第4話 クラフター

 王立魔道第2中学校は、王都の中心部より東にあり、周囲を公園が取り囲む緑豊かな場所だ。

 魔法に関する知識や実技を、各分野の専門の魔導師が先生となり授業を教えている。

 ルルアは魔道具の専門として、この学校の東校舎に研究室を持っていた。


「ルルア先生!これ見てほしいんだけど」

 夕方の光が差し込む、天井の高い廊下の途中。

 研究室に戻ろうとしているルルアに、セイランが駆け寄ってきた。

「何かしら?」

 ルルアは、セイランから折りたたまれた紙を受け取ると、開いて見た。

「あら?これは“杖”の仕様書……かしら」

「それをね、昨日カロ屋に、作ってもらえるかお願いしに行ったんだけど、なんかよくわかんないって言われて……」

 セイランがモジモジと、うつむき加減で言った。

「……そうなのね」

 ルルアはもう一度、その紙を詳しく見た。

 中央に杖の絵が、それに添えられるように装飾の説明とスケールが大雑把に書かれている。

「……そうね、これだとちょっと難しいかもしれないわね」

 その言葉にセイランが顔をあげる。その表情はとても不安そうだ。

「や、やっぱりダメなの?……作れないのかな」

 ルルアがやさしく言う。

「そうねぇ。作れないわけではないと思うけど……。もう少し詳しく……、どう作るのか書いてあれば、わかりやすいかもしれないわね」

「うーん……。そうかも。でも、カロ屋のおじさんは、なんかもっと違うことを言っていたような……?」

 セイランは、『カロ屋』での出来事を思い出そうとしている。

「違うこと?」

「うーん、なんだったかなぁ……」

 ルルアは考え込んでいるセイランの様子を見て、軽く困った表情をした。

 そして「そうねぇ……」と言って、手さげカバンから手鏡ほどの大きさの持ち手のついたリングを取り出した。

 濃い茶色をした木製のそれは、リングの両脇と上部に、小さな水晶玉がはめ込まれ装飾されている。

 それを虫眼鏡のようにして紙を覗く。

 すると何もはめ込まれていないリングの内側に、昨日の『カロ屋』の様子が映し出された。

 セイランと茂、アリサの会話の様子が見える。

 セイランが『カロ屋』のレジカウンターから紙を取り、しまうあたりで映像は消えた。

「先生……」

 セイランが不安そうにルルアを見ている。

 ルルアは微笑んで言った。

「大丈夫。わかったわ。そういうことね」

 セイランが小さくうなずく。

「これは、セイランのお母さんの“杖”なのね」

「うん……。お母さんの杖、この前の魔物討伐戦で壊れちゃって……それで……」

 セイランはそう言ってうつむいてしまった。胸の前でこぶしを握って、今にも泣きだしそうな顔をしている。

「そう……、セイランのお母さんは、あの討伐隊に入っていたのね……」

 セイランは「うん」とさらに小さくうなずいた。


 討伐隊は、兵士と魔道士からなる臨時に編成される部隊だ。王国軍の指揮下にあり、時折攻めてくる魔物に対して撃退作戦を行う。

 普段、王国軍の魔道士は4~6人からなる班ごと編成され、国境や主要拠点の守りにひと班ずつ配置されているのだが、魔物襲来時には、各班から選任された魔道士が、臨時に討伐隊に加わる形となる。

 魔道士が臨時で編成されるのは、魔物の襲来頻度がそれほど高くないことと、王国軍に所属する魔道士の絶対数が少ないことにある。

 魔物の襲来状況によっては、民間から討伐隊の志願者を募るほどだ。


 先日起こった魔物の襲来は予想外の強襲で、王国軍だけでなく民兵も多数動員された。死者こそ出なかったものの、軍民問わずかなりの負傷者が出たという話が流れていた。


 魔導師として学校に所属していなければ、ルルアは王都軍に臨時の魔道士として志願していたかもしれない。ルルアの師匠と同じように。

 セイランの母のことは同じ魔道士として他人ごとではないように思えた。


「そうね……、先生がカロ屋さんに聞いてきてあげるわ」

 セイランの顔がパッと明るくなる。

「先生!いいの?ありがとう!」

「うん。いいのよ。それに先生も、ちょうどカロ屋さんに行こうと思っていたところだから。だから、セイラン、今日はまっすぐ家に帰りなさい……、ね」

 ルルアはセイランの頭をやさしくなでた。

「うん!先生ありがとう」

 セイランはもう一度お礼を言うと、「さよなら」と頭を下げて廊下を去っていった。

 それを、手を振って見送る。

(……『カロ屋』さん、かぁ。ほんと、不思議なお店よね……)

 ルルアはそのまま、研究室に戻った。


 研究室は12畳ほどの広さの教室で、廊下側から窓側に向けてやや細長く、その両側の壁際には天井まで本がぎっしり詰まった本棚になっていた。

 部屋の中央には作業台が置かれている。

 ルルアは窓際に置かれた机の上から、1冊の本を手に取った。

 それをパラパラとめくる。

「まだ……、論文を書くには資料がそろわないわね。……それに」

 そうつぶやくルルアの表情に迷いが見える。

(カロ屋さんにご迷惑になるようなことは避けなくちゃ……)

 ルルアは、パタンと本を閉じると、そっとそれを机に戻し、部屋を出た。

 そして部屋の扉に鍵をかけ、まっすぐに廊下を歩く。


 先ほどまで差し込んでいた夕方の日差しは弱まり、東の空はもう夜の装いとなっていた。


 外に出たルルアは、首から下げた低空飛行用の首飾りを握りしめた。

 やがてルルアの身体がフワリと浮き上がる。そのまま校舎の東塔の屋根よりやや高い高さまで上昇すると、東に向けて勢いよく飛び立った。


 眼下に広がる明かりの点々と灯った王都の町並みは、町はずれに来るにつれその数を減らし、やがて人家の無い森へと変わってゆく。

 その森の木々も、進むほどにしだいに背が高く大きいものへと変化していった。

(やはりこの高さでは、カロの森は厳しいわね……)

 枝葉の上ぎりぎりを、かすめるように飛んでゆく。

(そうだわ、今のうちに……)

 と、セイランから預かった紙を取り出した。


 しばらく飛び続けていると、森の中に不自然に木々が切れた開けた場所が現れた。その中に瓦屋根の小さな建物が見える。

 『カロ屋』だ。

 ルルアはその組子障子の戸の前に降り立った。

 辺りはすっかり日も暮れ、爪の先のような細い月と星明りが空に寒々しく輝いている。

「こんばんは、ごめんください」

 そう言って、組子障子の戸をそっと開ける。

 中の明かりが漏れる。

「おぅ、いらっしゃい」

 カウンターの前に立っていた茂が、こちらを振り向いて言った。

「こんばんは!ルルアさんいらっしゃい」

 アリサもカウンターの奥から声をかけてきた。そしてルルアに尋ねる。

「セイランちゃんは一緒じゃないの?」

 ルルアはゆっくりと中に入り、戸を閉めながら言った。

「えぇ。セイランから話を聞きまして、私がお伺いしたほうが早いかなと思いまして……」

「すみません、わざわざ……」

 茂が恐縮して言う。

「いえ、私も興味がありましたから、ちょうどよかったのです」

 ルルアが柔らかい笑顔で答えた。そして、セイランが持っていた“杖”の描かれた紙を取り出す。

「これ、昨日ご覧になったかと思いますが、セイランのお母様からのものでして、作っていただけるものなのか、またその場合の費用と納期を聞きたかったようですね」

 そう言ってカウンターの上に紙を広げた。

「おぅ、昨日見せてもらいましたよ。ですが……、私にはこの文字が……、って、あ、あれ?」

 茂は、広げられた紙を見て、驚いた。

「文字ですよね?」

 ルルアがそう言ってフフッと笑う。

「どうなってんだ、こりゃ。日本語になってる」

「えー、ホント?」

 アリサがのぞき込む。

 そこには、昨日の図柄そのままに、文字だけが日本語に置き換わって書かれていた。

「カロ屋さんで使われている文字でしたら、ある程度訳すことができますから」

 ルルアはニコッと笑った。

「へー、ルルアさん凄い」

 アリサが感心した声で言った。

「でも、どうやって日本語覚えたんです?」

 茂が不思議そうにルルアに聞く。

 ルルアは手さげカバンから古めかしい手帳を取り出した。

「それは、これです」

「これは……」

 茂が興味ありげにカウンターに置かれた手帳を見た。

「私の魔道具の師匠が残したものです」

「ルルアさんの師匠……。ちょっと拝見してもいいですか?」

「えぇ、どうぞ」

 茂は老眼鏡をかけて、手帳を手に取るとページをめくった。

「ほぉ……。漢字とカタカナ……、それに数字と、アルファベットも少し書いてあるな。ふむ」

 そこには異世界の文字とカタカナが対応した一覧表と、数ページにわたって漢字とその意味と思われる異世界の文字が並べられた表が書かれていた。

「ありがとう。すごいな、ルルアさんの師匠も。これ全部一人で調べたんだろ?」

 茂は手帳をルルアに返すと、老眼鏡を外して言った。

「そうですね。でも協力者はいたようです……」

「協力者?」

 アリサが不思議そうに言った。

「師匠のその手記によると……、“カロ”さんという方から話を聞いているようですね……」

「カロ婆!?」

 茂とアリサは驚いて顔を見合わせた。

「えぇ。私がこのお店を知ることができたのも、ここに書かれていたからなのです。この手帳を見つけることができて、本当に幸運でした」

「ルルアさんの師匠って、今どこにいるの?」

 アリサは疑問をそのまま口にした。

 ルルアは少し悲しそうな表情で手帳をパラパラとめくる。

「亡くなりました……。もう、1年ほど前のことです」

「…………」

 気まずい雰囲気が漂う。

「あ、いえ気にしないでくださいね。師匠はだいぶ高齢でしたから……。そ、そうですね三百歳くらいだったでしょうか……」

「さ、三百歳!?」

 二人は再び驚いた。

「魔物の強襲がなければ今も存命だったかもしれませんね……。ですが……、魔道にある者の中では、長生きをした方だと思います。そしてとても優秀なクラフターでした」

 ルルアは手帳を見たまま悲しく微笑んだ。そして顔をあげて茂を見る。

「ご店主と同じように……」

「え!?俺?」

 茂は急に振られて驚いた声をあげた。

「えぇ」

 ルルアは優しく微笑んだ。

 茂は、間接的に優秀と言われたことに少し照れた。

「ねぇ、ルルアさん。クラフターって何?」

 アリサが聞く。

「魔道の能力のひとつですね。簡単に言うと魔道具を扱う者の中で、魔力を帯びた魔道具を生み出すことのできる者がそう呼ばれています」

「へー、魔力?でもお父さんに魔力なんて無いと思うけどなー」

 アリサはカウンターに頬杖をついて、茂を見て言った。

「クラフターの力は、本人にも扱う素材や道具にも、魔力を持っているかどうかは関係ないのです。生み出したものに魔力が宿る、という能力ですから。ですので、ご店主はとても優秀なクラフターだと思いますよ。もちろんクラフター本人が魔道士であったり、初めから魔力を持った素材を用いれば、とても強い魔道具が生み出されるでしょう。……師匠に匹敵するような」

「ルルアさん、そんなに持ち上げないでくださいよ!」

 茂は思い切り照れ笑いをして、まんざらでもない表情で言った。

「へー。ルルアさんの師匠は魔道士でクラフターだったのね。で、お父さんは、ただのクラフターね」

 アリサは冷ややかに茂を見て言った。

「これを覚えていますか?」

 そう言ってルルアが取り出したのは、ストラップのような飾り物だ。2センチほどの木製のキューブが3つ、縦に紐でつながれてぶら下がっている。

 キューブは上下の二つは、ただ磨かれただけの木目の、積み木のような印象だが、真ん中にある一回り大きいキューブは細かい紋様が施され、1つだけ異彩を放っている。それがアクセントとなり、全体としてバランスの良い仕上がりとなっている。

「あ、それ、前に青空市で買ったやつだ。あたしも持ってるよ!ルルアさんとお揃いで買ったんだよね。そういえば、お父さんが……確か、特徴がないとか言って真ん中の木に模様を描いたんだよね」

「えぇ、そうです」

「そ、そんなこともあったな……」

 茂は照れた表情のままだ。

「模様がないときは、ただの飾り物でしたが、ご店主が模様を施した途端、魔力を持つ魔道具に変わりました。同じ模様を他の者が描いても、こうはならないでしょう」

「え?魔道具に?でもなんの?」

 アリサが飾りを不思議そうに見て言った。

「これはお守りになりましたね。これを身に着けていれば、低級な魔物は不用意に近づくことはないと思います」

 ルルアは飾り物をゆっくりしまった。

「俺に、そんな力が……」

 茂は、ルルアの話に面食らった顔をして、自分の両手を見た。

「作り出したものに魔力を与えるというクラフターの力は、かなり特殊なもので、私の知る限りでは今のところ王都の魔道院に二人、それと師匠とご店主だけです。(あと不確定なもうひとり……)」

「ルルアさんは?」

 アリサがまた率直に聞いた。

「私は……。私には、魔道具の能力を最大限引き出して使えるというだけで、クラフターの力はありません」

 アリサは気まずそうな顔をした。

「ですので、このセイランのお母様のご依頼、ご店主が作ったらどれほど素晴らしいものになるのかと……。魔道具を扱う者としてとても興味が湧くところです」

「へ、へぇ……。でも、俺にそんなたいそうな物作れるかな……」

「ご店主なら、きっと大丈夫ですよ。ですからぜひ、お引き受けになってみては?」

 ルルアが微笑んで茂を見る。

「そうだなぁ……。せっかく訳してもらったし、ルルアさんがそこまで言うなら、いっちょ引き受けてみるか!」

「ちょっと……、(盛り上がったところ悪いんだけど)お父さん。……これ、よくわかんない材料が指示されてるよ」

 アリサは、カウンターに頬杖をついて難しい顔をしながら、紙の一部をなぞった。

「ど、どれ?」

 茂は慌てて老眼鏡をかけ、紙を見た。

「どこだ?」

 紙には、杖の図に添えられて各部位の素材が書かれていた。

「赤樫、銀メッキリング、水晶……。ま、魔晶石?キ、キマイラの皮???龍のヒゲえぇぇぇ!???」

「でしょ?」

 唖然とする茂。

「確かに……、龍のヒゲは少し入手が難しいかもしれませんね」

「ねぇ、ルルアさん。この魔晶石って言うのは何?」

 言葉を失っている茂に代わりアリサが聞いた。

「魔晶石ですか?」

 ルルアは「知らないの?」といった表情でアリサを見た。

「うん。聞いたことない」

「そ、そうなのですね……。私たちの世界では最も普遍的に存在しているものなので……、どの世界にもあるのかと……」

「ううん、こっちじゃ見たことないかな」

 ルルアは改めて説明に入った。

「魔晶石は魔道具のひとつですね。火とか水とか、いろいろな属性のものがありますが、いずれにしても魔力の補強が主な目的です。一番わかりやすいのは……、そうですね、この図にも描いてある、この丸いところですね」

 そう言って、図面の中の“杖”の先端に付けられた丸い飾りを指した。

「あー、これ魔晶石っていうんだ。漫画とかアニメでよく見るやつだ!魔法使いが振り回して、魔法を出すやつだ!へー、そんな名前があったのね」

「他の世界ではわかりませんが、私たちの世界ではそう呼んでいますよ」

「ほ、ほう……。じゃ、じゃぁ、このキマイラの皮と龍のヒゲってのは……?」

 我に返った茂がルルアに聞いた。

「キマイラの皮は、王都から近いテドナ村が一大産地になっておりますから、青空市でもよく見かける素材ですね。龍のヒゲは……、北のジャノ山脈に生息している小型の龍からとれるものなのですが……」

「難しいの?」

 アリサが言う。

「龍の狩猟期間が夏ですので、この時期ですとあまり出回っていないかと……」

 ルルアが困ったように言った。

「な、なんとかならないかなぁ……」

 カウンターに寄りかかって、頭をかきながら茂が言った。

 ルルアは何やら考えている。

(私が持っている素材の中に、龍のヒゲ、確かまだ残っていた気がするわ……)

「龍のヒゲは、多分私が少し持っていると思います。おそらく青空市を探しても見つからないでしょうし、私の持っているものを原価でお譲りしますよ」

「おぉー、そりゃ助かる。じゃぁ材料の入手は算段がだいたいついたか。あとは費用と作業日数だな……」

「そうですね。私としては、この作品がどのように出来上がるのか、とても興味深いところです。よろしかったら、ぜひ協力させてくださいね」

 ルルアはそう言ってにっこり笑った。


 カウンターを囲み、3人が費用と作業期間について話しあっている。

 ルルアの助言に茂がうなずく。

「なるほど。だと材料費だけで大銀貨10枚は飛ぶってわけか……。(円換算だと10万か)結構でかいな。期間は今週末の青空市でうまく調達できれば3週間ってところだな。いろいろ大変だ。これは大銀貨50枚くらいもらわないとな。ガハハ」

 茂は大きく笑った。

 カウンターの横で椅子に座ったルルアがクスッと笑って言う。

「この仕様のクラフターの作品が大銀貨50枚なんて、お安すぎますよ。私の師匠なら銀貨200枚は提示していたと思います」

「そ、そんなにか!?」

 茂は驚いて目を見開いた。

「えぇ。クラフターの作品はそれだけで大きな価値があるのです。ご店主さんの場合も、魔力が無いということを差し引いたとしても、……そうですね、大銀貨120枚から150枚あたりが妥当でしょうか」

「ほえええ……」

 すっかり面食らっている茂に、ルルアは続けて言った。

「それから……、あまり値段は安く請け負わないほうがいいですね……」

「なんで?」

 アリサが、ルルアのティーカップにお茶を注ぎながら聞いた。

「クラフターは本当に貴重な存在なのです。クラフターだと知られて、一度でも安く引き受けてしまうと、次から次と注文が入ってきて、対応しきれなくなりますよ」

 そして困ったようにクスッと笑うと続けて言った。

「私の師匠がそうだったのです……。結局、仕事のし過ぎで体調を崩して、しばらく山に引きこもってしまったんですよ。本当に、困った人でした」

 ルルアはティーカップに映る蛍光灯を見つめながら、物悲しい表情をしている。

「……」

「……」

「その時なんでしょうね、カロさんに出会ったのは……」

「ほえー。そうなんだ。カロ婆と会った人がいたんだ」

 アリサは、カウンター越しにルルアと向かい合わせに座って言った。

「この師匠の残した手記によると、カロさんは私と同じ魔道具士だったみたいですね。そして、一緒にいた方が……、お名前をたすくさんというようです」

「お!?爺さんの名前だ」

「え?ひい爺ちゃん、そんな名前だったの?」

 茂の言葉に、アリサは少し驚いた。

「あ?あぁ、与じいさんにカロばあさんだ。俺も、爺さんとしか呼んでなかったから、すっかり忘れてたわ……」

「そうなんですね。私の推測では、この方もクラフターではなかったかと思っているのですが……、何分資料が乏しくて……」

 ルルアはお茶を一口飲むと、視線を落としてそう言った。

「……ルルアさん、お茶、もう1杯どう?」

 アリサが気分転換にお茶を勧める。

「あっ!いえ、少し長居しすぎたようです。すみません、そろそろ戻りませんと……」

 ルルアは焦ったように言った。

(早く戻らないと……。夜が更ければ、森は魔物が出てきてしまう……)

「ルルアさん、もう少しゆっくりしていきなよ」

 茂はニコニコしながら言ったが、ルルアは椅子から立ち上がって身支度を整えた。

「ありがとうございます。ですが……、夜遅くなりますと、森を通るのが少し怖いので、このあたりで失礼しますね」

「そ、そうか。そうだな。俺も空が飛べたら送ってやるんだが、ガハハ」

「……ありがとうございます。では、セイランのお母様には私からお伝えしますね」

 ルルアはそう言って、杖の描かれている紙を茂に託した。



「あーあ、なんでこうゴミばっかりすぐたまるんだろ」

 レジカウンター前をホウキで掃きながら、アリサがぼやいている。

「アリサ、そこが終わったら休憩室も掃除しておけよ」

 店の奥から茂が言う。

「はいはい……。人使いが荒いんだからもう」

 アリサは、床に集めた埃をちり取りで取ると、そのまま休憩室に入っていった。

 休憩室の時計がピピッっと10回なる。

「うっそ、もうこんな時間。あーあ、ルルアさんが羨ましいよ。あたしも空飛びたいー」

 アリサは休憩室を適当に掃いて、ちり取りにすくったゴミをゴミ箱に捨てた。

「お父さーん、掃除終わったから、あたし戻るよー」

 休憩室から奥に向けて言う。

「おう。おやすみ」

 適当な返事が返ってきた。

「まったくもう」

 アリサは少し不機嫌に二階に戻っていった。

 ルルアが帰ってから2時間が経つ。

 茂はその間、アリサに日計や掃除を任せて、さっそくセイランの依頼に取り掛かるための準備を始めていた。


「アリサ、じゃぁお父さん晩ご飯食べないのね?」

 キヨがリビングから、台所の冷蔵庫を開けているアリサに声をかけた。

「たぶんね。あの感じだと、張り切ってたから夜食も食べないかもねー」

 牛乳を取り出し、コップに注ぎながら答える。

「そう……。じゃぁ片付けなくちゃ」

 台所のテーブルの上には、茂とアリサの二人分の晩ご飯がラップをかけて置いてある。

「アリサは食べないの?」

「いい。こんな時間から食べたら太るし。あたしはこれだけ」

 そう言って、牛乳を一気飲みした。

 キヨは、テーブルに並んだ皿を、冷蔵庫に入れながらアリサに言った。

「ルルアさんも大変だったわね。遅くまで……」

「……うん、そうだね」

 流しの中に、空になったコップを置く。

「でもさ、あたし、ルルアさんってさ、すごく親切なんだけど、なーんか、こう引っかかるところがあるんだよね」

 泡だらけのスポンジを持ってアリサが言う。

「なあに?親切ならいい人なんじゃないの?」

「……うーん、まぁ、そうなんだけど……。なんていうの?女の勘?みたいな?」

「フフフ、あなたが女の勘、だなんて、まだまだ早いわよ」

 キヨは、洗い終わったコップをアリサから受け取り、布巾で拭いた。

「……うーん」


 休憩室の時計が11時30分を指しピッと1回なる。

 頭にタオルを巻いたパジャマ姿のアリサが、休憩室から店の中に入ってきた。

「お父さん、お風呂あいたよ。今日はそろそろ休んだら?もうすぐ12時なるよ」

 アリサの声に、ガサゴソと店の奥から茂が出てきた。

「もうそんな時間か。……キヨは?」

「お母さんならもう寝たよ」

 立ったままカウンターに頬杖をついて、アリサがむすっとした顔で言った。

「そうか……。あとは青空市で材料を調達しないと、これ以上の作業はできんか……」

 茂は難しい顔をして作業台を見た。作業台にはノギスやディバイダ、金づちやノコギリなど、様々な道具がごちゃごちゃと乗っている。

「あ!お父さん、外れてないじゃん!」

 アリサが組子障子を指して言った。

「あぁ。そういえばルルアさんが帰ってから、戸を外すの忘れてたな」

 そう言って茂は少し疲れた表情で、組子障子に近づいた。


 突然、組子障子の紋様が淡く光った。


「な!?なんだ?」

「え?何?!」

 その光はあっという間に強さを増し、紋様の中から光に包まれて人が現れた。

「!!!」

 アリサと茂は驚きのあまり声も出せず、その場に立ち尽くした。

 すぐに光はおさまり、薄暗い蛍光灯が灯るだけの店内に戻る。

 茂は、驚きすぎて数歩後ろにたじろぐと、その場に尻もちをついた。

「だ、だ、だ、誰……?」

 アリサはようやく声を出して言った。

 青みを帯びた紫色の長い髪、濃紺のワンピースを身にまとったその女性は、静かに組子障子の紋様の前に佇んでいる。

「だ、誰なんだ?」

 茂はレジカウンターに手をついてようやく立ち上がって言った。

 カロ屋の薄暗い蛍光灯の光の下にあって、“その女性の周りだけほのかに明るい……”そう思わせるほどに美しく神秘的な形貌をしている。

「だ……。あなた誰なの?」

 アリサが仕切り直して言った。

 茂は、カウンターを伝って、ようやくその内側に回り込み、アリサの隣に並ぶと、アリサをかばうように前に出た。

「アリサ……、よくわからんが危険かもしれん。少し後ろに下がってなさい」

 女性はじっと動くことなく微笑し、佇んでいる。

「あなた、どこから来たんです?名前は?」

 茂が改めて聞いた。

 しかし女性は、動くことなく、ただ長い髪とマントをふわふわと揺らしながら静かに佇んでいるだけだ。

「な、何か用があって来たんでしょ?!」

「これアリサ!」

 震えた声のアリサを茂が制止する。

 突然女性が動いた。

「えぇっ!?」

 二人は驚き声をあげた。

 女性は店の奥の方にスッと移動しかけたが、手前にある作業台に足を引っかけてそのまま転倒した。

「あっ!」

 アリサと茂は、もはや訳が分からず、ただただその様子をカウンター越しに見守るしかできなかった。

 女性は起き上がるそぶりを見せるも、そのまま光の粒となって消えてしまった。

「…………」

 今のは何だったのか。

 そんな様子で茂はカウンターを出ると、作業台にゆっくり近づいた。

「お、お父さん……」

 アリサの声はまだ震えたままだ。

 茂は作業台を一通り確認する。

「だ、大丈夫だ。なんともないようだ……」

 二人とも、それ以上言葉は出なかった。

 いったい何だったのか、彼女は何者で、何をしに来たのか……。

 もう追求する気力もなく、組子障子の戸を外すと、店の明かりを落とした。

 


 








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