[〇五] 視線



 特訓に対して、乃々ののに渋るそぶりはなかったが、しかし目線はディスプレイを離れ、こちらに向いた。

「もちろん、言われた通りにやります。自宅でも。でも、個人的なこと、ひとつ聞いていいですか?」

 私は頷く。師弟である前に、同じ部活の仲間としているわけで、私的な質問を拒む立場にはない。

 乃々は何とも言えない面持ちだった。顔に何も浮かべられないでいる、とするべきか。問いかけは、乃々自身、私にどういう表情を向けたらいいか、わからなかったからだろう。

「私からは、感謝しかありません。本来、望むべくもないはずのことです。でも、先輩はどうして、こんなに熱心に私に教えてくれるんですか? 今日初めて会った入部希望者のはずです。泊めてまで教えようだなんて、尋常じんじょうではないです」

 もっともな疑問ではあった。泊めるのみならず、結果的に私は、文芸部が実質ふたりきりであることを明かしている。それは、部の不正を白状したことにほぼ等しい。一子いちこの手前、明言は避けた。けれど文芸誌の奥付おくづけを見れば、五人いる体裁になっていることはすぐわかる。私が明言せずとも、乃々には察したふうな雰囲気もあった。

 自分でも、疑問に感じないではなかった。私は結果として、長い付き合いのある一子に背き、会ったばかりの乃々を優先したことになる。もしそれが、乃々への罪悪感だけのことならば、そこまで至るはずもない。

 あえて言うなら、乃々のためじゃない。

 私自身が始めたかった。

 明かしたのはなぜか。嘘を正したのはなぜか。師弟関係となるのに最大の障害となっているものを取り除きたかったがため、そうだろう。

 乃々に問われているのは、私自身の気持ちだ。私が何を望んで、今ここにこうしているのか。装飾なく、思うところをそのまま言うほうが、きっといいだろう。そう思って口を開き、自然に出てくる言葉に解を委ねた。

「アイスを食べてた時にね、乃々が話してくれたこと、すごく覚えてる。話の内容だけじゃなくて、乃々の表情や口ぶり、そういうことも。印象に残ってる。強く」

 、そう思ったこと、それをつきつめれば何になるか。もはや自分の気持ちに抗えない、だ。名乗らずにはいられなかった。自分が小夜戸さやどかえでであると。

「きっかけは、あの時にあると思う。でも、誤解しないでほしい。同情したとかじゃなくて、むしろ逆。下に見るのではなくて、上に見たんだよ」

 私は見入っていた。

 あの話をしていた時の乃々に、強く惹きつけられていた。細かな瞳の動きさえ見落とすまいと、何かを考えるよりも早く、そうしていた。

 はっきり、見惚みとれていた。

 なぜであるか。

「私、たぶんね、乃々に憧れたんだと思う。憧れた人の力になりたいって、そう思っても、それは不思議ではないでしょ?」

 そう言ってみても、乃々には欠片かけらも納得する気配はなかった。自分の気持ちに任せすぎたがために、私は大切なものをひとつ取り落としてしまったらしい。

「先輩、不思議に決まってます。あの話のどこに憧れる要素が? 理由が抜けていたら、お話になりません。言葉は多義だそうで、解釈はご自由になさってください」

 この場合、大事な要素が欠けていたら会話が成立しない、とか、登場人物の行動理由を書かずにいたら物語が成立しない、とか、どうあれ、私を痛烈に批判したいことだけはよくわかる。この弟子、丁寧ではあれど、師匠に対してすごく容赦ないのでは? 果たして、スパルタ教育されるのはどちらになるのか。

 反論の余地なく、気の利いた言葉が思いつくでもなく、私としては、初志を貫徹するしかないのだった。思うことをそのまま。

「本気で恋愛をする乃々が、眩しく見えた。私、今まで、恋愛に本気になったこと、なかったから。興味が湧かないというよりは、目を向けようとしなかった、のかな。不可能ではなかったはずだよ。だって――」

 そして、初志を貫徹しようとするあまり、私はまっすぐ進んで崖から落ちた。比喩。

「――ほら、第二次性徴が発現しちゃった者の悲哀というか、体は欲求不満に陥るんだなぁ」

 それを聞いて、乃々は呆れるというより、むしろ怒り混じりなのだ。

「先輩、それ、わかりますけど、せっかくの大事な話が、雰囲気ぶち壊しです」

 小説の中での雰囲気の作り方と壊し方は、後日ゆっくり教えるとして、どうも今この時で言えば、私は大失敗したようである。

「ともかく、私が憧れたのは、乃々が強く恋をしていたから。見込みのない告白のためにだけ、それも可能かわからないのに、それでも気持ちに従って、人生まで変えてしまった。進学先を選ぶって、そういうことでしょ。その気持ちの強さに憧れた」

 聞いて、半分納得するふうな、何やら悩むふうな、乃々はそんな様子だ。

「私自身からは、自分では、わかりにくいところもあります。でも、このままじゃ話がまとまりませんし、別なことを聞かせてください。それで終わりにしましょう」

「うん。どうぞ」

 乃々の顔つきは、その視線は、どこまでも真剣だった。

 私は惹きつけられ、考えるより早く、乃々の目を見てしまう。私の部屋の明かりをその瞳が宿していることに、どこか、高揚を覚える。

 やっぱりまた、見惚みとれてしまう。

 違ったのかもしれない。

 気持ちの強さではなくて、私は乃々の目に惹かれ、憧れたのかもしれない。いや、わからない。それはわからない。わかるのは――

 ――もし歌にするのなら、恋の強さではない。この目だ。

 視線に射られながら、乃々に問われた。

「私と一緒にいることは、先輩の創作の役に立ちますか?」

 そして、私は罪悪感に絡め取られる。初志をねじ曲げてしまいたくなる。けれど拒めない。これは恋ではない。けれど私はこの目が好きだ。だから、嘘が吐けない。

「すごく、ためになるよ。小夜戸楓ではなく、早少女さおとめ余莉あまりにとっては」




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早少女では一が余る 香鳴裕人 @ayam4

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