第12話 恭一ゼミ開講
「マスター、折り入ってお願いがあるんですが」
店に入るなり思い詰めたように考えごとをしていた幹太が、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がると、カウンターの中にいる恭一に切り出した。広海も幹太に並んで立つと、背筋を伸ばした。
「何だ、改まって」
「高校生の政治活動が制限されていること、知ってますよね」
「まあ、新聞に載っている程度はな」
2015年6月、改正公職選挙法案が可決・成立し、これまで20歳以上と規定されていた選挙年齢が18歳以上に引き下げられた。それに伴って、文部科学省は旧文部省が1969年に高校生の政治活動を制限した通知を廃止し、校外での政治活動を認めることを決め、全国の高等学校に通知した。授業や生徒会、部活動での政治活動は禁止され、休日を含め校内での活動は原則禁止だが、校外での活動は基本認める内容だ。
「オレらの勉強会って基本、政治活動ではないつもりなんで後ろめたさはないんですけど、学校もピリピリムード半端ないし、先生も超ナーバスでやりにくいんですよね。放課後にしても」
「学校の先生も大変だな。一方では有権者教育、政治的な教育が必要だと言われ、また一方では偏ってはダメだと言われるんだからな。もし、勉強会や路上ライブを始める生徒なんか現れた日には、もうたまったもんじゃないな」
「それ、ヒ・ニ・クですよね」
「皮肉じゃないよ。横須賀先生を気遣っただけだ」
幹太の隣からツッコむ広海に、恭一が意地悪そうな満面の笑顔で返す。
「そうなんです。横須賀先生にも迷惑掛けたくないんで、オレ達。文科省の通知なんか出る前から校内での勉強会は自粛っていうか、しない方向でいたんですけど、改めて通知が出た以上は自粛とかの問題じゃなくて禁止なわけだから」
「で?」
「『で?』って。もう、分かってるくせに」
じれったそうに広海。思わせぶりな恭一に、口を尖らせる。軽い抗議の意味を込めて。
「ここで勉強会をやりたいってことか」
恭一は二人と目を合わせることなく、洗ったカップを拭く手を止めない。
「お願いします」
「お願いします」
振り返った恭一は、冷めたコーヒーを一口含んで自分のスツールに腰を下ろすと、目を瞑って腕を組んだ。少しの沈黙。広海たちも緊張の面持ちで恭一の言葉を待っている。
「断ったら」
まるで値踏みするように、少し上目づかいで二人の様子をうかがう。広海たちを試すような恭一の言葉に、意外にも幹太が即答する。
「当然だと思います。無理を承知でお願いしているのはオレ達ですから」
「なるほど。で、どうする?」
「どうするって…」
言葉に詰まる広海。幹太は少し考えた後、恭一を真っ直ぐ見つめて
「他を当たります」
キッパリ答えた。
「当てはあるのか」
「ありません」
「答えが早いな」
恭一は苦笑いを浮かべるとスツールから立ち上がった。しばしの沈黙。
「この国の将来を憂い、もしかしたら日本の政治を変えてくれるかもしれない高校生を無碍(むげ)に断って、可能性の芽を摘む真似はできないか…。いいだろう。ここで勉強会をやっても。但し、条件がある」
恭一は、広海に3人分のコーヒーを淹れるよう頼むと、カウンターの引き出しからメモ用紙を取り出した。
規約
一. 勉強会の開催は平日は午後3時以降とする。開催は2日前までの予約制
で、開催時間は原則最長3時間までとする
一. 勉強会の参加者はオープンとする。
一. 勉強会の主催者は渋川恭一。勉強会の名称は「渋川ゼミ」とする
「いつまで立っている。ここはスタンド・バーじゃない。まあ、座れ。そして、これが勉強会を引き受ける条件だ。どうだ」
恭一は「規約」と書き込んだメモ用紙を幹太に手渡すと、広海の淹れたコーヒーをひと口。幹太は恭一のメモに目を通す。
「渋川ゼミ?」
覗き込んだ広海が不思議そうに読み上げる。
「気に入らないか」
と恭一。言葉とは違って、不満げな様子はない。
「いいんですか、これで」
「シンプル過ぎるか。それとも『渋川ゼミ』じゃ、箔がつかないか」
「いいえ。そういう意味じゃなくて」
幹太は返すべき言葉を探すが、適当な言葉が見つからない。
「大学へ進学すれば、君たちもやがて専門課程で何かのゼミに入ることになるだろう。今までの受け身の授業とは違う能動的な本来の学びのスタイルだ。渋川ゼミはその予行練習みたいなものだな。オープン参加にするのは、メンバーを君たちだけに限定しないという意味だ。希望があれば一般のお客さんも混ぜて欲しい」
「オレたちは全然構いません。だよな」
広海が頷く。
「ていうか、むしろ大歓迎。私たちだけじゃ知識も乏しいし、アドバイスしてくれる人が多いほど逆に助かるわ」
広海にも反対する理由はなかった。平日の開催時間を午後3時以降にしたのは、暗に学校の授業をサボることを禁止する意味だ。時間制限は、集中力をなくしてダラダラ続けるのを避けるための規定。勉強会を恭一の主催の「渋川ゼミ」にしたのだって、何か不測の場合に責任の所在が高校生にではなく、オーナーである恭一にしておく方が良いと考えたからだ。突然の申し出にもかかわらず、恭一の心遣いが有難かった。
国会法
第35条 議員は、一般職の国家公務員の最高の給与額(地域手当等の手当を除く)より少なくない歳費を受ける。
三日後-。喫茶「じゃまあいいか」。
「じゃあ、『渋川ゼミ』を開講する。第1回のテーマは、高校の先生には到底出題できない問題だ。『国会議員は一般職の国家公務員の最高の給与より少なくない歳費を受ける』(国会法第35条)についてディベートしなさい」
初めてのゼミは広海たちメンバーの発表ではなかった。討論形式の勉強会だ。
「うわっ、何この嫌らしい文面。こんな法律が実際にあるわけ? 信じらんない。『最高の給与より少なくない』ということは『最高と同額か、それ以上』って意味よね。控えめな言い回しで、しれーって図々しいこと言っているのよね。私は当然反対ね」
恭一の設問に即座に反応した長崎愛香に志摩耕作が駄目を出す。
「あのね愛香、ディベートって先手後手の手番を自分で選ぶ将棋の研究とは違うから。時には自分の考えと違う主張もしなきゃいけないんだよ」
「うっそー」
投了前の棋士でも見せないであろう情けなさそうな愛香の反応に、みんな笑いを誘われる。
「じゃあ折角だから、幹太と愛香ちゃんは賛成の立場で。広海と“課長”は反対の立場からということで」
いの一番に反対を表明した愛香が賛成派に回ることになった恭一の提案。カウンターは再び爆笑に包まれた。
「ディベートの前に、マスターにひとつお願いがあるんですけど…」
急に何だろう、愛香がお願いって。
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