第16話 復興五輪は誰のため?

 震災被害者の気持ちに十分寄り添えない大宮幹太たちに注文をつけた小笠原渚はさらに続ける。

「エンドレスかもしれない仮設や避難先での不安に、政治家は本気で寄り添う覚悟があるのか、オレは聞いてみたい。被災した彼らにはもう、住み慣れた我が家がない。何年も、場合によっては何十年もね。初めから存在しないのなら諦めることもできるさ。でも、津波で跡形もなく流されたり、何度かの地震で無残に崩壊した落胆はオレらの想像なんか遥かに超えている。失ったのは家屋だけじゃない。家族や身内、友人、知人を一瞬で失った人や、目の前で波に飲まれていく姿を見送るだけの経験をした人も少なくない。正に地獄絵だね。だから、誠心誠意、彼らの心情を理解しようと思っても、どうしても無理がある。所詮、きれいごとなんだ」

広海たちには返す言葉がない。

「そんな人たちに寄り添うオリンピック・パラリンピックって、どういう形がいいのか。今のオレにはノー・プランだね」

『復興五輪』に対する渚の結論だった。野球とソフトボールを福島県で行うことはIOCや国内外の競技団体とも合意できたが、所詮は予選の一部試合に限られるだろう。予選から決勝まで、全試合を被災地で行うことで初めて『復興五輪』と渚は考えている。岩手にも福島にも、プロ野球のレギュラーシーズンの試合が毎年行われている球場がある。宮城には楽天ゴールデン・イーグルスのホームグラウンドもある。本気度が確かなら、全試合の開催だって可能なはずだ。しかし、メイン会場は既に横浜スタヂアムに決まっている。競技団体は福島の球場について、内野が芝生でないことが不満らしいが、人工芝の横浜スタヂアムの方が問題は深刻のはず。現在、メジャーの主流が天然芝だから。都内や近郊で観客収容力のある東京ドーム、神宮球場、西武ドームはいずれも人工芝。雨天でも中止になるリスクを回避できるメリットを優先した結果に他ならない。人工芝に比べたら、土のグラウンドの方が選手の身体に対する負担もない。メジャー・リーグが人工芝を止めて、天然芝に原点回帰したのも選手ファーストの理由からだ。本当の問題は土の内野ではなく、スタンドの観客収容力のはずだ。百歩譲って予選リーグ数試合の開催で妥協するにしても、人気の高い日本代表・侍ジャパンの試合は組まれるだろうか。恐らく福島開催のカードは、外国チーム同士の対戦になるのではないか。盛り上がりだって中途半端に終わりそうな気がする。そして五輪のチケットは押しなべて高額だ。どれだけの被災者が球場で試合を楽しむことができるのか。主催者が被災者を招待するのか。テレビ観戦なら、東京でも被災地でも関係ない。渚の不安は拭えそうもない。

「侍ジャパンの試合が組まれれば、東北以外からも多くの観客が人気選手の応援に集まるだろうけど、海外のチーム同士のカードでは集客力は知れているよ」

そもそも、世界的には注目度合いが決して高いくない野球・ソフトボールの予選の1、2試合をやることで『復興五輪』なんて、誇らしげに政治家に胸を張られるのはまっぴら御免だ。体裁を整えるだけなら、試合なんて持って来てもらわなくても構わない。

「そういえば、2019年のラグビーのワールドカップも、ニュージーランドとかイングランドとか人気のカードはキャパの大きい大都市ばかりだよ。五輪もさ、ソフトボールの日本代表は福島に来ても、侍ジャパンは来ないような気がしてきた」

「試合の開催より、むしろ、2020年東京オリンピック・パラリンピックまでに、未だ仮設住宅暮らしを余儀なくされている被災者が一日も早く定住できるような対策を講じる方が先よね」

幹太も広海もだんだん心配になってきた。4年後の自国開催のオリンピックも仮設住宅で観戦しなくてはならない被災者を思うと、騒ぐ気分にもなれないし浮かれるわけにもいかない。東京大会をひとつのゴールに“脱仮設”を掲げたロードマップを示し、実現することの方がよっぽど『復興五輪』になるはずだ。もちろん、今年4月に大地震に見舞われた熊本や大分も基本的には同じ。ただ、優先順位としては、避難所や仮設住宅暮らしの期間が断然長い東北に思い入れがある。間違っても、東京オリンピック・パラリンピックの準備を進めるために、岩手、宮城、福島の東北3県や熊本、大分の復興が遅れるようなことがあってはならない。

「最近、思うんだよな。仮に、東京オリンピック・パラリンピック開催決定の後に東日本大震災が起きていたら、政府や東京都は五輪開催を返上して見送っただろうか、ってね」

渚は誰にともなく呟いた。

『復興』というキーワードで見れば、1995年1月17日早朝に発生した阪神大震災にしても、まだ復興途上の被災者がいる。自治体が民間から借り上げた災害復興住宅に入居する人の中には、退去の期限を迎える人が少なくない。仮設住宅から復興公営住宅に移ることが出来たとしても、復興は終りではないのだ。県や市などの自治体独自で経営するものは別として、自治体が民間業者から一括で借り上げた「借上げ型」の場合、居住には概ね20年の期限がついている。期限が過ぎれば退去しなければならない。実は阪神大震災の際に運よく抽選に当たって避難所や仮設住宅から復興住宅に移れた被災者の中にも、退去の期限を迎えようとする人たちが増えている。復興に立ち向かっている被災者は、東北や熊本に限らないのが現実だ。

「オリンピック関係者や関係団体、政治家はどうも『仮設』や『既存』が嫌いらしいわ。遮二無二理由をつけて、新設の会場整備に躍起になっているもの。既存の施設や仮設の観客席をかたくなに否定してるでしょ」

と千穂。誰も被災地の仮設には思いを寄せているようには見えない。

「そりゃ誰だって真新しい最新の施設がいいよな。でも、冷静に考えると俺たちの住むこの日本は、1,000兆円を超える借金を抱えた国なんだぜ。50年ぶりの国際的なスポーツの祭典と言っても、僅か1ヶ月そこそこのイベントに将来負の遺産となるかもしれない恒久施設って本当にいるのかな?」


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