第31話 オリ・パラ選手同士の切磋琢磨

 パラリンピックの柔道では多くの試合が『一本』で勝負が決まる。

「当たり前だけど、健常者の柔道は互いに離れたところから『はじめ』が掛かるから、こうはいかない。相手十分の組み手を許すとリスクが高いから、なかなか組み合わない試合も少なくないからね」

「だからね。テレビで試合を観ていてもどこか面白くないのは。お互いに手を取り合ったり、払い除けたりしながら畳みの上グルグル回っている場面、多いでしょ」

と響子。

「教育的指導だな」

「ちょっと前までの話です。今は注意。極端な防御姿勢ということで。ルールもちょくちょく変わるんですよ。まあ逆に、組み手は勝負に大きく影響するくらい大事だってことなんですけどね」

幹太は正博をやんわり訂正し、組み手の重要性も解説する。

以前は旗判定もあって『技あり』や『有効』、『効果』など明確なポイントがないままタイムアップになった時に主審と二人の副審が赤と白の旗で勝敗を決めていた。現在は延長ゴールデンポイント方式が採用され、どちらかの選手が先に技によるポイント(反則を含む)を取るまで勝負が決まらないルールに変更されている。オリンピックの柔道では、3大会連続で金メダルを獲得した野村忠宏選手が有名だ。一方で、パラリンピックのヒーローの知名度は低い。視覚障害者66キロ級の藤本聰選手はアトランタ、シドニー、アテネの3大会を3連覇した上に、続く北京大会でも銀メダル。右手首じん帯断裂の影響もあり出場を逃したロンドン大会を挟んで、リオ・デ・ジャネイロ大会でも銅メダルに輝いた。45歳で迎える東京大会を選手生活の集大成と位置づけ、照準を合わせている。


「審判の『注意』が多くて興醒めな試合も多いね。それに比べると視覚障害者の柔道は潔い。健常者の柔道も参考にすれば良いのに、ってのが正直な感想だ」

と正博。

「何でそうしないの?」

「組み手争いも実力の内、っていう考えなんじゃないの。多分」

広海の疑問に幹太の説明を聞いていた千穂が答える。

「それでもいいけど、どうせ試合を面白くするんなら障害者の柔道のようにルールを改正したっていいんじゃね、って思うんだよね。テレビ中継に合わせてルールを変更した競技も結構あるんだから」

千穂の意見に大きく頷いた幹太がルールの改正を提案した。年々ルールは変更されているのだから、さほど現実味のない話ではないはずだ。実際、2017年以降の国際大会では「有効」と「効果」のポイントが廃止され、「抑え込み」のポイントも10秒で「技あり」に5秒短縮された。

「ねぇねぇ、最初から組み合うルールで健常者と障害者がガチで対戦したら、どっちが勝つと思う?」

いたずらを思いついた子供のように、広海が幹太に聞いた。

「それは相手が見えている方が断然有利に決まってんじゃん」

「あら、そうとも限らなくってよ。人間の五感って鍛えられるっていうじゃない。心眼っていうか、相手が見えていなくても殺気っていうか間合いを感じることができれば、勝負は分らないわ」

響子は頭の中で、宮本武蔵の「五輪の書」を引っくり返していた。

「将来、両者の間にハンディがないことが科学的に証明されれば、そういう対戦も見られるかもしれない」

そう言いながらも、その証明が難しいことを正博は知っている。単純にフィジカルの問題だけでなく、競技団体の面子やプライドが対戦自体を許さないからだ。

「究極のオリンピックとパラリンピックの統合の形よね」

「当分は無理としても、そうした稽古の意味はあると思う。健常者と障害者の」

千穂の発想に触発されて、幹太は何かひらめいた感じがした。

「それって、もしかして一緒に稽古するってこと?」

と広海。

「そう。おばさんの言う通り、視覚障害の選手の感覚には一般の選手の感覚より優っている部分があるかもしれない。技に入る瞬間の相手の反応とかさ」

「予知能力みたいに?」

幹太に自分の思いつきを評価された響子は、ますます興味を惹かれる。

「何か武士道の世界みたいね。『お主の動きは見切ったぞ』とかって」

響子を茶化すように千穂。

「それは分らないが、精神的な部分でも意味はあると思うな。障害を持った選手の方も、世界トップクラスのメダリストと組み合うことは十分に貴重な経験になると思うしね」

正博も、健常者と障害者が組み合う稽古には意味があると考えていた。

「双方にとってプラスということか」

独り言のように、広海も納得した。

リオ・オリンピックで日本の男子柔道は、全ての階級でメダルを獲得することが出来た。大会前には、井上康生監督はモンゴル相撲や、ロシアのサンボ、古くから沖縄に伝わる相撲「ウチナージマ(沖縄角力)」もトレーニングに取り入れた。世界の格闘技を体験することは、国際大会で海外選手を相手にするための戦略でもあった。

「異種格闘技というか、柔道以外に経験したことはやっぱり大きな意味があったと思う。同じように、障害を持つ選手と健常者の稽古もメンタル、フィジカル両面で可能性を秘めているんじゃないかな。想像だけどね」

正博は井上監督の指導法は、柔道勢のリオ五輪での躍進に相当効果があったと評価している。以前から、日本の国技である相撲の世界でなぜモンゴル相撲を研究しないのか不思議でならなかった。白鵬、日馬冨士、鶴竜の3横綱をはじめとするモンゴル勢の活躍は、単にハングリー精神だけでは語ることはできない。スカウティング能力が高いこともあろうが、少年時代から全国で活躍する有望な力自慢が集う角界で、モンゴル勢が昇進する確率は異常に高い。モンゴル出身力士の場合、日本人力士が経験したことのないモンゴル相撲を子供の頃から体験している。『寄り切り』や『押し出し』のないモンゴル相撲では、投げ技が中心となるから自ずと腕力も鍛えられ、技を繰り出すタイミングも磨かれると考える方が自然だ。『敵を知って己を知れば、百戦危うからず』。柔の道に固執せず、世界のJUDOを制するために海外の武道を研究した取り組みに、正博は陰ながら拍手を送っていた。

「特別な強化費がかかるわけでもなさそうだし、トライアルでやってみる価値はありそうですね」

幹太も頷いた。

「仮に、目に見える効果が確認できなくても、オリンピック選手とパラリンピック選手の交流というだけでも意味はあると思うわ」

広海にも交流の意味がイメージできた。

「柔道だけじゃなくてさ。陸上とか、水泳とかでも障害のあるなしに関わらず、一緒の合宿とか練習メニューが組まれてもいいんじゃないかな」

千穂は、他の競技にも交流のイメージを膨らませる。

「双方にとって刺激にもなるよね」

ちょっとしたひらめきで提案した健常者と障害者の交流ではあったが、双方にとってプラスになると幹太は確信した。

「お互いがお互いをリスペクトするだけでも十分だよね」

千穂の言うように、急に目に見える成果が出なくてもいい。互いを尊敬し合う関係が醸成できるだけでも意味がある。

「みんなオトナになったわね」

娘たちの考え方の変化にあらためて感心する響子。

「何よ、今さら」

千穂が『オトナ』というフレーズに少し反発して見せた。


広海たちは“路上ライブ”でもオリ・パラ統合の実現を提案した。ギターの弾き語りやダンスパフォーマンスの他、リオ・パラリンピックで日本代表が銀メダルを獲得し話題にもなったボッチャのデモンストレーションも始めた。本物の用具は持っていない。手作りのお手玉に重りを仕込んだ簡単なボールだ。響子が見様見真似で手作りしてくれた。お年玉をもらって、懐に余裕が出来たら本物を購入してもいいかな、と思っていた。ガムテープで、路上に走り幅跳びのパラリンピック記録を示したり、走り高跳びの世界記録と日本記録もゴムひもを持って演出して見せた。リオネジャネイロ大会が注目されたこともあって、通行人たちは自ら飛び跳ねたり、自分の背丈と比べたりして、パラリンピアンの運動能力の高さを実感している。デモンストレーションの効果は上々だろう。ボッチャもどきの実演にも興味深そうに覗き込む人の輪ができた。路上ライブにはテレビ局のアナウンサー、長岡悠子も時折顔を見せた。地元の主婦と思われる多くの女性たちが、オリ・パラ一体化の提案に共感してくれた。中には自身のSNSで広海たちの活動と2020年オリ・パラ東京大会の一体化の提案を呼び掛けてくれる応援団のような人もいた。リオ大会の直後ということも手伝って、共催されてきた2つの大会の統合には賛同の『いいね』が多数寄せられた。

広海たちは、大学に進学したら本格的に署名活動を行うプランを立てた。




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