第15話 渚と恭一のカンケイ

店のカウベルが鳴る。

「いらっしゃいま…」

客を迎えようとした広海。小型のスーツケースを引いて入ってきた男を見つめ固まってしまった。

「お、お兄ちゃん」

大きな声とともにカウンターを飛び出すと、兄に駆け寄った。広海に兄と呼ばれた男は、少し照れ臭そうに広海と視線を合わせることをためらった。

「おう、来たか」

「押忍」

「どうだ、元気にしてたか?」

「押忍」

声を掛けた店主の恭一に、直立不動のまま店内全体に響く大きな声で答える。

「おいおい、場所柄をわきまえてくれよ、渚。ここはオレの家じゃない。お客さんがビックリするだろう。ものにはTPOってもんがあるだろうが…」

冗談交じりの恭一に、男は小声になる。

「押忍」

「ったく、分かりやすいな。礼儀正しいというか、不器用というか、応援団の習慣とはいえ、困ったモンだ。まあ、座れ」

男は周りを意識するように更に小声で「押忍」と答えると、カウンターの一番隅の椅子に腰を下ろした。蚊の鳴くような「押忍」は、まるでコントだ。恭一は軽くため息をつくと、男のために新しいコーヒーを淹れ始めた


小笠原渚、22歳。広海の4つ年上の兄だ。広海は知らなかったが、恭一とは同じ高校の応援団の先輩後輩という間柄だった。同窓会で知り合ってからは、渚は度々「じゃまあいいか」に遊びに来るようになった。広海が父島にいた頃の話だ。高校を卒業したら、渚は両親が経営するペンションを手伝うつもりでいた。進路が変わったきっかけは、卒業直前に起きた東日本大震災。震災直後に友人と一緒に被災地に入り、ボランティア活動を続けた。何度かボランティアで行き来するうち次第に人数が減り、結果として渚だけが被災地に残ることになった。岩手の陸前高田市から宮城の気仙沼市と被災地をはしごし、現在は石巻市にある仮設住宅近くの旧商店街近くに支援の店を構えて復興をサポートしている。飲食店を構えたのは、恭一への憧れもあった。現地で復興を目指す若者たちとの共同経営だ。店の名前は『飯食亭(めしくいてい)』。隣りには震災前からラーメン店を経営していた女性が『麺食亭(めんくいてい)』を営んでいる。姉妹店のようなネーミングだ。実は、恭一も三月に一度のペースではあるが被災地を訪れている。16歳も違うが、高校の応援団の後輩でもある渚を励ますための陣中見舞いを兼ねた訪問だ。店を出すに当たって、アドバイスをした責任も多少感じていた。

「実は店の名前の『飯食亭』も『麺食亭』も、名付け親はマスターなんだよね」

「バカ、恥ずかしいから黙ってる約束だろ」

順序としては『麺食亭』が先だった。店主の女性が“面食い”かどうかは分からない。地元やマスコミ受けを狙ったというのが理由だった。そして、麺が食いたい時もあれば、米を食いたい時もあるだろうということで、渚の店を『飯食亭』と命名した。

「確かに『じゃまあいいか』と通じるものがあるわね。で、被災地にいるお兄ちゃんが何しに来たわけ? それにマスターも何で私に黙っていたわけよ。お兄ちゃんのこと、知ってるって」

何か一人仲間外れにされているようで疎外感を感じる広海。

「たった一人の兄に向かって『何しに』はないだろう。オレが呼んだんだよ。この間、原発や東日本大震災をテーマに勉強会をしたけど、どこか現実味がない。結局、オレもみんなも基本的に現地を知らないからじゃないか、って思ったんだ。被災地のことを知っている人間を探していたら、渚がいたってことさ。渚のことを広海に話さなかったのは、聞かれてないからさ。別に隠していたわけじゃはない」

広海は、渚を呼んだ恭一の説明には納得したが、自分だけ蚊帳の外に置かれた格好の二人の関係には納得できなかった。

広海と渚が会うのは、今年の正月に父島の実家で会って以来だ。被災地の現状や暮らしぶりを聞いているうちに、幹太と耕作、そして央司が、少し遅れて愛香と千穂もやって来た。


「自己紹介が終わったところで、渚。早速だが、渋川ゼミのアドバイザーとしてみんなに何かレクチャーしてくれないか」

「押忍」

「だから、それは勘弁しろって。少しは学習してくれよ」

応援団の先輩に対する渚の条件反射的な返事に、広海たちも大笑いだ。広海たちが18歳選挙権の導入をきっかけに政治に関心を持ち始めたこと。有志で勉強会を開いていることは、妹の近況として恭一から聞いていた渚。しかし、詳しい内容まで把握しているわけではない。

「それじゃ、高校生でも関心のあるオリンピック・パラリンピックと被災地の関係について考えてみようか」

「押忍」

応援団でも後輩でもない幹太が、胸の前で右手の拳を軽く左手の平に当てながら言った。「よろしくお願いします」の意味の「押忍」のつもりで返事をした幹太を広海が軽く睨む。

東京都も政府も2020年の東京オリンピックを『復興五輪』と位置づけている。しかし、“お上”が言う『復興五輪』には、渚は正直期待していない。信用していないというべきかもしれない。確かに一部競技の開催会場を被災地に当てることで、復興に向けて精一杯生きている現地の被災者を元気付けることはできるかもしれない。でも、勇気をもらえるのは恐らく一瞬だ。きれいごとで片づけてほしくない。

「結局、一過性で持続しないと思う。喩えて言えば、パーティーや豪華なディナーみたいなものかな。見た目も華やかで、口に入れれば確かに美味しい。でも、次の日からはまた替り映えのしない毎日と、いつもの質素な晩飯が待っている。替り映えしなくても、質素でも別に構わない。問題なのは、その内容だよね。小池都知事風に言えばグレード。断っておくけど、グレードって高級そうに聞こえるけど、そういう意味じゃないから。当たり前の日常とごく普通の食卓って意味。被災地では、震災前と同じ『当たり前』や『ごく普通』さえ、未だに十分に保証されていないんだ。みんな仮設住宅なんて経験したことがないから『分かれ』って言う方が無理があるんだけどね」

渚は、知り合いの被災者に無理にお願いして、丸一週間『仮設』暮らしを体験したことがある。

「大地震のあった熊本では、避難所に入りきれなかった人たちがテント生活をしていたけど、ああいうもんですか」

質問したのは幹太だ。テント生活は、家族旅行と中学時代に夏休みのキャンプで体験している。うろ覚えではあるが、テントの張り方も何となく覚えていた。

「違うな。君たちが考えているテント生活とは、クオリティーが雲泥の差だよ。オレらがイメージできるのはせいぜい、林間学校やレジャーとしてのキャンプだろ。それってさ、日常生活を抜け出して、わざわざ非日常を楽しむのが目的だから、多少の不便さなんて全然苦にならない。背を伸ばして立つことが出来ない窮屈さも、肌に直に伝わってくる地面の凸凹(でこぼこ)だって楽しむことが出来る。っていうか、2、3日すれば住み慣れた我が家の快適な生活に戻れることが約束されている。そもそもテント回りだってリッチな宿泊施設があったり、コンビニがあったり。精神的にも、物理的にも不安材料なんてこれっぽっちもない。いいかい、東北や熊本の被災者たちの場合は、将来の見えない状況の中での『仮設』であり『テント』なんだ。ゴールのないマラソンを走っているランナーはどんな気持ちか理解できるか」

渚は語気を強めた。


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