第12話 予言

「ふぅん、ふふん! そうかい!」

 老婆はささっと宝玉を奪い取ると、汚れた衣服の袂にしまいこみました。

 相手が光戦の民だと悟ったようです。

「だがね、あんたはその子に似つかわしくないよ。とっとと消えたほうが、あんたのためだよ」

 そう言うと、老婆は近くの藁束を掴み、よたよたと部屋の奥に歩いていきました。

 そして、おそらくスミアが帰ってくるまでの間、していただろう藁たたきの作業を再開しました。しかし、一回ぽんと叩くと、突然また怒鳴りました。

「スミア! 何をぼけっとしている! さっさと魚の網を引いてこんかい! あんたのせいで、じっちゃんはジッタのところでただ働きだ。網を引いて魚をシオ爺のところで金に替えてきな! 帰りはちゃんと水を汲んでこい!」

「? 何であたしのせいで、じいちゃんが?」

「お前、光戦の民を探すとかいって、ジッタんとこの船を盗んだだろ? 船代払えってぬかしやがった!」

 スミアは悔しそうに舌打ちしました。

「わかった……。夕方までには戻るから。それまで、この人が聞きたいことがあるんだって。いろいろ教えてあげてよ」

 老婆は、顔をゆがめながらも、うなずきました。

 スミアは、近くの桶を二つ持つと、家を飛び出していきました。


 家を出たとたん、突風がスミアの顔を打ちました。桶を持つ手がかじかみました。

 激しく打たれたお尻が痛くて、スミアはよろよろ歩きました。

「スミア!」

 アルヴェが扉を開けて、後ろを追ってくる様子が何となくわかりました。

 じわりとあふれてくる涙を、スミアは天を仰ぎ、何度も瞬きして押しとどめようとしました。

 しかし、空はまぶしすぎて、さらにスミアを涙目にしてしまいました。

「しっかし、ひどいよなぁ……。あの船なんて、投げ捨てられていたのを、あたしが修理して使えるようにしたんだよ? それをよくも……。まぁ、あたしらなんて、こんなもんさ!」

 アルヴェのほうを向くこともなく、スミアは明るくいいのけました。

「スミア……君は違う」

 否定しても無理なことは、あえて否定しない。そう言ったくせに……。アルヴェの嘘つき。

 こぼれそうな涙を必死に押えて、スミアは笑いました。

「あはは……違わないよ! 生きるためには何でもするさぁ! あたしたちは汚い生き物だよ」

 アルヴェの返事はありませんでした。

 ただ瞬きもせず、突き刺さるような眼差しが、スミアの背中に注がれているのを、スミアは感じました。

「ばあちゃんの言うとおりなんだ。あたしがあんたたち光戦の民といるのって、おかしいだろ? でもさ、ちょっとはうれしかったよ。ばあちゃんの怒りを静めるためとはいえ、あたしを……」

 そのとたん、涙がせきを切ったようにあふれ出しました。もう、自分では止めることもできません。

 あの瞬間のサファイアの輝きが、スミアの目を射抜きました。

 スミアを助けるために、アルヴェは身請けを申し出てくれました。それが、たとえ誤解のうんだ結果であって、その場しのぎで本気ではなくても、スミアはうれしかったのです。

「スミアは違う。光戦の民は予言ができるのだよ」

 桶を抱きしめて泣き出してしまったスミアに、アルヴェは身をかがめ、耳元で言いました。

「今は冬だ。やがて春が来る。そして夏……。スミアは、これからいくつもの季節を通りすぎて、そして大きくなっていく。スミアはきっと、輝くような綺麗な女性になるだろう」

 アルヴェがそう言うと、何となくそうなりそうな気になって、スミアは鼻をすすりました。

「あたしが? あたしが綺麗になる? へへ…そんなことあるわけない」

「保証するよ。光戦の民の予言はきっとあたる」


 時を越えて存在する光戦の民たち。人を超えた彼らならば、予言もできるのかもしれません。

 アルヴェは微笑みました。しかし、スミアは悲しくなりました。

 光戦の民らしからぬ汚れた顔。サークレットのない額には、銀髪が風に踊って貼り付いていました。

 そして、胸元のボタンはなくなっていて、寒空の下、かすかに胸がはだけていました。


 アルヴェが、桶のひとつに手をかけたのに気が付いて、スミアは思わず桶を振り回しました。

「だめ! だめ! 絶対にだめ!」

「どうして? 私も手伝うよ。この寒さの中、一人で魚を上げるのは大変だろう?」

 激しい突然の拒絶に、アルヴェは不思議そうな顔をしました。

 魚を上げるのは、確かに大変な仕事なのです。

 だからこそ、スミアは絶対、アルヴェにこの仕事をしている自分を見せたくはありませんでした。

 ましてや手伝ってもらうなんて……。これ以上、アルヴェを痛ましい姿にしたくなどありません。

「だめだよ! だって、アルヴェは、ばあちゃんの話を聞きにきたんじゃないか! 二人で仕事しちまってから、話を聞いたら夜になる。そうしたら、シルヴァだって心配するよ」

 確かにスミアの言うとおりでした。

 しかし、アルヴェには、体に似合わない大きな桶を二つも抱えたスミアが心配でした。そして帰りには、この桶を水でいっぱいにして帰ってこなければなりません。

「しかし……」

「大丈夫! いつものことだよ。あたしは慣れている。手伝いなんてかえって邪魔さ!」

 そう言うと、スミアは桶を抱えたまま、くるりと後ろを向いたかと思うと、一心不乱に走り出しました。


 アルヴェは、しばらくその姿を目で追っていました。

 予言……。

 確かにかつての自分ならば、未来を読むこともできたでしょう。しかし、古の力が薄れた今にあって、アルヴェには、まだ予言する力があるのかどうか、自分でもわかりませんでした。

 でも、これだけすさんだ環境に育って、スミアの純粋さは奇跡にも等しいとアルヴェは思いました。

 村人たちは、生きるために何でもするのだと、スミアは言いました。そして自分もそうだと、スミアは言いました。

 しかし、スミアに限って言えば、それはだますことでも利用することでもなく、一生懸命生きようとすることでした。

 アルヴェはふと、落陽の乙女の言葉を思い出しました。

『アルヴェ、あなたの目の中には復讐の炎しか見えません。でも、あの方の目には、もっと温かなものあるのです。命の輝きを感じるのです』

 かつての同志であった女性は、微笑みすら浮かべて、神から与えられたすべてのものを捨て去り、仲間とたもとを分ち、人間の元へと行ってしまいました。

 命の輝き。

 当時、まったく理解できなかった乙女の心境を、アルヴェは知りつつありました。

 ですから、すぐに通り過ぎてしまう一瞬の季節だけ、スミアの復讐に付き合う気にもなったのです。

 光戦の民が持ち得ぬ別の光が、スミアを輝かせていました。

 アルヴェは後ろ髪を引かれつつも、再びスミアの家へと向かいました。

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