第27話 すべての差別を禁止した五輪憲章

オリンピックとパラレル(同列)のはずのパラリンピックが同等に扱われていないというのが秋田千穂の一番の不満だ。

「でも、現実じゃ仕方ないでしょ。それともあんた、何か案でもあるの?」

響子の予想を裏切って、千穂はキッパリと言い切った。

「あるよ。あのね、パラリンピックは止(や)めにするの」

「パラリンピックを止める?」

驚いた響子が箸を動かす手を止めて、娘の顔を見た。

「そう。4年後の2020年、第32回東京大会からパラリンピックはなくすのよ」

「何言ってんの、千穂。今さっきまで、オリンピックに比べてパラリンピックが冷遇されているって、あなたそう言ったばかりでしょ」

「まあまあ、そう慌てるなよ。千穂だって、ただ止めるだけじゃないんだろう。続きを聞いてみようじゃないか。俺も興味がある」

正博は最後になったハンバーグの一切れに皿に残ったソースをたっぷりつけて口に放り込むと、ビールで一気に流し込んだ。

「オリンピックがあって、パラリンピックがあるからおかしくなるの。パラレルにしようと考えるから、完全には平等に出来なくて結局破綻するっていうか、ボロが出てしまうのよ」

響子にはまだ千穂の真意が分からない。パラリンピックを止めたら、それこそ差別そのものじゃないか。

「いい? パラリンピックを止めるって言っても障害のあるアスリートの大会をなくすわけじゃないわよ、もちろん」

「だって千穂、あなた今『止める』って言ったばかりじゃない」

「止めるわよ、パラリンピックは…」

「なるほど、そういうことか」

正博は満足そうに頷くと、ゴクゴクと喉を鳴らしてすっかり泡の消えたビールをあおった。

「パパは気がついたみたいね。そういうことよ」

「俺も年は取ったが、見かけほどバカじゃない」

「さっすが。勘が良いわね」

「まあな。お前のパパだし…」

「何よ、二人して。父娘(おやこ)で仲のいいこと。どうせママは勘が鈍いわよ」

不貞腐れる響子を置いてきぼりにして父と娘は、互いに腕を伸ばしてグータッチ。響子は膨れて見せる。

「じゃあ、ママのために種明かしするわよ。正確に言うと、パラリンピック大会はやめて、パラリンピックを丸ごとオリンピックに組み入れちゃうの。だって二つの大会をわざわざ区別して開催する必要なんてないでしょ?」

「ない」

正博が大きな声で即答する。娘の妙案に満足そうにスマホで検索した。

「っていうか、オリンピック憲章には『人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない』と記してある。いかなる種類の差別も否定しているわけだ」

正博は続ける。

「オリンピックの期間中にパラリンピックの全競技を行うことはできないから大会期間を延ばす必要はある。パラリンピックの準備のためのインターバルはあるが、現在だって二つの大会を続けて開催しているんだから、経費的にも日程的にもさほど問題があるとは思えない」

「選手村とかは?」

「オリンピック期間だって、競技日程が前半の選手と大会後半に競技を行う選手が入れ替わりで利用しているわけだから、バリアフリーの設計ならパラリンピックの選手も問題なく利用できるはずだ」

選手の部屋割りなんかは、ホテルのプロにお願いすれば良いと正博は考える。東京オリンピックが掲げる「おもてなし」のためには大会期間中、多くのボランティアも必要だし、むしろ多くの国民が関わりを持つ方が意義がある。

「行ったことがないから不確かだけど、選手村の施設ってバリアフリーよね」

千穂が正博を見る。

「俺もオリンピックの取材経験はないから断言は出来ないが、多分そうなっているだろうね。バリアがあったら、それこそ大問題だ」

「なるへそ、そういうことか。だったら確かにオリンピックの選手とパラリンピックの選手が一緒の方がいいわ。健常者も障害を持ったアスリートもみんなが『オリンピック選手』ってことになるわけよね。ママも賛成よ」

「どうせならスケジュールも健常者の競技と障害者の競技を別々の日程で行うんじゃなくて、同じフィールドで同時にやって欲しいわ」

「陸上で言えば“人類最速”を競う男子百メートル走の直後に、ハンディを持ったアスリートの百メートル走。柔道でも健常者が体重別で戦う隣の畳で、視覚障害者が試合をしているとか、だな」

「だな」

千穂が正博を真似てみせる。

「リオ大会では、難民選手団が話題になったけど、障害の有無に関係なくオリンピアンというのは、あらゆる差別を禁じたオリンピック憲章の趣旨から言っても望ましいことなのね」

正博も響子も娘のアイデアに自分のイメージを膨らませる。千穂の説明はさらに続いた。

「メリットは他にもあるの」

「他にも?」

「全部をひっくるめてオリンピックになれば、きっと民放もパラリンピックの競技を中継しなきゃなくなるわ」

「スポンサー対策も解決する。オリンピック競技には提供するけど、パラリンピック競技には提供しないというわけにはいかないだろう」

と正博。この辺りはキー局や広告代理店が忙しく動き回ることになるだろう。プロ野球がキラーコンテンツだった頃に、テレビ局がシーズンオフの同じ時間帯のバラエティ番組と野球中継をセット販売した手法だ。逆に、海外の映画会社から大ヒットした話題の映画の放映権を買い取るために、劇場公開もされない複数のB級、C級の作品とセットで買わされることもある。つまり、オリンピックのCMの提供について、視聴率の取れそうな人気の高い競技と視聴率が期待できない人気のない競技との組み合わせで販売することもあり得るということだ。高額なオリンピックの放送権料を支払うのだから当然、と考えるに違いない。

「扱いが違ったら、明らかな差別になっちゃうもんね」

この辺りの流れは響子にも分る。

「それに、メダリストの報奨金のアンバランスも解消できるってわけ。今だってはっきりと金額の違いを説明できないんだから、オリンピックに一本化されれば一挙に解決できるでしょ」

「それだけじゃない」

正博も改革案のメリットをイメージした。

「メディアの扱い方も公平にならざるを得ないし、いろいろとスリム化できるかもしれない。無駄が省けると言う意味でね」

「例えば」

「オリンピックはIOC(国際オリンピック委員会)、パラリンピックはIPC(国際パラリンピック委員会)がそれぞれ運営している。それに対応する形で日本国内ではJOC(日本オリンピック委員会)とJPC(日本パラリンピック委員会)が組織されているわけで…」

「そっか。組織も統合すればスリムになるということね」

千穂の頭の中で、複雑な組織体系が一本化して行く。

「単純に半分にできるわけじゃないだろうけど、合体できればメリットは大きいわよね。少なくても会長をはじめとする役員は減らせるし」

今度は響子の出番だ。

「ただでさえ日本のお役所は何かにつけて新しい組織を作りたがるからね」

「官僚の天下り先や、公務員の再就職先を確保する意味でも好都合なんだよ。マスコミからも指摘されて一旦は廃止もされるんだが、もぐら叩きのように潰しても潰してもまた名前を変えて復活したりな」

「ゾンビみたいにね」

「ゾンビか。言い得て妙かもしれない。霞ヶ関の連中の多くは青白い顔をしている」

「あら、それじゃ頭を狙って退治しなきゃいけないわね」


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