第40話 ウソ? ホント? 豊洲の噂


 2018年春、学校法人森友学園をめぐる国有地の払い下げで、前代未聞の財務省の不祥事で大もめだ。多数の公文書の改ざんが明らかになったのだ。しかも、官僚に染み付いたクセなのか、同省は“改ざん”とは呼ばず、“書き換え”と言う。残念ながら、国民はそんな言葉の“言い換え”に誤魔化されない。過去の事例から学習済みだからだ。東京都のホームページの改ざんも全く同じタイプの“もみ消し”だった。設計通りに安全対策の「盛り土」をしなかった。

「しかも、盛り土をしなかったことは棚に上げて、都は有害物質の環境基準を弁明のために持ち出してきた。検出された有害物質は健康被害を及ぼす量ではないとね」

「もう完全に問題のすり替えですよね」

喫茶『じゃまあいいか』では、テーブル席の客の対応を終えて話に加わった恭一に幹太が同意する。盛り土についての対応は置き去りにされつつある。検出されたシアン化合物やベンゼン、ヒ素などの有害物質も、すぐに人体に影響が出るレベルではない。環境基準は規制値ではなく、健康と生活環境を守るための行政の目標値に過ぎないと言い出した。ベンゼンの場合、基準値相当の地下水を70年間、毎日2リットル飲み続けた場合に、がんの発生リスクが10万分の1だけ高まる数値という。そのため基準値の10倍のベンゼンが蒸発して食品に付着しても安全という主張だ。

「意味分かんない。じゃあ、環境基準って何の意味があるの? 基準の100倍のベンゼンを身体に取り入れても70年間で発がん率が高まる恐れは1万分の1だって」

と市川深雪。

「確かに、危険が高まったかどうか判断できないわね。2人に1人ががんになるって時代よ」

ママ友の高岡美佐子は、日本人の発がんリスクについて書かれた新聞記事を思い出した。

「きっと、こういう基準は他にもあるんでしょうね。公費を使っていろんな調査をしているけど、逆にその結果にどれだけの価値があるのか信用できなくなってきたのも確かですね。お役所は、どんどん墓穴を掘る結果なっていると思いますよ。矛盾ばかりが露呈して」

恭一は、深雪と美佐子の胸の内を察して役所を批判した。

「70年間の話は、確か8回目の検査結果の公表の時よね」

最近のことだけに、小笠原広海も思い出した。

「9回目では基準値の79倍のベンゼンが検出されたわけだから、マジ危ないんじゃない?」

年端のいかな子供を持つ深雪や美佐子にとっては、基準を超える有害物質には心配は募る。

「でも、発がんリスクが上昇するのは所詮10万分の1。原因として特定できる量じゃない。仮に被害者が名乗り出て、訴えられても負ける心配はないってことですよ、行政にとっては」

「そういうことなのね」

「そういうこと」

恭一の説明に深雪も美佐子も納得した。

現在の築地市場の問題点として、80年経った老朽化と開放構造による衛生問題が指摘されている。有り体に言うと、ネズミやハトなどの侵入の恐れだ。しかし、これまで築地市場をめぐってそんな問題が大きく報じられたことはない。業者ら関係者の努力の賜物か、都の情報操作か。移転か再整備かは避けることが出来ない必須の課題だが、老朽化が進む建物も81年目で急に崩れるわけではあるまい。ネズミやハトによる衛生問題も突然、深刻化するとは考えにくい。巨費を投じた豊洲新市場への移転を正当化するための根拠としてのバッシング。築地がダメだから移転、という分かりやすくて強引な力業。だが、今さら急にディスったところで豊洲市場をめぐる疑惑の数々と正面から向き合わない限り、万人が納得できる結果は得られない。

「そう言えばさ、小池知事が豊洲への移転の延期を決めた時、都は『移転しなくても、市場の維持費は1日に700万円かかる』って発表したの」

「月にしたら、2億円以上。しかも税金」

「1年延期したら、2億5,000万円以上が無駄になるって話」

「素朴な疑問なんだけど、何でそんなにかかるわけ?」

「光熱費や警備費らしいよ」

アルバイトの広海と学校帰りの秋田千穂と志摩耕作が加わって、開場の延期が決まった豊洲新市場についてあれこれ、疑問を並べている。

「電気、点けっ放しなの? 営業してないのに。ありえない」

「光熱費の大半は、冷凍庫代なんだって。市場に入る業者の大型冷凍庫。

 もう電源が入っているらしく、電源を切ると結露して故障するらしい」

「何で移転予定まで何カ月も前の今から通電する必要があるんだろ」

「さあ、実際に入っているかどうかも分からないけど。半ば脅し文句だろうか    らね、反対派をビビらせるための」

「結露などの故障やトラブが起きたら、修理すればいいんだよ。日本メーカーの技術水準は、結露で修理不能になるほどやわじゃないって。もし、故障したら修理すればいいだけだし。通電し続ける無駄な電気代に比べればはるかに安いと思うよ。新品買い替えてたとしても、たかが知れているさ」

さすがは男子だ。耕作がいて心強い。

「後、経費の多くは警備費なんだって。もう、入札が終わって業者が決まっているらしいわ。契約で期間が決まっている、ってのがその理由」

と千穂。

「警備って、空っぽの施設を守るわけ? 一頭何百万もするマグロとか入ってないんだよ、冷凍庫。営業前だから売上金だってあるはずないし。バッカみたい」

「でも、もう契約済みだって話でしょ」

納得がいかない広海に諦めムードで深雪。

「だから、脅し文句ですって。契約なんか、違約金払って解除すればいいだけ。それに、いつかは開業するか、築地を再整備するんですから、その時に再契約すればいいだけですよ。正当な理由なんだから。警備会社だって、都民の反感を買ってまでゴリ押しはしないと思いますよ。企業イメージって大事だから。傲慢で使えない会社って、SNSでディスられて、一瞬で拡散する時代ですからね」

耕作は器用にタメ語を使わない。質問したのが深雪だったから。大金を支払って何を守るのか。広海たちは、このまま無駄な電力や警備を続ける意味が分からなかった。コスパ意識はどうなっているのだろう。恭一も頭の中で様々な疑問をひとつひとつ潰していった。ツッコミどころ満載というのはこういうことか-。一通り整理し終わると、ぬるくなりかけのコーヒーに口をつけた。

耕作は、また別なことを考えていた。仮に豊洲移転を白紙撤回した場合、6,000億円をかけた施設をどうするか。ダーティーなイメージは、商業施設には致命的だ。そうだ、東京オリンピックの組織委員会の事務所を現在の虎ノ門のビルから引っ越せばいい。所詮は期間限定の“仮設”の組織。本来なら仮設の建物でも十分だが、日本を代表する市場として建設した建物なら構造的にも耐久性にも問題はないはずだ。現在払い続けている虎ノ門の高額な家賃の節約の意味だけでも効果はある。もし、文部科学省との連絡が取りにくいのなら、省内の五輪関係の部署も合わせて引っ越せば済む。同様に東京都との連携が必要なら都庁にある関係部署も豊洲に移ればいい。豊洲には青果棟、水産仲卸売場棟、水産卸売場棟の3つがあるのだから敷地は十分だ。月4,000万円、年間5億円近い一等地の賃貸料に比べれば、豊洲の家賃は格段に廉価に設定できるはずだ。照明だって、ネット環境だって不便があるとは思えない。セキュリティも万全だ。空の施設をも守るより、警備員の意欲だって上がるだろう。しかも、暑い夏場を快適に過ごせる冷蔵施設も完備ときている。頭を冷やすのにもちょうどいい。将来的な使い道はオリンピック後までに時間をかけて考えればいいことだ。耕作は一人、思い出し笑いを浮かべていた。

「何よ“課長”が思い出し笑いなんて珍しい。何考えてたの?」

「いやさ、最低でも1年は移転が延期になるんだから、何か使い道を考えた方がいいかなって」

「冷凍用のレンタルスペースとか」

「企業や大学の研究用とかは?」

広海も千穂もやっぱまじめだな、と耕作は思った。

「市場としてはクリアしなければならない問題があっても、施設として使えないわけじゃないからね。建造物としての欠陥があるのならその時点で市場失格だもん」

「最終決定までは保守・管理の費用が税金で賄われる以上、冷凍庫以外のスペースも有効に使うのがスジってもんよね」

「何百万円もかけて警備をしているのだから、セキュリティは万全だしね。食べ物を扱う巨大市場には不向きでも、使い道はきっとあるわ」

広海と千穂は小池百合子知事に代わって、人っ気のない豊洲新市場の使い道を考えていた。まさか“課長・志摩耕作”が考える五輪組織委員会の引っ越しなんて頭の隅にもなかった。

11月7日にオープンするはずだった新市場は入り口が網で覆われ、出入りは出来ない。店を構える予定だった仲卸業者の冷凍庫は既に搬入されてお「り、マイナス60度の状態に保たれたままだ。最終決定までは保守・管理の費用が税金で賄われる以上、冷凍庫以外のスペースも有効に使った方がいい。食べ物を扱う巨大市場には不向きでも、使い道はきっとある。

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政治的未関心Ⅱ 震災、オリ・パラの教訓とウソよっ!豊洲 鷹香 一歩 @takaga_ippu

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