第7話 発掘現場の雑談
昨日の雷雨とは打って変わって、すがすがしい青空が広がっている。
時折吹く少し寒さを感じる風が、逆に心地よい。
発掘現場のバイト、実質2日目。
プレハブ小屋の前。
「瀬戸!おはよう!」
朝から元気のいい南が、類の肩をポンと叩いて類の隣に並んだ。
「おはよう……(今日もタンクトップなのか……)」
作業ズボンこそ違うものの、南は一昨日とほぼ同じ格好だ。
「昨日は雨で現場が休みで、残念だったな」
そう言うと、南はニヤつきながら類を上から下まで眺めまわした。
「な、なんだよ……」
その視線の不快感をあらわに言う。
「今日の恰好もなかなかいいぞ、瀬戸」
そして南は「うんうん」と、うなずいた。
「あ……そ……(ジーンズにただのトレーナの何がいいんだ?意味が分からん)」
類は南からすぐに視線を外し、周辺を見回した。
プレハブ小屋の周辺では、他の作業員たちが装備を整えている。
軽く準備体操をしている作業員もいる。
類も首からタオルを下げ、つば付きの帽子を深めにかぶり直した。
「おはようございます。では、ミーティングを始めます」
プレハブ小屋の前で、恩田がそう声をあげると、散らばっていた作業員たちが恩田の周辺に集まってきた。
類と南も、その中に加わる。
「昨日の雨で、現場は水が溜まっています。今日の作業は、まずは排水からお願いします。地面がぬかるんでいて、滑りやすくなっているところもありますので、足元には十分注意してください。バケツとスポンジをもって、移動お願いします」
恩田はそう言って一礼すると、発掘現場の方に移動していった。
他の作業員は、プレハブ小屋の中にある道具をそれぞれ手に持って、同じように現場へ移動していく。
類と南も、他の作業員にならって最後にプレハブ小屋に入った。
先に入った南が辺りを見回して言う。
「なあ、瀬戸。バケツ、もう無くないか?」
南の後に続いて、類も一通り見まわしてみるが、すでにバケツとスポンジは他の作業員が全て持っていってしまったようだ。
「たしかに……」
「どうする?」
南が類に聞く。
「うーん……」
悩んでいると、一昨日、南や類に話しかけてきた作業員の一人、伊藤がプレハブ小屋に入ってきた。
「なんだ、もうバケツ無いんけ?」
そう言って、バケツとスポンジが置かれていたであろうスペースを見る。
「えぇ。どうしたらいいでしょう?」
類が伊藤に聞いた。
伊藤は、他の道具が入ったコンテナの中を探してみるが、やはり見当たらない様子。
「とりあず、手ぶらでいいから現場にいくっぺ。スポンジは余ってるはずだ」
そう言うと、伊藤は何も持たずにプレハブ小屋を出ていった。
「……どうする?」
南が再度、類に聞く。
「指示された道具が無いんじゃなぁ……。他に代わるものは……」
もう一度辺りを見てみるが、スポンジの代わりになりそうなものは無いようだ。
「あ、おはようございます」
今度は中島が入ってきた。
中島は一昨日と同じように、薄灰色の作業着で長靴をはき、帽子をかぶっている。
「おはようございます」
類と南も挨拶を返した。
中島は、道具コンテナの中をガチャガチャとかき回し、何かを探している様子。
「中島さん。バケツとスポンジがもう無いんですが、どうしたらいいですか?」
類が尋ねた。
中島は、コンテナの中にあった小さな紙の箱を手に取ると、二人を見て言った。
「ああ、水抜きの作業は他の方に任せて、二人は僕のところに入ってもらっていいですか?」
類と南は、一瞬顔を見合わせたが、とりあえず「はい」と返事をした。
恩田に指示された道具がない以上、中島の指示に従った方がいいだろう。
「では、道具は、移植と箕があればいいですね」
中島はそう言って、再び道具棚を見る。
「イショク?」
類は首をかしげた。そして南をチラッと見る。
南も顎に手を当てて“イショク”がよくわからないといった様子。
「あぁ。これのことです」
中島は二人の様子に気づくと、置かれている道具が入ったコンテナの中から、ガーデニング用品でよく見かける、30センチ弱ほどの大きさのステンレス製のシャベルを手に取った。
「移植ゴテとか、移植ベラとか、単にシャベルとか、人によって呼び方が違うんですよね、これ」
「ほー。そうなんですか」
南が感心したように言った。
「僕はこれ、移植ゴテって呼んでたんですけど、恩田さんは移植ベラって言ってますね」
そう言うと、持ち手の部分についたタグのような部分をカタカタと鳴らした。
「……では、僕は先に行ってますから、準備ができたら来てください」
中島はそう言い残してプレハブ小屋を出ていった。
類は、先ほど中島が移植ベラを取り出したコンテナの前にしゃがんで、その中に入っている移植ベラの一つを適当に手に取って眺めた。
「俺はこれ“ミニシャベル”だと思ってたんだけどな……」
そう言って南を見上げ「お前は?」と聞く。
「俺は、“掘るやつ”!って呼んでた!」
南は類から手渡された移植ベラを掲げて力強く握りしめた。
「……それ、名前じゃねーし」
類は苦笑いをした。
軍手をはめると、箕と移植ベラを持って、発掘現場へと移動する。
遠目に、中島と矢野が、一昨日広げたブルーシートを畳んでいるのが見える。
表土を剥いた遺跡内は、ところどころ水溜りができ、水分を含んでぬかるんでいるところは、そこを通った複数の人の足跡がベタベタとついていた。
「南さん、瀬戸さん。こっちです」
中島が手をあげて合図する。
ブルーシートが敷かれていた場所だけ、四角く土が乾いている。
「あ、そうだ。すみません、矢野さん。ハケを人数分持ってきてもらっていいですか?」
中島が矢野にそう言うと、矢野は無言でうなずいて、そのままプレハブ小屋へ小走りに向かっていった。
「じゃぁ、さっそく始めますか……」
中島は足元の地面に引かれた線を確認した。
線は、かなり角の丸い、円に近い方形で、それ以外にいくつか丸く線が引かれている。
方形の方は、大きさが5メートルほど、丸い方が20センチから、50センチといったところだ。
「まずはベルトを設定しますね」
中島はそう言うと、腰下げのカバンから五寸釘を取り出し、地面に1本打ち込んだ。そしてコンベックスを使い、それから30センチほど離して、もう1本打ち込む。
「これは何をやっているんですか?」
類はその作業の様子を見て言った。
「断面確認用のベルトです。竪穴住居では、どのように土が堆積していったかを見るために、十字にベルトを設定するんですよ」
「へぇ……」と、うなずくも、いまいちよくわからない。
「ベルトは畦のように、そこだけ残して周りを掘り下げていくんです。瀬戸さん、南さん、僕が釘を打ったところに水糸を張ってもらっていいですか?」
中島は黄色の水糸を類に渡すと、方形の向かい側の位置に同じように2本釘を打った。
言われるがまま、南が釘に水糸を巻き付け、類は水糸を張りながら中島のいる場所へと移動した。
そうしている間に、矢野がハケを持って戻ってきた。
「あ、矢野さん。ありがとうございます」
中島がそう言うと、矢野は無言のまま軽く頭を下げた。
一昨日見た時と同じように、顔をタオルで覆い、よく農家のおばちゃんがかぶっているタイプの、後ろにひらひらと布のついた帽子を深くかぶっている。今日は、上下緑色の合羽のような服だ。
そして一言もしゃべらない。
「じゃあ、掘っていきましょう」
隅丸方形を4等分に切るように、十字にベルトを設定し終わり、中島が言った。
「お?どうもです」
南の声に横を見れば、矢野が南にハケを手渡していた。
類も矢野から刷毛を渡される。
「あ、ありがとうございます」
矢野は軽く頭を下げて、そのまま類と南の間に挟まるように並んだ。
女性にしては思ったより背が高い。
「矢野さんは、そこに入って下さい。南さんはその隣、瀬戸さんはここにお願いします」
中島はそう言うと、ベルトによって4つに区切られた場所を指示した。
さっそく隅丸方形の線の中に移動し、類は南とは対角上になる場所に立った。
「僕はここに入りますので、わからないことがあったら聞いてください」
中島はそう言って矢野と対角になる最後の区画に入った。
突然、矢野がパタパタとテントに向かって走っていった。
「うん?」
状況がわからず類と南、二人がポカンとしていると、中島は何かわかったように、二人を見て言った。
「二人が持ってきた移植、見せてもらっていいですか?」
そう言われ、持ってきた移植ベラを中島に渡す。
中島はその両脇のエッジの部分を、角度を変えながら見た。
「ふむ……。これは刃がついてないですね」
そう言って二人を見ると続けて言った。
「矢野さんが、移植を研ぎに行ったので、二人も研いでもらってきてください」
「研ぐ?」
南が不思議そうに返却された移植ベラを見た。
「えぇ。発掘では刃を付けた移植で表面を削るように掘っていくんです。包丁と同じくらいよく切れるように研ぐので、手を切らないように気を付けてくださいね」
(そうなのか……)
類も移植ベラを受け取り、そして矢野が走っていった先を見た。
矢野はテントの木陰に座り、グラインダーを使って移植ベラを研ぎ始めていた。
(なるほど……)
竪穴住居跡を掘り始めて、はや1時間。
矢野に研いでもらった移植ベラは、よく切れる包丁並みの鋭利さだ。
掘るというよりは削るに近いその作業は、ずっとしゃがみっぱなしで、足へのダメージが思ったより大きい。
「中島くーん、ちょっと来てー」
遠くから、恩田の声が聞こえた。
見れば、5、60メートルは先だろうか、その辺りから恩田が手をあげて中島に合図をしている。
「あ、すみません。ちょっと行ってきます」
中島はそう言うと、使っていた道具をその場に置き、現場の奥にいる恩田の方へ走っていった。
発掘現場は道路の拡張工事に伴うもので、南北に走る道路に沿って道路の拡張幅分が発掘の対象になっている。
その中で遺跡の一番北端が、類たちが掘っている竪穴住居跡のようだ。
南端は土捨て場にしている辺りのようだが、恩田と中島はさらにその先へと歩いて行っているのが見える。
「なぁ、瀬戸」
不意に南に話しかけられ、視線を戻せば、南は四つん這いで土を削っていた。
「なんか地味な作業だな」
ボソッとつぶやく。
「そうだな……。足が痛いよ」
類は立ち上がり、血流の悪くなった足を軽く叩いてほぐした。そして掘り進めている竪穴住居跡全体を改めて見た。
線の内側は、その周りより掘った分だけ僅かに低い。
向かい側に入った矢野は、慣れた手つきで黙々と作業を進めている。
「ふう……、それにしても何も出ないな……」
首にかけたタオルで額の汗を拭きながら類が言った。
「やっぱ、ロマンはそう簡単には見つからんのかー。だが俺は、絶対ロマンを見つけて見せる!見てろ、瀬戸ぉぉ」
そう言いながら、南はガリガリと土を削っている。
「はいはい」
類は半ばあきれ気味に言った。
南は四つん這いになっているせいで、膝やひじが土まみれだ。
類は、再びしゃがむと、指定された場所を削り始めた。
再び削り始めて数分。
刃先にカツッと、硬いものが当たる。
「ん?(なんだ?)」
類はハケでその場所に乗った土を払った。
(石……?)
ほんの少しだけ顔を出したそれは、砕けた石の先のようにも見える。
このまま削り進んで、もしもこれがただの石ではなく重要な何かだとしたら……。
類は、とりあえず南の意見を聞いてみることにした。
「なぁ、南。これなんだと思う?」
その声に、はす向かいにいる南がベルトをまたいで身を乗り出してきた。
「おお!?瀬戸、ついにロマンを発見したのか!?」
「ろ、ロマン……?いや……(聞いた俺がバカだった)」
聞くならすぐ向かい側にいる、発掘経験が豊富そうな矢野の方がまだ何か知っているだろう。
しかし、矢野がしゃべっているところを見たことがない。
はたして答えるだろうか?
類は、そう思いつつも話しかけた。
「すみません、矢野さん。これってなんだと思います?」
その声に、ベルトを挟んで向かいにいる矢野も、南と同じように身を乗り出してきた。
頭の位置が、妙に類に近寄ってくる。
(や、矢野さん……、ちょっ、近いって……)
類は、半歩後ろに引いて矢野の頭を回避した。
その様子を南が眉間にしわを寄せてじっと見ている。
(み、南……)
類は苦笑いをした。
矢野は、地表面にわずかに出たその部分を少し触っていたが、やがて「うんうん」とうなずいて、自分の持ち場に戻っていった。
「え?矢野さん?……これは……?」
再び話しかけるも、矢野はただ「うんうん」とうなずくだけで、下を向いて自分の持ち場を削っている。
(あぁ……。やはりダメか。……でも矢野さん、全然しゃべらないな)
しゃべれないわけではないらしい。何か理由があるのだろう。
類は、中島が戻ってくるまで、その場所を外して削ることにした。
「俺も、早くロマンを掘り当てたいぜ……」
南がつぶやく。
「だから、お前のそのロマンって何なんだよ……」
類は、なるべく南と視線を合わせないように、地面を向いて言った。
すると南は、ベルトの中心に近づいて、類に話しかけてきた。
「ロマンは、ロマンだ!夢だ!情熱だ!」
圧の強い南の気配に、うっかり顔をあげると、南は目をキラキラさせて類を見ていた。
(うっ、しまった!)
類は即座に地面に視線を移して言った。
「お前のその、ろ、ロマン……、見つかるといいな」
「おう!弟は見つけたみたいだから、俺もロマンを絶対に見つけてやるぜ!」
南はそう言って、掘っていた場所に戻ると、四つん這いの姿勢から体勢を変えてしゃがみ直し、再び削り始めた。
「あれ?南って、弟いたんだっけ?」
そう言って、またうっかり顔をあげる。
案の定、南は類に笑顔を向けていた。
「弟は最近、合コンにはまってるみたいで、そこにロマンを見つけたらしいんだ」
「へ、へぇ……?(南の、弟が?)」
南の言葉に違和感を覚える。
「(ま、まぁ、弟だからな……。南とは嗜好は別か)でも、合コンにロマン?(……そんなもんあるわけない。あるのは男も女も邪心だけだぜ……)」
内心、もやっとした感情が湧く。
「でもよ、弟が行くと、必ず人数が奇数になるから大変だとも言っていたなぁ」
「へぇ。マジか……(たぶん男余りの奇数だな。一番ダメなパターンだ……)」
「いつも女性側が一人多くなるんだってよ」
「マジか!!?」
類は驚いた。
南の弟はモテるのだろうか、とも思ったが、それよりも先に邪な感情が多くを占めた。
「(女性側が多いって稀じゃね?マジ良い!)いいな!(南の弟と一緒に行けば……)ふふふ」
邪な感情に、つい言葉が漏れる。
「お!?んじゃ今度、俺と一緒に合コン行くか?」
「合コン!!行(く……)」と言いかけて我に返る。
(南が、合コン?南が……?)
彼女いない歴0年どころか、彼氏いる歴がありそうな南が、合コンに行くとは到底思えない。
いぶかしげに南を見る。
南は、白い歯を見せてニッと笑うと、顔の前に親指を立てて言った。
「メンバー全員男だけどな!」
類は目の前が真っ暗になった。
「くぅ……(そんなことだと思ったよ!それは合コンじゃねー!)絶対行かねー……」
ふと、ベルトの向かい側を見れば、矢野が笑いをこらえて肩を小さく震わせている。
「……(もう、やだ。南……)」
中島が、パタパタと小走りに戻ってきた。
「すみません、戻りました」
少し息が上がっている。
「で、何か困ったこととか、ありませんでしたか?」
中島はそう言うと、竪穴住居跡を見まわした。
「中島さん、これ……」
類は、先ほど移植ベラの先に当たった、石のような物を指した。
「ちょっと見せてください」
中島は、類の横に片膝をついてしゃがむと、腰のカバンから竹ベラを取り出し、僅かに出ている石のような物の周りをそれで掘り始めた。
「うーん、ただの石のようにも見えるけど……。住居内で見つかる石っていうのは、意味があることが多いので、これももしかしたら……」
そう言って、ハケで石の上に積もった土を掃く。
「(石皿、磨石。炉の一部?いや違うか)うーん、もう少し掘り下げないと、よくわからないですね」
中島は、掘るのをやめて立ち上がった。
「瀬戸さん、ここはこの石の下の土を残して、出てきた高さがわかるようにして、あとは他と同じように全体的に掘り下げてもらっていいですか?」
「わかりました」
中島は竪穴住居跡全体を見回した。
「そうですね……。やはり位置的に炉というのは無いような気がしますが……」
「炉?」
南も、その石が気になる様子で、中島を見上げて言った。
「炉というのは、火を焚いていたところです。わかりやすく言うと……、囲炉裏というとイメージしやすいでしょうか……。あくまでイメージですけどね」
そう言って苦笑いすると、続けて言った。
「炉は、だいたい竪穴住居の真ん中にあることが多いんですが」類が掘っている場所を指し「それはずいぶん端の方から出てますからね。それに、それ1つだけのようですし……。もう少し顔を出してくれれば正体がわかるかもしれません」
そして中島は、先ほど自分が掘っていた場所に置いた道具を拾い、腰のカバンに戻した。
「では、もう10時なので、休憩にしましょう」
そう言うと、現場の奥に向かって叫んだ。
「皆さん、休憩してくださーい!」
現場横のテントでは一昨日と同じように、ブルーシートの上にみんな座り、それぞれ休憩している。
矢野は、なぜか南の背中にくっつくように横向きに座っている。
(中島さんはどこにいるんだ?)
類は一昨日も休憩していなかった中島が気になり、辺りを見回した。
(そういえば恩田さんもいないな……)
テントからみえる現場の範囲に、二人の姿はなかった。
どうやら、先ほど恩田が呼んでいた土捨て場の奥へ行ったようだ。
「あんちゃん、ほれ、お茶」
後ろから、南の横に座った作業員のおばさんに、メラミンの湯飲みに注がれたお茶を差し出された。
「あ、ありがとうございます」
類はそれを受け取ると、南がいる方に向きを変えて座りなおした。
「どうした?」
伊藤が類を見て言った。
「い、いえ。中島さんたち、いないなと思って……」
「あぁ、先生たちあまり休憩しないんだよねー」
類の隣に座ったおばさんが答えた。
「(先生?)そうなんですか……」
「お昼も、ほとんど休憩しないで現場で何かやってるしね」
「へぇ……。(休憩しないって……、平和そうに見えて、ここも案外ブラックなのか?)」
類はお茶を一口飲んだ。
休憩が終わり、それぞれが持ち場に戻り始めた。
類も、軍手をして、テントから竪穴住居跡へ移動しようと歩き出した。
そこへ南が近づいてきて言った。
「瀬戸、俺ちょっとトイレに行ってくる」
「お、おう」
南はプレハブ小屋の裏手にある仮設トイレへと走っていった。
類はそのまま、先ほど掘っていた竪穴住居跡を見た。
少し遠めに見ると、全体の様子がよくわかる。
(縄文時代はこんなところに、人が住んでいたのか……。結構狭いよな)
近づいて竪穴住居跡の周りを半周ほど歩きながら眺めていると、右側の背中にドンっという軽い衝撃とともに、「ぎゃっ!」というカエルをつぶしたような変な声がした。
「うわ!す、すみません!」
とっさに振り返る。
見れば矢野がよろけていた。
よそ見をして歩いていたため、どうやら矢野とぶつかったようだ。
「…………」
矢野は体勢を整えると「うん」とうなずいて、自分の場所へ道具を持ってしゃがんだ。
そして早くも作業を再開した。
(矢野さん……声……。男……)
類の顔が青ざめる。
一瞬聞いた矢野の声は、いい歳のおっさんが裏声を使っているかのような声だった。
(聞いてはいけないものを……、聞いてしまった気がする……)
しゃべらない理由をなんとなく悟った類は、全身から血の気が引くのを感じつつも、気を取り直して持ち場に戻り、作業を再開した。
そこへ南が戻ってきた。
「ちょっと出遅れた。悪いな」
そう言って、ヘラヘラと自分の持ち場に入りしゃがんだ。
「……(南と矢野さん……。最悪だ……)」
ちらほら抜けるとはいえ中島が隣で一緒に作業をしているからまだいいが、もし3人だけでずっと作業をしなければならないとしたら……。そう思うと、類の心に恐怖と不安が入り混じる。
「瀬戸さん、どうですか?先ほどの遺物」
隣の区画からベルトを挟んで、中島が類に話しかけた。
地面はだいぶ掘り下げられ、一角しか見えていなかった石は半分以上姿を現し、それは見えている部分の長さ30センチほど、直径は12センチほどの棒状の石であることがわかった。
砕けたように見えていたのは、斜めに横倒しになったそれの一番端の部分であった。
「結構大きいですね、これ。なんですかね」
類は、石に乗った土をハケで払い落としながら言った。
「もう、それはたぶん石棒ですね。全体がまだ見えていませんが、磨製ですし、形状的にもほぼ間違いないと思います」
「石棒……(石の棒……。こん棒のような物だっけ?見た目そのままなのかな)」
類は、特に気にすることなくそのまましばらく土を掘り進めた。
ハケで、石棒に乗った土を払い落す。
そして、ようやく石棒が全体の姿を現した。
「うぐっ!(こ、これは……、最悪だ!)」
類は顔が引きつったまま、石棒を前にその形状の衝撃で、しばらく身動きができなくなった。
長さ約50センチ。最後まで土に埋まっていた部分は、まぎれもなく立派な状態の男根を模したものだ。
(初めての遺跡発掘で、初めて出てきたものがこれ……。しかも南のすぐ横で……)
類は意識が一瞬遠のき、手を地面について目をつむった。
「瀬戸さん?せ、瀬戸さん!?大丈夫ですか!?」
近くにいるはずの中島の声が、遠くに聞こえる。
「だ、大丈夫です。それよりこれ……。なんか18禁っぽいものが……」
顔を手で覆い、ふらふらする頭を何とか気力で抑え、中島に言った。
「あぁ……。初めて実物を見ると驚きますよね」
そう言って苦笑している。
はす向かいで後ろを向いてしゃがんでいた南が、類と中島の会話に振り返った。
「お!瀬戸ぉぉぉ!ついに、ついにロマンを発見したのか!?」
そう言うと、ベルトをまたいで、出てきた石棒を見た。
「す、凄い!凄いロマンが出てきたな、瀬戸!」
南は目を見開いて、興奮気味に石棒と類を交互に見た。
「えぇぇぇぇ(や、やめてくれ……。俺とそれを一緒に、そんな目で見ないでくれ……。これはロマンじゃない……。悪夢だ……)」
類は、顔が引きつったまま、助けを求めるように中島を見た。
「石棒は縄文(時代)の遺跡だと、たまに出てくるんですよ。子孫繁栄を願った祭祀具じゃないかって言われています。これはそうでもないですが、もっとリアルに作られているものもありますよ」
(中島さん!南の前でリアルな話やめて!石棒の話は掘り下げないで!)
「リアルですか!?もっとリアルなのがあるんですか!?」
南がさっそく食いついた。
「えぇ。県の博物館にはもっと大きいのがありましたね」
物がモノだけに素人目には困惑しか浮かばないが、中島には、石棒は遺跡から出てきた出土品の一つとしか映っていないようだ。
見れば矢野が、いつのまにか類の区画に入り、しゃがんで石棒の先の部分を怪しげな手つきで触っている。
(や、矢野さん……。何者なんだ……)
「瀬戸さん、ビギナーズラックですね」
「へ?」
中島は類を見てニコッと笑った。
「そ、そうなんですか……?」
「石棒は住居内から見つかることは多いですが、必ず出てくるわけではないですし、住居の多い遺跡でも1個も出ないこともありますからね。でも、最初が石棒だなんて、かなりの強運の持ち主ですね」
「あはは……。そうですね」
類は力なく笑った。
初夏に移ろいゆく晴天の空のもと、そのすがすがしさとは対照的に、怪しげな雰囲気を出している二人に、類はただ早く時が過ぎることを願った。
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