第30話 パラリンピックは刺激的!

リオ五輪で話題になったボッチャは、2020年の本大会を前に国内でも普及させようとの動きがある。

「イタリア語でボールの意味があるらしいね。白い球と赤と青のボールをそれぞれ6個ずつ使う球技なんだ」

ボッチャは欧州発祥の競技といわれる。白い球はジャックボールと呼ばれる目標球で、ゲームの最初にコート内に転がし入れる。敵味方に分かれて赤と青のボッチャ(ボール)を交互に6個ずつ投げ合い、相手より目標球に近いボッチャの数が得点になる。ボールは硬式野球のボールよりひと回り大きく若干重いが、表面の皮はお手玉のように軽くつまめる形状で、転がりも少ないのが特徴だ。

「ルールは“氷上のチェス”と呼ばれるカーリングに似ている。目標を狙うだけでなく、時には相手の球を弾き出したり、高い戦略が求められる点もそっくりだ。氷のリンクも必要ないし、場所も選ばないから気軽に楽しむことが出来るよ」

正博が説明するように、障害者も健常者も問わずにレクリエーションとしても楽しめそうだ。

「日本チームが銀メダル獲ったから話題にもなった。きっと2020年の東京大会でも注目されるだろうけど、問題はそれまでだな」

「それまで?」

「きっと、2020年直前までは注目されないと思うんだよね」

「日本人のありがちな悪い癖だな。熱しやすくて、冷めやすい」

正博が指摘する。

「さっき場所を選ばない、って言ったろ。カーリングをやりたくても氷を張ったリンクがない。スケートリンクはあっても、カーリングは専用のコートが必要だから全く別物。でもボッチャはやろうと思えば、多分どこでだって出来る。屋外でも屋内でもね。健常者がプレーしたっていいわけじゃん。だから、やるの」

「やるの、って言ってもね…」

幹太の提案にも、千穂はどうも気が進まない。

「こういうのはさ、誰かが率先してやらないと先に進まないんだよ。まあ、ボッチャの場合は草野球みたいに、各自が家からグラブとかバットとか持ち寄ってってわけにはいかないんで、本気で普及しようと思ったら専用の道具を行政が公民館とかに用意する必要があるけどね」

今夜の幹太は強引だ。グイグイ引っ張る。どうしてもボッチャを普及させたいらしい。

「市町村で購入するんだったら小中学校に準備しても良いんじゃない。目的が目的なんだから、予算はどうにでもなるでしょ」

広海が幹太の背中を押す。

「今はボッチャの話をしたけど、ゴールボールもいいよね」

パラリンピックのゴールボールもテレビで紹介されていたから知名度も上がったはずだ。コートは長さ18メートル、幅9メートルのバレーボールと同じ大きさ。両エンドにコートと同じ9メートル幅で高さが1.3メートルのゴールポストがある。丁度サッカーのゴールを高さを低くし、幅を広げたイメージだ。選手は1チーム3人。鈴の入ったボールを転がし合い、10分ハーフの前後半で得点を競う。日本の女子チームは2004年のアテネ大会で銅メダル、2012年のロンドン大会で金メダルを獲得した。

「アイマスクをするわけだから、障害者だけじゃなく健常者も一緒にプレーできるわけよね」

と響子。

「もちろん。それに、コートもネットを外したバレーボールのコートをそのまま利用できるから学校の体育館で手軽にできますよ」

幹太が答える。

「でもゴールポストがないじゃない」

と千穂。

「正式な大会じゃないんだから、パイロンとかで代用すれば十分だよ。危なくないし。相手のシュートは大体、コートに横になって防ぐみたいだからね。鈴の入ったボールだけ準備すればいいんだよ」

「ねぇ、そのボール、貢クンに頼んで学校に買ってもらったらいいんじゃない」

広海が幹太と千穂に何気に持ちかけた。

「あら、広海ちゃん、あなたミツグくんなんているの?」

響子が真顔で聞く。驚きのせいだろうか、声が半オクターブ高い。

「あのねぇ、ママ。広海にミツグくんがいるわけないでしょ。先生よ、横須賀先生」

「何だ、横須賀先生のこと? だって、ミツグくんなんて言うもんだから」

「面と向かって言うわけないじゃない。本人のいない所で親しみを込めて呼んでいるだけよ」

秋田家のリビングに5人の大きな笑い声が響いた。

正博が買ってきたアップルパイとシフォンケーキでコーヒーブレイクを取る。コーヒー豆は恭一の店のオリジナル。広海が持って来た。響子のリクエストで広海がコーヒーを淹れた。

「うまいなあ。とてもウチの道具で淹れたとは思えない」

「ホント、美味しい。広海ちゃん、あなた喫茶店開けるんじゃない」

正博も響子も広海の淹れたコーヒーを絶賛する。

「だめよ。広海は政治家になる身なんだから。ね、幹ちゃん」

「まぁ、最低あと7年は無理だけどな」

ケーキを頬張りながら、千穂と幹太。

「ありがとうございます。何せマスター直伝ですから、このくらいはできないと叱られちゃいますよ。でも、マスターには到底敵わないので、お店なんて無理、無理。無理の三乗か四乗」

二人の政界進出話を無視するように、広海は響子のお世辞に礼を言った。

陸上の四百メートル走の辻沙絵(つじさえ)選手は、一般のハンドボール選手からパラリンピックの陸上に転向し、僅か1年半で銅メダルを獲得した。東京大会に向けた期待の新星だが、転向には大きな悩みもあったという。『なんで自分がパラリンピックに-』。彼女の第一希望、目標はハンドボールのオリンピック選手になることだった。

「辻選手の悩みには共感するところが大きいよね。一般の選手と遜色なくハンドボールの大会で活躍していたんだから、尚のこと」

広海は辻選手の心の内を推し測るように言った。

「1年間、ボールに慣れるために一人きりで“壁打ち”を続けたらしいわ。チームメイトから離れて」

リオ大会の彼女のレースに感動した響子も新聞の特集記事を読んでいた。

「別メニューって言うと聞こえは良いけど、精神的には相当キツそうだな」

聞き役に回っていた正博。元体育会系のアスリートだけに、過酷なトレーニングの想像はついた。

“壁打ち”というのは、テニスや野球などで一人で行う練習方法だ。壁に向かってボールを打ったり、投げたり。跳ね返ってくるボールを処理することで基本的な技術を身につける。

「それでやっと手に入れたレギュラーポジションを棒に振って、障害者スポーツに転向するわけだから、やっぱり抵抗あるよね」

自分が彼女の立場だったら、同じように決断できただろうか。千穂は思った。

「健常者はもちろん障害者の側も、その“境界線”が気になるわけだよね。オリンピアンとパラリンピアン」

幹太もオリンピックからパラリンピックへの転向を決めた気持ちに思いを寄せてみる。

「よく考えると全然意味のない境界線なんだけどね」

と響子。確かに第三者にはそう映るかもしれない。

「偏見が原因なんだろうな」

正博がストレートに結論づける。

「だから、その境界線をなくせばいいだけの話。一般の競技会もオリンピック、パラリンピックもね」

千穂が自ら提案した統合案だ。

「賛成」

反対する者はいない。満場一致だった。思い出したように幹太。

「あのさ、世間ではオリンピックの方が遥かに盛り上がるけど、みんな知らないだけで、パラリンピックってかなり刺激的なんだ。例えばパラリンピックの柔道ってすっげえスリリング。主に視覚障害の選手が多いんだけど、選手が互いに相手の柔道着の襟や袖を取り合った状態で試合が始まるわけ。“組み手”って聞いたことあるっしょ。道着をつかんでいつでも技を繰り出せる状態だから、見ていても緊張感がハンパない。ドキドキがね」

幹太は子供の頃、柔道の道場に通っていた。初段ではあるが有段者だ。見るのも好きだ。オリンピックも日本選手権も、そしてパラリンピックも。

「そうなんだ」

柔道に詳しくない広海には、今イチ幹太の言う緊張感がピンとこなかった。

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