第28話 レガシーを邪魔するのは誰?

「それじゃ頭を狙って退治しなきゃいけないわね」

ホラー映画は好みじゃない響子も、ゾンビの弱点くらい知っている。組織が統合できれば、結果として経費だって削減できる。全てとは言わないが現在のパラ選手の、報奨金アップにも役立つだろう。

「些細なことだが、エンブレムだってオリンピックとパラリンピック別々にする必要がなくなる。広告などの露出もシンプルになるわけだ」

「空いたスペースに別な情報を露出できるという意味でも、無駄のカットになるわけね」

「われわれで言えば、ニュース原稿で大会に触れる時、公平性を保つために必ず『2020年の東京オリンピック・パラリンピック』とするように配慮しているが、これだって簡素化できる。長い名称を繰り返し使う必要がなくなるから、文字数が削減できるということだ」

「アナウンサーも同じだわ。代わりに別な気の利いたコメントだってできるし」

「気の利いたコメントねぇ…」

千穂はスポーツ中継にありがちな、アナウンサーの過剰に興奮した大袈裟な言い回しが好きじゃない。

「何よ」

「まあ、いいわ。で、メダリストの報奨金の不一致、当然これも同額になるはずよね。全ての選手が等しくオリンピック選手、オリンピアンになるわけだから」

「異議は出ないだろう。というか、異議を唱えようにも根拠自体がなくなるんだからね」

正博が補足した。

「協賛スポンサーの企業にとっても、オリンピックとパラリンピック別々に協賛するより手続きもシンプルで良いんじゃないかな」

「良いことばっかりじゃないの。じゃあ、さっさと一本化しなきゃ」

響子は早速、新しいオリンピックの姿をイメージしてみた。

「ところが理想と現実とはよく言ったもので、そうスムーズに事が運ぶとは思えない」

と正博。水を差すように、話を現実に引き戻した。

「どうして?」

「必ず嫌がる連中が出てくる。反対派というわけさ」

「反対派?」

「もしかして、パラリンピアンのこと?」

「まさか」

「じゃあ誰よ」

「物事にはいろんな利害が絡んでいる。オリンピックやパラリンピックだって例外じゃない。平和の祭典、スポーツの祭典といわれる一方で、巨額のお金が動いていることは分るよね」

「それはそうだけど」

「例えばオリンピックの誘致。立候補した都市同士の誘致合戦の中で、投票権を持つIOC委員の支持を獲得するためにお金が動くことも常識のように囁かれたよね」

実際にJOCから海外のIOC委員が関係するマーケティング会社への支払いに買収工作の疑いがあるとの報道もあった。

「オリンピックとパラリンピックを統合すると困る人、損する人って…」

千穂の疑問に正博。

「それぞれの組織の関係者、特に実権を持つ有力者たちは統合を歓迎しないかもしれない。組織を統合すれば、職を失うリスクもあるからね」

「それは政治的に言えば『大義』がないから問題にならないわ。所詮は個人的な損得でしょ」

『大義』というのは正当な理由という意味だ。最近では自民党の総裁任期の延長をめぐっても取り沙汰されている。

「だが、案外そうした連中の力がモノを言う場合が多い。こうした問題は非公開のいわゆる『密室』で決まることが多いからね」

悟ったような夫の言葉だが、妻は納得しない。

「そんなのはオリンピックやパラリンピックが誰のための大会なのかを考えれば答えは自ずと出るでしょうに」

「そう簡単にいかないのが政治の世界さ。憲法の改正とか沖縄の米軍基地問題、選挙の区割りや一票の格差だけじゃなく、こうしたスポーツの世界にも政治は大きく関わっているからね」

正博の言うように、大きなスポーツイベントは政治にとって格好の隠れ蓑かもしれない。選手の活躍や大きな感動ばかりにスポットライトが集中し、その裏に潜む闇の部分を隠してしまうからだ。過去のオリンピックやワールドカップが汚職や不正がそれを証明している。

「ふーん」

「逆に言うと、千穂たちのように『18歳選挙権』をきっかけに政治に関心を持ち始めた若者、政治的未関心層にとっては、入りやすいテーマと言えるかもしれない」

夕食を終えた千穂は、オリンピックとパラリンピックの統合案について広海と幹太にメールで意見を聞いてみた。幹太からは『グッドアイデア+(電球)。オレも閃いた!』の絵文字入りの返信が。スポーツマンの幹太にとっては正に“水を得た魚”。格好の話題だったに違いない。少し遅れて広海から『いいね×3(ハート)』のメッセージが届いた。広海が絵文字を使うのは珍しい。千穂はスマホをタップしながら微笑んだ。

「ねぇ、ちょっと外出していい?」

千穂は頭が冴えて、テンションが高い

うちに幹太や広海の考えも聞いてみたかった。

「この時間に外でお茶しながら“ゼミ”開くんだったら、ウチでやったら。明日、明後日お休みでしょ。広海ちゃんたちが良かったら泊まっていってもいいんだし」

「ホント?」

千穂は同意を求めるように、正博の顔色を窺う。

「そうだな。俺も久しぶりにみんなの話を聞いてみたいな。今夜は我が家で『スポーツ酒場語り亭』と行こうか」

「あなた、調子に乗り過ぎよ。何しろ千穂たちは未成年なんだから、酒場には入れません」

「参ったなぁ。ジョークにも教育的指導か。それじゃあ『スポーツ喫茶語り亭』だ。『じゃまあいいか』のマスターにはかなわないがな」

上機嫌の正博の了解も得て、千穂は広海と幹太をLINEで誘った。

『スポーツ酒場語り亭』は、NHKのBS1で不定期に放送している番組。ミッツ・マングローブがママとして進行役を務め、客として現役スポーツ選手やOB、OG、解説者やスポーツファンのタレントなどが集まって毎回、テーマについて語り合う。更にマニアックなプロ野球応援番組『球辞苑』とともに正博のお気に入りの番組のひとつだ。

 正博が娘・千穂のオリ・パラ統合案で思い出したことがある。1998年の長野冬季オリンピックで、オリンピックとパラリンピックのユニホームがお揃いになった。当時、障害者スポーツの協会がパラリンピック選手用に、JOCにオリンピック選手の公式ユニホームと同一デザインのユニホームの着用を要請したところ、「両団体の組織や性格が違う」ことを理由に拒否された。当時の橋本龍太郎総理が「なぜ別でないといけないのか」と文部省、厚生省に詰め寄り、JOCが渋々、同一ユニホームの着用を認めた経緯があった。これも一種の政治主導と言えるだろう。濃紺の地にモヘアのようなラインがアクセントになった上着だ。デザインが話題になってレプリカも一般販売された。ノルディックスキー・ジャンプ団体キンメダルの原田雅彦や船木和喜も着ていたあのジャケットだ。しかし、当然のことながらパラリンピアンのそれには左胸に五輪のマークの刺繍はなかった。まだ若かった正博は何とも言えない違和感と同時に、2つの大会の間に厳然とある境界線を意識させられた。


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