第6話 雨上がり
明け方から降り続く雷を伴った雨は、昼前には強さを弱め、今は小雨が冷たく降り続いている。
真上を見上げれば鉛色の空も、西は明るさを増し、雲の切れ間から少しばかり太陽が見え隠れしていた。
五番通りは雨の影響か、歩く人はほとんどなく、いつも以上に閑散としていた。
路面には、ところどころに大きな水たまりが見える。
通りに面した『カロ屋』の入口も、五番通りからの客足の無さを見越してか“閉店”のプレートがぶら下げられている。
いつもであれば組子障子の戸は、日のある時間帯は溝にはめられ、めったに来ない異世界側の来客を待っているのだが、今日はずっと外されたまま、『カロ屋』の東壁に左右並べて立てかけられている。
その薄暗い店の中、茂は真剣なまなざしで作業をしていた。
作業台の上に乗ったデスクライトの明かりが、妙に物悲しく灯っている。
セイランから依頼された“杖”の柄の部分には、いくつかの装飾パーツの指示があり、その装飾については“おまかせ”と書かれている。
茂は、“杖”の全体のイメージから図案を描き、それをもとにロウを削り出しているところだ。
依頼を引き受けてから、まだ半日ほどしかたっていないにもかかわらず、すでに1ヶ所目のロウ型を作り上げていた。
「……ふむ」
時折、細工しているロウを持ち上げ、その出来具合を確認する。
どのくらいの時間作業していたのか、老眼鏡をかけたその顔に、濃い疲労の色が見える。
休憩室の時計がピピッと1回鳴り、11時30分を告げた。
作業をする音のみが聞こえる店内。その静けさは、休憩室の時計が秒針を刻む音さえも店の中に聞こえてくるようだ。
その静けさを破って、カラコロとドアベルを鳴らし、ガラスドアが開いた。
茂は「ハッ」と驚いて振り返った。
その表情は、いつになく恐怖の混じるものだった。
しかし、それもすぐに安堵の表情に変わる。
入ってきたのは類だ。
「こんにちは……って、あれ?どうしたの?」
茂の妙な反応に、類は少し違和感を覚えた。
「あ……、あぁ。いらっしゃい……。大丈夫だ、なんでもない」
茂は顔色悪く、疲れた声で答えると、また作業に戻った。
そして、作業を続けながら言った。
「今日はどうしたんだ?またうちのホームページ、不具合でも起こしたか?」
類は、レジカウンターまで来ると、それに寄りかかって言った。
「ううん……、今日は別件。昨日からバイト始めたんだ」
「へぇ」
「今日は雨で休みになったけど、平日は、しばらく手伝いに来れないから、その連絡」
そう言って、茂の作業の様子をうかがう。
「雨で休みとは……、農家の手伝いか?」
「いや、発掘?」
茂がその言葉に、少し反応し、チラッと類を見る。
「発掘?……遺跡か?遺跡の発掘か?」
「そうだよ……」
「へぇ……」
茂は少し関心のあるような相槌を打つも、その手はずっと休むことなく目の前の作業を進めていた。
暗い室内、机上の明かり反射もあってか、茂の顔色がいっそう疲労の濃いものに見える。
「叔父さん……、なんか具合悪そうだけど……」
心配そうに類が言う。
「うん?あぁ、大丈夫だ。少し寝不足なんだ……」
「ま、あまり無理しないでくれよ、アリサもいるんだし」
類はそう言うと、なんとなしに作業台に近づき、乗っている“杖”の図面を手に取った。
(“杖”?……この前の町田って人の注文と似てるな。……長さ1メートル50?こっちの方がだいぶ大きいか)
図面をもとの場所に戻す。
(こんな注文するのは、どうせ異世界のやつだろう……)
そう思いつつ、視線を組子障子に移すと、2枚とも溝から外され、並べて立てかけられている。
「あれ?叔父さん、今日も、組子障子外してるの?」
茂は、ふと手を止めた。
「あ、あぁ……。ちょっとな」
「へぇ……」
戸が外されていることに対し、類は特に気にも留めなかった。
先日、類が店番をした時にも戸は外されていたからだ。
類は組子障子の戸へ近づいた。
右の戸の前に立ち、戸に手をかけてその装飾をじっと見る。
装飾は相変わらず細かい。
(昨日の夜も、外れてたのか?)
類はふと気になった。
扉が溝にはまっていなければ、異世界への扉は開かない。
それは確認済みのことだ。
だとするならば、昨日類の部屋のパソコンに『カロ屋』が映ったあの時は、どうだったのか。
(単純に考えれば、溝にはまってたはず……)
そう考えるのが無難だ。
「ねぇ、叔父さん。この戸、昨夜もずっと外れてた?」
戸を右手で触れたまま、振り向いて茂を見る。
「……、いや……」
茂は小さく返事をしただけで、そのまま何も言わず作業を続けている。
「……(具合、相当悪いのか?)本当に大丈夫か?」
類は、作業台の横に置かれた踏み台に座った。
そして、茂の様子をうかがう。
顔色悪く、真剣なまなざしで細かい作業をしている。
(昨夜のことを聞けるような雰囲気じゃないよな……)
茂は不意に手を止めて、かけていた老眼鏡を外した。
「類、お茶入れてくれないか。少し疲れた」
そう言って椅子から立ち上がり、右手で左の肩をたたきながら首を回した。
「あ、あぁ」
茂の様子を気にしながら、座っていた踏み台から立ち上がり、類は休憩室に向かった。
ポットのお湯を急須に注ぎ、茂の湯飲みにお茶を注ぐ。ついでに、休憩室に常時置いてある自分用のマグカップにも注いだ。
壁際に置かれた小さなテーブルの上に茂の湯呑を置く。湯気がゆらゆらと揺れる。
そこへ茂が入ってきた。
「ふぅ」
大きなため息を一つついて、自分の湯飲みを目の前に、茂は椅子に座った。
狭い休憩室、テーブルに添えられた椅子は2脚。壁際に座る茂に対し、90度の位置にある椅子に類は座った。
正面に見える壁の上の方にカレンダーが、その下の目線の高さにどこかの店の出前メニューが張られている。
「類……」
茂がお茶を一口すすり、ぼそっとつぶやいた。
「うん?」
何やら重たい口ぶりだ。
「うーん……」
茂はそう唸ると、湯呑を両手で抱えるように持ち、しばらく考え込むように目をつむった。
(キヨのやつ、今日、パートか……)
キヨは週のうち何日か、掃除のパートに出かけていて、今日は不在だ。
(昼飯……、久々に出前がいいな!類もいるし)
キヨがいれば、キヨが昼食を作る。そのため皆川家で昼食に出前を取ることはほとんどない。それに、近所のラーメン店の出前サービスは、注文品が2個以上からという条件もあり、普段、茂が一人の時は、昼食は適当に作るか、冷蔵庫にある物を摘まむ程度で、出前を取るには至らないのだ。
今日この“キヨが不在で類と二人”という状況は、出前好きの茂が出前を取るにはちょうどいい機会だ。
類は、沈黙している茂の様子をうかがった。
(叔父さん……、相当具合が悪いのか……?まさか昨夜のあれが原因か……?)
類は茂を気遣って、遠回しに話を振った。
「叔父さん、昨夜紋様に変わったことなかった?」
その言葉に、茂は薄っすら目を開けた。
「変わったこと……。変わったことか。……最近、そういうことばかりだからな」
そう言って大きくため息をついた。
休憩室の明かりの下では、茂の顔色は具合が悪そうにも見えるが、ただ眠いだけのようにも思える。
類は、マグカップのお茶の揺らぎをしばらく見つめた。
まだ迷っている。
(……はっきり言うべきか、言わざるべきか……)
昨夜モニタに映し出されたことが事実かどうか、確信が得られていない。下手にこの話題に触れるのは、茂に心配をさせるだけではないか?
(はやり、今日はまだ話すタイミングじゃないな……。改めで出直そう……)
類は椅子を引き立ち上がった。
そして自分のマグカップを、すぐ横にある流し台へと運ぶ。
マグカップを流しの中に置き、蛇口に手をかけた、その時だ。
茂がふいに言った。
「あの女の人は、なんだったんだろうなぁ」
「えっ!!!」
類はマグカップをそのままに、慌てて茂のもとに戻った。
「叔父さん!やっぱり見たのか?!その女の人って青い服で、紫の長い髪じゃなかったか?」
類の突然の勢いに、茂は驚いた。
「あ、あぁ。そう……だったかな。でも何で知ってるんだ?」
「……(くぅ、やっぱり)」
不確定な事象が確信に変わった。
「お前、あの人と会ったことあるのか?」
茂は、驚きと同時に不審そうな顔をして類を見た。
「えっと、それはその……(まず、何から説明をすれば……)」
類は少し考えた。昨夜の状況が状況だけに、下手に話せば、誤解を招く恐れがある。また、変な心配をかけてしまうことにもなりかねない。
言葉選びに迷っていると、急に茂が何かわかったような「ハッ!」とした顔をした。
「まさか!お前……あの時間にあの人と会う約束を……?!」
茂が類を凝視する。
「えっ?えぇ?(ど、どういう意味だ)」
「類……。いつの間に、異世界に彼女なんか……。しかもあんな時間に密会……」
どうも、かなり違う方向に誤解をしている様子。
「俺の……、俺のこの店は、『カロ屋は』、お前の密会のデート場所じゃねぇ」
茂は少し怒ったように立ち上がった。
「違う!全然ちがーう!」
類はあわてて反論した。
「叔父さん、聞いて!あれ、実は俺なんだ!」
「あぁん?」
茂のいぶかしげなまなざしが類に刺さる。
「どういう意味だ?」
「だ、だから、あのアバター……(といってもわからないか)、昨夜の女性は、俺なんだよ!」
「類……。お前いつから女装が趣味になったんだぁ?」
あからさまに不快な顔の茂。
「それも、ちがう!」
(どう、説明すりゃわかる???あぁ、もう!)
類は頭を抱え、髪の毛をぐちゃぐちゃにかき乱した。
「まったく、お前なわけないだろう……」
茂は、再び椅子に座りなおした。
「へ?」
「消えたんだぞ、……あの人。目の前で」
茂はテーブルに腕をついて、昨夜を思い出すように言った。
(それは俺が強制終了したから……)
ため息をついて、類もまた椅子に座った。
「叔父さん、ちょっとだけ俺の話を聞いてくれないか」
テーブルの木目に視線を落として、口重に言う。
「なんだ?もう昼だし、飯食ってからじゃダメか?」
茂の注意は、類の意味不明な話から、すでにカレンダーの下に画びょうで止めてある、近所のラーメン屋『鶏庵』の出前メニューに移っていた。
「類、お前も食べていくだろ?出前取るから。何にする?」
茂は、メニューを指でさした。
「俺の一押しはこれだ」
それは“ドリアンラーメン980円”。名前こそひどいが、どこにでもある感じの味噌ラーメンで、特徴はトッピングに、ちくわぶが入っていることだ。
「(ど、“ドリアンラーメン”。なんというインパクト!……しかし、名前からは、まるで想像がつかない……)いゃ……、俺は普通のラーメンで……」
「そうか。じゃ、注文するぞ」
茂はそう言って席を立ち、類が座っているすぐ後ろの壁に掛けられている電話から、電話をかけた。
類はその間、目の前の壁に貼ってある出前メニューを眺めていた。
(“鶏庵”と書いて、ドリアンと読ませるのか……。店主はずいぶん冒険好きだな……)
注文を終えた茂が、戻ってきて椅子に座った。
「ここの店は、出前が早いんだ。たぶんすぐ来るぞ」
茂はそう言うと、大きなあくびをした。
「叔父さん、眠そうだね……」
「あ?あぁ。昨夜のその変な女のせいでな。まぁ、美人だったけどな、ガハハ」
茂はそう言って笑うと、椅子に座りなおし類を見た。
「で、類。話ってなんだ?」
「え?あぁ。さっきの続きなんだけど。実は昨夜の女性、俺なんだ」
まず、結果から先に言う。
茂は、やはり不審そうに類の顔を見た。
「類、それじゃわからん。どういうことなのか、最初から話してみろ」
「あぁ。実は……」
類は、簡単にことの顛末を話した。
「親父の作った紙人形か……。親父が作ったなら、動くかもしれんな」
茂はそう言って顎に手を当て、何かわかったような顔をした。
「なんで?お爺ちゃんが作ると、なんで動くかもって思うんだ?」
「まいどー!!ドリアンでーす」
類がちょうどその質問をしたタイミングで“鶏庵”の出前が皆川家の玄関側に到着した。
「お!来た来た」
茂は、待ちきれんとばかりに玄関に小走りに向かった。
(……間が悪い)
類は顔が引きつった。
「るいー、ラーメン取りに来ーい」
玄関から茂が呼ぶ声。
狭いテーブルの上に、大き目のラーメンどんぶりが二つ。
「へっへっへ、久しぶりだなぁ。ドリアンラーメン!」
茂は、割り箸を割ると「いただきます」と言って、さっそく食べ始めた。
「……(これは……?普通のラーメン?なのか)」
類は、目の前のラーメンをじっと見つめた。
「どうした?食わないのか?うまいぞ」
茂が麺を引っ張り上げながら言った。
「いや……。叔父さん、俺“普通のラーメン”注文したよね?」
「ああ」
「これ……、普通?」
「あぁ、それは普通のラーメンだ」
「えぇっ!?いゃ、違うでしょ!なんでラーメンのど真ん中にイチゴが乗ってんの!」
「そうだな、そろそろ春イチゴの季節も終わりなんだけどな」
「……そういう問題じゃ……。なんで叔父さん驚かないの?」
類は、半分呆れて茂を見た。
「俺のにも乗ってるから」
そう言って茂は、イチゴを箸で摘まみ上げた。
「…………(なんなんだ、このラーメン屋)」
「ドリアンのラーメンは季節の果物がおまけでトッピングされてくるんだ。もうじき、サクランボが乗ってくるぞ。ガハハ」
「おまけって……(この店、店の名前も冒険してるなら、ラーメンの方向性も冒険してるんだろうか……)」
類はイチゴを端に避けてラーメンを食べ始めた。
「……(味は、普通。すごく普通)で、叔父さん、なんでお爺ちゃんが作ると動くって?」
類は先ほど腰の折られた話を戻した。
「う、うん」
茂は口をもぐもぐしている。
そして飲み込むと、一呼吸おいて言った。
「親父もクラフターかもしれん」
「クラフター?」
類は首を傾げた。
(なんだ、クラフターって。……クラフター、クラフト……、工作技術?)
「まぁ、俺もルルアさんから聞いただけなんだが、向こうの世界にそういう特殊能力の職業がらしくてな」
「へぇ」
「なんでも、自分に魔力が無くても、作ったものに魔力が宿るんだそうだ」
そう言って、茂は残りのラーメンを一気にすすった。
「へぇぇ……、魔力ねぇ……」
異世界の、ことに魔法が絡んでくるとなると厄介だ。
類はまだ異世界の存在を知ったばかりで、茂やアリサよりもその持っている情報量は乏しい。にもかかわらず、身の回りは魔法とも呼べる不可思議なことばかり。
ミヤビとモデリングしたキャラクターが、なぜ実体化したのかを探るヒントは、やはり異世界にあるような気がした。
「ルルアさんのいる異世界って、どんな感じなんだろうな……」
類はつぶやくように言った。
「類も今度行ってみるか?」
茂はそう言うと、ラーメンのどんぶりを持って、ズズズッとスープを飲み干した。そしてドンとテーブルにどんぶりを置く。
「行けるのか!?」
類は少し驚いたように聞き返した。
「あぁ。今週末、例の青空市が開かれるんだ。ほら、前に話したろ?面白いモンがたくさんあるって」
茂は、少し楽しそうな表情をした。
「あぁ……(そういえば……そんなことも)」
「土曜の朝7時にここを出るから、それまでここへ来ればいい」
「(朝)早いな。うん、わかった(土曜7時……)」
類は、その話に少し引っかかることを思い出した。
「その青空市って、ルルアさんが言ってた王都ってところでやるのか?」
「そうだ。賑やかだぞ。人出は平日の二番通りくらいってところか」
類は、難しい顔をした。
「(確かルルアさんの話じゃ、王都まですごく遠かったような……。まさか車を使うとは思えないし)……どうやって王都まで行くんだ?」
当然の疑問だ。王都までは相当な距離だ。それを車も使わず3人で移動するとなれば、何らかの移動手段が必要だ。
(何か策があるのか?)
茂は、お茶を一口飲むと、湯呑をラーメンどんぶりの横に置き、類を見て言った。
「前に低空飛行の首飾りをルルアさんからもらったんだ。俺とアリサの分しかないが、類がアリサを背負って飛べば、まぁ問題ないだろ。ガハハ!さぁて、午後も、もう一仕事だ。ご馳走様」
茂は立ち上がり、どんぶりをテーブルの上に残して休憩室を出ていった。
残された類は、自分のどんぶりに残ったラーメンをまじまじと見た。
「ラーメン……、量、増えてる……?」
「叔父さん。どんぶり、玄関に出しておいたよ」
手をハンドタオルで拭きながら、類が休憩室からレジカウンター前にやってきた。
「おぅ、そうか。ありがとう」
茂は作業台に向かい、午前中の作業の続きを始めていた。
類は、組子障子をじっと見た。
(……やっぱ気になるよな)
昨夜のアバター、途中で強制終了してしまったが、もう少しいろいろ試してみればよかったと、心のどこかに後悔が残っていた。
視線を戻せば、茂は黙々と作業を進めている。
類は思い切って、話を切り出した。
「なぁ、叔父さん。その……アバターの話なんだけどさ」
「ん?なんだ?」
「俺、……もう一度試してみたいんだ。協力してもらえないか?」
茂は、細工を施したロウを手に持って、いろいろな角度から目を凝らして見ている。
「……昨夜のベッピンさんか。……本当にお前だったのか俺も気になるな」
そう言うと類を見てニヤッっと笑った。
「!いいのか?」
「あぁ、俺はいつでも構わないぞ。ただ、昨夜みたいな真夜中だけは勘弁してくれよ」
「叔父さん!ありがとう!」
「なんなら今からやったらどうだ?どうせ午後も予定無いんだろ?」
茂の言葉に、類は大きくうなずいた。
類はさっそく自分のマンションに戻った。
外はすでに雨が上がり、雲の切れ間に青空が見える。
「殿。おかえりなさいませ」
玄関先でミヤビが出迎える。
「あぁ!ただいま」
類はバタバタと靴を脱ぐと、小走りに部屋に入りパソコンの電源を入れた。
「殿、いかがなされましたか?何か良いことでも?」
ミヤビは、類の足元から机の上に飛び乗って言った。
「あぁ、昨夜のあれ、もう一度試すんだ。叔父さんに許可をもらった」
マウスを操作しながら意気揚々と話す。
「ほう!またあの見目美しい御仁を拝見することができるのでございまするか?」
「あぁ。ほら!」
ソフトが立ち上がり、画面の中にキャラクターが映し出された。
「おぉ!」
ミヤビは食い入るように画面を見た。
「じゃ、さっそく……」
類は画面の中で、キャラクターと壁の紋様とを重ねた。
昨夜同様に、紋様が光りだし、画面全体が真っ白になる。
「昨夜と同じだ……」
類がつぶやく。
すぐに画面は白さを消し、薄暗い『カロ屋』の店内を映し出す。
そのカウンター前に、茂が手を振って立っていた。
――「おぉーい、本当に類なのか?組子障子はめておいたぞー」
スピーカーから、ノイズとともに茂の声が聞こえる。
「叔父さん!ありがとう」
類は、キーボードを操作し、アバターとなったキャラクターを操作するも、どうも操作性が良くない。
――「類、聞こえてるのかー?」
画面の中で、茂が不安そうに話しかけている。
「うーん……、どうもこっちの声は聞こえてないみたいだな……」
類は少し考えた様子で、パソコン周辺の机の上を見回した。
「そうだ、これを使ってみよう」
それはサイドデスクに置いてあったヘッドセットだ。類は、そのUSBプラグをパソコンに差し込んだ。
(でもこれ、アバター用の設定とかあるのか?)
メイン画面はアバター目線がフルスクリーン表示され、マウスポインタはサブモニタに移動している。音声を含むアバター側の全ての設定ができるようにはとても見えない。
「叔父さん?聞こえる?」
ヘッドセットを装着し、疑問に思いつつも、問いかけてみる。
――「お!しゃべった。類か?類なのか?」
こちらをのぞき込む茂の顔が、画面に大きく映し出された。
「うわっ!叔父さん、あまり近寄らないで」
――「なんだ?いいじゃねーか。しっかし……、よくできてるなぁ」
茂が、画面の端に見切れながらちらちら映っている。
どうやらアバターを眺めまわしている様子。
「叔父さん、変なところみたいでくれよ……」
――「何言ってんだ。こんなに美人でも、中身が類じゃなあ」
そう言いつつも、まんざらでもない顔をしている。
「ちょっと動くから、少し離れてて。操作がいまいち把握できていないんだ」
類はキーボードを注視した。
――「へー。声に合わせて口が動くんだな」
「え?そうなのか?」
――「動いてるぞ。あと瞬きもたまにする。お前と連動してるのか?」
「どうだろ?口はともかく、瞬きは……違うと思う」
――「でもなぁ……、この見た目なのに、声が類のままじゃなー……」
モニタに映った茂は、腕組みをして半笑いでこちらを見ている。
「しょうがないだろ……」
――「なんつーか、アリサだったら、「気持ち悪い!」って言うだろうな!ガハハ!」
「うっ……(いやアリサなら、もっとひどいことを言いそうだ……、恐ろしい……。声は対策が必要か……)」
画面から茂の姿が見えなくなった。
「あれ?叔父さん?」
――「。。。、。。。」
どこかで茂が何か言っているが、よく聞き取れない。
類はキーボードを慎重に操作し、アバターの向きを変えた。
すると茂の姿をモニタの中にとらえた。
どうやらアバターの背後に回り込んでいたようだ。
「叔父さん!後で何やってんの!?」
――「へっへっへ。風もないのに、髪と服が揺れるからよ、どうなってるのかと……」
そう言って気まずそうに笑った。
どうも怪しい。
(絶対何かやってただろ……)
――「やっぱ、触ってもわかんないんだな!」
「叔父さーん!」
類が怒ったように低い声で言った。
――「ガハハ。まぁ、いいじゃねーか!しかし、柔肌というより体育館のマットみたいな感触だな!うん、残念だ」
「おもちゃじゃないんだ、やめてくれ!」
――「ガハハ、冗談だ、気にするな。それより、ずっと棒立ちなのか?」
「棒立ち?」
――「あぁ。向きを変えたときも、棒立ちのまま回転したぞ」
「マジか……(うーむ……)」
確かに、髪の毛とマント以外の動きは付けていない。
それ以外のしぐさも無く、移動が棒立ちのまま足も動かさずに動いているのだとすると、かなり不自然だ。
逆に、声に合わせる口の動きや瞬きは、動きを設定した覚えはない。
(なぜ動くんだ?)
疑問に思いつつも、次の行動に移る。
「叔父さん、もう一つ試したいことがあるから、少し待ってて」
――「お、いいぜ」
茂は先ほどから、ずっとアバターを眺めまわしている。
「殿、今度はどうなされるのですか?」
キーボードの横で、ミヤビが類を見上げている。
「こっちを使ってみようと思う。キーボードより操作性がいいかもしれない」
類はそう言うと、ヘッドセットを外しVR用のヘッドセットを取り出した。
そして、センサのついたグローブ、ソックス、腰ベルトを身につけた。
「ほほぅ。それは、どのような装備でありまするか?」
ミヤビが不思議そうに類を見た。
「これは、センサがついた装備だよ。腰と両手両足。これで動きを感知するんだ。簡易なものだけどね」
類は最後にVR用ヘッドセットを装着した。
「「お、これはよさそうだ」」
類は、右腕をあげてみた。
すぐ横に茂がいる。
「おぉ、やっと動いたな」
「「今度は、動き、どう?」」
「うん、違和感ないな。声以外は!」
「「……」」
類は苦笑いした。
「「あとは……」」
そう言うと、類は作業台に近づき、そこに乗った“杖”の図面を見た。
「「(触れることが、できるんだろうか……?)」」
そっと図面の紙に手を近づける。
そして恐る恐る摘まみ上げてみた。
「「持てる。触れる……」」
(あまり感覚はないが……、実体化してるんだな)
「そりゃそうだろ。俺もその……キャラに触れたし、ちゃんと目の前にいるぞ。……しかし、もとがCGとは思えないねー(もうちょっと柔らかかったらなあ)」
茂が顎に手を当て、アバターの類を見ながら、しみじみ言った。
「「俺もまだ、全然把握してないけど、異世界が影響しているんじゃないかと思う」」
「まあ、単純に考えりゃ、そうだろうな。じゃ、そのまま異世界に出てみたらどうなるんだ?」
茂の言った何気ない言葉に、類は何かを感じたように茂の顔を見た。
茂と視線が合う。
「試してみるか……?」
類がうなずく。
組子障子の戸の前、右手を引き手にかけ、そっと戸を開ける。
外は森の木々が、柔らかい風に触れ、さらさらと木の葉を揺らしていた。
異世界は、魔法の世界。何が起こるかわからない未知の領域だ。
類は、意を決して一歩外へ踏み出した。
「と、殿!?とのー、しっかり、しっかりしてくだされー……」
かすかにミヤビの声が聞こえた気がした。
「ど、どうなったんだ?」
店を出たとたん、VRというよりはアバターに乗り移ったような感覚。
類は、自分自身の身体を確かめた。
VRでは感じることができないはずの、しっかりとした感触がある。
(どういうことだ……。完全にアバターになってしまったのか?)
「類、大丈夫か?」
組子障子に手をかけて、大正期の頃の『カロ屋』の店先から、茂が類を見て言った。
「あ、あぁ。違和感はないんだ……。けど……」
「る、類……!」
「うん?」
茂の驚いた声に、類は茂を見た。
「類……、お前、こ、声が……」
「声?……あ!ホントだ、声が変わってる!!」
それはその外見に似合った、落ち着きのある可愛らしい声だ。
「ああぁぁ。ほ、本当に俺の声なのか……(なんか気持ち悪いぞ)」
ガガガッと、不意に耳元にノイズが聞こえた。
その直後。
――「と、殿ぉぉ!」
ミヤビの声だ。
「ミヤビ?どうした?」
耳に手を当てて、ミヤビの声を拾う。
――「殿の、お身体が!ぐったりと動きませぬー!!」
「なっ!!!」
その言葉に、得も言われぬ恐怖がこみ上げる。
類の今の状態は、VRではなく完全にアバターそのものだ。
「俺……、死んだのか?」
顔は青ざめ、冷や汗がこめかみを伝う。
――「……。……。ふむふむ。いえ、脈はあるようでございまする」
「そ、そうか」
しかし、動悸が収まらない。
「ミヤビ、もう少し俺の身体の様子を教えてくれ。……それから、どうやって俺に話しかけているんだ?」
類は、ミヤビと話しながら必死に冷静さを保とうとした。
――「はい。殿のお身体は、某の見立てでは、寝ているような状態にございまする」
「そ、そうなのか……(死んではいないんだな。よかった……)」
僅かではあるがホッとした。だが、元に戻れるという保証はどこにもない。
――「それと、先ほど、殿が付けておられました、耳当てを抱えて、話をしておりまする」
「なるほど……(ヘッドセットの方か……)」
「おい、類。大丈夫か?」
茂も、店から出て、不安そうな顔をしている類の肩を支えた。
「叔父さん……」
類が茂を見る。
距離が違い。
真っ白い肌に少し潤んだ青い瞳、可憐な唇となびく長い髪。不安を抱えた表情。
茂は類の肩を支えたまま、固まった。
(……俺は、何を考えている!!これは類だ、甥だ。冷静になれ!)
「叔父さん……?」
「あ?あぁ、大丈夫だ。いったん戻ろう……(これじゃ、甥なのか姪なのか、なんなのかわからん……)」
類は茂に支えられ、『カロ屋』の店の中へ入った。
「大丈夫か?」
茂はそう言って、レジカウンター前に置かれた丸い椅子に類を座らせた。
「「あぁ、だいじょ……!声、戻った」」
(っていうか、VR状態に戻ったのか!)
「と、殿ぉぉ!」
VR用ヘッドセットをずらし、肉眼で周りの様子を見る。
パソコンのモニタが目の前にある。
そこに映し出された『カロ屋』の店内。
ヘッドセットの耳あての部分を両脇に抱えたミヤビが、メインモニタの前に立っている。
「殿ぉぉ。無事の帰還、こころよりお祝い申し上げまする……」
不安そうな声をあげて、まっすぐに類を見上げている。
「ミヤビ……、ありがとう」
ミヤビの頭を撫でた。
――「類!類!どうした?大丈夫なのか?」
スピーカーから茂の声。
フルスクリーン表示のモニタには、画面いっぱいに茂の心配する顔が映し出されている。
類は慌ててずらしたVR用ヘッドセットをかぶり直した。
「「近いって!離れて!大丈夫だから。(気持ち悪いんだよ!)」」
「そ、そうか……。いやー、ホントに異世界はわけわからんな。……甥が、姪になっちまうとは」
「「なってねーよ!」」
類は苦い顔をした。
「じゃぁ、今度は向こう側で試したらどうだ?」
そう言って茂は、五番通り側を指さした。
「「えぇっ!?」」
「気になるだろ?」
茂がニヤリと笑う。
「「いぁ、全然……。気にならないから……」」
見目美しい姿だが、声は類のまま。
違和感がありすぎて、誰かに見られでもしたら通報されるかもしれない。
類の心に一抹の不安がよぎる。
「ほらほら!」
「「あ、叔父さん、ちょっと」」
茂に手を引かれ、押し出されるように類はガラスドアの前に移動した。
目の前のガラスドアは、こちら側に向いて“OPEN”の文字のプレートがぶら下がっている。
ドア越しに見える通りの景色は、雨上がりの路面が、午後の日差しで反射して眩しく煌めいている。
類は、恐る恐るガラスドアの取っ手に手をかけた。
「こういうのは思い切りが大事なんだ」
茂がそう言うと同時に、ドアを開けて類を外に押し出した。
「「えええ!!!」」
カラコロと激しくドアベルが鳴る。
「……ふむ」
茂は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに何かわかったようにうなずいた。
「どうなったんだ?視界が真っ暗だ」
類がVR用ヘッドセットを手で抑えながら、大きな声で言った。
「殿?元に戻っておりまする」
ミヤビの声にハッとして、ベッドセットを外す。
すると、画面にはモデリングソフト上で、紋様を背に静かに佇むキャラクターの姿があった。
類は画面をじっと見つめた。
「……アバター化の効果が消えた?」
プルルルル
プルルルル、と類の携帯電話が振動とともに鳴った。
(叔父さん!?)
直感的にそう思い、パーカーのポケットから慌てて電話を受ける。
――「類か、やっぱり元に戻ったか?」
何かを知っていそうな口ぶりだ。
「え?!戻ったよ!どういうこと?」
――「さっき話した低空飛行用の飾り、あれをこっちの世界でも試してみたことがあってな」
「そ、それが?(今のことと何か関係が……?)」
――「異世界ではちゃんと身体が浮くんだけどな、こっちの世界では全く反応しないんだ。ただの飾りでよ。それで、もしかしたらと思って、“女の子”の類を外に出してみたわけだ。まぁ、結果は案の定だな」
「……外に出たとき、俺どうなってた?」
――「消えたぞ、出た瞬間にな。……やはり店を一歩でも出ると、そういう魔法のようなモンはなくなっちまうみたいだな」
「…………」
類は、携帯電話を握ったまま沈黙し、何かを考えるように画面をじっと見た。
(異世界では、完全にアバター……。五番通りでは消える。カロ屋の中では……中間?)
――「もしもし?類?聞こえてるかー?おーい」
(異世界の影響を半端に受けている……?いや、そもそも異世界の影響なのか?)
――「類?大丈夫か?」
「あ、あぁ。大丈夫。いったん整理したいから、電話切るよ」
――「おう!そうだな。また何か変なことがあったら遠慮なく言うんだぞ。こっちも何かわかったら連絡するからよ」
「あぁ」
――「それから、アリサには言わないほうがいいな」
茂の少し笑いの混じる声。
「なんで?」
――「“変態”って言われるぞ!ガハハ!」
類はムッとした顔をした。
「うむむ……」
――「じゃ、またな!」
茂のその声の後、電話はスッと切れた。
「殿、この御仁はやはり殿の化身にございましたか……。このようなお姿にも変化なされるとは、さすが殿!」
机の上で、ミヤビが何やら喜んでいる。
その様子を類はじっと見た。
(ミヤビの実体化も異世界の影響……?いや)
足を組み、背もたれに持たれて手を顎に当てる。
『カロ屋』の組子障子は開けば異世界につながる。
しかし、類の部屋は、組子障子と同じ紋様はあれど、異世界へは通じていない。
(ミヤビの実体化は異世界の影響じゃない……。どちらかといえば、紋様が直接影響していると言うべきか……)
類はサブモニタの壁紙になっている組子障子の紋様を見た。
(ミヤビには悪いが、実験に付き合ってもらうぞ)
椅子に座りなおし、マウスを操作する。
そして、サブモニタの壁紙を紋様から初期設定状態の画面に変更した。
(さて、吉と出るか凶と出るか……)
「と、殿ぉぉぉ!!!某が、某がぁぁ!」
「み、ミヤビ……(縮んでる)」
メインモニタの前にいたミヤビが、3分の1ほどに小さくなって飛び跳ねている。
「一体これは、どういうことでありましょぉぉぉ???」
「消えたりはしないようだな……」
類は、再びサブモニタの壁紙を組子障子の紋様に戻した。
と同時に、ミヤビも元の紙人形と同じ大きさに戻った。
「ほっ。元に戻りました」
ミヤビはモニタの前で、くるりと一回転して見せた。
「ごめんな、ミヤビ。ちょっと試してみたんだ」
そう言って類はミヤビの頭を撫でた。
「いえいえ。殿のお役に立てたのであれば、これ本望にございまする!」
「ありがとな」
そう言うと、類は『カロの日記』を手に取った。
(ミヤビもアバターも、触れた紋様と、出てきた紋様とが違う……)
日記の中の、組子障子の紋様が描かれたページを開く。
その紋様の大きさを指で測る。
「こ、これは……(さっき縮んだミヤビが入る大きさだ……)」
類はミヤビをじっと見た。
(単に物理的な問題なのか?)
「な、なんでございましょう?」
ミヤビは急に見つめられ、ソワソワしている。
“紋様はすべて同じ、すべて投影”
類は、ミヤビの言葉を思い出した。
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