画家の告白

 最初は描くのが楽しかった。

 お父様もお母様も、そして『お姉様』も褒めてくれた。

 上手だと手放しに褒めてくれて、私の頭を撫でてくれた。

 それがいつからだろう。どこからだろう。

 お父様が私の絵を売るようになって。

 お母様が私の金で買うようになって。

 そしてお姉様が私を守るようになったのは。

 クルクルと歯車がきちんと回っていたのに、それが狂ってしまったのは。

 後悔しても遅かった。

 私は失ってしまった。

 大事な家族を。




「だんだん上手になっているじゃない。ま、それでも素人には違いないけど」

「ありがとうございます」


 大林が来て、三ヵ月後。

 仕事はないときは、こうして私は大林に絵を教えていた。

 大林は筋は悪くないけど、才能はあるかもしれないけど、それでも私のように天才とまでは言えない。

 なんというか、上手く描けているけど、心を揺り動かせないというべきだろう。

 素人と天才を分かつのはまさしくそれだった。誰だって上手な絵は練習すれば描けるけど、魂の入った絵を描くのは、選ばれた人間にしか描けないのだ。


「だけど、風景画しか描かないのね? 人物画は描かないの?」


 私が訊ねると大林は「どうも苦手みたいなんですよ」とはにかんで答える。


「時間をかければ描けないことはないのですが」

「ふうん。まあ得手不得手はあるから、仕方ないわね」

「ご主人様は、人物画は描かないのですか?」


 私は「家族以外の絵は描かないと決めているのよ」と言った。


「ま、くだらないこだわりね。それと、昼食の準備は?」

「既にできております。サンドウィッチです。食堂に参りましょう」


 私たちは上手くやれていたと思う。大林が人殺しなのは気にかかっていたけど、それでも私も同じように過去に囚われていたから、お互い様と言えるかもしれない。

 しかし、一方で不安があった。

 もしも、私の過去を知られてしまったらと考えると、怖かった。

 嫌われるとかそういうレベルじゃない。

 同情されるのが嫌だった。

 可哀想だと思われるのが、嫌だった。

 だから――




「ご主人様、しばらくお待ちください」


 昼食の最中だった。突然、食堂に聞きなれない警告音が響き渡った。


「何? この音?」

「どうやら侵入者のようです」


 冷静な大林に対して、私は恐怖を感じていた。


「どうしてここが分かったのかしら……?」

「どうやら五人、侵入した模様ですね」


 大林は懐からスマホを取り出した。どうやら監視カメラの映像を転送しているみたいだった。


「正面から二人。裏口から三人のようですね」

「ど、どうするの?」

「お昼から堂々と。しかも装備は充実している。ただの誘拐犯ではありませんね」


 大林は私の後ろについた。


「安心してください。ご主人様のことは必ず守ります」

「そ、そんなこと言ってないで、逃げないの!?」

「迂闊に動くと危険です。相手は銃を持っています」


 そして食堂の扉が乱雑に開いた。そしてあっという間に囲まれた。


「貴様が小田叶絵だな。付いて来てもらおう」


 五人の男たちが私たちを見ている。私は怖かった。


「大林……!」

「大丈夫です。私に任せてください」


 五人のうちのリーダーらしき者が「そこの執事、おとなしくすれば、命だけは助けてやる」と言う。


「死体を片付けるのは面倒だからな」

「……はあ。そうですか」




「あなたたち、私を知らないようですね」




 一瞬の出来事だった。リーダー格の男以外の人間が、倒れてしまった。

 まるで真正面から狙撃されたように、後ろに倒れてしまう。


「はあ? ……はああ!?」

「遅いですよ」


 動揺している男に大林は近づき、銃を発砲させる前に銃自体を奪い取り、逆に男に向けた。


 何がどうなっているのか分からなかった。私は恐る恐る、倒れた男を見た。


 目にフォークが刺さっていた。


 他の男たちを見ると、ナイフやらが刺さっている。

 大林がやったんだ……!


「くそ! お前は何者なんだ!?」

「ただの人殺しですよ。さて。あなたには答えてもらいたいことがあります」


 大林は背中を向けていたから表情を見られなかったけど、恐い声をしていた。


「質問に答えなければ殺します。あなたを雇った人物は?」

「い、一之瀬だ! 一之瀬組組長だ!」


 お父様に敵対している暴力団の名前だった。


「そうですか。分かりました」


 そう言って、大林は残りの男を撃った。

 脳天に命中した弾丸は向こうの壁に当たった。

 崩れ落ちる男。飛び散る血。


「こ、殺したの? どうして? 質問に答えたじゃない!」


 私が食ってかかると、大林は罰の悪い顔をした。そして深く頭を下げた。


「すみません。ご主人様」

「謝らなくても――」




「床が汚れてしまいました。掃除に時間がかかります。ゆえに夕食の時間が遅れてしまいます」




 私は夕食を食べる気にならなくて、代わりに大林と話すことにした。


「遅れて申し訳ございません。それで、お話とはなんでしょうか」


 ノックをして、私の寝室に入ってくる大林。

 傍に寄ってくるなり、私は詰問した。


「どうして、あいつらを殺したの?」

「殺さなければ、ご主人様が危なかったからです」

「あなたなら殺さなくても、無力化できたはずよ」

「殺しても解決したではありませんか」

「でも――」


 大林は私に告げた。深い悲しみを湛えた目で、私を見つめながら。


「ご存知のはずです。私は人殺しなんです。殺すか殺さないかでしか物事を考えられない、どうしようもない人間なんです」


 私は目から涙があふれてくるのを感じた。ぽろぽろと流れ出るのを止められない。


「どうして、ご主人様が泣いているのですか?」

「あなたは、どうして泣かないのよ?」

「そんな資格は、私にはないからです」

「……だから代わりに泣いているのよ」


 なんだか分からないけど、悲しくてツラい。

目の前に居る絵の生徒は私には救えないと思い知らされたからだと思う。


「ご主人様……」

「私の過去を話すわ」


 私は何も変えられないと思いながら、話し始めた。


「私には姉が居た。優しくて強い姉が。だけど死んじゃった。私が殺したようなものよ」


 大林は黙って私の話を聞いていた。


「私の絵が有名になって、数億の値段がつくようになった頃、私は交通事故に遭った。いや、交通事故に見せかけられて、殺されかけたのよ。犯人はお父様の敵対する会社の人間だった。私はお父様の宣伝に使われていたのよ」


 私は自分の脚を見つめた。


「私は思いっきり突き飛ばされて、道路の真ん中まで押された。迫ってくる車。もう助からないと思った。でも、お姉様が庇ってくれた。身を挺して、私を救ってくれた」


 私は涙が止まらなくなった。脚以外の身体ががたがたと震える。


「あの日は夕方だった。夕日の光がお姉様の身体をぬらぬらと照らしていた。だから夕方は嫌いなのよ」


 だけど、あの日の夕暮れは綺麗だった。お姉様と一緒に見た夕暮れ。最後に見た夕暮れ。


「結局、私は脚が不随となって、お姉様は亡くなった。もしも私の絵に価値がなければ、お姉様は生きていたはずよ」


 これが私の罪。私の原罪だった。


「何も知らない人間なら、私の責任じゃないって言うでしょうけど、それは当事者じゃない無関係な人間の言うことよ。悲劇の本を読んで、他人事のように涙流すような人間の感想よ。私は、私が許せない」

「なら、どうして絵を描き続けるのですか?」


 大林の質問に、私は「描かないとお姉様の死が無駄になってしまうからよ」と答えた。


「それこそ無駄になってしまうわ。お姉様の存在そのものがいなくなってしまうことなっちゃうのよ。それだけは嫌なのよ」


 これは独り善がりな考え。だけど、それに縛らなければ生きていけなかった。

 そうしないと死んでしまいそうだった。


「だから、私はこの牢獄のような屋敷で絵を描き続ける。そう決めていたけど、もう限界ね。私を狙う人間がこの場所を嗅ぎつけてきたんだから」


 私は大林に頼んだ。


「ねえ。私を楽に殺してよ」


 大林は無表情で私を見つめた。


「もう疲れちゃった。生きてても仕方ないし。それに私の絵なんて何の価値もないんだから――」

「そのようなことはありません」


 大林は私の言葉を静かに、そして強く否定した。


「ご主人様の絵には価値があります」

「どうせお金でしょう?」

「いえ、人の心に訴えるものがあります」


 大林は私を諭すように言った。


「私はあなたの絵で救われたんですよ」


 私の絵で救われた? 意味が分からなかった。


「私は物事を殺すか殺せないかしか考えられない人間です。獄中においても変わりありませんでした。こんな罪深い人間が生きてて良いのか、そう悩んで自殺しようとしたんです。しかし決行しようとした日、私に送られてきたある画集が、止めてくれたんです」

「画集って――」


 大林はにっこりと笑った。無邪気に純粋に笑った。


「初期の画集です。その絵たちは希望にあふれていました。そして私の心を揺り動かしたのです。一枚一枚めくるたびに、私の心は多幸感に満たされたのです」


 大林は私に向かって言った。


「死なないでください。ご主人様は世界に希望と光を与える存在です。絶望と闇をもたらす私とは違う。それに、今なら分かります。ご主人様の絵が何を訴えているのか」


 私の絵が訴えているモノ? 一体何なの?


「家族への愛。そして家族からの愛なんです。それがとてつもなく美しい。観る者の心を優しく包んでくれます。だから、ご主人様は生きてていいんですよ」


 私は、もう聞けなかった。今まで義務感や必要に駆られて書いていただけなのに、そんなに影響を与えていたなんて、分からなかった。

 涙があふれてくる。悲しいんじゃない。嬉しかった。だって、目の前に、私の絵を必要としてくれる人が居るんだから。


「……ありがとう。大林」

「私のほうですよ。ありがとうございます」


 それから長い間、私たちは黙ったままだった。

 だけど――話さなければならないことがあった。


「今日、襲撃してきた暴力団。どうすればいいのかしら」


 お父様に相談する? 私の絵だけを求めているあの人に? でも流石に私が危険な目にあってると分かればなんとかしてくれるかもしれない。


「ご主人様、その件に関しましては、既に対策を打っておきました」


 大林は深く頭を下げて、そして言った。




「私が知る限り、最も優秀な殺し屋に依頼しました。おそらくですが、明後日には組長ほか、組員は全て殺されているでしょう。ご安心ください」

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