敵わないにしても

今年のヴィクトリアマイルを勝ったのはノームコア。

先頭で駆け抜けた彼女を見ながら、すごい時代になったもんだなあとしみじみ思ってしまいました。

あんなタイムで牝馬が走ってしまう時代になったのだなあと。

同時に、勝ったノームコアの勝負服で、わたしはあるサラブレッドのことを思い出しておりました。


当時競馬を始めたばかりのわたし。

どの馬が良いか悪いかもわからず、目についた馬を応援するのが好きでした。

そんな中、先輩は「3歳戦から一頭追いかけるのも面白いんだぞ」とアドバイスをくれました。

じゃあどの馬を追いかけたらいいんでしょうかねと尋ねると、先輩は少し思案顔をして考え込んでいます。

自分で見つけますと言いそうになった瞬間、「あー!あいつがいいよ!」と一言。

良さそうな馬が見つかったようです。


「来週のいちょうステークスに面白そうなのが出るんだよ。そいつ追いかけようか。俺も乗る」

へぇ、どんな馬なんですか?

「新種牡馬スリルショーの仔で、身体は大きくないが能力ありそうだって話だ。せっかくだから見てみようぜ」

面白そうですね。なんて名前の仔なんです?

「スタントマンって言うんだ。スリルショーの仔で出来過ぎだよな」

先輩はそう言って笑いました。わたしもつられて笑い、それじゃこの仔にしましょうかと同意したのです。


そのいちょうステークス当日は雨。

わたしたちはパドックではじめてスタントマンを目にしました。

先輩が言ってたようにあまり大きくはありませんが、バランスの取れた馬体に秘めた闘志が見え隠れしてるように見えます。

この仔いいですねえとはしゃぐわたしに、先輩はこう言います。

「うん。スリルショー自体が大きな期待をかけられて連れて来られてるからね。初年度産駒にはずいぶんといい繁殖を集めたって聞いたよ。こいつもその一頭だからねぇ」

なるほど。道理で成績いいわけですね。

そして騎乗命令がかかって騎手が乗った途端、彼はやる気を見せたようでした。

白地に青い縞の入った勝負服が、若い鞍上と相まってなんとも爽やかに見えました。


この時点でのスタントマンは新馬戦とオープン特別を連勝してきていて、来年のクラシック候補生という扱い。

ならばここも十分に勝機があるのだろうと、わたしたちは馬券を買いに走りました。

折しもこの日は秋の天皇賞当日。あいにくの天気にもかかわらず多くの人でごった返しています。

わたしたちはスタンドの片隅にようやく居場所を見つけ、レースを待ちました。


ゲートが開くと彼は好スタートから後続を引き連れて先頭に立ちます。

不良馬場の中、彼は4コーナーまで泥をかぶらずに先頭で来たのですが、直線で2頭に交わされての3着。

それでも、来るなら来いと言わんばかりの先行策は好ましく見えましたし、先輩に言わせればこのレースはメンツが揃ってたそうで、そんな中での3着は十分に価値のあるものなんだと。

そう言われたらなんとなく納得出来ました。

そうして迎えた秋の天皇賞で、わたしたちはとんでもない光景を目の当たりにしたのですが、それはまた別のお話。


スタントマンは京都3歳ステークスを一番人気に応えてきっちりと勝ちきり、次のラジオたんぱ杯3歳ステークスでは2着。

そうして皐月賞への登竜門、弥生賞を迎えました。


3月の日差しを受けた彼はピカピカに輝いてました。

強そうな相手もいますけど、きっとまずまずやってくれるに違いない。特にこの年のクラシック戦線はとてつもなく強いのがいるというので、その強いのがいないここできっちり勝っておきたいだろうなあ……。

そう考えたわたしたち、彼の単勝をしこたま買い込みました。


スタートすると、逃げ馬をすぐ目の前に置いた彼は落ち着いたレース運びを見せます。

そのまま直線に入って先頭に立ちますが、後ろから来たのに交わされての2着。

「どうも、重賞勝ちきるには少し足りないかもなぁ」と、先輩は苦笑いしながらレースを振り返ります。

「道中はスムーズでいいんだけど、その先がな。まあ、なにかあったときはこういう馬が一番安心なんだけどな」

その、なにかがなかったら?

「そうだなあ……」

先輩はそれっきり黙りこくってしまいました。わたしもその先は聞けずにいました。

「……きっと本番もまずまずやってくれるさ。信じようじゃないか」

先輩は自分を励ますようにそう言いました。


皐月賞当日。

パドックを周回するスタントマンは前よりも良さそうな出来に見えました。

しかし、同じパドックにはとても同じ馬とは思えないような素晴らしい出来をしたミホノブルボンもいます。朝日杯を逃げ切りで制し、ステップレースのスプリングステークスも圧倒的な力で逃げ切ったブルボンに、スタントマンがどれだけ太刀打ち出来るのか。考えただけで暗くなってしまいます。

「こりゃあ難しいを通り越してるなあ……」と、先輩は頭を抱えてしまいました。

「どうやったって勝ち目はないかもしれない。なにかがあったときに対処出来るところにいられるかどうか、だけだろうなあ」

先輩はもうレースが始まる前から諦めた様子です。


でも。

勝てないと思ってるのはわたしらファンだけかもしれないです。もしかしたら、厩舎やジョッキーはなにか考えがあるのかもしれません。

少なくとも、まったく勝ち目がないとは思ってないと思うんです。

普段は先輩の言うことに同意するだけだったわたしですが、この時はこう言ってしまいました。

敵わないにしてもなにかはやってくれるだろうと、淡い期待もいくらかありました。

先輩も「そうだなあ。やる前から負けだと決めるのも良くないよな」と、同意してくれたようでした。

でも、馬券は複勝を少しだけ。

パドックでジョッキーが跨がり、彼は気合を見せます。

キリッとした鞍上の表情に、わたしは少しだけ期待をかけようと思いました。

先輩よりも少しだけ多めの期待を、彼の複勝に込めました。


ゲートが開くと、最内にいた彼はあまり前に出ようとはしません。

そのまま馬群の後方あたりに留まり、じっとしています。

「差して届くか、それとも動けないか……」

先輩は固唾をのんで見守っています。

わたしはジョッキーが勝つにはこれしかないと思って乗っているのだと思いました。

差して届くイメージがあるに違いない。あとは馬が応えてくれるかどうかだけだ。

そう思っていたのです。


彼は向正面からじわじわと外目に持ち出し、少しずつ前の方に出てきます。

そして4コーナーから直線ではブルボンの直後、すぐ外側にピッタリとつけていました。

いけるかもしれない!

一瞬、淡い期待が頭をよぎりました。

直線の急坂で一気に差し切れるかも……。


しかし、現実は甘くありません。

直線に入るとブルボンがスパートをかけ、彼はみるみる離されます。

それでも最後までしっかりと走りきって3着。

「……やっぱ、やる前から諦めたらいかんよな」と、先輩はホッとした顔で言います。

「一瞬夢見たなあ。それぐらいよく走ったよ」

ええ、あのまま差せてたら最高でしたねぇ。でも大健闘ですよ。

わたしもニコニコしながら答えてました。

敵わないにしてもなにかはやってくれるだろう。

そのなにかを見ることが出来て、満足でした。

今日はこれが精一杯なんだろうな、とも思いましたが……。


続くダービーでも、彼は後方から直線で外目を突いて伸びてきたのですが、結果は5着。

距離に限界がある中で、きっと精一杯に走ったんでしょう。ゴールした後の彼は、性も根も尽き果てたような顔をしてました。

でも、それが彼らしい姿を見た最後になってしまいました。


菊花賞を諦めた彼は、10月の終わりに古馬と混走になるオープン特別に出てきました。

クラシックであれだけ頑張った彼は一番人気に推されていたのですが、道中2番手から直線ではまるで粘れずに11着。

翌年の6月まで休んで出てきたオープン特別でも、彼は良いところを見せることが出来ませんでした。

そうしてるうちに、彼はまた長い休みに入りました。

次に彼の動向を知ったのは新聞の登録抹消の欄。地方競馬へ転厩とありました。

クラシックを賑わせた彼にしては、ずいぶんとひっそりしたお別れでした。

後に聞いたのですが、引っ越した先の岩手競馬でも、彼はあまり頑張れなかったとのこと。

そうして、その後の行方は知ることが出来ませんでした。


抜群のレース運びで、強敵相手に精一杯の走りを見せたスタントマン。

重賞にはついぞ手が届きませんでしたし、主役になれるような走りは出来なかったかもしれません。

ですが、敵わないにしても精一杯走った彼は、あの年のクラシックで名脇役として記憶される存在になりました。それだけが救いな気がします。


少なくとも、わたしの中では。

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