌じゃないのはなんでだろ?ルイ兄……)

(……昨日より、重く感じるのはなんでだろう?アリサ……、お前、何食ったんだ……)


「ルイ兄……、変なこと考えてないよね?」

 アリサが凍るような声で言った。

「(ギクッ!!)……か、考えてねーよ!」

 類は一瞬焦って、そしてため息をついた。

(バッグの重さ……とも思えないんだよな。俺が疲れてるだけか……?)

 不意に身体がスッと浮き上がる。

「へ!?」

 同時に、アリサの体重も感じられなくなった。

 昨日のように飛び跳ねたわけでもないのに、身体は徐々に地面から離れてゆく。

「無事にルルアさんとつながったみたいだな」

 茂の声に目を向ければ、茂もすぐ横でゆっくり浮き上がっていた。

「叔父さん、これは……」

「なに、心配ない。あとは、ルルアさんが操作してくれるから、俺たちはこのまま何もしなくてもいいぞ」

 茂はそう言ってニヤッと笑った。

「風、ちょっと冷たいね」

 背中で、アリサが言った。

 身体は、森の木々の枝葉よりやや高い位置まで浮き上がると、西に向いて進み始めた。

「青空市って向こうの方にあるのか……」

 類が進行方向を見てつぶやく。

 移動の速度が次第に早くなる。

「ほえー……(風が、ほとんど当たらない。どうなってるんだ……)」

 移動速度とは裏腹に、身体にあたる風は、心地の良い微風だ。

(相当早いスピードで飛んでるのに……。これも、ルルアさんの力だというのか……)

 類は、風で揺れる扇型の飾りを見た。

 先ほどよりも少し強く光っている。

「ルイ兄……」

 背中から、アリサがつぶやくように類を呼んだ。

「ん?」

「こっちの世界の魔法って、どうなってるんだろうね……」

「……さあな」

「あの一筆箋、元の世界じゃただの紙なのに、こっちの世界で使うと魔力が宿ってるし……」

「ふむ……、さっきのように、か……?」

「うん。さっきみたいに、相手の名前とメッセージをかいて放り投げると、相手に届くんだよね。なんかメールっぽいよね……」

「……そうだな」

 類はアリサの足を抱えながら、周りの景色を見た。

 どこまでも森が広がっている。

(しかし、昨日のあれは、なんだったんだろうな……)

 見渡した限り、昨夜見た未知のものが飛んでいる様子はない。

(このまま、何事もなければいいけど……)


 木々の枝葉の上ギリギリを、三人はかすめるように飛んで行く。

 眼下に見える景色は、延々と森が続いている。

 それは、まるでこの先に人が住んでいる場所があることなど、否定するかのようだ。



 飛び始めて、だいぶ時間が経過した。

 辺りに見えていた陰樹の森は、様相を変え、ところどころ開けた場所が混じる森林地帯になってきた。

 しかし、町や村などといった人工物は視界に入らず、それに連なるであろ道ですら見当たらない。

(本当に、この世界、人が住んでいるのか……?)

 類は周りの景色を注視した。

 どこまで行っても森林が続く。


 やがて、その森林の中に、開けた小さな広場が現れた。

 その真ん中に、荷物を傍らに置いて誰かが立っているのが見える。

「あ!ルルアさんだ。おーい!」

 アリサが背中の上で手を振って呼んだ。

 次第にその広場が近づき、身体はゆっくりと降下を始める。

 以前見た、空色の外套を羽織ったルルアが、こちらを向いて手を振っている。

「ここが待ち合わせ場所か」

 茂が広場を見て言った。

 足が地面に着く。

 降り立った場所は、ひざ下ほどの草むらに覆われていた。

「おはようございます」

 ルルアが微笑んで挨拶をした。

「ルルアさん、おはようございます。今日は三人、よろしくお願いします」

 茂は、笑顔で丁寧に挨拶をした。

「ルルアさん、おはよう!」

 アリサは、類の背中から降りると、元気に言った。

「おはようございます」

 類も軽く頭を下げて挨拶をする。

「アリサさん、ルイさん、お二人一緒で大変ではありませんでしたか?」

 ルルアはさっそく二人を見て言った。

「ううん。大丈夫だよ。こういう乗り物だと思って来たから」

 アリサはそう言って類を指した。

「へ!?あ、あはは……(こういう乗り物……、俺、こういう乗り物……?)」

 類は顔が引きつった。

 ルルアは少し困惑した表情を浮かべた。

「この辺りは王都からだいぶ離れているので、人目に付くことなく準備するにはちょうどいいかと思ったのですが……」

 そう言って視線を足元の草むらに落とす。

「このような足元の悪い場所で……、申し訳ありません……」

「いやいや、ルルアさんにはお世話になりっぱなしなんだ。案内してもらえるだけでも十分ありがたいことですよ。それに、こっちの世界にもいろいろ事情があるだろうから……」

 茂は、恐縮したように笑って言った。

「ルイ兄、これ」

 アリサは、預かっていたカバンを類に差し出した。

「あ、ありがと」

 類はそれを受け取り、さっと背負う。

 ルルアは横に置いていた布袋から、綺麗に折りたたまれたモスグリーンの布を取り出して言った。

「以前と同じものですが、これを羽織ってください」

 そして、三人に1枚ずつ手渡す。

(以前と同じ?あぁ、アリサたちは前にも一度来てるんだっけ……)

「ありがとう!」

 最初に受け取ったアリサが、さっそく布を広げてリュックの上から身にまとった。

 それは、フードが付いた薄地のマントだ。

 丈の長さがひざ下まであり、丈の長い草に裾が触れている。

「ルイさんには、これもどうぞ」

 ルルアはそう言って、マントの他に低空飛行の首飾りを差し出した。

「あ、ありがとうございます」

「ルイさんの分です。今つけている方はアリサさんに渡してくださいね」

 ルルアは類を見てニコッと微笑んだ。

「は、はい……(どっちも同じじゃないのか?)」

 そう思いつつ、類は下げていた首飾りを外し、「アリサ、これ」と、差し出した。

「あ、うん。ありがと」

 アリサは受け取ると、さっそく首から下げた。

 類は、受け取ったマントを確認すると、バサッと羽織った。

 アリサと同じ大きさなのか、類は膝よりもやや高い位置にマントの裾がきた。

「ルイさんには、少し短かったでしょうか……」

 ルルアが、類のマントの丈を見て言った。

「ど、どうなんでしょう?――」

 類は両手を広げて、マントの長さを見た。

「――大丈夫そう……?」

「……青空市で、もう少し丈の長いものを買っても良いかもしれませんね」

 ルルアは少し困った笑顔で言った。

 横目に茂を見れば、妙にしっくりマントを着こなしている。

 アリサや類のものより若干太めのサイズのようだ。

「ルルアさん、青空市の場所ってここからどのくらいかかるんですか?」

 類が訊ねた。

「そうですね……。20分ほどでしょうか……。青空市は、王都の東外れのリグレット広場がメイン会場になっているのですが、まずはカルドラ通りから入って、リグレット広場に向かうのが良いかと思っています」

 ルルアも空色の外套から、モスグリーンのマントに着替えて言った。

「ふむ……。俺たちは土地勘がないからよ。そのあたりのルートは、ルルアさんにお任せしますよ。ガハハ」

 茂は、ルルアの話にうなずきながら言った。

 ルルアは、外套とマントが入っていた布袋を折り畳んで、腰に付けた小さなカバンにしまうと言った。

「それでは皆さん、準備はよろしいですか?」

「おう!いつでもいいぜ」

「はい!」

「はい……」

「それでは行きますよ!」

 ルルアは、笑顔でそう言うと、首にかけた低空飛行の飾りを指でなぞった。

 身体が浮き上がる。

 ルルアを先頭に、三人横並びで王都に向けて飛び立った。



 周囲に広がる森林地帯。


 やがてポツポツと、耕作された畑が見え始めた。

「村がある……」

 類がつぶやいた。

 森の中の、簡易な柵で囲まれた十数件からなる小さな村は、見えたと思った瞬間、あっという間に通り過ぎていった。

(さっきよりも、スピードが出てるのか?)

 類は目の前を飛ぶルルアを見た。

 緑色の髪が、日の光に当たって美しく輝いている。

「まもなくですよ……」

 不意にルルアが振り向いて言った。


 遠く視線の先、木々の枝はよりやや高い位置に、三角のとがった屋根が連なる建物が見えてきた。

 遠目に見ても、大きな建物であることがわかる。

「お城だ……」

 類はつぶやくように言った。

「王都デグレードの王城、デグレード城ですね」

「へ、へぇ……(王都ってそんな名前だったのか。デグレード城……ひどい名前だ……)」

「デグレード城は、改築するたびに中が迷路のように複雑になってしまって、設計ミスなのでしょうけど……。今は一番南にある棟以外はほとんど使われていないようですね……」

「そうなんですか」

「えぇ。改築前の方が良かった、なんて、言われているみたいですよ」

 ルルアはそう言って軽く微笑んだ。

「あはは……(まさに、デグレード)」


 木々がまばらに生える草原と、小さな畑が点々と広がる王都の外れ。

 街の中へ通じる轍の付いた田舎道に降り立つ。

「ここからは、歩いていきましょう」

 ルルアが先頭に立ち、道の先を見た。

 そして、三人、ルルアに連なって歩きだす。

 少し先に、王都を囲む石レンガの外城壁が見える。

「おう、そういやそうだったな」

 茂が外城壁を見て言った。

「えぇ。この道から入れば、門兵はいませんから……」

 ルルアは軽く微笑んでいった。

 だが、その顔には若干の緊張が見える。


 外城壁まで来る。

 高さ約3メートル。

 遠目には、がっしりとした石造りかと思えたが、近くに見れば、ところどころ苔むし、部分的に欠落している。

 ルルアの言ったとおり、門兵はおらず、それどころか他に人の気配もない。

 ルルアを先頭に、外城壁の狭い門をくぐる。

 類は通り過ぎに、幅2メートルほどのその壁を眺めた。

(城塞都市……か。城壁は思ったより古そうだな……)

 全員城門を通過し、ホッとしたようなルルアの顔。

「茂さん、まず初めに“キマイラの皮”を探しましょう」

 ルルアが歩きながら言った。

 茂は小走りにルルアの横に並んで言う。

「ルルアさん、皮はすぐ見つかりますかね?」

「えぇ。キマイラの皮は王都の近くにあるテドナ村が一大産地になっていることもあって、露店の数も多いんですよ。ですから、すぐ見つかると思いますよ」

 茂とルルアが段取りをするその後ろを、類はアリサと並んでついてゆく。

 横目にアリサを見れば、アリサは、道の両側に並ぶ住居と思われる石造りの平屋の建物を珍しそうに眺めていた。


 やがて、人々のにぎやかな声が聞こえ始めた。

「カルドラ通りですね」

 ルルアが言う。

 進む先を見れば、住宅街の道の両脇に露店がいくつも並び、通りの奥まで続いている。

 露店を見ている王都の住人であろう、その人々の服装は、シンプルなシャツとズボンの組み合わせか、丈の長いモスグリーン色のマントを着ている人が多い印象を受ける。

「ルイさん、やはり丈の長いマントの方がいいかもしれませんね」

 ルルアが振り向いて言う。

「……そ、そうですか?」

「えぇ。見かけたら早めに買ってしまいましょう」

 ルルアはそう言って笑うと、再び通りの先に視線を移した。

(このマント……、俺、そんなに違和感があるのか?)

 類は、自分の格好を改めて見た。

 やはり、丈が少し短い気がした。



「ルイ兄!これがいいんじゃない?」

 カルドラ通りに入って、三軒目の露店の店先で、さっそくマントを見つけたアリサが、陳列されたマントを1枚手に取って言った。

 そして、それを類にあてがう。

「これ、いいかも!」

「え?なんか……色が……」

「えー、ピンクいいじゃん!かわいいし」

「……俺に、ピンクのマントを着ろと?」

 類は顔が引きつった。

「じゃぁ、こっちは?」

 そう言ってアリサが手に取ったのは、背中に可愛いうさぎのアップリケが付いた水色のマントだ。

「よ、幼稚園のスモックかよ……(だいたい、いくらだよこれ)」

 類は、水色のスモックにも似たマントの値段を確認した。

「いーっ!?小銀貨2枚……(ほぼ所持金全部じゃないか!高い!)」

 類は、値段が安く丈の長いマントを探した。

 店先に、ボロきれのようにいくつも重ねられたマントは、どれも中古品のようだ。

 その中から、比較的状態の良いものを一つ手に取った。

(色よし、長さよし、値段……、小銀貨1枚。まぁ妥当か?)

「ルイ兄、それにするの?」

 アリサがニヤニヤしながら類を見た。

「これと同じ色が無難だろ?」

 そう言ってルルアから借りているマントと見比べた。

 ほぼ同じと言っていい色合い。

 それに周りにいる人々を見れば、マントを羽織っている人のほぼ全員が、このモスグリーン色だ。

「うん。すみません。これください」

 類は露店の店主に声をかけた。

「らっしゃい!お兄さん、カッコいいねー」

 ヒゲ面の店主がニヤッとした顔で笑った。

 その恰好は、茂がいつも着ているような、シンプルなシャツとズボンだ。

(叔父さんは、別にマント着なくてもよかったんじゃないか?)

 そう思いつつ、類は代金を支払うと、マントの上から、さらに買い求めたマントを羽織った。

「うん。ちょうどいいみたいだ」

 そう言って、内側から中に来ていたマントを脱ぐ。

「うちのマントは、お兄さんみたいに背の高い人用のも取り揃えてあるからねー!」

 自信ありげにそう言うと、チラッとアリサを見た。

「お?彼女連れかい?」

「ち、違います!」

 類より先に、アリサが否定した。

 店主はアリサの返事を聞いてか聞かずか「いいねー、楽しんでいって!」と、愛嬌を振りまき、手で“いいね”サインを作った。


「無事に買えたみたいですね」

 ルルアが、覗き込むように後ろから声をかけてきた。

「あ、ルルアさん。どうですか?これ……」

「ちょうどいい感じですね。長さもぴったりですし、色も問題ないですね。さすがルイさんです。では先にお渡ししたマントをこちらに……」

 そう言ってルルアは、森で類に渡したマントを受け取り、軽く畳んでカバンにしまった。

「類、よさそうだな」

「あ、叔父さん」

 茂は、小脇に紙包みを抱えてニヤッと笑って類を見た。

「それ、もうキマイラの皮は買ったの?」

 類がその紙包みを見て言う。

「おう!すぐそこで売ってたわ」

 そう言って、顔の横に親指を向けて後ろの露店を指した。

 見ればその露店は、店先に見たことのない動物の皮をぶら下げて、看板にしていた。

「あとは、魔晶石だな。問題は、どこで売ってるかだ……」

「魔晶石なら、リグレット広場の噴水前ですね。魔晶石を扱っているお店は、いつも固定の場所に出ていますから、すぐにわかりますよ」

「よし!じゃ、行くか!ルルアさん、道案内お願いしますよ。ガハハ」

「はい」

 ルルアは笑顔で返事をした。

「アリサ?行くよ」

 類が振り返って言った。

「あ、うん」


 カルドラ通りをリグレット広場に向かって歩いていく。

 さらに賑やかさが増し、人の往来が激しくなる。

 やはり、モスグリーンのマントを着ている人が多い。

(……色に、意味でもあるのか?)

 類は辺りを見回し、そう思った。

「結構混んでるな……。アリサ、類、はぐれるなよ」

 茂が後ろを振り向いて言った。

 少しして、交差点に差し掛かる。

 前後左右どの方向からも、老若男女人、大勢の人が行き交っている。

「うわっ!」

 その往来にアリサがのまれた。

 交わった道の方に流される。

「アリサっ!」

 類はとっさにアリサの手を掴んだ。

 そして引き寄せる。

「大丈夫か?」

「あ、ありがと」

 アリサは、少し驚いた顔で交差点を見た。

「こっちの人は、遠慮のない道の歩き方をするのね……」

 言われてみれば、男も女も子供でさえも「我通らん」とばかりに人を押しのけて乱暴に歩いている人が多い印象だ。

「(これも文化の違いか……)じゃ、行こうか」

 類はそう言って、進んでいた方向の通りを見た。

 茂とルルアの姿がない。

「あれ……?いきなりはぐれた?」

 目の前には大勢の人が行き交っている。

 類は背伸びをして道の先を見た。

 行き交う人々の頭の間に見え隠れするように、すぐ先の、露店と露店の隙間に二人は往来を避けるように立っていた。

「いた」

 類が言う。

 類に気づいたルルアが、手を振った。

「アリサ、こっちだ」

 そう言って、人の流れに沿って歩き出す。

「うん」

 アリサは、はぐれないように類の腕をしっかりつかんだ。


「大丈夫か?」

 茂が二人を見て心配そうに言った。

「あぁ、かなり混雑してるな……」

 類が辺りをうかがって言う。

「道が細いので、このあたりが一番混んでいるかもしれませんね」

「もう、びっくりしたよー」

 アリサは少し疲れた顔で言った。

「アリサさん、ルイさんから離れないようにね」

 ルルアはそう言ってニコッと笑った。

「……(えっ?どういう意味……?あたし子供じゃないんだけどな……)」


 人の流れに乗って、ようやくカルドラ通りからリグレット広場に出る。

 中央に丸い噴水を配したリグレット広場は、広いだけあって人の多さも苦にならない程度の混み具合だ。

 広場から、西にデグレード城の屋根が見える。

 広場の外周にそって、噴水を向くように立ち並ぶ露店は、人だかりの多い店もあれば、閑散としている店もある。

「もし、はぐれてしまったら噴水を待ちあわせ場所にしましょう」

 ルルアはそう言って噴水を指した。

 中央に配された三角錐のてっぺんから水が流れ出ているこの噴水は、広場で最も目立つシンボルだ。

 噴水周辺には露店は無く、丸い噴水のへりに腰を下ろして休んでいる人が大勢いる。

「お!ルルアさん、あれですかね?」

 茂が魔晶石の露店を見つけて言った。

 魔晶石の露店は、1件だけでなく、4、5件が横並びに並んでおり、どの店の前にもかなりの人だかりができている。

「そうですね。行きましょう」

 ルルアと茂は、連れ立って露店へ向かった。

 類とアリサも、その後を追う。


 その露店の1軒で立ち止まる。

 人の合間を縫って見てみれば、店先に水晶玉のようなものが、たくさん並べられている。

 大きさは1センチ程度の小さなものから、10センチほどのものが多く、露店の中央奥には、目玉商品なのか、30センチほどの一番大きな水晶玉のようなものが展示されていた。

 茶色地に緑の縦ラインが入ったマントを羽織った店主が、客にいろいろと説明をしている。

「あたしも小さいの、一つほしいな……」

 アリサは露店の商品を見ようとするも、前に並んだ客が、なかなか動こうとしない。

「うぅ、全然見えない」

 アリサは、後ろから来た客に押され、露店の端の方に追いやられた。

「ア、アリサ?」

 類が、そのさらに後ろから声をかけた。

「だ、大丈夫……。あっ」

「あっ?!」

 突然アリサの姿が消えた。

「(アリサっ!!)」

 類は、前にいた客を強引に押しのけた。

「いたたーっ!(もう、誰よ!足引っ掛けたのは!!)」

 見れば、アリサはその場に尻もちをついている。

「大丈夫か、アリサ」

「うん、なんとか……」

 アリサの手を引っ張り上げると、ちょうど一番前の端にいた客が店の前を離れた。

 すかさず、アリサがその場所に割り込むように移動する。

「ラッキー!この位置ならよく見える」

 そう言って、台に並べられた魔晶石を見回した。

「……うー、思ったより高い!」

 類もアリサの後ろから覗き込むように見た。

 魔晶石は、大きさ1センチ程度の一番小さなものでさえ小銀貨2枚、5センチほどのものは大銀貨1枚、店主の後ろに陳列されている30センチほどのものに至っては、値段が着けられないのか、非売品扱いになっていた。

(何も買えない……)

 類は苦笑いをした。

「アリサ、俺、噴水のところにいるから……」

「はーい」

 アリサは適当に返事をし、興味深く魔晶石を見ている。

 

 類は、魔晶石の露店前の人ごみを離れ、一人噴水のへりに腰を掛けた。

 そして辺りを見回す。

 魔晶石の露店を正面に向いて4時の方向に、一風変わった即席の小屋が目に留まった。

 その周りだけ子供連れが多く、小太鼓を持ったクラウン(道化師)風の男が客寄せをしている。

 どうやら見世物小屋のようだ。

(面白そうだな。安かったら入ってみてもいいかもな……)


 少しして、アリサが戻ってきた。

「ルイ兄」

 そう言った顔がニヤついている。

「なんだ……?」

 類はあきれた顔をして言った。

「えへへっ。買っちゃったー!」

 そう言って、アリサは1センチほどの大きさの魔晶石を類に自慢げに見せた。

「案外高いよな、それ」

 類は、立てた膝に頬杖をついて言った。

「せっかく来たんだしー、記念だよ、きねん!」

「なくすなよ」

「わかってるわよ」

 嬉しそうにアリサはそう言うと、マントの中で、もぞもぞと手を動かした。

 どうやら、黄色いリュックがマントから出ないように、下ろさずにその中にしまったようだ。


 突然、バタンと、広場一体に響くものすごく大きな音がした。

 

 周りにいた人々が、驚いたように一斉に音のした方を向く。

 類とアリサも驚いて、その方向を見た。 

「なんだろ?」

 類は、噴水のへりから降りた。

「ルイ兄、あれ……」

 見世物小屋の屋根の端から灰色の煙が上がっている。

 周りの人々がザワザワと騒ぎ始めた。

 見世物小屋の中から、入っていた人が慌てたようにゾロゾロと何人か出てきた。

 親子連れの姿も見える。

 そして一様に、小屋から逃げるように走ってゆく。

 

 再び、バタンと大きな音。


「火事?」

 アリサがつぶやく。

「……にしては、なんか変だ」

 類は、小屋の屋根をじっと見た。


 先ほど見たクラウンが、焦ったように小屋の入り口を出たり入ったりしている。

 小屋の周りに野次馬が集まり始めた。

 その時だ。

 見世物小屋の屋根を突き破って、青黒い腕と、コウモリにも似た羽をもった怪物が出てきた。

 見世物小屋の近くにいた女性が「ギャーッ!」と悲鳴を上げて倒れこんだ。

 周りにいた人々も蜘蛛の子を散らすように、慌てふためき逃げ出した。


 類たちの目の前を、大勢の人が逃げてゆく。

 逃げ惑う人々をよそに、類はその怪物を見た。

「る、ルイ兄……」

 アリサが青ざめた顔をして類の腕をつかむ。

「に……、似てる……」

 類がつぶやく。


 昨夜見た、森の木々の上に浮いていた、未知の魔物。

 見世物小屋から現れた怪物は、大きさこそ違えど、印象はそれによく似ていた。


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