第四章・雨色に染まる異世界生活~ARURU‘s view⑧~

 ほとばしる一閃。

 

 ドラゴンがただでさえ大人一人を丸のみできそうなくらい大きな口をパックリと開いた時。

 

 その口内の中に複雑怪奇な術式の環を垣間見た次の瞬間。

 

 白さの成分が少し多めの青白い光が、わたくしたち目掛けて打ち出されました。

 

 何故、『破壊』ではなく『破戒』なのか。

 

 実際に見てみて、その意味がよくわかりました。

 

 これは物質的に何かを壊すものなどではなく。

 対象の魂や尊厳ごと消滅させてしまうような破滅の光。

 

 その威力たるや。

 

 筆舌には尽くしがたいとはこんなもののことを言うのですわね。

 

 ……ですが。

 

 言葉にならないというほどの驚きまで感じていないわたくしがいます。

 

 ああ、ここに来てついに精神が破綻してしまったのでしょうか。

 

 迫りくる死の予感。

 襲い来る終焉の光。


 極限状態の身と心にトドメを差すのに、その一撃は十分すぎるほどの輝きを持っていました。

 

 ですが。

 ですが、なのです。


 バッ……


 シュイィィィィィィンンンンン!!!


 

 「……あ、う……」

 

 わたくしから言葉を失わせたのは、まったく別のもの。

 

 筆舌に尽くせない一閃よりも、絶句するに値する驚愕の光景。

 

 「そんな豆鉄砲では鳩だって驚かんぞ」

 

 小さい背中。

 開いた傘。

 届かない死。

 訪れない終焉。

 

 ……ありのままを箇条書きで表現するとなると、こんな感じです。

 

 要するに。

 

 リリラ=リリスが幼女の細腕一つで構えた傘。

 

 再び開かれたその傘の前に展開された魔術が≪破戒光線≫を軽々と受け止めているのです。

 

 「……所詮はまがい物、か。……やれやれ」

 

 軽々と……ええ、ホント軽々と。

 

 気怠そうに腕を伸ばし、失望混じりに嘆息する幼女は、本当に何でもないように閃光を受け止めます。

 

 しかし、それが決して見た目と字面ほど簡単なことでないことくらいわかります。

 

 開かれた黒い傘。

 ところどころに精緻な装飾の施された、丸くて瀟洒で可愛らしい傘。

 

 その傘を覆うようにして輝くのは淡い桃色。

 盾となり、真正面から≪破戒光線≫とぶつかり合う桃色。

 

 形は……花?

 

 いいえ、少し違いますわね。

 

 確かにまるで四枚の花弁がパッと開かれたようにも見えるその形状は、花というよりはむしろ……。

 

 「≪不死蝶ふしちょう≫……とある世界のとある時代、とある作家の手によってに紡がれた、神話になり損ねた物語。その一篇に登場する名も無き無力なひとひらじゃよ」

 

 それは蝶。

 

 触角も紋様もなく、やはり一見しただけではただ桃色に光る花びらに見えます。

 

 しかし、時折不規則に揺れ動くさまは中空を揺蕩う羽ばたきのようであり。

 光線と力の拮抗を繰り広げることで舞い散るピンク色のかけらはさながら鱗粉のよう。

 

 圧倒的な火力を一身に受けてなお可憐さと華やかさを損なわない姿は、確かに美しい一頭の蝶々です。

 

 「なかなかに雅じゃろ?」

 

 力が拮抗し合う衝撃破。

 

 雨さえも降るそばから弾き飛ばされる強風もどこ吹く風。

 

 顔こそ見えませんが、長い黒髪をパタパタとたなびかせながら、きっとリリラ=リリスは得意げな顔をしていることでしょう。   

 

 「この世とあの世との境界で誰憚ることなく優雅に舞い踊る夢幻の蝶。土から生まれ、天寿を全うし、また土に還る。その身が朽ちた場所から、また新たに生まれ、そしてまた還っていく。そんな生と死が一つの環の中だけで完結する蝶。その仕組みをある種の不死性と解釈するわけじゃな、この場合。どうじゃ?防御壁としてはおあつらえ向きだとは思わんか?……まぁ、元ネタをたどれば≪現世界(あらよ)≫の神話に出てくる、あの自分の尻尾を咥えた大蛇が起源らしいが、我はあんなヌラヌラした変温動物よりも断然こっちの方が好みじゃな。乙女的に言って」

 

 神話になり損ねた物語……。

 

 大蛇・ウロボロスの逸話は確かに≪現世界あらよ≫では不老不死の象徴としてかなり有名な話です。

 

 そこに燃えつきた自分の灰からひな鳥が生まれるという不死鳥の特性を混ぜ込んだ物語。

 

 生と死の循環という閉鎖性。

 

 生殖を必要とせずただ一つの存在だけで命のすべてが完結するという完全性。

 

 とくに真新しい神秘ではありません。

 

 この≪幻世界とこよ≫においても、似たような御伽噺が数多くあります。

 

 確かに神話となるには、もう少しばかり捻りと独創性が足りなかったのかもしれません。

 

 ……とはいえ、それとこれとはまた別の話。

 

 このように、魔力を使って物語の役者を具現化すること。

 しかも姿形だけではなく、その神性までをも忠実に模して再現すること。

 

 これほど精密かつ繊細なものを生み出すだなんて、魔術にはまず不可能と言ってもいいでしょう。

 

 どれほど出力が高くとも魔術はあくまでも事象の顕現。

 

 術式によって内包された言葉を詠みとり、炎の壁を出現させてみたり、氷の宮殿を造形したりはできますが、それはあくまでも単なる炎と氷。

 

 どこまでも現実的に、科学と物理の法則にのっとった現象でしかないのです。

 

 では、このわたくしたちの盾となってくれている桃色の蝶も現象なのか?

 それが単なる蝶々の形を模しただけの光なのか?


 ……それは否です。

 

 これはむしろ、光りの形を借りた蝶々。

 

 乙女的に言えば、絵本の中から飛び出してきた美しく可憐な蝶々という生命体そのものです。

 

 そこから自ずと導き出される答え……。

 

 この幼女が文字通りに片手間で行ったものは、事象や現象引き起こす魔術ではなく≪現像げんぞう≫を次元を越えて現実に招き入れた……。 

 

 「……≪召喚サモン≫……ですの?」

 

 「まる。じゃな」



 シュウィィィィィィィィィィィンンンン……

 

 

 ポンッ!


 「ぶいっ!」

 

 どこか気の抜けた音を最後に。

 どこまでもふざけたⅤサインを合図に。

 

 ≪不死蝶≫はピンク色の粒子となってはじけ飛び、霧散します。

 

 同時に、ドラゴンの放った青白い光線も、その迫力と余韻だけを残して一緒に消えていきます。

 

 消失でもなければ相殺でもなく。

 

 破滅や破壊といった因果ごと、蝶々が故郷である次元の狭間へと持ち去っていったというような表現が相応しい、そんな後味がする消え方です。

 

 「この、ぽっぷてぃーんな体。可愛らしくて気に入ってはいるんじゃけれど、いかんせん魔力が全盛期の頃と比べてからっきしでのぉ。魔術で対抗するにはいささか心もとなかったので、ちょっと力を借り受けてみたんじゃが……そこまで大げさに騒ぎ立てるものでもなかったかのぉ」

 

 「……リリラ=リリスは……伝説の大魔女は……≪召喚士サモナー≫だったんですの?」

 

 「いいや、我は我。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 乱れた髪を呑気に手櫛で整えながら、リリラ=リリスは不遜に言い放ちます。

 

 「……やだ、我、超かっこよくない?」


 そして振り返った表情は恍惚としており、リリラ=リリスはキラキラとした目を向けながら、わたくしに同意を求めてきます。

 

 「『死ぬまでに一度は言ってみたい台詞』で常に上位に食い込む一言をまさか実際に使う日が来るとはのぉ。……あ、ホントじゃよ?別にねらって言ったわけではないんじゃよ、いや、ホント。こう、ぽろぉ~って?ぽろろぉ~って?さすがは名台詞。出てくる時は自然とこぼれてきてしまうものなんじゃなぁ、うんうん。でも我的一番はやっぱりあれじゃな。こう、仲間を逃がすために最低限……」

 

 「キュオオオンンン!!」

 

 「時間稼ぎをしなければならない状況に置かれたところでじゃな……」

 

 「キュォォォンン!!キュオオオオンンン!!」

 

 「己が捨て駒的な立場だと十分に理解した上で……」

 

 「キュォォォンン!!キュオオオオンンン!!キュオオオオオオンンンンン!!!」

 

 「……理解した上で、不平も不満も言わずに……」

 

 「揺るがなさすぎでしょう、このロリっ子!?」

 

 これは、あえて……ですわよね?

 何か考えがあって、あえて煽っているんですわよね?

 

 「キュォォォンン!!キュオオオオンンン!!キュオオオオオオンンンンン!!!」

 

 とっておきの攻撃を苦もなく防がれただけではなく。

 

 自分の存在を忘れたかのように下らないおしゃべりに興じるリリラ=リリス。

 

 そんな風にはしゃぐ幼女に、ドラゴンは怒りもあらわに何度も何度も咆哮します。

 

 その心中。

 

 濡れそぼる大気が、ビリビリと振動するくらいのいななきを聞けば、容易に察することができます。



 バサァァァァァ!!バサァァァァ!!バサァァァァ!!


 

 雨を斬り裂く翼のはためき。

 

 蝶のような優雅さなどかけらもない。

 蛇のような狡猾さなど微塵もない。

 

 ただ力強さにだけ満ち満ちた厳めしい風切り音を立てながら舞いがるドラゴン。

 

 「キュォォォォォンンンン!!」

 

 そしてそのまま、自身が放った憤りの咆哮を追い越してしまうのではないかという勢いで、わたくしたちの方へと滑空してきます。

 

 光線?

 ブレス?

 それでは生温い。

 与えられた恥辱には、ぶつけられた侮辱には、己が身を持って応えよう。

 

 そう言わんばかりに、ドラゴンは中空から真っ直ぐに飛来してきます。

 

 「……でな?」

 

 「いやいや、さすがに揺らいでほしいんですのぉぉぉ!?」

 

 わたくしは転がるように泥臭く。

 リリラ=リリスは踊るように軽やかに。

 

 瞬く間に距離を詰めてきたドラゴンの突進を、それぞれ躱してやり過ごします。

 

 あの魔女のことはわかりませんが、その突進の強い風圧に半ば吹き飛ばされるような形であったからこそ辛くも躱せたというギリギリのところ。

 

 本当に、たまたま幸運であっただけで、二度、同じことができるだなんて確信は抱けません。

 

 そして、もちろん。

 

 そんなわたくしの気持ちを察して一度で終わるってくれるわけがありません。

 

 もう一度高度を上げながら、ひねりを入れた宙返りの要領で体の向きを変えたドラゴンが、再び向かってきます。

 

 さしずめ黒い弾丸……いいえ、漆黒の砲弾でしょうか。

 

 結果的に一度目の突進が助走となったようで、二度目の飛来は速度も勢いも一段階ギアの上がったより破壊力ましましなものになっています。

 

 「ほう、器用なもんじゃのぉ」

 

 「か、感心してる場合じゃないですの!!あれ、さっきのあれ、もう一度出せないんですの!?」

 

 「ぶいっ!」

 

 「その前!その前のやつ!!その不覚にも可愛いな、と思ってしまったⅤサインを出すまでの過程にあったやつ!!あの≪不死蝶≫をもう一度召喚して、あれを防ぐことは出来ないんですの?」

 

 「!!(キラン☆)」

 

 幼女の目が、ここぞとばかりにルンルンと、ランランと輝きます。

 

 「キュォォォォォンンンン!!」

 肉薄する漆黒の覇王。

 

 「くぅぅぅ!!」

 どうにか残りの魔力を搾りだして悪あがきをしようとする銀色の少女。

 

 そして、一人だけ。

 

 「……防ぐ……じゃと?」

 

 一人だけ、わたくしとドラゴンとは別の舞台の別の演目を演じているかのように。

 

 実に……実に実に楽しそうな黒い幼女。

 

 「キュォォォォォンンンン!!」

 

 「倒してしまっても……かまわんのだろう?」

 

 「え?」

 

 パチン……


 「召喚サモン・≪イバラの乙女≫」

 


 シュルルルルルルルルゥゥゥゥゥゥゥゥ!!


 

 「ギュ、ギュモォォォォォ!?」


 「召喚サモン・≪砂漠の女王≫」


 

 ズブブブウブゥゥゥゥゥゥゥゥ…… 

 

 「なっ!?」


 「召喚サモン・≪鋼の聖女≫」



 ザクザクザクザクザクザクザクザクザクッッッッ!!


 

 「ギュ……モォォォ……ォォォォォ……」


 「召喚サモン……≪雷帝の巫女≫」


 ヴァリバリバリバリ……ドゴォォォォォォォォンンンンンンン!!


 「ギュモオオオオオオオオオンンンンン!!!」


 「一丁上がり♡」

 

 「…………」


 絶句を通り越して、あんぐり。

 あんぐりを追い越して、ポカン。

 

 もう……なんか嫌です。

 さっきから驚いて驚きすぎて。

 

 驚きの展開がいい加減ワンパターン化してきてもまだわたくしを驚かせ続けるこの幼女と絡むの、もう嫌です。

 

 誰かを引き留めるように全身を這い回る茨のツタ。

 誰かを逃さぬようにと引きずり込む朱色の流砂。

 誰かを一生離さないと縫い付けるように串刺しにする無数の針。

 誰かを一生許さないと断罪するように落ちる怒りの稲光。

 


 小気味よく指を一つ鳴らしただけで次々と召喚される女性型の化身。

 

 飛来してきたドラゴンが、その四体の女の情念に何もできず搦めとられていく様子に、わたくしはもう、今度こそ一生分の驚きを使いつくしたのだと思います。

 

 「タイミングといい前フリといい、まっことナイスパスじゃったぞ、小娘。……あ~ちょー気持ちいい♡」

 

 蝶を呼び出した時のまま、開きっぱなしの傘。

 

 それを上機嫌にクルクルと……つま先立ちになって自分の体も一緒にクルクルと回すリリラ=リリス=リリラルル。

 

 ≪八日目のある者≫にして。

 ≪創世の魔女≫にして。

 ≪空前の悪女≫。

 

 そして……。

 

 「(ピタッ)ぶいっ!なのじゃ!!」

 

 「はぁ……」

 

 愛らしくも恐ろしい。

 

 見た目も中身も真黒な鬼女。


 それと、ようやく本当の意味で出会えたような気がしますの……。

 

 

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