第26話 メダルの報奨金は同一労働同一賃金に!
世界ランキングで自身最高の4位まで駆け上がった錦織圭。しかし、右手首の負傷は、ツアーを続けながら回復できるような軽症ではなかった。結果、治療のための長期離脱を余儀なくされ、ランクも大幅に下げた。
「彼の四大大会の優勝を真剣に考える良質のマスコミなら、もっと早期に治療に専念することをアドバイスできたはずさ」
「何でしなかったの?」
「嫌われたくなかったんじゃないかな」
「アドバイスして、嫌われるの?」
「長期離脱は当然、ポイントを獲得できないから世界ランキングは下がる。ケガの程度が軽ければ、ランクを守ることができるからね」
「でも、結局離脱を決断したのよね」
「治療しながら勝ち続けられるのが一番だけど、世界ツアーはそんなに甘くない。結局、ケガは悪化したし、思うような成績は残せなかった。一方、テレビ局はシーズン・オフのバラエティ番組なんかのオファーのためにも“睨まれたくない”って考えるから、アドバイスもためらう。途中棄権のたびに何とかの一つ覚えみたいに『心配ですね』って原稿通りのフレーズでお茶を濁すだけ」
「ご機嫌取り、ってこと?」
「そうと言えなくもない」
自身、新聞社に身を置く正博も持ち上げては落とすようにコロコロと移り気なマスコミの風潮には懐疑的だった。
「でね、パラリンピックの中継をやっているのはBSも含めてNHKくらいね。ゴールデンタイムの民放は通常のバラエティ番組の2時間スペシャルばっかり。大体、2時間、3時間のスペシャル番組って予算の削減で“尺”だけ水増ししただけじゃんね。それに今は、春や秋の番組改編期でなくても年中「スペシャル」ってつけているから、全然「スペシャル」感はないし」
どこから仕入れた知識だろう。否定できない響子は、娘の話すテレビ事情に苦笑いするしかない。
「あっ、“尺”って放送時間のことね」
千穂は正博に説明したつもりだったが、響子がたしなめるような視線を送った。
「千穂、そんなギョーカイ人ぶらないの」
「尺」というのは放送業界で放送番組そのものやニュースなどの放送素材の長さの単位として日常的に使われる言葉だ。最近ではバラエティ番組の出演者がコメントでも普通に使うので、視聴者にも一般的に知られるようになった。
余談だが、本来は日本の古い長さの単位で、「一尺」は約30センチメートル。一般的な襖一枚分の幅は一間。「一間」は長さ的に言うとアメリカで主流のヤードに近い。間尺に会わないとか尺に足りないという使い方をしたが、昨今では死語のひとつかもしれない。余談ついでに「アルプス一万尺」は「アルプス一万弱」ではない。「一万尺」ということは30センチの一万倍だから、約3キロということになる。この辺で余談から本筋に戻そう。
「そんなことないわ。教室でも『補習があって部活の尺、短いんだよね』とか普通に使ってるよ」
そんな母娘間の微妙な空気を察した正博。ムードを変えるように会話に割って入った。
「おっ、まいう」
「それもギョーカイ用語よね。まいう」
タレントの石塚英彦やパパイヤ鈴木がグルメ番組で連呼するので、もはや市民権を得たような表現だ。
「確かに最近のテレビは、どこもスペシャル番組のオンパレードだな。年中やってる商店街の閉店セールみたいだ」
正博はシャレのつもりだったが、年中やっているという意味では確かに似ているかもしれない。
「だから今では改編期の本当のスペシャル番組は、4時間とか5時間とかになっちゃうのよね」
「それも、CM前にもったいつけて前置きしながら、CM明けに長々と同じシーンをVTRで見せるから、そういう意味でもやっぱり“水増し”」
母娘の会話に正博が加わると、会話にトゲがなくなり和やかになる。そして、それぞれの指摘もあながち間違っていなかった。
「そのVTRという言い方。間違いだから、気をつけた方がいいよ」
響子には慣れっこだが、正博の指摘は時に細かい。VTRというのはVideo Tape Recorderの略だ。本来であればビデオ画像を録画・再生する機器そのものを指すはずで、映像自体を指すのであれば「ビデオ」で事足りるというのが正博の主張だ。
「もっとも、VTRという機器を使ってご覧頂きます、という意味なら必ずしも間違いでもないがね…」
あれこれ理屈を捏ね回すのも正博の癖だ。
「えっーとね、ギョーカイの話をしてるんじゃないの。オリンピックに比べてパラリンピックの扱い方が小さ過ぎるってハ・ナ・シ」
「立派なギョーカイ批判だ。テレビの政治力学に注文をつけているんだから」
まあ、聞いて。そもそもパラリンピックのパラって、元々パレレルのパラでしょ。全然、並行・並列じゃないんだけど」
響子には、娘の真意が分からなかった。
「その指摘、間違ってはいない」
「ったく、回りくどいんだから。間違ってはいない、って正しいってことよね」
はっきりしない父に、千穂は食ってかかる。
「正しいか正しくないかは、難しいところだけどね」
「もう、禅問答みたい。なんでそう煮え切らない言い方すんのよ」
「お父さん、昔っからこうなのよ。もう性格ね、性分」
と響子。
「オリンピックとパラリンピックの伝え方に差があるかないかと言えば、差はあるだろうな。放送する番組の数や取り上げる時間の短さも。誰が見ても明らかだよね」
「でしょ、やっぱり」
「でも、伝えていないわけじゃない」
「ズルい言い方」
「俺はいわゆるギョーカイの人間ではないから、ズルい言い方で逃げるつもりはないよ。第三者的にドライな言い方をすれば、ニーズがないということなんだろう」
「ニーズ?」
「そう、ニーズ。需要と供給の需要さ。視聴者が求めるニーズとスポンサーの求めるニーズ。そして、もうひとつ挙げるとすれば、番組に携わる制作者のニーズというかマインド。テレビ的に言えばね。だから取り上げ方にも自ずと差が出てしまう」
「もう、あなたが『マインド』なんて言う?」
響子が呆れたように言葉尻を捉えるが、正博は知らん顔だ。千穂も気にする様子もなく、核心に踏み込んで来る。
「本音と建て前ってことかしら?」
「まあ、そういうことだ」
「あのさ、メダリストってメダルの種類によって報奨金がもらえるのよね」
「そうだね」
「オリンピックは、金メダリストが五百万円、銀メダリストが二百万円、銅メダリストは百万円だったかしら」
金目の情報には主婦は敏感だ。従来は三百万円だった金メダリストの報奨金は、ソチ五輪の後に二百万円増額された。銀メダルと銅メダルについては据え置きの形だ。
「それって、パラリンピックの選手は同額じゃないでしょ」
「試しているのか? 俺に聞くまでもなく、とっくに調べているんだろ」
ハンバーグの切れ端を持ち上げた正博の箸が止まる。パラリンピックの報奨金は金メダルが百五十万円、銀メダルが百万円、銅メダルで七十万円(ソチ五輪までの金百万円、銀七十万円、銅五十万円からそれぞれ増額)だ。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まって協賛企業が増えたために、財源が確保できたのが理由らしい。JPCは将来、オリンピックと同額にしたいとしている。
「でも、そもそも何で金額が違うわけ?」
正博も響子も即答できない。千穂は思っていたことを素直に口にした。
「安倍総理は国会で『同一労働同一賃金』って言い方をしているけど、実際問題、同じメダルで価値が違うってことよね。オリンピックとパラリンピックが並列なら、報奨金も同額じゃなければおかしくない?」
正博は黙って千穂の言葉の続きを待っている。
「結局、国もマスコミも建て前ではオリンピックとパラリンピックは同列って綺麗ごとを言いながら、本音というか本心ではオリンピックが上でパラリンピックは下って考えてるってことじゃない」
「ストレートな言い方だな。その点については反論の余地はない」
夫を庇うつもりなのか、響子が娘に矛先を向けた。
「千穂、そういうあなたには何か考えがあるの?」
「あるんだな、これが」
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