小田叶絵と大林静

 大林――いや、静と出会って一年が経った。季節が廻って、一巡したとき、私たちの心は通い始めていた。

 誰かと絆が出来て、それが深まるとは思わなかった。ずっと一人きりで生きていくのだと思っていた。

 だから、私は静に感謝している。私の罪を素直に受け入れ、私の罰を一緒に背負ってくれる。それがたとえようもないくらい嬉しかった。

 二人で過ごすアトリエは穏やかな時間が流れていた。とても心地良かった。

 このままずっと、二人で過ごせたらいい。そう思っていた。




 アトリエでいつものどおり、静とお喋りしていると、玄関のチャイムが鳴った。

 おかしいな。配達業者は昨日来たばかりなのに。

 静がスマホで確認する。昔、暴力団が来たときと同じ対応。

 だけど、違ったのは、静の反応だった。


「な、何故、あの人がここに……?」


 いつも余裕たっぷりな静なのに、動揺していた。焦っていたというべきかもしれない。


「静? どうかしたの?」

「……叶絵さま。珍しいお客さまがやってきました」

「……? 私に?」


 静は首を横に振った。


「私にです。もしかすると、私を殺しにきたのかもしれません」

「……どういうことなの? 一体誰が来たというの?」


 静は私に青ざめた顔で言う。


「私の仲間。チームの中心人物だった人。『殺し屋同盟』の『リーダー』です」


 静は「急いで隠れましょう!」と言って、私のハンドルを握った。

 それくらいやばい人なんだ。あの冷静な静が焦るくらい。

 私は頷いて、静に従った――

 だけど、遅かったみたいだった。

 アトリエの扉が、ゆっくりと開いた。




「ああ。久しぶりだね。こんな山奥で暮らしているなんて、驚きだよ。電話では一度話したきりだけど、実際に会って話すのは七年ぶりかな」


 死神――目の前に居る人を見た、最初の印象だった。

 静を最初に見たときは人殺しなんて思わなかった。それは静が隠していたことに起因しているけど、この人は違う。明らかに人殺しの雰囲気を醸し出している。

 隠すつもりはないんだ……!

 どこからどう見ても優しそうな顔の、スーツを着たどこにでもいる男性だけど、それがとてもおそろしかった。怖くて怖くて。たまらなかった。


「執事の格好。意外と似合うね。流石に場に溶け込む術を知っているね。『アサシン』」

「……一体、どんな用でここに来たんですか? 『リーダー』」


 静は諦めたように、声を弱くして言った。


「そんなに警戒しなくていいじゃないか。せっかく仲間に会いに来たんだ。お茶の一つでも――」

「警戒しないわけにはいきません。そんな殺意を撒き散らして、警戒するなというのがおかしい」

「君への殺意じゃないよ。もちろんそこの綺麗なお嬢さんでもない。実は君に警告しに来たんだ」


 その人は静に言う。


「実は、三日前に『ソルジャー』が殺されたんだ」


 静はその言葉に反応できなかった。気になって顔を見ると、真っ青になっていた。

 そして――


「馬鹿な……彼が死ぬなんて、馬鹿げている! どうして殺されたんですか!?」


 

 激高して、その人に詰め寄ろうとする。実際、その人に首元を掴んで、扉に押し付けた。

 その人は抵抗しなかった。ただなすがままにされていた。


「チームの中でも最強の殺し屋ですよ! 死ぬはずがないじゃないですか!」

「殺し屋に強さは関係ないよ。殺せるかどうか。それだけさ」

「屁理屈はどうでもいい! なんで――」


 最後まで言えなかった。その人は溜息を吐いてから、目にも止まらない速さで、静を組み伏せた。

 素人の私には何があったのか、分からない速さだった。


「静! あなた何を――」

「お嬢さん、黙りなさい。『アサシン』、私はただ警告しにきただけなんだ。君の感情なんて知らないよ」

「……っ! あなたはいつもそうだ!」

「君とはギブアンドテイクの間柄だ。できれば死なせたくない」


 組み伏せたまま、その人は静に語りかける。


「いいかい。初めに『ソルジャー』を殺したことで、相手の傾向が分かる。ショートケーキのイチゴを食べる順番のように、誰が狙われるのか、分かるんだ」

「…………」

「次に狙われるのは、君だよ『アサシン』」


 その人の言葉に静は何も答えなかった。


「強い者順に殺していく。後が楽になるように。まあ僕が真っ先に殺されなかったのは、僕の正体が分からないからだ。その点、『ソルジャー』は格闘家として有名だったから、掴みやすかったんだろう。君だって例外じゃない。自首してここで働いているのは『シーカー』の手を借りなくても調べられた」


 その人は静から離れた。


「決して死なないように。仲間が死ぬのは見たくないし知りたくない」

「……私だって、死ぬつもりはないですよ」

「お嬢さんのこともあるしな。相当親しい間柄なんだろう?」


 その人は私と静を交互に見つめた。


「警告はした。僕は他のメンバーにも知らせる。いや、もう報道されているかな。気をつけてくれよ」


 そう言って、その人は去っていった。別れの挨拶もせず、そのまま黙ってアトリエから出て行った。


「し、静……? 静、大丈夫なの!?」


 呼びかけても静は黙ったままだった。

 悲しいくらいに、黙ったままだった。




「前に暴力団を壊滅させたのは、『リーダー』なんですよ。私が依頼しました」


 静は寝室に私を運んで、寝かせてからようやく話してくれた。


「彼は私の知る限り、最高の殺し屋です。他のチームのメンバーが殺し屋を辞めてからも、ずっと殺し屋を続けてきたんです」

「現役の殺し屋なのね」

「そうですね。その彼が相手の正体が分からないのは、とても異常なことです」


 そして、静は私の手を握った。震えていたから、強く握り返した。


「……怖いの?」

「怖がる資格なんてないと思いますが、それでも怖いんです。身勝手ですが、死にたくないんです」


 静は私を見つめた。


「こんなに穏やかな生活が続くとは、思えなかった。この生活を続けて生きたい。叶絵さまとこのまま、居られたら嬉しい」

「……ねえ。逃げましょうか」


 私は静に言う。


「このまま逃げて。私たちのことを誰も知らない場所まで、逃げて暮らすの。私は家事ができないけどね。それでも裁縫ぐらいはできるわ。穏やかに、二人きりで過ごすのよ」


 その言葉に、静は驚いたようだったけど、それでもすぐににこりと笑った。


「ええ。それもいいですね」


 私たちはそれからしばらくお話をした。静の過去の話が主だったけど、それでも楽しかった。

 次第に、眠りの国へと向かっていく。

 最後に聞いたのは。


「ありがとうございました。叶絵さま」


 感謝の声だった。




 夜が明けて。朝が来た。

 私が目覚めると、傍に静は居なかった。


「静? どこにいるの?」


 近くに車椅子があったから、それに乗って、静を探す。

 呼んでも返事は無かった。


「……静の部屋に、行こうかな」


 静の部屋は、屋敷の端にあった。

 扉を開ける。鍵はかかっていなかった。


「……なんで、そんなものがあるのよ?」


 静の部屋は簡素なものだった。ベッドと机だけ。

 だけど机の上には、キャンパスが置かれていた。

 それには、一人の女性が描かれていた。


「わ、私の絵?」


 車椅子に乗っている、私の絵だった。にっこりと微笑んでいる。


「確か、静は、苦手と言っていたはずなのに」


 私はキャンパスを手に取った。すると、裏に紙が添えてあった。

 それは一通の手紙だった。


『叶絵さまへ。私を狙う者がどうやら来たみたいです。私はこれから戦いを挑みます。叶絵さまは私に逃げろとおっしゃってくださいましたが、逃げることはできません。『ソルジャー』の仇を討たなければなりません。それが私にできることなのです。殺すか殺さないかでしか考えられない私にできる唯一のことなのです。いつか復讐されると思っていました。何千人と殺した私たちを報復しようとする者が現れると思っていました。だけど、私は死ぬわけにはいきません。叶絵さまとともに生き続けたいからです。私はあなたに二度生かされています。一度目は獄中で、二度目はここに来てからです。ようやく生きる目標と目的を得ることができたのです。『アサシン』と呼ばれていたとき、私は死ぬことばかり考えていました。けれど、叶絵さまに出会えて、心から生きたいと思えたのです。だから必ず勝ちます。勝って、屋敷に戻ってきます。遅くても昼前までに戻ります』


 私は涙を止めることが出来なかった。


「私だって、あなたに出会えて、生きたいと思ったのよ……」


 そのとき、屋敷中にチャイムが鳴った。


私は手紙を机の上に置いて、静の部屋から出た。

 そして屋敷の入り口まで急ぐ。

 静が帰ってきたんだ!

 静が負けるわけがない。

 静が死ぬわけがない。

 帰ってきたらなんて言おう? もちろん、文句を言って、それから抱きしめるのだ。

 だから急いで玄関までやってきて。

 扉を開けた。




 静が、倒れていた。




 静は虚ろな目で私を見つめた。

 静の身体は血まみれだった。

 静の顔色は青ざめていた。


「……静?」


 静は死んでいた。

 私が大好きだった、静は死んでしまっていた。


 私はゆっくりと近づいた。車椅子を操作して、ゆっくりと。

 私は車椅子から下りて、這いずりながら、静の横に寝た。


「ねえ。静。私、あなたのこと、好きだったんだよ」


 答えてくれない。応えてくれない。


 私は、静のまぶたを閉じた。

 こうしていると穏やかに寝ているようだった。


「一緒にアトリエに行こう。そして描こう。あの日の夕暮れを」


 静は何も答えない。

 静は何も話さない。


 私は目を閉じた。

 もう何も考えたくなかった。

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