第5話 バイトとアバター

「えぇ、そうです。はい……。明日8時半ですね。わかりました。よろしくお願いします。それでは失礼いたします……」

 携帯電話を耳から離し、画面をのぞき込む。

 画面には“通話終了”の文字。

 類は大きくため息をついて、携帯電話を机に置くと、椅子の背もたれに深くもたれた。

「殿……、何やら顔色がすぐれませぬが……」

 ミヤビがサブモニタの前に立って類を心配そうに見ている。

「うん……。大丈夫……」

 そう言ったものの、胃のあたりがムカムカともたれるように痛い。それに、まだ口の周りがヒリヒリするような気がする。

(ペッパーソース、かけすぎたか……。それにコーヒーも飲みすぎた……)

 類は机に肘をつき、手を額に当てて目をつむった。

「はぁ……。履歴書、書かないと……(胃が痛い……)」

 つぶやくように言う。

「履歴書にございますか?」

「あぁ。バイトの申し込みをしたんだ……。明日、持ってきてくれって言われた……」

 画面の右下の時計は、16:20を表示している。

(1時間で書き終わるかなぁ……?)

 類は机の上を片付けて、用紙に向かいペンをとった。


 しばらくガリガリとペンを走られていたが、やがて大きくため息をつき、ペンを置いた。

(つ……、疲れた……)

 そのままぐったりと机に突っ伏す。

「殿、殿?履歴書なるものは完成したのでありましょうか?」

 突っ伏した腕と頭の隙間を、ミヤビは「殿、殿」と、のぞき込むようにちょろちょろ動き回る。

「…………(うざい)」

「殿、このままお眠りになると風邪をひきまする。はっ!某ひらめきました!このミヤビが布団をかけて差し上げましょう!おぉ、なんという忠義」

(はぁ…………)

 類は気分の悪さに机に突っ伏し目をつむったまま、ミヤビが動き回る音だけ聞いていた。

 すると、突如ガガガッ!と、扉がきしむ音がした。

「な、なんだっ?」

 慌てて後ろ振り返る。

 見れば、半端にあいたクローゼットの扉に布団が引っかかり、それにミヤビが挟まってもがいている。

「ぐはぁ……。某、もはやこれまで。忠義を、忠義を果たしましたぁぁぁ」

(……何やってんだ)

 類はあきれながら、やれやれとばかりに椅子から立ち上がり、引っかかった布団を直すとミヤビを摘まみ上げた。

「殿!これはこれは、かたじけのうございまする。さすがは殿」

「お前なぁ……」

 ミヤビを机の上に置くと、類は椅子に座りなおした。

 そして、ため息交じりに言う。

「もう、いいからじっとしててくれ……」

「ははっ!仰せのままに」

 ミヤビは一礼して、サブモニタの前に移動すると、そのまま類の方を見て立ち止まった。

 命令通り、じっとしている。

 類は、書き上げた履歴書の見直しをした。

「(書き間違いは……、ないな)うん」

 一通り確認すると、改めて自分の履歴書を見た。

「……(学歴、職歴、資格……)」

 資格欄には普通運転免許のほか、いくつかの資格の名称が並んでいる。

(このバイトでは情報系、役に立たないだろうな……)

 類は履歴書をファイルに挟んで封筒に入れた。

「……よし、これでいいだろう」

 一連の作業を終えると、サブモニタの前で大人しくしていたミヤビが声をかけてきた。

「終わったのですか?」

「あぁ……」

 類はメインモニタをじっと見た。

(続き……、やるか)

 類はペンタブレットのペンをとると津田の残した画像のモデリングを始めた。

 

 作業を開始して4時間ほどが経過したあたりで、突然ペンを置く。

「殿?」

 サブモニタとメインモニタの間に立ってミヤビが不思議そうに類を見る。

「できた……。できた。できた!」

 類はメインモニタに映し出されているキャラクターを前に、その出来栄えとやり遂げた充実感とが相まって感無量といった様子。

「殿!おめでとうございまする。このミヤビ、心よりお祝い申し上げまする」

 ミヤビが深々と頭を下げた。

「ありがとう」

 類はそう言ってミヤビの頭を軽くポンポンとなでた。

 メイン画面に映し出されたそのキャラクターは、長い髪とマントをふわふわと揺らし、画面中央で静かに佇んでいる。

 ミヤビがメインモニタに近寄って言う。

「美しい御仁であらせられる……」

「そうだな……」

 類は頬杖をついて、出来上がったキャラクターを少し悲しげに見た。

「殿……、ではこの美しい御仁を紋様に乗せるのですか?」

「あぁ。……ただ、サブモニタの壁紙に直接は乗せられないから、新しくこのキャラの後ろに壁を作って、そこにテクスチャを貼るか……」

 そう言って、ふと画面右隅の時計表示が目に留まった。

 時計は22:52を表示している。

「もうこんな時間か。はぁ、明日早いからな……」

 類は区切りのいいところで作業を中断し、そのまま就寝した。



 ピピピピピッ……

 ピピピピピッ……

 携帯電話のアラームの音が振動とともに鳴っている。


「殿!殿!音が、音が止みませぬ!殿ぉぉー!」

 類が寝ている布団の上を、ミヤビがうるさく走り回っている。

「とのぉぉっ!」

 ミヤビはさらにその上で飛び跳ね始めた。

「ぐ、ぐはっ。ほげっ。は、腹、や、やめ、やめ」

 類は枕元に置いた携帯電話のアラームを止めると、ようやく布団から起き上がった。

(目覚ましではなく、ミヤビに起こされるとは……)

「おぉ、音が……。さすがは殿。騒がしい音を制圧されるとは、なんとお強いことでありましょうか!」

「はいはい……」

 ミヤビの話を適当にあしらい、眠い目をこすりながら布団をたたむと、類はクローゼットを開けた。

(そういえば……、なんか汚れてもいい恰好で来てくれって言われたんだよな。なんでだろ)

 今日は履歴書を渡して面接だけのはずでは。

 そう疑問を持ちつつ、類はクローゼットの中に、それらしい服を探した。

 透明なビニールの袋に包まれた服が、上部の吊り棚から滑り落ちてきた。

「あ……」

 袋を拾い上げる。

「これは」

 類が以前勤めていた会社『エルデピュータ』で配布された作業服上下セットだ。

(あぁ、返してないんだっけ……)

 作業服は貸与扱いのため、退職時には会社に返却する必要がある。

 しかし類の場合、仕事中に過労で倒れてそのまま入院し、その入院期間中に会社が倒産という惨状であった。そのため作業服は返せずじまいとなっていた。

「うーん……(上着はロゴが入ってるから、着たらまずそうだけど、下は大丈夫か?)」

 類は、ビニール袋を破って作業ズボンを取り出した。

 作業服は上下同色の、きつめのサーモンピンクで、かなり目に痛い。女性用のマフラーやスカートならわかるが、少なくとも男性が大半を占める職場の作業服として採用する色とはとても思えない。

「……今見ても、微妙だ」

 社内では当然不評で、誰一人着たがらないという代物だった。類も、もちろん着たことがない。

 類は作業ズボンを広げてみた。

「ほぅ、新しい穿きものにございますか?」

「うん……(でも、……なんか……、変な形してる)」

 ウエストと足首周りは細身なのに、太ももの部分が妙にもたついている。

「まぁ、いいや、試しに穿いてみよう……」

 類はサーモンピンク色の作業ズボンに足を通してみた。

 上まで引き上げて、ボタンを留める。

 穿いた作業ズボンは、太ももの部分は妙にぶかぶかで膨らみ、足首にかけて急激に細くなる違和感のある台形型をしていた。

「おぉ!殿、カルサン袴にございまするか!おぉ、このようはハイカラなものを穿きこなすとは、さすが殿でございまする」

 畳んだ布団の上でミヤビがはしゃいでいる。

「…………(こりゃ、だめだな)」

 類はさっさとズボンを脱いだ。

 結局、無難に下は濃紺のチノパン、上は淡いブルーのシャツの上に黒のジャケットを羽織ることにした。

「……着替えてもいいように、これも持っていくか」

 そう言って黒いボーダーのカットソーを手に取った。

「ジャケット以外は汚れても問題ないな」

 履歴書とカットソーをトートバッグに入れ、身支度を整える。

「ミヤビ、留守番よろしくな」

 玄関先で声をかける。

「ははっ!留守をお守りいたしまする。殿、いってらっしゃいませ」

 ミヤビに送り出され、類は指示された面接の場所へと向かった。



 電車に揺られること15分。


 降車予定の居ノ台駅は、原野中市に隣接する葦代市にある。

 原野中市から葦代市に入った最初の駅で、路線の中でも乗降者が多い駅だ。

(久々の電車だ……。通勤時間帯だけあって、さすがに混雑しているな)

 出入口扉のすぐ横に立ち、後ろの、並んだ座席の端の壁のような場所に背を当てて、外の景色を眺める。ちょうど向かい側の同じ位置にも、サラリーマン風の男性が同じように立っている。それは出入口を守る狛犬の様なポジションだ。


 居ノ台駅に着き、類は改札を出ると、駅前大通りを東に歩き出した。

 携帯電話の地図アプリで、場所を確認する。

(比較的駅に近いはず……なんだけどな)

 大通りを南に折れ、道幅の狭い通りに入る。

 その狭い通りはちょうど拡幅工事の最中だった。

 工事中の砂利敷きの奥に、小さなプレハブ小屋が見える。

(あれか?)

 プレハブ小屋の周辺も砂利が敷いてあり、そこに作業員と思われる人たちの車が何台か並んでいる。

 類は時計を確認した。

 携帯画面の表示は8時22分。

(ちょうどいい時間だ)

 小走りにプレハブ小屋へ向かった。


 プレハブの壁に掲げられた看板に、“埋蔵文化財発掘調査”の文字が見える。

 開いた入り口からプレハブ小屋をのぞくと、薄灰色の作業服をばっちり決めた40代中頃と思われる男性が中で何かやっている。

「おはようございます。すみません」

 類はその男性に声をかけた。

「あの、今日バイトの面接にお伺いした瀬戸と申しますが、担当の恩田さん、いらっしゃいますでしょうか?」

 男性はふいに声をかけられ、一瞬驚いて振り向いたが、すぐに分かった様子で小屋から出てきた。

「おはようございます。瀬戸さん?恩田です。昨日は電話ありがとうございました」

「あ、いえ……。こちらこそ。それで履歴書を持参したのですが……」

「あ、うん。まぁ入って」

 類は、促されるままにプレハブ小屋に入った。

(案外、ぶっきらぼうな人……?)

 小屋は、反対側に通り抜けられるようにもう一つ出入口があった。

 入ってすぐのところが道具置き場に、左奥が畳敷きになっていた。畳の上にはローテーブルが4つあり、うち2つは向かい合わせに置かれている。

 恩田は畳にあがると、奥の壁際につけて置いてあるローテーブルの前にあぐらをかいて座った。

「どうぞ」

 恩田が招くように言う。

「はい……」

 類は少し戸惑ったが、とりあえずスニーカーを脱いで恩田の近くに正座した。

「じゃ、改めて、私はこの現場の主任の恩田です。もうひとり副主任がいるんだけど、今は作業員さんと、朝のミーティングを始めたところなので、席を外してます……」

 まだ日差しが強い季節でもないのに、恩田はすでにかなり日焼けをしていた。

「じゃぁ、さっそくで悪いんですが、履歴書見せてもらってもいいかな?」

「はい……。どうぞ」

 類は履歴書を差し出した。

 それと引き換えるように、恩田から書類を渡される。

「それ、書いてて、ペンそこにあるから」

 そう言って、入り口と同じ東壁面に置かれたローテーブルを指した。

「はい……(なんだこれ)」

 類は渡された書類を軽く見つつ、東の壁際に置かれたローテーブルに移動した。

 そのローテーブルには、作業員用の出勤簿が乗っている。

「ペン、お借りします」

(賃金と保険関係の書類か……。給与の振込先……。って!?へ?もうバイト決定なの?面接してないような……)

 類は驚きつつも、さらさらと書類を書いて恩田のもとに持って行った。

 恩田も、奥のローテーブルで何か書類を書いていたが、類が書類を渡すと、振り向いて「ハンコ持ってきた?」と言った。

「は、はい……。一応」

「んじゃ、こことここに押して。あぁ、あともう1か所」

 言われるがままに、先ほど書いた書類にハンコを押す。

(保険と労災絡みの書類か……?)

「はい、ありがと。あと出勤簿にも名前入れておくから、今日は帰りにでも押していって」

 恩田はハンコを押した書類を履歴書と一緒にまとめると、紙袋に入れた。

「それで瀬戸さん、今日からもう大丈夫なんだよね?」

「(へっ!?)えぇ……、大丈夫です(いや、大丈夫じゃないかも……)」

 内心困惑しつつも、返事をする。

(何も準備してこなかったけど、大丈夫なんだろうか……)

「じゃ、今日からよろしく。期間は7月の半ばまでを予定してるけど、状況によっては多少前後するから」

 そう言って恩田は立ち上がった。

「おはようございまーす」

 そこへもう一人、挨拶とともに恩田と同じ作業着を着た若い男が、反対側の出入口から入ってきた。

 男はスラっと背が高く細身で、今どきのイケメン風だ。少し汚れた長靴をはき、腰に小さなカバンの様な袋を下げている。

「おはようございます」

 類は軽く頭を下げて挨拶をした。

(学生……?じゃないよな。でも若そうだな……)

「あ、今日から入った人?」

 男が類に気づき言った。

「うん。瀬戸君、こちら副主任の中島君」

「中島です。よろしくお願いします」

 中島は類に会釈程度に頭を下げた。

 恩田は書類を手に持つと、長靴を履きながら言った。

「じゃぁ、俺は書類を置いてくるから、あとよろしく」

 そして、そのままプレハブ小屋を出ていった。

「瀬戸さん、発掘現場は初めてですか?」

 すぐに中島が話しかけてきた。

「えぇ。初めてです。まったく別分野なので、少し不安ですね」

(いろんな意味で)

 バイトとはいえ異業種で初めての仕事なのに、何も準備してこなかった、というのもあるが、類は南の存在も引っかかっているようだ。

「大丈夫ですよ。それほど難しいものじゃないですから。じゃ、今日の前半は私と一緒に作業をしましょう」

 中島はそう言うと、道具置き場に移動した。

「あ、すみません。着替えてもいいですか?」

 類は持ってきたトートバッグを指して言った。

「えぇ。どうぞ。あ、貴重品以外の荷物はそのあたりに置いてください。貴重品は自己管理でお願いします」

 ジャケットを脱いで、カットソーに着替える。

(うん……、明日はもう少し服装考えないとな……)

「軍手、持ってきてます?」

 道具置き場においてある道具を片手に、中島が聞いてきた。

「い、いえ……」

「あぁ、そうなんですね。じゃ、今日は僕のこれ使ってください」

 そう言って、中島は手首のラインに黄色い縁取りがされた軍手を類に渡した。

 類は、その軍手をとりあえず両手にはめた。

(今日は面接だけのはずじゃ……)

 そう思いつつも、中島の後をついて説明を受ける。

「ここにある道具がジョレンです」

 そう言って立てかけられている小型の鍬のような道具を指した。

「まずはこれを使います。今日もこのジョレンがけの作業がメインです」

「ふむ……」

「あとは箕ですね。とりあえずは、この2つあれば今の作業はできますので、さっそく現場に行きましょう」

 中島は、ジョレンとプラスチックのオレンジ色の箕を手に持って、裏側の出入口から出ていった。

 類もあわてて、同じようにジョレンと箕を持つと、その後をついていった。

「ここから少し離れているんですよね」

 道すがら中島が言う。

「ほら、あそこにテントが見えるでしょ?あのあたりが現場です」

 そう言って指さした方向には、小学校や中学校の行事で見かけるような白い三角屋根のテントがあった。

「そういえば中島さん、お若いようですが、おいくつなんですか?」

 類は、なんとなく気になっていたことを聞いてみた。

「僕は24です。大学を出て去年入ったばかりで……。だから僕もまだわからないことが多くて……」

 中島はそう言って困ったように笑った。

(わ……若い。翔太より年下かよ……。年下の上司……)

「それから、帽子はあったほうがいいですね。今日は………、初日だからしょうがないですけど。ご覧のとおり、現場は日影がないので熱中症対策は必須です」

 歩きながら中島は、自分の帽子を指した。

 発掘現場は、拡張する道路に沿って細長く広がっており、両脇は道を拡張するために取り壊された建物の跡がなんとなく残っている。確かに、日影はテント以外無さそうだ。

「なにぶんこういうところ、初めてなもので……」

 類は気まずそうに答えた。


 見えていたテントに着く。

 テントの影に敷かれたブルーシートの上には、お茶か水が入っているであろう小型のタンクが置かれている。

「みなさーん、今日から一緒に働く瀬戸さんです。よろしくお願いします」

 ふいに、中島が瀬戸を紹介した。

(こ、心の準備が……)

 ジョレン掛けで横一列に並んでいた10人ほどの作業員の面々が、一斉にこちらを向く。

「瀬戸です。よろしくお願いします」

 平静を装って挨拶をしたが、内心かなり緊張していた。

(こういうの、苦手なんだよな……)

「よう、瀬戸!」

 並んだ作業員の一人が手をあげて叫んだ。

 作業員のおじさんおばさんに混じって、一人だけ頭一つ突出した違和感のあるガタイのいい男。

 日焼けや熱中症に注意されているはずなのに、その姿は、頭にタオルを巻き、上半身タンクトップで首からタオルをかけ、上半身の筋肉を強調しているかのようだ。そして下は、見覚えのある、きつめのサーモンピンク色の作業ズボン。

(み、南…………。どうしよう)

 予想はしていたが、明らかに一人だけ浮いている。

 しかも南が穿いているそれは、なんとあの誰も穿くことのなかった『エルデピュータ』の作業ズボンだ。

(うそだろ、おぃ……)

 体温が急激に下がるような感覚と、こめかみに冷や汗が流れる。

「あれ?お知り合いなんですか?」

 中島は瀬戸と南を交互に見た。

 類は目を伏せて、小声で答えた。

「え、えぇ……まぁ……(仲間だと思われたくない……)」

「彼も、今日入ったばかりなんですよ」

「そう……らしいですね」

 類は、なるべく南と目を合わせないように、その作業員の列の一番端に並んだ。

 その隣に中島が加わる。

「こうやって、表面の土を薄く剥いでいくんです。剥いだ土は、箕にすくうように入れるとやりやすいですよ」

 そう言って中島は手本を見せた。

 類も、見よう見まねでジョレンを握り、土を薄く剥ぎ、箕の中に土を入れた。

「土が溜まったらどうすれば?」

 中島に聞く。

「向こうに、土捨て場があるので、そこに持って行って捨ててください」

 中島はそう言って、さらに遠くの方を指した。

 

 類は中島とともに、他の作業員と横一列に並んで、徐々に後退して地面を剥いでいく。

 箕に溜まった土は案外重く、少し離れた土捨て場まで運ぶのはかなりの重労働だった。

(ふぅ、結構きついな。腕、筋肉痛になりそう……)


 中島の隣で、しばらく作業をしていると、中島が腕時計を見て手を止めた。

「そろそろ休憩の時間ですね」

 そう言って帽子を脱ぐとタオルで額の汗を拭いた。

 そして、中島は奥にいる作業員にまで声が届くように大きな声で叫んだ。

「みなさーん!休憩してくださーい!」

 作業員のおじさんとおばさんたちは、手を止めて道具をその場に置くと、ゾロゾロとテントに移動していった。

 その直後、南が類に近づいて話しかけてきた。

「やっぱり来たか!瀬戸!ロマンだぞ、ロマン!」

 そう言って類の首に腕を回す。

「(ひぃぃっ!)そ、そうだな……(か、勘弁してくれ)」

「あんちゃんたち、ここ座れー」

 作業員のおばさんの一人から声をかけられた。

「おじゃましまーす」

 南は陽気にブルーシートの上に乗っかり、あぐらをかいてドカッと座った。そして、別のおばさんに、タンクからメラミンの湯呑に注いだお茶をもらってる。

(初日にして、すっかり馴染んでいるのか……。南、おそるべし……)

 類も、南の向かい側に座ると、おばさんからお茶をもらう。

「二人は知り合いなんけ?」

 南の横に座っているおじさんが、南に話しかけた。

 歳は70歳くらいだろうか。

 小柄で細身だが、腕まくりしたヨレヨレの作業服から見える腕は、相当に筋肉質だ。

「ウッス!会社の元同僚です」

「ほぅ、同僚さんかい。そりゃいいねぇ」

「は、はい……」

 何がいいのかわからないが、類はとりあえずうなずいた。

「そっちのあんちゃんは、ずいぶん細いのぅ」

 そのおじさんが類を見て言った。

「伊藤さん、最近の若者は、みんなこんな感じですよ。うちの息子もヒョロヒョロでー」

 と、類のすぐ横に座ったおばさんが答えた。

 休憩中、馴染んでいる南とは対照的に、類はただうなずいて苦笑いをするしかできなかった。

(こんなんで、3か月持つんだろうか……)

 ふと、中島はどこで休憩をしているのかと見回せば、中島は、先ほどジョレンがけをした場所の地面に何やら線を引いていた。

(中島さん、休憩しないのか……?)

 

 やがて、日は西に傾き、昼間と違って肌寒いほど気温が下がってきた。

「今日は終わりにしましょうー」

 中島が、遠くにいる作業員にも聞こえるように大きな声で言った。

 その声にみな手を止め、道具を片付けると、ゾロゾロとプレハブ小屋に向かって歩き出した。

「瀬戸さん、南さん、ブルーシート張るの、手伝ってもらえませんか?」

 中島が、箕の土を捨てて戻ってきた類と瀬戸に声をかけた。

「いいっすよ」

 南が答える。

「じゃ 二人は向こうの端を持ってください。矢野さん、こっちの端お願いします」

 中島は、同じように土捨て場から戻ってきた、作業員の矢野にも声をかけた。

 矢野は、上下紫色の合羽のような撥水性のありそうな服を着て、長靴を履いている。顔をタオルで多い、つばの大きな帽子を深くかぶっており、見かけだけでは年齢も性別も不明だ。ただ、歩き方や行動で女性なのではないか、と推測される。

 4人はそれぞれブルーシートの角を持ち、移動して、中島が地面に線を引いていた場所にシートをかぶせた。

 その4つ角と、辺の真ん中に土のうを置き、ブルーシートを押さえる。

「これでいいですね。では戻りましょう」

 中島が言う。

 それぞれが手にジョレンと箕を持ち、プレハブ小屋に向かって歩き出した。

「中島さん、今のシートは?」

 類は不思議に思い、質問をした。

「あぁ、あの場所に、竪穴住居の跡が見つかったので、線を引いたんですよ。シートはその保護です」

「そうなんですね(なるほど)」

「な、瀬戸!ロマンだろー?」

 横に並んで歩く南が、にやりと笑って言った。

「……そ、それよりお前、その格好で寒くないのかよ」

「全然!俺は暑さにも寒さにも強い!はっはっはー」

 そう言って、南はこぶしを握ってポーズをとった。

 南の言動に、ちらっと中島を見れば、中島は引きつった顔で笑っていた。

(南。あぁ、もうやだ、こいつ……)



 足元がふらつく。


 いつもであれば3階まで一気に階段を駆け上がるのだが、今日はその体力は無さそうだ。

 類は、マンションのエレベータのスイッチを押した。

(慣れないうえに、肉体労働……。おまけに運動不足。ずっと引きこもってたからな……)

 エレベータの階数表示を見る。

 疲労しているせいか、3階までのエレベータの上昇がひどく遅く感じられる。


 類は部屋に戻ると、そのまま布団にぱたりと倒れこんだ。

「と、殿ーっ!これは一大事!」

 ミヤビが倒れこんだ類の周りをうるさく走り回る。

「ミヤビ……、うるさい……。少し休憩しているだけだ……」

 腕も足も猛烈に痛い。明日はもっとひどい筋肉痛になっていそうな、そんな痛みだ。

「し、しかし、ひどくお疲れのご様子。はっ!このミヤビ、名案が浮かびましたぞ!」

 そう言うと、ミヤビは類の背中に乗って、ピョンピョンと飛び跳ね始めた。

「これなら、肩叩きの代わりになりましょう」

「お……(ちょっといいかも)。ミヤビ、もうちょっと上……」

「ははぁっ!」

 ミヤビは類の背中から肩のあたりまで飛び跳ねながら移動した。

(あぁ……気持ちいい。役に立たないかと思ったけど、こういうのはいいかもな)

 類は、しばらくミヤビのマッサージを受けていたが、ウトウトと眠りに落ちかけたところでハッとして起き上がった。

 その拍子にミヤビが背中から転がり落ちる。

「あわわわわっ」

 ミヤビが悲鳴に似た声をあげた。

(風呂……)

 外仕事で、服は土埃まみれだ。

 洗濯機に服を一式放り込むと、洗濯機を回して風呂場に直行した。

 

 風呂上り、洗濯物を干し、夕食を終えて類はパソコンの前に座った。

 電源を入れ、ファイルをクリックし、メインモニタに完成したキャラクターを表示させる。

 画面の右下の時計は23:12を表示している。

「おぉ……、今日もお美しゅうございます」

 机の上に乗ったミヤビが、メインモニタを食い入るように見ている。

 同類だと思っているのだろうか。

 青みを帯びた紫色の長い髪と、装飾のマントがふわふわと揺れ、見る者を不可思議に魅了するそのキャラクターは、今日も静かにパソコンの中で佇んでいる。

「紋様をテクスチャにして……と。うん、これでいいだろ」

 類はキャラクターの後ろに作った壁に、組子障子の紋様を張り付けた。

「あ、ちょっとミスった」

 紋様が少しずれて、作った壁とも大きさがあっていない。

 類はマウスを動かし、調整を試みた。


 少しして、紋様はキャラクターの後ろの壁にピッタリとおさまった。

「できた……(これで、何か変化はあるか……)」

 キャラクターは、紋様の前にふわふわと佇んでいる。

 しかし、見た感じ、これといって何も変化はない。

(うーん、やっぱ違うのか……?)

 類はマウスを操作し、キャラクターを壁のある軸方向に動かしてみた。

「このあたりか……」

 キャラクターと紋様の壁との距離が詰まり、キャラクターの背中のマントが壁の紋様に触れる。

 すると、紋様が淡く光り始めた。

「おっ!!ビンゴかっ!」

 画面全体が一瞬にして光に包まれ白くなる。

「へぇ!?なんだっ?どうなったんだ?」

 類は焦ってカチカチカチっと、マウスをクリックした。

 しかし、画面はマウスのクリックとは関係なく、次第に白さを消し、薄暗い部屋の中を映し出した。

 画面のどこにも、マウスポインタとキャラクターの姿が無い。

「おぉ?殿、これは?」

 ミヤビが不思議そうに声を漏らす。

「こ、これは……『カロ屋』か!」

 そこに映し出されていたのは『カロ屋』レジカウンター前。

 こちらを向いて驚くアリサと茂が見える。

 そして茂はレジカウンターの横で尻もちをついた。

「くっ、これはどういうことだ!?キャラは?キャラはどこ行った?」

 ガガガっというノイズとともに、スピーカーから声が聞こえる。

 ――「だ、だ、だ、誰……?」

「なっ、アリサの声か!どうなってるんだっ」

 類は、マウスを連打するも反応がない。

 ――「だ、誰なんだ?」

 今度は茂の声だ。

 茂はレジカウンターに手をついてようやく立ち上がっていた。

「アリサ!叔父さん!……」

 焦りながら画面の中の二人に向かって叫んだ。

「こっちの声は聞こえてないのか!」

 類はキーボードをと画面を交互に見た。

「殿、落ち着いてくだされ」

 ミヤビが心配そうに類を見る。

「あぁ、わかってる。でも……」

 ――「だ……。あなた誰なの?」

「誰って、俺だ、(類だよ!)」

 言いかけて、ハッとした。

「これ……、この感じ……この画面、まさか、FPか!?」

 FP(First-person)ファーストパーソン、すなわち一人称の視点。マウスポインタもキャラクターの姿も無いことから、類は、キャラクターから見た一人称視点ではないかと判断したのだ。

 画面の中、茂はカウンターを伝って移動し、カウンターの内側にいるアリサの横に並んだ。そしてアリサをかばうように前に出た。

 ――「アリサ……、よくわからんが危険かもしれん。少し後ろに下がってなさい」

「いや、危険じゃないよ!あ、でも危険か?俺もよくわかん状況だしな」

 ――「な、何か用があって来たんでしょ?!」

 ――「これアリサ!」

 類はキーボードを見た。

「もし、予想通りなら、これに前進が割り当てられてるはず……」

 そしてキーボードのWキーを押した。

 すると画面が動いた。

 ――「えぇっ!?」

「やっぱり!」

 と思ったと同時に、焦りで汗をかいていた指先が引っかかり、Aのキーも同時に押された。

 画面はあっという間に方向を変え左前方に進み、そのまま画面が揺れて『カロ屋』の床が映し出された。

 ――「あっ!」

「う、動かない!どうなってるんだっ」

 画面は『カロ屋』の床を映したままだ。

 類は慌ててWキーを連打するが、画面がカクカクするばかりで、どうにもならない。

 とっさにCtrl・Alt・Deleteの3つのキーを同時に押した。


 画面が消え、パソコンが沈黙する。


「あぁぁぁ……、やっちまった……。強制終了、してしまった……」

 類は手を額にあて、厳しい顔で目をつむった。

 画面の中に映し出された『カロ屋』の店内や、アリサたちは現実か、それとも幻か……。

 驚愕した顔の二人が思い出される。

(やっぱ、現実リアル……、だよなぁ)

 類は「はぁ……」と、大きくため息をついて、背もたれに大きくもたれた。

「殿、今夜は何やら具合の悪いご様子。お休みになられては?」

 ミヤビは先ほどからずっと心配そうに類を見ていた。

「……そうだな。なんだか今日はいろんなことがありすぎて疲れた」


 類はそのまま、すぐ後ろに引いてある布団に倒れるように横になった。

 そして、身体の疲労もあってか、あっという間に深い眠りに落ちていった。



 どのくらいの時間が経ったのか。


 類は激しい雨音で目を覚ました。

(……うぅ、何時だ)

 枕元に置いた携帯電話を手探りで取り、画面を見る。

 時計は7時20分を表示していた。

「うっそ!寝坊した!」

 慌てて飛び起きる。

 無意識に、設定したアラームを止めていたようだ。

(あれ?ミヤビがいない)

 部屋の中を見回すが、布団の周りや机の上にミヤビの姿はない。

「ミヤビ?」

 とりあえず声をかける。

「殿……。すごい雨にございまする」

 ミヤビは、窓台に立ってカーテンの隙間から外を覗いていた。

(よ、よかった。そんなところにいたのか……)

 ゴロゴロと、遠くで雷の音が聞こえる。

 類は窓際に立って、カーテンを開けた。

 外は、この時期にしては珍しい、バケツをひっくり返したかのような強い雨。

「うわ……。これはひどいな」

「殿、この雨はすぐ止みまする」

 ミヤビが言う。

「なんでわかるんだ?」

「これは雷の雨。雷の雨はすぐに止みまする」

「そうか……」

 類は窓から離れ、バイトに向かうための準備を始めた。

 ミヤビの言葉通り、雨は次第に弱まり、小雨となっていった。


 ブルルル

 ブルルル……、

 机に置いた携帯電話が振動している。

 画面は見知らぬ番号が表示されている。

(誰だ?)

 そう思いつつも電話を取る。

「はい」

 ――「あ、瀬戸さんの電話ですか?」

「はい、そうです」

 ――「恩田です。おはようございます。昨日はお疲れ様」

「あ、はい。おはようございます(なんだ、恩田さんか)」

 ――「今日、現場休みだから」

「えっ?」

 ――「これだけ強い雨が降ると、作業できないんだ。午後から晴れるらしいけど、現場、ぬかるんでるからね」

「そ、そうなんですか……。わかりました」

(へー。雨が降ると休みになるのか……)

 ――「それから、瀬戸さん、南さんと知り合いだっけ?」

「はい。そうですけど……」

 ――「連絡網、まだできてなくて。手数だけど、瀬戸さんから南さんに連絡してもらえるかな?」

「あ、はい。わかりました」

 ――「よろしくお願いします。じゃまた明日」

「はい。お疲れ様です」

(……………)

 携帯電話の表示画面は“通話終了”の文字。

「殿、いかがなされましたか?」

 ミヤビが窓台から、机の前に立つ類を見て言った。

(南に連絡……)


 類はしばらく携帯電話を見つめていたが、意を決して南に電話をかけた。

 プルルルル

 プルルルル、と呼び出しのコールが数回なる。

 ――「おはよお!瀬戸、どうした?」

 電話の向こうから、朝だというのに妙に陽気な南の声。

「おはよ……。昨日はお疲れ様」

 ――「珍しいな、電話なんて。急用か?」

「連絡網だよ。今日発掘現場雨で休みだって。恩田さんから俺に連絡が来た」

 ――「おぉ、そうなのか。なんだ残念だな。いや、雨降ってるから、どうするのかと、俺も思ってたところだ。はっはっはー」

「じゃ、連絡したから」

 類はそう言って、通話を終了しようとした。

 ――「のぉぉ!まてまてまて!」

「なんだよ」

 ――「今日、せっかく休みになったんだ。また珈琲でも飲みにいかないか?」

「…………なんで?」

 ――「そのー、なんだ。また同じ職場ってことで、親睦を深めようぜ!」

 類は、即電話を切った。

(今、最後に何か恐ろしいことを言っていた気がする……)

「殿、いかがなされましたか?何やらお顔が青ざめておりまするが……」

 窓際にいたミヤビが、畳まれていない布団の上に乗って類の顔を覗き込むように見て言った。

「はぁ……。大丈夫だ」

 と、そのまま布団に潜り込む。

「と、殿!?」

「…………(よし、二度寝しよう)」

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